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シリーズ「親育」④(監督から)日誌09/22 07:02
シリーズ「親育」③(監督から)日誌09/15 20:26

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第39回全国小学生陸上競技交流大会日誌09/17 20:28

          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

日誌
123
2023/09/22new

シリーズ「親育」④(監督から)

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  シリーズ「親育」④  監督 齊藤 秀樹
【育児期】
《3~5才》続き 
 「やってごらん」が大切なのは、1つに『失敗の体験』をさせる必要があるからです。失敗の体験を持っているかいないかは、後々の成長に大きな違いとして出てきます。この時期の子どもは、失敗しても「恥ずかしい」とか「かっこ悪い」とは思いません。そういう自意識が出てくる前に、失敗の体験を一杯させることが大切です。

 もう一つのポイントは、集団遊びが始まるこの時期に、喧嘩したり、泣かされたりという人間関係の失敗体験をたくさん積んでおくことです。親としては心配でしかたないかもしれませんが、この失敗体験が、将来たくましく、自分の興味あることに意欲的に頑張っていける子を育てます。

 子育ての中で、この時期が一番「過保護」「過干渉」がいけない時期だと思います。親が何でも先回りしてやってはいけないのです。小さいケガはした方がいいのです。この時期の子どもの身体は、ケガをあまりしないようにできています。転んでも骨折なんかしないで上手くこける(ころぶ)ことができます。それなのに、ヘルメットに肘、膝のサポーターという万全の格好で、スケートボードをやっている姿をよく見ますが、あんなことはしなくていいと思います。

 小さなケガの積み重ねが大きなケガを防ぎます。この「母子分離」「第一反抗期」の過保護と過干渉で育てられると、ひ弱で、自分に自信のない子が育ちます。
 やりたいことが沢山あって、それをどんどん実行に移すことを通して、成功の体験も失敗の体験も豊かに持っている子が、人生をたくましく生き抜く人間に育ちます。

《この時期の問題点》
 さてこの時期は、実際に子どもを持ち育児している点で今までとは明確に違います。出産という一大事を乗り越えた自信を基に、子どもを持った責任感や我が子を守り育てる自覚が出てきます。この時期に最も大切なことは、とにかく子どもに愛情を注ぐことです。子育ては全てが楽しい経験ばかりではないかもしれませんが、愛情を持って接し、この世に生まれてきたことへの喜びを子どもに伝え続けることです。

    悲しいことに、最近またあちこちで児童虐待のニュースを耳にしますが、実は児童虐待を受ける子どもの約半数がこの乳幼児時期に集中し、さらに虐待で死亡する7割以上が0~3才児だというデータが出ています。ではなぜ時期に虐待が多いのでしょうか。私は「親が子どもとの距離感をつかんでいない」からではないかと思っています。
    例えば、子どもに暴力を振るったり暴言を吐いたりするのは、我が子を自分の所有物のように扱ってしまっていることに一因があります。自分の子どもだから何をしてもよい。自分の思うようにならないので腹が立つ。何をしたって何を言ったって、家の子のことを外部からとやかくいわれる筋合いはない。そう考えてしまうようです。子どもは第一反抗期になると、親の思うようにならなくなります。自己主張もするし、言うことを聞かなくもなります。この経験を通して子どもというのは個性を持った一人の人間であることを親は自然と体で感じていくはずです。

    また保育園や幼稚園に通うようになれば、他の家の子どもたちの様子も見聞きするようになります。体格や行儀の違い、体力や作品の出来の違いなどに気づきます。子どもは家族以外の外の世界で友人を作るようになり、先生達とも関わるようになります。これを子どもの発達のために望ましいと思って見守れるのが親としての健全な発達です。そして「我が子は他人と関わりながら豊かに成長していく」ことを実感するのです。
 
 しかし児童虐待をする親はそういう適切な距離の置き方ができな人が多いです。子どもの自己主張を「生意気だ」と感じ、ついカッとなって、声を荒げ、手を挙げてしまう。どうしても思い通りにいかないと今度は何も面倒を見ず、放置しだす。本来は愛情を注ぎ、世の中のことをしっかり教えてあげなければならない親の責任を放棄してしまう。
 このように子どもとの距離感の取り方が、近すぎたり遠すぎたりする親が虐待や理不尽な要求を繰り返す親になってしまうのではないかと思います。         つづく   
                         次週は「学童期」に入ります

07:02 | 投票する | 投票数(22)
2023/09/15

シリーズ「親育」③(監督から)

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 シリーズ「親育」③   監督 齊藤 秀樹
【育児期】
 この育児期は子どもが生まれてから小学校に入学する前までの乳幼児期を指しますが、親の在り方や問題点を語る前に、この時期は子どもの発達段階が深く関わるため、まずはそれぞれの発達段階を3つに区分して、その特徴と子育てのポイントを書いていきたいと思います。

《0才~1才半》
 このころの子どもは100%受け身です。お腹が減ったらオギャアと泣き、おしめが汚れたらオギャアと泣いて、「何でもしてちょうだい」「何もできないんだから」…という時期です。この時期に、大人から心が安まるような優しい育てられ方をした子は、周りの大人は「よいもの」「安心できるもの」「信頼できるもの」という意識が染みつき、“安定根”ができます。
 一般に「子どもを過保護にしてはいけない」と言いますが、あれは違います。乳児期の子育ては過保護の方がいいのです。ちょっとでも不快な気持ちを取り除いてやり、快い気持ちをたくさん味わった方がいいのです。
 ウンチでおしめがベタベタになっているのに、放ったらかしにしていたり、「やかましい。泣くな。」等と言われて育つと、周りの人が自分にとって嫌なもの、安心できないもの、信頼できないものになり、安定した根っこが育ちません。
 実はこの“安定根”があるかないかで、思春期に入って様々な問題行動や不安定な状態に陥ってしまっても、その立ち直り方が全く違うようです。

《1才半~3才》
 この時期の子育てを一言で言うと「ほめて手をたたいて育てなさい」と言えるでしょう。自分で自分の身体を使い、上手くコントロールすることを通して、自主性や自立性を身につけます。
 生まれて初めて、立ったり、歩いたり、物をつかんだりすることができるようになります。更に自分でご飯が食べられるようになり、パンツがはけるようになり、トイレでウンチやおしっこができるようにもなります。また食事の後に、「食べたものを台所に運んでね」と言えば、後片付けもできます。

 「ほめて手をたたいて育てなさい」というのは、はじめてできた喜びを自信に変えてあげる時期だということです。この時期に、「○○してはダメ」「余計なことはするな」と言って、子どもの自信をつぶすような子育てが、子どもを自分では何もできないダメな子にするのです。

《3才~5才》
  この時期の特長は、「母子分離」「第一反抗期」です。この時期の子どもは「はい」よりも「いや」という返事の方が多いものです。親の言うことに「はい」よりも「いや」が増えてくるのが正常な発達です。
 幼稚園や保育園の子どもは、非常に活動的で、興味、関心、意欲がモコモコと出てきます。親が何かをしてあげようとすると、「いや」「自分でやる」と言います。親のしてあげることを素直に受け止める子の方がいい子だと思っていると、まだ幼児期前期の発達の扱いになります。「自分でする」(「ぶんで」「ぶんで」)と言ったときには、まず「やってごらん」です。
 
 よく親子で「虫取り」や「つり」をしている姿を見かけますが、必死になって捕まえたり、釣ったりしているのは親の方で、子どもはその応援をしたり、手伝いをしたりしていることが多いようです。子どもにはまず「やってごらん」と言って、自ら木の上に登らせなければいけません。金八先生ではありませんが、「親」という字は、“「木」の上に「立」って、「見」ている”と書きます。親が必死にセミ取りをして、それを子どもが見守っていたのではあべこべです。                          つづく

20:26 | 投票する | 投票数(56)
2023/09/08

シリーズ「親育」②(監督から)

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  シリーズ「親育」② 監督 齊藤 秀樹
【妊娠期】 
 それでは続けます。この時期はまだ子どもがいないにもかかわらず、親にとって非常に大きな意味がある。これから生まれる子どもに対して肯定的になるか、否定的になるか、この時期の在り方がのちのち大きく関係してくる。「自分は今本当に子どもがほしいのか」「子どもを持つことで今後の人生にどんな影響があるのか」そうしたことをこの時期に自分の中で整理できているかが、その後の家庭での子どもへの接し方や態度に表れてしまうからである。

《父親考》 
 さてこの時期の父親も、母親と同じく親になることへの喜びと期待を持つ。しかし、自分の体が直接変化していく母親とは違い、かなりの個人差があることが指摘されている。父親になることに喜びややりがいを感じ肯定的にとらえる人もいれば、反対に重荷に感じたり、親になることに無自覚な人も少なくない。
 この時期の父親は、母親のサポート役として人間的に大きく成長する可能性がある。体の変わりゆく母親の精神的な支えになったり、気持ちを共有して夫婦の絆を深めたりすることができる。しかし一方で「何かしてあげたいという気持ちはあるが、知識や経験が不足しているため、何もできない」という男性もいる。そして何もできない自分に対して、しだいに無力感を覚えていく。 
   また、父母ともこの時期は次の新しい家族形態への準備を行う。つまり家族が増え二人きりの生活ができなくなることへの準備である。ここでも父親と母親には違う心情が生まれる。この時の父親は生まれてくる子どもと母親の関係が密接であろうことに疎外感を感じてしまう可能性を持っている。
 この妻を支えきれない「無力感」とこれから迎える母子関係への「疎外感」はネガティブな感情として、後の子育てに影響してしまうことになる。

   その一番の原因は、先週書いた原体験(自分の子ども時代)にある。一昔前の日本の親たち世代は、父親が子育てにほとんど関与しなかった時代に幼少期を過ごした人が多い。時は高度成長期からバブル経済真っ直中、父親は家庭生活をほとんどかえりみず、毎日遅く帰宅し、休日もよく出勤した。例え家にいても父親の権威は十分に発揮されていなかった家庭が多いのではないだろうか。したがって自分が父親から受けた原体験がないまま、親になってしまい、子どもの成長には父親的な役割(父性)が必要だと思っても、その示し方がよくわからない。そして父親に頼らず子育てを一手に引き受けてきた母親を見てきた女性にとっても、父性とどう付き合い、それを家庭の中でどう生かしていくのかが経験の中で蓄積されていないのではないだろうか。
 
 最後に、せっかくの機会なので父親の役割について書いてみたい。一昔前の父親は怖くて威厳のある存在であった。子どもが何か曲がったことをすれば、父親から毅然とした態度で叱られた。時にはげんこつが飛んでくることもあった。人の道に背くことをしたとき、人様に迷惑をかけたときは、強く叱られたものだった。
 また父親は大事な決定のキーパーソンでもあった。就職や進学、あるいは結婚などの人生の選択において、父親に納得してもらうのが子どもにとっては一つの難関だった。それだけ父親は常に毅然とした態度で是非を決める存在(家庭内での役割)だった。

 現在はどうだろう。たまにしか関わらない子どもに対し異様に機嫌を取ったり、母親からの学校への不満をまともに受け、原因や事実もしっかり把握しないまま、いきなり担任に怒鳴り込んできたりする父親さえ出現するようになった。母親との話し合いがうまくいかないときは、学校が父親に来てもらうことで、大概のことは解決し、よりよい方向へ向かったのは、今は昔の話になってしまった気がする。  
                       次回は「育児期」に入ります。

07:27 | 投票する | 投票数(99)
2023/09/01

シリーズ「親育」①(監督から)

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 夏休みが明け、子どもたちの元気な姿が学校に戻ってきました。2学期(白井市は前期後半)は、実りの秋です。学習に、スポーツに、芸術文化にたくさん触れ、充実した学校生活を過ごしてください。
 さて、白井アスレチックアカデミーのホームページをいつも多くの保護者の方々にご覧いただきありがとうございます。閲覧数も間もなく100万アクセスを達成しそうな勢いです。また、この「監督から」のコーナーもたくさんの方々から「いつも楽しみにしています。」「とてもためになります。」「子育てを振り返り、見直すよいきっかけになっています。」といううれしい感想を数多くいただきます。本当にありがとうございます。今後とも頑張って、週一回のペースで書き続けていきたいと思います。
 では早速、今週から「親育」という視点で数週にわたって書いていきたいと思いますので、お付き合いください。

  シリーズ「親育」①    監督 齊藤 秀樹

 このシリーズは妊娠、出産、育児、子離れ(自立)等のそれぞれの時期における親としての接し方、育て方、父母の役割についてがメインになりますが、実はその前の原体験(親のこども時代)が大きく影響することから、今回はそこから書きていきたいと思います。

【子ども時代の原体験期】
    子どもを持つ前の時期(幼少期~青年期)の原体験は極めて重要であり、その後の人生で子どもを持ち、親になるための準備期間となる。人は小さいときから子どもという立場で親と接し、その中で親とどんな関係性を持ったか、親は自分に何をしてくれたかという原体験が心の根底に残っている。子どもができて初めて親になる資質や能力が身につくわけではなく、すでに幼少時代から将来どんな親になるかの芽が育まれはじめているということである。

    また周囲の子どもと接するのもこの時期の体験の一つである。弟や妹、親戚の子や近所の子どもたちなど、誰とでもいいから、抱っこをしてあげたり、食べ物を食べさせたり、あやしたり、泣いている子を工夫して泣き止ませたり、勉強を教えてあげたりする。また、子どもにはいろいろなタイプの子がいることや自分の思い通りにいかないことを学ぶ。時には誰かに助けてもらわなければならないこともあるし、我慢もしなければならない。子どもと接するのは楽しいことばかりではなく、嫌なこともあるし、時に自分と相手の主張が合わないときは互いに譲り合いうまく折り合いをつける柔軟性も学ぶ。

 こういう経験を通じて、子どもとの距離感を体で学んでいく。近すぎてもいけないし、離れすぎてもいけない。また、子どもは年齢によって気質が異なり、それに応じた距離感が必要なことを知る。これが親になったときに生かされるである。
 ある調査によると、親になる前の時期(子ども~成人)において、小さい子どもたちとの接触経験が豊富な人ほど、育児への肯定的な感情が強い傾向があるという興味深い報告がある。

 要するに、子ども時代に親から受けた体験や他の子どもとの接触体験が、親になるための準備(無意識にでも)として蓄積されていき、後の子育てにおける態度や行動に大きく影響するということである。

【妊娠期】
 このステージは、第一子の妊娠がわかり、初めて親になる直前の時期である。子どもはまだいないが、近い将来親になることは決定している。この間は父親と母親はどちらも独特の心理状態を持ち、今後出現する「父親と母親の違い」はこの時期から現れてくる。

    母親は体の変化を直接に感じ、親になることの喜びと期待を持つ。反面、それまでなかった体調不良やストレスを経験する。好きなものを食べたり飲んだりしにくくなり、毎日の体調管理は今までとは比べものにならないほど厳しくなる。仕事をしている母親ならば、今後の仕事の継続も考え直す必要が出てくる。
   気持ちとしても「本当に出産できるのだろうか」「丈夫な子が生まれるだろうか」など、様々な思いをめぐらす。特に現在のように情報が氾濫する社会では、たくさんの情報に惑わされやすい。そして中には病院や市役所主催の「母親学級」や「乳幼児教室」等に顔を出したりもする。

 この時期をひと言で言えば、ポジティブな感情とネガティブな感情を同時に強く持つのがこの時期の母親の特徴である。
                                              一方父親は…     つづく

08:46 | 投票する | 投票数(151)
2023/08/25

「確かな学力」とは(監督から)

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 「確かな学力」とは   監督 齊藤 秀樹

 先週は「体力・運動能力」の概念について紹介しましたので、今週は「学力」について書いていきたいと思います。
 各学校では毎年3学期(2学期後半)に全校児童・生徒童を対象に「千葉県標準学力検査」が実施されます。この検査は「その学年で身につけるべき学力が、目標に対してどの程度達成されているか」を知るためのものです。この検査の起源は昭和20年代千葉県教育研究所(現在の総合教育センター)が作成し、その後問題内容や実施方法が何度か改善されながら60年余りにわたって千葉県内の小中学校で実施されているものです。

 さて本題に入ります。世間やマスコミがよく現在の子どもたちの学力が「低下している」とか、「向上した」とか言いますが、そもそも「学力」とは一体何なのかという中身について今一度確認していきたいと思います。
 私たちが子どもたちに身につけさせたい学力を「確かな学力」と呼びます。

         ①知識・技能 … 各教科の基礎基本の力
確かな学力    ②思考力・判断力・表現力 … 自らの力で課題を解決する力
         ③関心・意欲 … 活力(やる気)・学習習慣

 この定義の法的根拠は、学校教育法30条(教育の目標)に「~基本的な知識及び能を習得させる(①)とともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力(②)その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度(③)を養う~」とあることです。

 中身についてもう少し詳しく書いていきます。①「基礎基本となる知識・技能」とは例えば、日本で一番長い川は信濃川、2番目は利根川…であることをしっかり知識として蓄えたり、台形の面積は(上底+下底)×高さ÷2を理解し、これを使って正確に答えを求められる力のことです。これを身につけるには、わかるまで、できるまで、繰りし教え習得させることが大切です。これに対して②「基礎基本を活用して「思考力、判断力、表現力を使って課題を解決する力」とは、どうやったら川の長さを測定することがきるのだろうという課題を持ち、予想し、調べ、仲間と話し合い、文章にまとめたり、プレゼンを使って分かり易く説明したりできる力のことです。また、台形の面積を知らなくても、「四角形や三角形」等の既習の知識を使って、自分の力でいろいろな方法を考え解決していくことができる力のことです。この力のことを一般に「生きる力」と呼んでいます。ちなみにある調査で、企業のほしい人材のトップは表現力、プレゼン力のある人だそうです。そして③「活力(やる気)」は、全ての学力の原点です。「わかるようになりたい。できるようになりたい、知りたい。上手くなりたい。」という主体的な学習態度を持って授業や家庭学習に臨める子は必ず伸びます。これがないから今の子はあまり勉強しないのです。

 皆さんは「不易」と「流行」という言葉を知っていますか。「不易」とは、いつの時代にも変わらない最低限必要な資質、能力(知識・技能)のこと。「流行」とは、その時々の時代に応じて変化し新たに必要となる資質、能力(生きる力)のことです。

 「子どもは未来の留学生」という言葉があるとおり、教育の役割は「次代を担い支えていける人材の育成」です。したがって私たち大人は、これからの未来を予測し、今身につけておかなければならない能力や資質は何なのかを考えながら教育する必要があります。
 
 現在の学校では、どれかに偏ることなく3つの柱全ての学力要素が互いに関わり合い、バランスを取りながら、「確かな学力」の定着を目指しています

13:59 | 投票する | 投票数(195)
2023/08/15

「健康」と「体力」について(監督から)

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   「健康」と「体力」について 監督 齊藤 秀樹       
【健康づくり】
  人間にとって何が一番大切かと問われれば、おそらく「健康」という答えが返ってきます。しかしこの健康観というのは人それぞれで、普段特に意識していない人から、常々健康には細心の注意を払っている人まで様々です。また、年齢、環境、人生経験、社会状況等によっても異なります。そこで今回は「健康教育」という観点から、基本的な概念について書いてみたいと思います。

健康の定義(WHOの定義)
   健康とは「病気でない状態」のことではなく、「身体的」(体)にも「精神的」
 (心)にも「社会的」(人間関係)にも良好な状態のことである。

ヘルスプロモーションの考え方
  「病気にならなければよい」とか「病気になったら医者(専門家)に任せておけばよい」という“消極的な健康観”ではなく、健康は自らがコントロールし、改善していくことで「健康は自分でつくる」という“積極的な健康観”を持つことが大切である。

  「健康」とは、体の問題だけではありません。「健康な人」とは、体も心も社会的関係もうまくいっている状態の人のことです。また従来の健康分野は、特定の人(病人)に対して専門家(医師)が「病院」で「治療して治す」という医療分野の問題とされてきました。したがってともすると、素人が生半可な知識を人に教えることは危険な行為だとされてきました。その証拠に、例えば生活習慣病の患者が増加しても、「学校がしっかりとした健康教育を行っていないのがいけないんだ。」とは昔は誰も言いませんでした。
 しかし、上記で紹介したヘルスプロモーションの考え方が浸透し、世間に健康志向、健康ブームが起こってからは、「健康は全ての人々(素人)が日常生活の中で、自らつくっていくもの」という考え方が定着してきました。学校では体育の「保健」、理科、学級活動、道徳等で「健康」に関する学習を行っています。しかし学校で得た知識や方法(わかる、できる)を、日常生活の中で実践し、継続する(やる、続ける)のは家庭です。学校と家庭が連携し、心身共にたくましく健康な子をつくっていきましょう。

【体力づくり】

     防衛体力   病気にならない体
              ケガをしない体
 体力
                                筋力(筋肉の強さ、パワー)
                               柔軟性(体の柔らかさ)
                 行動体力          持久力(体を動かし続ける力、スタミナ)
                               敏捷性(素早く動く力)
                                         巧緻性(リズム感、タイミング)

 「彼は体力がある。」とはどういう人のことをイメージして言っているのでしょうか。上図のように「体力」は大きく2つに分類すると、防衛体力(体を守る力)行動体力(体を動かす力)に分けることができます。また「行動体力」の中身も、大きく5つ(筋力、柔軟性、持久力、敏捷性、巧緻性)あり、どれもバランスよく身についている人のことを「体力がある人」と言います。
    更に、この行動体力には適時性(発達時期)というものがあり、ピークを100とすると、小学校6年生(12才)の子どもでは、「筋力」は約60%の発達、柔軟性は約80%、持久力は80%、敏捷性・巧緻性は100%というデータが出ています。簡単に説明すると、100%の敏捷性・巧緻性は小学生時代に、体を早く動かしたり、リズム感を育てておかないと、一生身につかないということです。また、筋力はまだ60%の発育時期ですから、小学生の時からあまり早くウエイトトレーニング等をやってしまうと、体の発育が早すぎて、その後伸び悩むことにつながります。一般的な日本人の体力ピークは男子20~22才、女子16~18才といわれますので、どの時期(年齢)にどんな運動をさせることが効果的なのかを考えて体力づくりをすると、運動ができる子に育ちます。






上記の写真は夏休みに白井公民センターで行われた
小学1~3年生対象の「親子で楽しむ運動遊び」講
座の様子です。今の時期(年齢)に身につけておく
と将来運動ができる子に育ちます。運動会で活躍し
たい子は是非親子で練習してください。という内容
でたくさんの親子が毎年参加してくれています。

13:28 | 投票する | 投票数(261)
2023/08/11

学校・家庭・地域の連携(監督から)

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     学校・家庭・地域の連携     監督 齊藤 秀樹

 子どもの教育は「家庭」「学校」「地域」によって営まれるものです。ですから学校というのは子どもたちを教え育てる主たる場所ではありますが、当然全てではありません。
 外国(欧米)の学校の学校では、ずいぶん前から原則として、「勉強は学校」「行事やスポーツ活動は地域」「しつけは家庭」という互いの役割の分化がしっかりとできているそうです。例えば、勉強のことは学校に任せているのだから、教科書は学校へ置いておき、授業参観などもあまりやらなず、反対にスポーツ大会(日本では運動会)や遠足、自然教室などは地域が中心になって行うそうです。

  では日本はどうでしょう。家庭学習は学校の先生が宿題として出す。キップの買い方や電車の乗り方を生活科で教える。遊ぶ友だちがいなければ先生が中に入って何とかしてあげる。万引きや喫煙などの非行(問題行動)が起こると、先生が飛んでいって謝罪し、指導する。…。そうした結果、学校教育の中に遊びや体験活動の要素が加わり、問題行動が起こらないように生徒指導(しつけ)がどんどん厳しくなっていく。反対に、地域にはたくさんの学習塾ができて、多くの子が放課後や休日には塾へ通い勉強する。という役割の混同が起きています。

 ずばり言わせてもらうと「学校は病院ではない。まして警察でも裁判所でもない。学校は勉強を教えるところだ。」と思います。歴史的な学校の成り立ち(寺子屋~学校)から見てもこれは確かなことだと思います。
  しかし、そうは言っても、日本の学校には昔から学校行事や部活動などの、日本独特の価値ある活動がたくさんあります。また、同年代の子どもたちが毎日集まり、多くの時間、空間を共同体として過ごす場は、現実的に学校しかありませんので、やはり人間関係づくりや規範意識(約束やルールは必ず守る)などの社会性を育てるのも、学校教育の大きな役割だと思っています。

 要するに私が言いたいのは、日本も欧米のように役割を明確に分離すべきだということではありません。もっともっと学校と家庭・地域が深く結びつき、交流し、皆で知恵を出し合って、協力しながら、いっしょになって子どもたちを育てていこうということです。
  そんな中、親子で過ごす時間を作り、日々のコミュニケーションを大切にしいる素敵な家族、地域で社会体育(スポーツクラブ)を指導し、子どもたちの体力つくりや仲間づくりに毎週汗を流してくれているお父さん、読み聞かせや除草作業、交通安全指導などのボランティアに率先して参加してくれるお母さん、保護者会や家庭教育学級の役員さん、毎日防犯パトロールを続け子どもの安全を見守ってくれている高齢者の皆さん、本当にありがとうございます。

   皆さんの力で、次代を担う大切な宝物である子どもたちを共に育てていきましょう。
 白井アスレチックアカデミーは、「子どもたちが誇れるクラブ」「保護者から感謝されるクラブ」「地域から愛されるクラブ」を目指して、常に教育方針を明確に示し、子どもたちの活動を公開し、皆様からの意見や評価を取り入れながら、信頼される陸上クラブづくりを推進していきたいと思います。
 今後とも変わらずのご理解、ご支援をよろしくお願いいたします。






08:21 | 投票する | 投票数(269)
2023/07/30

夏休みには「手伝い」をさせよう(監督から)

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  夏休みには「手伝い」をさせよう 監督 齊藤 秀樹

 突然ですが保護者の皆さんに私からお願いがあります。それは、この夏休みを使ってぜひとも「家庭で子どもに手伝い(仕事)をさせてください。」ということです。こう書くとおそらく何人かのお母さんから「そんなことを言われても、うちの子は塾や習い事で毎日忙しく、そんなことをしている暇はありません。かわいそうです。」という反論が返って来ると思います。

    しかしよく考えてみると「かわいそう」と子どもをかばっているつもりでも、実は子どもから「一人前に扱われる喜びを奪っている」のではないかと思うのです。家庭というのは社会生活の一番の基本であり、「共同体」です。家族それぞれが個々の特性や人格を認め合うことで成り立っています。これから社会に出て自分一人の力で世の中をたくましく生き抜いていくためには、まずその最も基本となる家庭の中で“自立”し、家族みんなから“役に立つ存在”として認められることによって、はじめて外の社会(学校や社会)に胸を張って踏み出していけるのです。「あなたの仕事は勉強よ。あなたがよい成績を取ってくれることが一番の親孝行なんだから。後の余計なことは全てお母さんに任せて…。」と上げ膳据え膳で尽くすのは、私から言わせれば単なる親の自己満足であって、それとは気づかずに子どもを自分では何もできない“操り人形”にしてしまっていることにはならないでしょうか。

 ただし、ここで間違えてもらっては困るのが、家の仕事や手伝いをさせることは親が楽をするためだと思いがちですが、それは全く逆です。子どもに任せる(やらせる)というのは、楽どころか返って邪魔なことが多いものです。だって自分がやってしまった方がずっと早いし、きちんとできるからです。そういう意味で、子どもに任せるというのはとても根気と忍耐がいる仕事(子育て)です。

 クラスの中でもそうですが、クラスの仲間や先生から頼りにされ、一人前の人間として認められ、みんなの役に立っているという「存在感」や「有用感」を持てるということは、子どもにとってはこの上ない喜びです。

 マザーテレサが「人間にとって一番不幸なことは、お金がないことでも病気になって死ぬことでもない。誰からも相手にされないことだ。」と言っている通りだと思います。どうぞこの夏休みの機会を使って子どもに手伝いをさせてください。家庭での手伝い(仕事)は子どもの重要な子育て(教育)だと思います。

09:35 | 投票する | 投票数(318)
2023/07/21

本番に強くなれ(監督から)

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 先週のホームページでもお知らせした通り、全国小学生交流大会千葉県選考会では、たくさんSAAっ子たちが練習の成果を発揮し、大活躍してくれました。そこで今回はせっかくの機会なので「本番で力を発揮する方法」について書きたいと思います。
  
  本番に強くなれ        監督 齊藤 秀樹
 よくオリンピックや世界大会などを見ていると、優勝候補(素質や技能が優れた選手)が、本番のプレッシャーや緊張感に負け、実力を出し切れずに負けてしまい、期待していた人々をがっかりさせてしまうことがあります。これらは全て精神力の弱さから来るものです。しかしこの精神力の弱さというのは生まれつきのもの(遺伝、血液型、性格)だとあきらめてはいけません。大きな試合やピンチの場面などで、普段通り自分の力を発揮する力は、日常の訓練で克服できるものなのです。この精神力を鍛える訓練を「メンタルトレーニング」と言います。

 この精神力を科学的に強化するという訓練の始まりは、1950年代に旧ソ連で宇宙計画の一環として始まったと言われています。それが東欧諸国に広がりスポーツの世界に応用したことで一気に競技力を伸ばしました。その後アメリカなどが取り入れ、次第に全世界に広がっていきましたが、日本では1985年頃からようやくスタートしました。当時の日本のスポーツ界は「試合に勝てないのは気合いが足りないから」という精神論が古くから根付いていたため、研究や実践はかなり世界から遅れてしまいました。
 しかし現在多くのスポーツ関係者がこのトレーニングに注目し実際に成果を上げています。これは身につけておくと、大会、試合、運動会、コンサート、試験、受験…様々な場面で応用でき、とても有効ですのでその一部を紹介いたします。

【イメージトレーニング】
    大会や試合がある前日には、知らず知らずのうちに神経質になり緊張感も高まってきます。そんな時は頭の中で、「自分のすばらしいプレーや活躍する姿を思い浮かべる」ことです。過去に一番がんばった姿や勝利の瞬間のイメージなどが、どんどん頭の中に浮かんでいけばしめたものです。例えば「スタートの瞬間に素早く反応し、ぐんぐんスピードが上がって他の選手を引き離していく。なんだかいつもより体が軽く、足もよく動き、あっという間に1位でゴールする」そんな姿を思い浮かべるのです。ただし、決して失敗したり転んだりする姿を思い浮かべてはいけません。せっかくのイメージトレーニングがダメージトレーニングになってしまいます。

【ルーティン】
 この技法を取り入れていることで有名なのが、野球元大リーガーのイチロー選手です。彼はバッタボックスに入ると必ずユニホームの肩や袖をつまみ、バットを立ててピッチャーの方へ向けます。彼は毎回行うこの同じ動作で平常心を保っているのです。独特のルティーンで話題になったラグビーの五郎丸選手の動きが流行になりましたが、練習からいつも同じ動作を繰り返すことで自分の心をコントロールすることができます。

【深呼吸】
 さあいよいよ100メートルの決勝です。スタートの直前は胸が激しく高鳴ってきます。そんな時には大きく深呼吸を1~2回するとよいでしょう。息を吸うときは腹式呼吸で胸よりもお腹に空気を入れ、吐くときは全身の筋肉をリラックスさせます。すると不思議と緊張が取れ、集中力が高まってきます。

 SAAの練習時や普段の生活の中で実践し、やり慣れておくといいでしょう。

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2023/07/11

「やればできる」の原点(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
 「やればできる」の原点 監督 齊藤 秀樹

    先日の全国小学生陸上交流大会千葉県選考会で、我が白井アスレチックアカデミーが男女混合リレーで見事優勝し、来る9月に行われる全国大会への切符を手にしました。リレーの県大会優勝は今回で17回目となります。実は2年前、3年前にも優勝しましたが、全国大会の中止やリレー競技の中止があり、何と5年ぶりの全国大会出場となりました。
 そこで今回は、私が教員や陸上競技指導者として40年間使い続けている「やればできる」という言葉の原点について久しぶりに書いてみたいと思います。私がこの言葉をいつも使い続けているのは、多くの子どもたちの夢を叶え、時に奇跡を起こし、忘れられない思い出を共につくってきたからです。今回はその原点となった子どもたちとの思い出についてお話ししたいと思います。
  
 今から40年近く前のことですが、私が初めて教員になって担任したクラスが佐倉市立小竹小学校の5年1組でした。当時佐倉市には、市内全小学校の5・6年生の全クラスが参加する「学級対抗リレー」という一大イベントがありました。私は9月採用でしたので、慌ただしい毎日を過ごしながら、訳もわからずに、11月1日に開催されるこの大会に子どもたちと共に参加しました。ところが予選、準決勝、決勝と行われ、今年の佐倉一の学級はどこになるかと会場が盛り上がる中、なんと私のクラスは男女とも、最初の予選で他のクラスから30メートル以上引き離されて、ダントツのビリでした。

 学校に戻り、子どもたちに自身の指導力のなさからみんなに恥ずかしい、悲しい思いをさせてしまったことを謝りました。ところがその後子どもたちの口から出てきた言葉を聞いて、愕然としてしまいました。「先生、僕たち全然悔しくないよ。」「かけっこなんか速くなくてもいいじゃん、僕たちの方が頭はいいんだから。」「どうせやったって無理。」「…。」私はこれはまずい、このままではいけないと思い、「ふざけるな。冗談じゃない。やる前からあきらめたり、自分の可能性を限定したりするのは許せない。」と言って、思わず「よし、来年の学級対抗リレーでは、男女とも絶対に優勝させてやる。」と約束をしてしまいました。

 次の日から担任とクラスの子全員による陸上練習が始まりました。私は学生時代は水泳部でしたので、陸上の選手経験もなければ、まして指導歴も何もない、全くのド素人でしたので、文献を読みあさったり、専門家に聞きに行ったり、強いチームの練習法を見に行ったりしながら、試行錯誤で毎日子どもたちと夢中で練習しました。練習は土日にも、長期休業にも行われ、1月1日(元旦)以外の364日間毎日続きました。当時のことを思い出すと申し訳なさでいっぱいになりますが、当時の私の信念は「人一倍努力し、誰よりもたくさん練習すれば負けるわけがない」「努力は決して裏切らない」というかなり精神論・根性論的な指導でした。しかし不思議と子どもたちは皆私についてきてくれ、保護者も文句も言わずに温かく応援してくれました。

 6年生の夏休みを過ぎると、クラス全体が学級対抗リレーの優勝に向けて異様な盛り上がりを見せ始めました。ある日、放課後練習が終わり、職員室で明日の教材研究や事務処理を済ませて帰宅しようと外へ出ると、真っ暗なグラウンドから「ハイ。ハイ。」という聞き覚えのある声が聞こえてきました。時間は夜の8時過ぎ、まさかとは思いましたがグラウンドへ行くと、クラスの選手の子どもたちが自主的にバトンパスの練習をしていました。子どもたちを集め、どうしてこんな時間に練習をしているのかを聞いたところ、「先生が誰よりも努力したら勝てると言ったから、夕食を食べて宿題をやった後に、集まって練習しているんです。」と言います。涙が出るほどうれしかったのですが、いくら何でもやりすぎだと思い、学校の練習で十分だと説得し、家まで送って帰宅させました。本番で選手になる子は男女とも4人ずつですが、選手以外の子も毎日皆一緒に汗を流して努力してきた仲間なので、放課後集まって旗や横断幕をつくったり、応援歌を作ったり、神社へ行って優勝祈願をしたりしてくれました。

 そしていよいよ本番の日。結果は大会史上初となる、1クラスの男女がダブル優勝。しかも大会新記録での圧勝でした。飛び上がって泣きじゃくり大喜びする子どもたちと、感動で涙が止まらない保護者たち。信じられない奇跡が現実に起こった瞬間でした。
 これが「やればできる」の原点となった忘れられない思い出です。実はこの時もしも「必ず勝たせてやる。」という子どもとの約束を果たせなかったら、私は教員を辞めるつもりでいましたが、神様は自分の人生をかけて夢の実現に挑戦した私を見捨てることはありませんでした。

 子どもには無限の可能性があります。大きな夢や希望を持ち、それに向かって努力すれば、できないことなんてないし、叶わない夢なんてないと私は今でも信じ続けています。

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