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          齊藤 秀樹  監督

 
 

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2021/06/22

大人は、誰も、はじめは、子どもだった

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“大人は、誰も、はじめは、子どもだった” 監督 齊藤 秀樹  

    私は柏市という所に住んでいます。そして地元の柏にはたくさんの友人たちがいます。もちろん一番多いのは同業者である教員ですが、その他にも、会社員、市役所、医者、会計士、床屋、葬儀屋、焼き鳥屋、建設業、市場関係者…実に様々です。みんな30年来の友人たちですので、いつも「先生」とか「ひでき」と言って仲良くしてくれる大切な仲間たちです。

 そんな友人たちが集まると、よく「今の教育は」とか「今の子どもたちは」という話題が出てきます。そしていつもきまって「今の子どもたちは昔と違って…」「俺たちのガキのころには…」という話になってきます。例えば「いじめなんてものは、昔からどこにでもあったものだよ。弱虫で泣き虫の奴はよくいじめられていたもんだ。しかし今のいじめっていうのは、陰湿でジメジメしてしているし、加減というものがわかっていないんだ。その辺が昔とは違って悪いところだな。」なんて言って、眉をひそめて知ったような顔で教育論議に花を咲かせています。私はいつもこういう「昔と比べて、今の子どもたちはどうしようもない」的な発言を聞くと腹が立ってきます。

 それは自分が長年教員という仕事してきたからというのではなく、子どもというのは大人が作った社会の中で生きているのであって、子どもの社会というものが大人の社会とは別に存在するわけではないと思っているからです。「今の子は、わがままで、我慢ができず、陰湿で、世の中をなめている」そんな子をつくったのは、間違いなく大人の責任であって、大人の世界と子どもの世界が別々にあると錯覚しているのは、大人が子どものことをあまりに知らなすぎる(無関心すぎる、放ったらかしすぎる)からに他ならないと思います。別の言い方をすると、大人は大人、子どもは子どもで生活し、両者の距離が離れすぎていると言えるかもしれません。

 皆さんは今子どもたちの間で流行っている遊びやテレビ番組、ゲームや漫画、子どもたちが集まる場所等をどれくらい知っていますか。数年前にある教育調査で「子どもの思いやり度調査」というのがあり、その中の項目に「好きなテレビをがまんして家族に譲ったことがありますか。」という質問に対して、多くの子が「自分の部屋にあるから経験がない。」と答えていました。家族の各自が自分の部屋にこもって、お互いの世界には干渉しないで過ごすという家庭も多いのではないでしょうか。先週も書きましたが、最近、頻繁に起こっている青少年の凶悪な犯罪の中には、毎日生活を共にしているにもかかわらず、我が子の変化や歪んだ性癖に、「まさか家の子に限って…。」と親が全く気づかなかったという事件が数多く報道されています。

  要するに私が言いたいのは、子どものすることを「くだらない。ばかばかしい。何をやっているんだ。」という大人の目で見てしまわずに、大人が子どもの世界まで降りていって、趣味や楽しみを共有する(共に楽しむ)ことが大切ではないかと思います。

  星の王子様という本の冒頭に“大人は、誰も、はじめは子どもだった”という名言がありますが、親になった今、このことを忘れずにいられる大人はとても少ない気がします。子どもを理解し、賢くよりよい子に育てるためには、まず「自分が子どもだったらこんなことをしてほしいな。」「こんなことは絶対に言ってほしくないな。」「あの時の父親からの励ましが、今の自分の活力の源になっているな。」等の“子どもから見た目”(子どもの視点)を持つことが大切だと思います。

 「親」という漢字は「木」の上に「立」って「見」ていると書きますが、たまには木から下りて、子どもと同じことを一緒にしてみることも必要です。ただしここで大切なのは「遊んであげる」「つきあってあげる」ではなく「共に楽しむ」(自分も楽しい)という関わり方が理想です。子どもがうるさくてしかたないから、面倒だけどたまには家庭サービスでもするか…。という意識では決して長続きはしませんよ。

 “子ども笑うな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの”


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