アクセスカウンター910188
Since 2014/01/06

更新履歴

 

クラブ紹介

贈る言葉(監督から)日誌03/25 16:34

          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

日誌
12345
2023/03/25new

贈る言葉(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
  贈る言葉      監督 齊藤 秀樹
  “光陰矢のごとし”と言われますが、2022年度のSAAの活動も今日で終了となります。小学6年生と中学3年生が実に立派な態度で旅立っていきました。そこで私から3つの言葉を贈ります。

 1つめは、何でもいいから「これだけは人に負けないというものを見つけてください」。計算が速く正確にできるとか、歴史のことなら誰より詳しいとか、誰とでもすぐに仲良くなれるとか、これだけは人に負けない、これが自分の自慢できる「良さ」や「取り柄」や「持ち味」だというものをが一つでもあれば、これからの人生の生きる自信につながります。

 2つめは、若いうちに「一生つき合える友を作ってください」。様々な性格や能力や考え方を持った人と、できるだけ幅広く、たくさんつき合って、その中から「この人なら」と思える人を見つけるのです。本音でつき合える友、何でも打ち明け相談できる友、互いを刺激し高め合える友…を是非見つけてください。友は一生の宝です。

 3つめは「自分に厳しく、他人にやさしい人になってください」。自分のしたことは自分の責任、だからごまかしたり他人のせいにせず、素直に反省するのです。また、他人の失敗や欠点をからかったり、バカにしたりせず、その人の良い所を見つけて認めてあげましょう。世の中にはこの反対の人がいかに多いことか。みんなが「自分に厳しく、他人に優しい人」になれたら、もっとすばらしい世の中になると思います。

    最後に、私がいつも悩み、迷ったときに読み返す、私の教師としての原点となった大好きな詩を紹介します。

   私が先生になったとき       作者不詳

私が先生になったとき  自分が真理から目をそむけて 
子どもたちに本当のことが語れるか

私が先生になったとき  自分が未来から目をそむけて
子どもたちに 明日のことが語れるか

私が先生になったとき  自分が理想を持たないで
子どもたちに いったいどんな夢が語れるか

私が先生になったとき   自分に誇りを持たないで
子どもたちに 胸を張れといえるのか

私が先生になったとき  自分がスクラムの外にいて
子どもたちに 仲良くしろといえるのか

私が先生になったとき 一人手を汚さず腕を組んで
子どもたちに ガンバレガンバレといえるのか

私が先生になったとき  自分の闘いから目をそむけて
子どもたちに 勇気を出せといえるのか

子ども達の無限の可能性を引き出し、伸ばし、輝かせるためにこれからも
全力で子ども達を指導していきます。一年間ありがとうございました。


16:34 | 投票する | 投票数(36)
2023/03/17

「外遊び」のススメ(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
  「外遊び」のススメ  監督 齊藤 秀樹

    数十年前に「どこかおかしい子どもの体」という本が教育関係者の間で大きな話題になりまた。そこに出ている特長をいくつか紹介してみます。
 ①背中がぐちゃぐちゃしている子が多い。②転んでもすぐに手が出ないため顔を打つケガが多い。③ボールが避けられず目に当たる子が多い。④頭痛・腹痛持ちが多い。⑤低体温(35度台)の子が多い。⑥少し動いただけですぐに「疲れた」という子が多い。…などです。この本が出版された当時は「えー本当なの。今まではそんな子はいなかったのにな…。」とあちこちの学校から驚きの声が聞こえたものです。しかし、現在先生方にこの話をしても、「どこにでもよくいますよね。」と言って大して珍しいことではないという反応が返ってきます。

 体のゆがみや体力・運動の能力の低下という問題は、生命活動の基盤である「動ける体の衰退」とも言われています。
 体づくりや体力・運動能力というと、ついスポーツや鍛錬の問題と考えがちですがその原点は、幼いうちから「気軽に体を動かす経験」の不足、即ち「外遊びの不足」が一番大きな要因だと思います。

 ではなぜ子どもたちが外遊びをしなくなったのかを考えてみると、子どもたちを取り巻く急激な社会の変化、特に都市化に伴う自然体験の喪失、塾や習い事による時間的な余裕のなさ、人間関係の希薄化による地域社会の衰退、感染症の拡大問題、更には子どもたちを室内に吸い寄せる快適で魅力的なスマホ、パソコン・ゲーム・漫画等の室内遊びの増加…。
 地域における自然発生的遊びとそこに集まる仲間たちを通して、年長者が年少者の面倒を見、上手な子が下手な子を教えながら、ごく自然に身についてきた「体を精一杯使って動くことの楽しさや爽快感」が失われつつあることは、子どもたちの今後の成長にとってとても心配です。

 それでは、外遊びにはどんな教育的効果があるのかについて、最も身近な「鬼ごっこ」を例に挙げて紹介してみたいと思います。

①「体力・運動能力」…身体を動かすことで、持久力、瞬発力、調整力が身につく。
②「社会性」…友人達との関わりに中で、他人を認めたり、自分を主張したりできる。
③「忍耐力」…じっと我慢したり、退屈に耐えたりする体験ができる。
④「創造力」…捕まえ方、逃げ方を考えたり、工夫したりできる。
⑤「危険予知能力」…疲労を体感し、ケガをしないよう気をつける能力が身につく。
⑥「心の鍛錬」…人と競い争う中で、できる喜び、できない悔しさ、恥ずかしさを体験  できる。
⑦「心の解放」…身体を動かすことの爽快感を感じ、気分の発散やストレスの解消に繋がる。
⑧「自然の体感」…暑さ、寒さ、風の強さ、急な天候の変化などの自然現象を肌で感じることができる。

 いかがですか。まだまだあるとは思いますが、「外遊び」にはざっとこんな教育効果が考えられます。私のいた学校では、「休み時間はみんな元気に外に出て遊ぼう。」(外遊びの奨励)という取り組みを薦めていました。もちろん体調が悪い子や係、委員会の仕事などの用事のある子は除きますが、多くの子が先生や友だちと毎日グラウンドに出て遊んでいます。業間や昼休みに学校を訪ねた来校者は、汗びっしょりになりながら躍動する子どもたちの姿を見て、「子ども達がいつも生き生きとしていて、活力あふれる学校ですね。」と口々に言って、学校の誇れる活動として評価されていました

07:48 | 投票する | 投票数(87)
2023/03/11

SAAっ子よ 大志を抱け(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
   SAAっ子よ、大志を抱け  監督 齊藤 秀樹

 昭和の初期に、一握りのエリートたちが、国民の意思をかえりみず、日本を軍国主義へと導き、戦争に突入させました。その結果、日本は敗戦のどん底を味わうことになりました。その反省から、日本人は心のどこかで立身出世を否定し、人間は誰もが生まれながらにして平等なのだから、特定の人間が権力を握ることはよくないという意識を持ってきたような気がします。しかしこの考えは専制的なリーダーの在り方に問題があるのであって、人の上に立つリーダーはいらないという、リーダー不要論ではないと思います。会社でも、学校でも、地域でも人間が何人か集まれば、その中にリーダーシップを取る人が必ず生まれます。したがってリーダーのいない集団とか組織というのは、実際にはあり得ないのです。

 しかし今の子どもたちを見ていると、人の上に立つことを嫌い、他人からできるだけ目立たないように行動し、みんなと上手く合わせることをよしとする傾向があります。そんな子どもたちに「大志を抱け」とか「大きな夢を持て」なんていってもピンとこないことが多いようです。SAAの子どもたち数人に将来の夢や希望を聞いてみると「普通のサラリーマン」とか「のんびりとした穏やかな家庭の主婦」なんて答える子がいました。そんな中「大会社を立ち上げ社長になる」とか「総理大臣になって日本を変える」なんて言う子がいると、すぐに「冗談はよせ」「無理無理」なんて笑われ相手にしてくれません。大きな夢を持ち、それに向かってがんばることが悪いはずがないのに…。

 私たち大人は、長い人生をもう半分近く歩いてきてしまったので、今からやり直すことはかなりの勇気がいりますが、たかが10年くらいしか生きていない子どもたちには、できないことなんかないし、叶わない夢なんかないと思います。可能性は無限に広がっていると思います。言い換えれば、未来に大きな夢を持てるということが子どもの特権といってもいいかもしれません。

 包丁一本で世界を渡り歩き、アメリカで大人気の和食レストランを経営している人。パリで美容室を開き、大成功をおさめた人。国連に入り世界の人々のために働いている人。…。日本なんていう小さな枠を超え、出身や学歴なんかに頼らず、自分の頭と体一つで努力さえすれば何でもできるんだなと思います。もちろん派手で大きなことをすることだけが人生の価値だとは思いません。報いられることの少ない職場を必死で守り抜く人や、人のために自分を犠牲にして尽くす人なども、考えようによっては大きな生き方だといえるかもしれません。

 人生の成功者になれる人はほんの一握りかもしれません。しかし子ども時代に立てた“青雲の志”は自分の人生にとって必ず大きな財産になります。小学生のころから夢を持たず、目標達成のための努力もせず、人生をオリてしまっている子どもたちに、小さくまとまりがちな子どもたちに、大きな夢や希望を持たせ、自分の人生は無限に開かれているんだということを教えてあげるのが、私たち大人の役割だと思います。
                                                                         完


17:20 | 投票する | 投票数(124)
2023/03/05

「運脳神経」について(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
 「運脳神経」とは  監督 齊藤 秀樹
    今週は久しぶりにこの記事を書いてみます。
 「運動神経がない」から運動は苦手です。という話をよく聞きます。しかし「運動神経がない人」なんてこの世に誰一人いません。自転車は、小さい頃にがんばって練習して一度でもできるようになったら、その後は一生乗れます。
 しかし、子どもの頃に乗れるまでがんばらなかった人が、大人になって自転車の練習をしても、乗れるようになるには子どもの何倍も努力が必要になります。運動神経がよいとか鈍いというのは生まれつきではなく、ある運動をできるまで練習したかどうか、つまり、できるようになるまでがんばったかどうかによって違ってきます。決して遺伝で決まっているわけではありません。
 
 日本人は右手で文字を書く人が多いのですが、それはいつも右手で書いているから上手になったのです。ケガなどをして右手が使えなくなってしまった人たちの中には、努力して左手で上手にかけるようになった人がたくさんいます。
 できるようになるまでの練習時間が長いか短いか、回数が多いか少ないかは個人差がありますが、できるようになるまで最後まであきらめないでがんばれば、誰でも必ずできるようになります。
  
 一般に「器用だ」「上手だ」と言われている人は、子どもの頃に身体を使ういろいろな遊びを体験して、様々な運動のパターン(感覚)を獲得している人です。そのパターン(感覚)は、小さなプログラムになって「脳」に格納されます。それが多ければ多いほど、手先が器用だったり、巧みに身体を動かしたりすることができるようになります。また、将来新しい動きや技に初めて出会った時も、以前に獲得したパターンを加工すればすぐにできるようになります。
  このように子どもの頃に遊びや運動を通してたくさんの動きを脳に格納しておくことが、将来運動ができる子を育てます。
 
 ところで皆さんは「運動ができる子は勉強がダメ」一方、「勉強ができる子は運動がダメ」というイメージを持っていませんか。確かにスポーツばかりに夢中になって全然勉強しない子は、成績がよいはずはありません。しかし、前述したとおり「運動」と「脳」は実は深い関係があるのです。「勉強はアタマで、運動はカラダで」とか、「うちの子は頭が筋肉だから…」なんて思っている人はけっこうたくさんいるものです。
 しかし、ものを覚えたり、考えたりするのも、身体を器用に、巧みに動かしたりするのも、全て「脳」がするものなのです。
 
 最近の研究では、“運動ができる子どもの方が、できない子どもより学力が高い”という結果が数多く発表されています。
 ではなぜ運動すると勉強もできるようになるのでしょうか。一つは、運動すると「脳が活性化される」ということです。これを東京大学大学院の深代教授は「運脳神経」と呼んでいます。もう一つは、運動すると「活力」が育ちます。もう何度も書いていることですが、「活力」とは、自ら「わかるようになりたい。できるようになりたい。うまくなりたい。勝ちたい。」というエネルギーのことで、これがないと子どもは伸びません。一般には「やる気・意欲」と呼んでいるものです。
 SAAは、これからも陸上運動を通して、脳の活性化を図り、活力を高め、「かしこく、たくましい子」を育てていきたいと思います。

08:32 | 投票する | 投票数(162)
2023/02/23

「健康」と「体力」について(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
   「健康」と「体力」について  監督 齊藤 秀樹       
【健康づくり】
    先週は「体力づくり」には、それぞれの体力要素に応じて時期が大切だという記事を書きましたが、その前提となる「健康とは」「体力とは」という概念を紹介していなかったので、内容が前後してしまいましたが、ここで改めて基本的な概念について書いていきたいと思います。
 人間にとって何が一番大切かと問われれば、おそらく「健康」という答えが返ってきます。しかしこの健康観というのは人それぞれで、普段特に意識していない人から、常々健康には細心の注意を払っている人まで様々です。また、年齢、環境、人生経験、社会状況等によっても異なります。そこで今回は大きく「健康教育」という観点から、基本的な概念について書いてみたいと思います。

健康の定義(WHOの定義)
   健康とは「病気でない状態」のことではなく、「身体的」(体)にも「精神的」
 (心)にも「社会的」(人間関係)にも良好な状態のことである。

…ヘルスプロモーションの考え方…
  「病気にならなければよい」とか「病気になったら医者(専門家)に任せておけばよい」という“消極的な健康観”ではなく、健康は自らがコントロールし、改善していくことで「健康は自分でつくる」という“積極的な健康観”を持つことが大切である。           

  「健康」とは、体の問題だけではありません。「健康な人」とは、体も心も社会的関係もうまくいっている状態の人のことです。また従来の健康分野は、特定の人(病人)に対して専門家(医師)が「病院」で「治療して治す」という医療分野の問題とされてきました。したがってともすると、素人が生半可な知識を人に教えることは危険な行為だとされてきました。その証拠に、例えば生活習慣病の患者が増加しても、「学校がしっかりとした健康教育を行っていないのがいけないんだ。」とは昔は誰も言いませんでした。
 しかし、上記で紹介したヘルスプロモーションの考え方が浸透し、世間に健康志向、健康ブームが起こってからは、「健康は全ての人々(素人)が日常生活の中で、自らつくっていくもの」という考え方が定着してきました。学校では体育の「保健」、理科、学級活動、道徳等で「健康」に関する学習を行っています。しかし学校で得た知識や方法(わかる、できる)を、日常生活の中で実践し、継続する(やる、続ける)のは家庭です。学校と家庭が連携し、心身共にたくましく健康な子をつくっていきましょう。

【体力づくり】
    防衛体力      病気にならない力
                ケガをしない体
 体力
    行動体力      
筋力(筋肉の強さ、パワー)
                柔軟性(体の柔らかさ)
                                                 持久力(体を動かし続ける力、スタミナ)
                                                 敏捷性(素早く動く力)
                                                 巧緻性(リズム感、タイミング)

 「彼は体力がある。」とはどういう人のことをイメージして言っているのでしょうか。上図のように「体力」は大きく2つに分類すると、「防衛体力」(体を守る力)と行動体力(体を動かす力)に分けることができます。また「行動体力」の中身も、大きく5つ(筋力、柔軟性、持久力、敏捷性、巧緻性)あり、どれもバランスよく身についている人のことを「体力がある人」と言います。更に、前述したように、この行動体力には適時性(発達時期)というものがあります。一般的な日本人の体力ピークは男子20~22才、女子16~18才といわれますので、どの時期(年齢)にどんな運動をさせることが効果的なのかを考えて体力づくりをすると、運動ができる子に育ちます。  

07:52 | 投票する | 投票数(225)
2023/02/18

「体力づくり」は時期が大切(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
「体力づくり」は時期が大切  監督   齊藤 秀樹

   「体力」とは「敏捷性」「筋力」「持久力」「柔軟性」「巧緻性」等の様々な運動能力の総称です。これから大人になっていく子どもたちにとって、健康で強い体を作ることは極めて重要です。しかしこの体力づくりには、それを伸ばすのに適した時期というものがあります。今回はそのいくつかを紹介してみましょう。

    まずは「敏捷性」。これは素早い身のこなしや手足を動かすスピード、反射神経などでですが、この能力は比較的低い年齢でピークを迎えてしまうと言われています。小学校6年生の段階では、男子が93%、女子が99%に達してしまいます。ということはこの敏捷性は小学校時代に鍛えておかないと、もうこれ以上は速くならないということです。体はまだ小さいけれどもすばしっこい子というのは、将来無限に伸びる可能性を持った子だと言えます。日常生活の中でできるだけ素早く動く体験をさせるよう心がけるとよいでしょう。

 次に「持久力」ですが、これはエネルギーの消耗に対して、どのくらいの時間動き続けることができるかという力です。これも5分間走のデータを見ると、男子が89%、女子が97%の発育発達をしてしまいます。私たち大人が子どもを見て、「よく疲れないものだな」と感じるのはこのためです。しかしここで間違ってもらっては困ることがあります。それはこの数字は、こどもの体重当たりの酸素摂取量であって、大人の体になった時12才時(小学校6年生)の心肺機能の発達・発育は60%だそうです。したがって今は体が軽いから疲れないのであって、心肺機能の発育はまだまだ未熟な時期ですから、無理な長距離トレーニング(毎日10キロ走らせる等)は避けるべきだと思います。

 最後に「筋力」ですが、これは小学校6年生時では、男子が50%、女子が70%位の発育・発達です。したがって筋力がピークを迎えるのはまだまだ先の話ですので、力が強くなりたいからといって、バーベルを持ち上げたり、何百回も腕立て伏せや腹筋をしたりすると、大人の体づくりを早めてしまう恐れがあり、これが将来の伸び悩みにつながってしまう原因ともなります。私は毎年小学生の全国大会に子どもを連れて行きますが、決勝に並ぶ子どもたちの中にはとても小学生とは思えない筋骨隆々の大人顔負けの体が出来上がってしまった6年生がいます。実は小学校時代のスーパースターが高校に入る頃には普通の選手になってしまう例がたくさんありますが、これは一般に「早生(わせ)」といって、他のこどもより筋力の発達が2~3年は早い子のことをいい、早く結果を出したいという指導者や保護者の犠牲になってしまった子といえるかもしれません。

  人間の体力全体のピークは、一般に男性が20才~22才くらい、女性が16才~18才くらいと言われていますので、それまでに年齢に応じた体力づくりと、将来を見通した計画的なトレーニング(練習、訓練)をしていくことが大切です。
 現在SAAでも春の大会を目指して、寒い冬の時期にじっくり体力づくりトレーニングを実施しています。毎週休まず練習に参加して下さい。

08:04 | 投票する | 投票数(250)
2023/02/10

子どもを「一流」に育てる③(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
子どもを「一流」に育てる③       監督 齊藤 秀樹

 先週は、自分の意志で決めたことは最後までやり抜くことができる。そしてこのことは「自分で決断したことは、最後は自分で責任を取る」という①「自己理解」(自分を知る)、②「自己判断・自己決定」(自分で考え、自分の意志で決める)、③「自己責任」(自分で決めたことは自分の責任)ということにつながります。こういう体験をさせることが、何事も最後までやりとげる力の礎になるということを書きました。

【親は子どもの応援団であれ】
 オリンピックや世界選手権で、多くのメダリストたちが試合後のインタビューで「ここまでこれたのは両親のおかげです」と言い、もう亡くなってしまった親には、遺影を抱きながら「一緒に戦って助けてくれたんだと思います。」「天国から誰よりも喜んでくれていると思います。」というコメントを残していました。
   子どもという原石をダイヤに磨き上げるのに最も大切なことは、子どもが強い興味を示し、やりたいと決めた対象があれば、それを追求し極めるまで親は徹底的に応援することです。親の応援は子どもの強いモチベーションにつながり、物事を継続しやりとげる力を育てます。
 子どもの才能を開花させるのに親の存在抜きにしては語れません。世界的なヴァイオリニストのチョン・キョンファさんは、母親が必死に食堂を経営しながら子どもを留学させ、その才能を開花させました。盲目のピアニスト辻井伸行さんのお母さんは、音楽の素人でしたが、おもちゃのピアノを弾く息子の絶対音感に才能を見いだし、電話帳でピアノの先生を捜すことから始めて今の彼を創り上げました。2人とも自分の専門分野ではない才能を見いだし、執念に近い惜しまぬ応援を続けたことで、原石を磨き、その才能を天職につなげた親たちです。おそらく親の応援がなかったら原石は眠ったままだったと思います。

【子どもには「一生懸命さ」と「真剣さ」を求めよ】                         
 子どもの挑戦を惜しみなく応援することの大切さを書いてきましたが、子どものために時間、労力、金銭、環境面で最大限のサポートをするからには、親に「発言権」も「見守る義務」もあります。子どもには「一生懸命、真剣に挑戦する姿勢」を求めなくてはいけません。私の経験から言えば、本当に勉強のできる子は、部活動や習い事をするときも熱心なものです。何に対しても一生懸命だから何をしても優秀なのか、優秀だから何をしても真剣に取り組めるのかはわかりませんが、いずれにしても鍵は「真剣さ」です。一流のアスリートやアーティスト、社会でリーダーとして活躍している人の多くは、小さい頃から親に「一生懸命取り組んでいるときは惜しみなく応援してもらい、一生懸命でないときはこっぴどく叱られた」という育てられ方をした人が多いようです。

 小さいことと見過ごされがちですが、子ども時代の部活や習い事の怠け癖は、その後の人生全般に悪影響を及ぼします。子どもの頃に「怠けてもいい」「人より優れていなくて当たり前」という負け癖を持つか、「少しでも上をめざし、常に向上心を持って努力する」という習慣を持つかは、一生を左右すると思います。私の教え子たちの人生を見ても、「何事も一生懸命打ち込む習慣」を持っている子は、年齢を重ねても、仕事やライフワーク、趣味にその才能を発揮し続け、うらやましいような人生を歩んでいる子が多いです。子ども時代に部活などに一生懸命取り組む経験はとても重要です。向上心や集中力を養い、よき友やライバルと出会い、何よりも本人が主体的に意欲的に人生を歩む上で基礎となる姿勢や習慣を形成できるからです。「一生懸命なときは押しみなく応援し、怠けたときは厳しく叱る」という教育は「真剣さ」を育てる重要な役割を果たします。

【失敗は叱らずに、次への教訓と考えさせよ】                        様々なことに自分から挑戦する子は、それだけ失敗も多くなるものです。しかし子どもの失敗に対して感情的に激怒してはいけません。子どもは萎縮し、失敗がバレないように隠すことに腐心するようになります。失敗しても叱られず、その原因を自分で考え、そこから何を学ぶかに視点を置いた育てられ方をした子は、「失敗を教訓とし、それを乗り越え、あきらめずに最後までやりとげる力」を身につけます。
                                 
              参照・引用…「一流の育て方」ムーギーキム著


07:36 | 投票する | 投票数(243)
2023/02/03

子どもを「一流」に育てる②(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
子どもを「一流」に育てる②       監督 齊藤 秀樹

 先週は「下手な鉄砲は、いくら撃っても当たらない。」子どもが「活力」(強いやる気や高いモチベーション)を持って頑張り続けるためには、自分から挑戦しようとする力が原点になる。即ち子ども自身を「言い出しっぺ」にすることが重要だということを書きました。
 実は今、監督として偉そうなことを書いている私ですが、自身の子育てはどうだったかというと、特に上の女の子の時は、本人の関心や希望はお構いなしに、私が一方的に3つも4つも習い事に通わせていたことがあります。その結果いつも「やらされている」感がつきまとい、受け身でなかなか自主性や向上心の芽は出ませんでした。
 今思うと、とても恥ずかしいことですが、そんな自分の失敗や反省も含めてこのシリーズを書いています。

【自分で決めたことは、自分の責任】
 そんな彼女が明らかに変わったのが中学校に入って部活動を選んだ時からです。ある日突然「お父さん、私ハンドボール部に入りたい。」と言い出しました。私としては小学校時代からやらせていた陸上やテニスの方が適性があると思っていたのですが、本人が自分で判断し、決めたことなので、きっと最後までやり抜くことができるだろうと信じ賛成することにしました。結果的には予想通り、県大会や関東大会に出場して、優勝するというすばらしい実績と思い出を残すことができました。当時娘の入っていたハンドボール部はとても厳しい部活動で、正月早々に合宿があったり、山梨県まで遠征試合に行くといって、早朝4時に学校集合なんてこともしょっちゅうありました。しかし不思議なことに、その間ただの一度も「つらい」とか「辞めたい」という弱音やあきらめを口にしたことはありませんでした。
 やはり、自分の意志で決めたことは最後までやり抜くことができるのです。そして「自分で決断したことは、最後は自分の責任」という大切なことを学ぶことができました。

【途中で簡単にやめさせない】                         
 実はこのハンドボール部の経験の前に、もう一つその前提となる忘れられない出来事があります。それは小学生の時に、本人が「水泳を習いたいので、スイミングクラブへ行きたい」と言った時の話です。私自身も大学まで水泳を続けてきたので、その申し出に大賛成し入会させることにしました。当時そのスイミングクラブには10級から1級までのクラスがあり、月一回の試験で合格すると次の級に進めます。我が子も順調に上手くなり、級もどんどん進んでいきました。そんなある日「もうスイミングを辞めたい」という申し出が本人からありました。話を聞くと何でも2級までは何とか行ったが、どうしても1級に合格できず、もう4回も試験に落ちていると言います。毎週辛そうにバスに乗り組む姿を見るにつけ、かわいそうだから辞めさせてあげようかと正直悩みましたが、私の教育者としての数多くの経験から「途中であきらめずに最後までやり抜く力」というのは、子どもの可能性を引き出し、伸ばし、輝かせるためには決定的に重要な要素だと考えていましたから、1級に合格するまでというゴールを設定し、途中で辞めることを許しませんでした。同時に「自分からやりたいと言い出したことを、途中であきらめるような癖をつけると、全て中途半端な人間になってしまう。自分で決めたことは最後までやり抜きなさい。」と言って続けさせました。
 苦労の末、ようやく努力の甲斐あって、1級に合格した時の写真(満足そうに満面の笑みで賞状を持って写っている写真)は今でも大切に部屋の壁に飾ってあります。

【最後までやりとげる】
    多くの習い事には通ってはいるが、辞めるのは自由で、いろんな習い事を取っ替え引っ替えやっている子どもをよく見かけます。これでは何一つものにせず中途半端に終わってしまいます。もちろん、中にはすぐに辞めた方が本人の適性のあることに集中できる場合もあるので、一概に一般化できない話ではありますが、「石の上にも3年」「継続は力なり」という諺はダテではありません。「途中で簡単に投げ出さない習慣」を身につけ、幼少時に「初志貫徹」することの経験は、人生を通じて何事も最後までやりとげる力の礎になると思います。                                   つづく


08:15 | 投票する | 投票数(283)
2023/01/26

子どもを「一流」に育てる①(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
子どもを「一流」に育てる①       監督 齊藤 秀樹

 今年度も多くのスポーツイベントがテレビやインターネット等で放映され、私たちを楽しませてくれました。ワールドカップサッカー、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝、インターハイ…。今更ながらスポーツの持つ魅力とその影響力、そしてチームや国家を強く結びつけ、感動を共有できるスポーツのすばらしさを強く感じました。
 さて私は、今回の各種スポーツ大会を通して、活躍した選手の生い立ちや環境とそれを支えた親の「子育て法」には、ある共通点があることに気づきました。そこで今週から子どもを「一流」に育てるには、どんな教育理念や方針が必要なのかについて、私の教え子たちの話も取り入れながらシリーズで考えていきたいと思います。  

【やりたいことは自分で決めさせる】
 「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」という諺がありますが、子どもたちの中には、ピアノ、習字、サッカー、ダンス、公文、学習塾、そろばん、英語…とたくさんの習い事をやり、毎日忙しく過ごしている子がいます。しかし、親から無理矢理押しつけられた習い事は長続きしません。まあ親としては将来子どもが困らないようにいろいろなことができる子どもになってほしいという願いがあり、時に自分がやりたくてもやらせてもらえなかった経験から、自分の夢を子どもに託したい気持ちを持つ方もいるでしょう。
 しかし「無理矢理やらされている」と思っているうちは、何をやっても子どもは主体的に真剣には取り組みません。いつも言っていることですが、子どもが成長するために最も必要な資質は「活力」(自分から「知りたい」「わかりたい」「できるようになりたい」「勝ちたい」という内面からのエネルギー)です。たどり着きたくもないゴールに向かって全力で頑張れる子はいません。

 そうは言っても、小学校低学年の子どもは、親ほどの情報量をまだ持っていません。自分の中に眠っている無限の可能性(自分にとって何が大切で、自分は何が好きで、何が苦手なのか)が十分理解できていません。そこで親は子どもの性格や能力、教育環境(習い事の先生の質や教育方針)などの情報を収集し、積極的に子どもに提示し、選択肢をいろいろと示してあげることが大切です。しかし重要なのはその選択肢の中から最終的に決断するのは子ども自身だということです。自分で決断し、目標を持ったときの子どもの頑張りは親の予想を遥かに超えます。「下手な鉄砲は、いくら撃っても当たりません」、子どもは自分が「言いだしっペ」になってこそがんばれると思います。  

 私の教え子の中に、大きな病院の2代目を次ぐ運命の子どもがいました。母親は強烈な教育ママで、大学は医学部以外は行かせないという厳しい方針で育てられました。ところがどこでどううまくいかなかったのかわかりませんが、彼は高校受験で第一志望校から第三志望校まで全て失敗し、次の大学受験は医学部に三浪までして挑戦しましたが、結局合格できませんでした。その後、彼はすっかり人生の目標を見失い、今はどこで何をしているのか私も友人たちも誰も知りません。利発で素直で努力家だった彼はクラスの人気者でした。そんな彼をあのようにしたのは、本人の意志や選択を全く無視し、進路や人生設計を強制的に押しつけた親のせいだと、当時もっぱらの評判になりました。

   オリンピックや世界選手権等に出場し、活躍した選手の中には、幼少時から親の方針で体操や卓球をやっていた例があります。しかし練習を重ねていく中で、間違いなくその競技が好きになり、自分の特技となり、自分はこの道で行くという強い意志を持って努力し続けたからこそ輝けたのだと思います。きっかけは親でも自分の判断と活力がなければ決して一流にはなれないと思います。         
                          つづく

08:22 | 投票する | 投票数(326)
2023/01/19

大人は誰もはじめは子どもだった(監督より)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
“大人は、誰も、はじめは、子どもだった” 監督 齊藤 秀樹  

   私は柏市という所に住んでいます。そして地元の柏にはたくさんの友人たちがいます。もちろん一番多いのは同業者である教員ですが、その他にも、会社員、市役所、医療関係者、会計士、床屋、葬儀屋、焼き鳥屋、建設業、市場関係者…実に様々です。みんな40年来の友人たちですので、いつも「先生」とか「ひでき」と言って仲良くしてくれる大切な仲間たちです。

 そんな友人たちが集まると、よく「今の教育は」とか「今の子どもたちは」という話題が出てきます。そしていつも決まって「今の子どもたちは昔と違って…」「俺たちのガキのころには…」という話になってきます。例えば「いじめなんてものは、昔からどこにでもあったものだよ。弱虫で泣き虫の奴はよくいじめられていたもんだ。しかし今のいじめっていうのは、陰湿でジメジメしてしているし、加減というものがわかっていないんだ。その辺が昔とは違って悪いところだな。」なんて言って、眉をひそめて知ったような顔で教育論議に華を咲かせています。私はいつもこういう「昔と比べて、今の子どもたちはどうしようもない」的な発言を聞くと腹が立ってきます。

 それは自分が教育という仕事に関わっているからというのではなく、子どもというのは大人が作った社会の中で生きているのであって、子どもの社会というものが大人の社会とは別に存在するわけではないと思っているからです。「今の子は、わがままで、我慢ができず、陰湿で、世の中をなめている」そんな子をつくったのは、間違いなく大人の責任であって、大人の世界と子どもの世界が別々にあると錯覚しているのは、大人が子どものことをあまりに知らなすぎる(無関心すぎる、放ったらかしすぎる)からに他ならないと思います。別の言い方をすると、大人は大人、子どもは子どもで生活し、両者の距離が離れすぎていると言えるかもしれません。

 皆さんは今子どもたちの間で流行っている遊びやテレビ番組、ゲームや漫画、子どもたちが集まる場所等をどれくらい知っていますか。数年前にある教育調査で「子どもの思いやり度調査」というのがあり、その中の項目に「好きなテレビをがまんして家族に譲ったことがありますか。」という質問に対して、多くの子が「自分の部屋にあるから経験がない。」と答えていました。家族の各自が自分の部屋にこもって、お互いの世界には干渉しないで過ごすという家庭も多いのではないでしょうか。最近、頻繁に起こっている青少年の凶悪な犯罪の中には、毎日生活を共にしているにもかかわらず、我が子の変化や歪んだ性癖に、親が全く気づかなかったという事件が数多く報道され、世間を驚かせています。

 要するに私が言いたいのは、子どものすることを「くだらない。ばかばかしい。何をやっているんだ。」という大人の目で見てしまわずに、大人が子どもの世界まで降りていって、趣味や楽しみを共有する(共に楽しむ)ことが大切ではないかと思います。

 星の王子様という本の冒頭に“大人は、誰も、はじめは子どもだった”という名言がありますが、親になった今、このことを忘れずにいられる大人はとても少ない気がします。子どもを理解し、賢くよりよい子に育てるためには、まず「自分が子どもだったらこんなことをしてほしいな。」「あの時の父親からの励ましが、今の自分の活力の源になっているな。」等の“子どもから見た目”(子どもの視点)を持つことだと思います。

 「親」という字は「木」の上に「立」って「見」ていると書きますが、たまには木から下りて、子どもと同じことを一緒にしてみることも必要です。ただしここで大切なのは「遊んであげる」ではなく「共に楽しむ」(自分も楽しい)という関わり方が理想です。そうでないと長くは続きません。
 年末年始が終わりました。家族みんなで年末大掃除、クリスマス、おせちづくり、初詣、書き初め、スキー、帰省…ゆっくり子どもと過ごしながら、子どもと関わり、子どもの世界をしっかり理解する時間を作ることはできましたか。

 “子ども笑うな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの”

08:26 | 投票する | 投票数(299)
12345