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          齊藤 秀樹  監督

 
 

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2024/02/23new

SAAっ子よ 大志を抱け(監督から)

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  SAAっ子よ 大志を抱け  監督 齊藤 秀樹
 
 昭和の初期に、一握りのエリートたちが、国民の意思をかえりみず、日本を軍国主義へと導き、戦争に突入させました。その結果、日本は敗戦のどん底を味わうことになりました。その反省から、日本人は心のどこかで立身出世を否定し、人間は誰もが生まれながらにして平等なのだから、特定の人間が権力を握ることはよくないという意識を持ってきたような気がします。しかしこの考え方は専制的なリーダーの在り方に問題があるのであって、人の上に立つリーダーはいらないという、「リーダー不要論」ではないと思います。会社でも、学校でも、地域でも人間が何人か集まれば、その中にリーダーシップを取る人が必ず生まれます。したがってリーダーのいない集団とか組織というのは、実際にはあり得ないのです。

 しかし今の子どもたちを見ていると、人の上に立つことを嫌い、他人からできるだけ目立たないように行動し、みんなと上手く合わせることをよしとする傾向があります。そんな子どもたちに「大志を抱け」とか「大きな夢を持て」なんていってもピンとこないことが多いようです。最近の子どもたちに将来の夢や希望を聞いてみると「普通のサラリーマン」とか「のんびりとした穏やかな家庭の主婦」なんて答える子がいかに多いことか。そんな中「大会社を立ち上げ社長になる」とか「総理大臣になって日本を変える」なんて言う子がいると、すぐに「冗談はよせ」「無理無理」なんて笑われ相手にしてくれません。大きな夢を持ち、それに向かってがんばることが悪いはずがないのに…。

 私たち大人は、長い人生をもう半分近く歩いてきてしまったので、今からやり直すことはかなりの勇気がいりますが、たかが10年くらいしか生きていない子どもたちには、これから先、できないことなんかないし、叶わない夢なんかないと思います。可能性は無限に広がっていると思います。言い換えれば、未来に大きな夢を持てるということが子どもの特権といってもいいかもしれません。

 私がいた小学校では卒業式で、6年生が一人ひとり「決意の言葉」を堂々と発表します。その中には、「私の夢は、飛行機で旅行する人に新たな夢を届けるキャビンアテンダントになることです。」とか「僕の夢は、世界最高峰の舞台で活躍するプロサッカー選手になることです。」とか「私の夢は、たくさんの動物の命を救うことができる、獣医師になることです。」…。たくさんの子どもたちが自分の夢を語ってくれました。

 世の中には、包丁一本で世界を渡り歩き、アメリカで大人気の和食レストランを経営している人。パリで美容室を開き、大成功をおさめた人。国連に入り世界の人々のために働いている人。…。こういう人を見ていると、日本なんていう小さな枠を超え、出身や学歴なんかに頼らず、自分の頭と体一つで努力さえすれば何でもできるんだなと思います。もちろん派手で大きなことをすることだけが人生の価値だとは思いません。報いられることの少ない職場を必死で守り抜く人や、人のために自分を犠牲にして尽くす人なども、考えようによっては大きな生き方だといえるかもしれません。

 人生の成功者になれる人はほんの一握りかもしれません。しかし子ども時代に立てた“青雲の志”は自分の人生にとって必ず大きな財産になります。小学生のころから夢を持たず、目標達成のための努力もせず、人生をオリてしまっている子どもたちに、小さくまとまりがちな子どもたちに、大きな夢や希望を持たせ、自分の人生は無限に開かれているんだということを教えてあげたい。それが私たちの大人の役割だと思います。

15:55 | 投票する | 投票数(31)
2024/02/16

「競争心」は必要である(監督から)

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 「競争心」は必要である  監督 齊藤 秀樹

 運動会は、大勢の友だちや大人達が見ている前で、ハッキリと勝敗や順位が決まる場です。だから勝てば喝采を受けてとてもいい気持ちになる反面、負けたときはとても悔しい気持ちになります。
 それを受けて、「たくさんの観衆の前で順位をつけるような競走は好ましくない。」「遅い子がかわいそうだ。」という一部の保護者からの反対論に押され、運動会で徒競走を中止する学校や、中には徒競走はみんなで手をつないで横一列でゴールするという学校まで出てきてしまいました。

 これは間違っていると思います。

 たかだか一年に一度の運動会のたった一つの種目にこれほど神経質になる必要があるのでしょうか。数多くの多様な個性や能力を持った子どもたちが集まり生活する、それが学校というところです。ですから「みんな違ってみんないい」し、「人との違いを認め、個性を尊重し合える心の強さや大きさを持ってほしい」と思っています。「ひいきだ。」という言葉を気にした“形式的平等”は、子どもたちから「自分なりに精一杯がんばる」という“活力”を減退させます。
 
 日常の学校生活では控え目でおとなしく目立たない子でも、「かけっこ」だけは得意で、自分の唯一の特技だという子が、一年に一度晴れがましくゴールテープを切り、輝いたっていいじゃないですか。「ずるいな。あいつばかり目立って。むかつく。」なんて思う子は、あまりに心が狭く貧しすぎます。私は素直に「すごいね。さすがだね。おめでとう。よーし、ぼくは得意の漢字でがんばるぞ。」という子を育てたいのです。
 
 走るのが苦手で徒競走がビリだって、歌が抜群に上手い子や、計算が速い子、友達を作るのが上手な子、身体が丈夫で一日も学校を休まない子はたくさんいます。子どもたちには誰にでも、これだけは人に負けないというものが必ずあるはずです。
 この世の中に競争のない世界なんてありません。子どもの頃に競争することから遠ざけられた子どもたちが、社会に出て行ったとき、現実の世界に対応することができず辛い思いをするのは本人です。
 
 自分の得意不得意を事実として認め、自分探しをしながら自分に一番合った職業を選択し、競争社会をたくましく生き抜いていくための力を、子どもの頃から身につけていくことはとても大切なことだと思います。
  
 「競争」では負けた悔しさと勝った喜びを味わうことができます。私は負けた悔しさがあるからこそ、勝った喜びがあると思っています。そしてこの体験は、跳び上がってバンザイしたくなるほどの感動・感激体験として心と体の中に刻み込まれます
 同時に、自分と他人との違いを受け入れ、認め、尊重する豊かな心を育てます。
 
 私たちの仕事は一人ひとり違う個性や能力を持った子どもたちを、あらゆる場面で、一人でも多く輝かせることだと思っています。
 競争心は、優劣がつくという厳しい現実の中で、勝利という目標に向かって、少しでも自分を成長させるために、自分の持っている無限の可能性を引き出し、伸ばすために「必要」だと思います。
 

08:14 | 投票する | 投票数(75)
2024/02/09

「思春期の子」の育て方②(監督から)

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「思春期の子の育て方」②  監督 齊藤 秀樹
  
【思春期~青年期での親の在り方】
 先週は思春期の子どもの扱いや育て方で保護者の方が一番悩むのは、なかなか素直に言うことを聞かない、反抗的な言動が出てくることだと書きました。しかし発達心理学からすると「思春期に子どもが親に反抗するのはある意味当然であり、反抗しない方が心配である。」と考えます。したがって「うちの子には反抗期がない」ことを誇らしげに自慢する必要はないし、それがよい親子関係だとは必ずしも言えません。
 この時期にしっかり親離れしないと子どもはいつまでも独り立ちできないし、親も子離れできなくなってしまいます。
 
 この時期の子どもは「自分とは何者か」という“自分探しの旅”を始めます。自分はどんなものが得意でどんなものが苦手なのか。どんな個性や能力を持っているのか。今どんな生活を送り、どんな人たちとつき合いがあるのか等を手がかりに自分自身を理解していきます。そして自分が今まで生きてきた人生を振り返り、時に否定し、自己を再構築していきます。その自立のためのエネルギーが、今まで何でも言うことを聞いていた親への「不服従や反抗」という形で現れるのです。

 ではこの反抗期に親からの自立や子離れがうまくいかないと、その後どんな影響が出てくるのかについて考えていきたいと思います。
 まず1つ目は、エネルギーが家庭の外に向けて発散されるケースとして「非行や犯罪などの反社会的行為」となって現れることがあります。親との葛藤があるにも関わらず、その不満が親に直接向くのではなく、社会や世間に向けられ非行、犯罪という形で現れる場合です。
 2つ目は、とても悲惨な結果として起こりうる「家庭内暴力や親殺し」というケースです。本当は一人前の人間として認めてもらいたいのに、上手く関わってもらえない(相手にしてもらえない)。そのやり場のないネガティブな思いが、親に暴力的に向けられてしまいます。子どもは親を傷つけたり殺したりすることで親を乗り越え、自己を確立しようとする場合もあります。
 3つ目は、親との関係の不満が子ども自身の内側にたまるというケースです。そのよい例が「引きこもり」です。家から何ヶ月も何年も外に出ないで家の中にいる。そして家にずっといながら、インターネットなどのメディアとのみ外部とつながる。食事は親から与えてもらうが、生活や趣味には干渉させない生活を送るという場合です。
 これは、親が自分を独立させてくれない結果として現れる現象の一つです。外とのつき合いを持てずに、親のなすがままに育てられ大きくなった弊害といえるでしょう。

    もう一つつけ加えると、現在は自立して大人になるまでの時間(青年期)が非常に長くなっているように感じます。18才で成人になることは変わりませんが、例えば就職、結婚、子育て、持ち家は一昔前に比べて確実に遅くなっています。「自分探し」がなかなか終わらずに長い年月を費やす若者が増えています。「パラサイト・シングル」と揶揄されるように、いつまでも独身でニートやフリーターを続けながら親に「寄生」している若者は現在も少なくありません。
    更に、皆さんは1992年のTBSで放映された「ずっとあなたが好きだった」というドラマを知っていますか。主人公の佐野史郎扮する中年の「冬彦さん」は、いつも従順に母親の言うことを聞きます。この母親は息子の結婚生活に干渉し、妻よりも率先して愛情表現をし、独立して家庭を持った息子の生活に平気で割り込んでいく。当時は多くの視聴者から「気持ち悪い」「異常な関係だ」と騒がれたほどの親子関係でした。
 
  「いつまでも あると思うな 親と金」といわれるように、子育ての最終目標は子どもの「自立」です。特に思春期から青年期にかけては、子どもにやたらとべたべたしない方がよいし、事細かに親の考えを押しつけて、子どもの主張を抑え込み、親の前で「よい子」を演じさせてはいけません。これは非常に危険であり、ふとしたきっかけて思いもよらない行動に発展しかねない可能性を持っています。思春期以降の子育てで一番大切なことは、発達段階や年齢に応じて「子どもとの適切な距離感を持つ」ことだということを是非覚えておいてください。


07:27 | 投票する | 投票数(134)
2024/02/02

「思春期の子」の育て方①(監督から)

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 「思春期の子」の育て方① 監督 齊藤 秀樹

 現在SAAに入会している子どもたちは、小学校4年生から中学生までの年齢層(発達段階としては「思春期」)を迎える子どもたちです。今回はこの時期の特徴と、その育て方について、日々悩みながら頑張っている保護者の方に向けて、再度書いていきたいと思います。

    この時期になると子どもは親との付き合い方をかなり転換させるようになります。一緒に外出することを避けるようになったり、友人には話せても親には話せない秘密を持ったりします。また今まで絶対だった親に対してその生き方や考え方、更に毎日の生活の在り方に疑問を持つようになり、親が自分にいちいち指図してくるのがうっとうしくなってきます。ではまず今回はこの思春期の特徴から書いていきます。

 「思春期」というのは、個人差が非常に大きいものです。小学校4年生ぐらいから始まることもあるし、中学2年生ぐらいからの子もいます。 
   思春期というのは、その出発点は“肉体の変化”です。胸がふくらんできたとか、生理が始まったとか、ヒゲが生えてきたとか、夢精をしたとか…こういう現象が思春期の入り口です。実はこの肉体の変化が「心」に大きな動揺や変化をもたらすのが思春期なのです。
 
 思春期というのは、人生の嵐の時代ともいえる時期で、精神的なブレが激しい時期です。この時期を別名「第2反抗期」とか「半熟期」とも呼んでいます。
 思春期の特徴は、あまり大人が干渉しすぎると、「私はそんなに子どもじゃない。放っておいてくれ。」と言うし、じゃあ「任せるよ。」と放っておくと、「助けてよ。私はまだそんなに大人じゃないのよ。」と甘えてきたりします。また、朝は「パパ大好き」だったのが、夕方には「うるせー、おやじ!」にコロッと変わったりします。家にいても、学校にいても、何がそんなにおかしいのかと思うくらい、キャッ、キャッ、キャッ、キャッと大騒ぎし、箸が落ちても笑い転げていた子が、夜になるとムスッとして部屋にこもり、どうしたのかと聞くと、「この世で、私ほど不幸な子はいない。」なんて言ったりもします。
 このような両極端な態度の変化が、「思春期の子は扱いが難しい」といわれる所以なのでしょう。

 また、典型的なこととして、人間関係が縦社会から横社会に変わるようになります。小学校の中学年くらいまでは、先生がこう言っていたとか、お母さんがああ言ったというように、先生や親は絶対でした。ところが思春期に入ると大人よりも友だちを大事にしだします。「あの子とはつきあってはいけません」とか「もっとよい友達を作りなさい」なんて言うと、「お母さん、友だちの悪口だけは絶対に言わないで」と言うようになります。 

    思春期の子どもの扱いや育て方で保護者が一番困るのは、なかなか素直に言うことを聞かない、反抗的な言動です。これは一言で言えば“精一杯の大人への背伸び”です。「もうぼくは子どもじゃないんだから、いちいち言われなくてもわかっている。放っておいてくれ。」すなわち、「一人前の人間として認めてくれ」という親からの分離、自立への第一歩です。ですから今までよりも少し多く「承認」(子どもを一人前の人間として、受け入れ認めてあげること)してあげることが大切です。しかしだからといって、子どもの言うことを全て受け入れ、子どもの言いなりになってはいけません。思春期の子どもは、親に反抗すれば叱られることは百も承知です。わかっていてわざとやっているのです。自分の主張がどこまで通じるのかを試しているのです。だから、ダメなこと、認められないこと、譲れないことに関しては、断固「拒否」することは大切な教育です。
 この「承認」と「拒否」を上手く使い分けることが、思春期の子の扱いで最も大切なポイントとなります。
 次週はこの時期とその先(思春期~青年期へ)の親の在り方について考えていきたいと思います。

07:52 | 投票する | 投票数(192)
2024/01/26

「言葉で伝える力」について(監督から)

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 「言葉で伝える力」について 監督 齊藤 秀樹

 私は現在、白井市教育委員会で学校支援アドバイザーという仕事をしています。主な仕事は、各小中学校を訪問して授業や部活動、行事などを参観し、先生方に指導・助言をすることです。その中で最近とても気になっていることがあります。それは様々な場面で活発な意見交換や討論をして、皆で内容を深めたり、高めたりする活動が少ないないなということです。
 
   自分に自信がなく、間違えて恥をかきたくないから授業中手を挙げない、という子がいます。しかし学校という所は、わからないことをわかるようにするところです。朝、校門をくぐるときには知らなかったりわからなかったことも、下校するときにはわかっている。このように子どもたちは日々の学校生活の中で1つ1つのことを学び、理解していくことで成長し、これが学校に来る意義であり価値でもあります。そう考えれば、新しいことに出会い、それを理解するために、間違えるのは当たり前のことです。みんながわかっていることなら授業なんか必要ありません。そう“学校は間違えて良いところ”なのです。同じ1時間の授業をしていても、いつも受け身で覚えたり理解するだけの子と、理解したことを頭の中で整理し、それを相手にわかりやすく伝わるよう挙手をして発表する子とでは、その学力に大きな差ができてしまいます。

 ある会社で人事、採用を担当している私の友人曰く、会社として一番ほしい人材は、「知識・理解」(インプット力)に優れた人ではなく、人前で自分の考えを分かりやすく堂々と発言できる「表現力・プレゼン力」(アウトプット力)に優れた人材だそうです。

 さて話は変わりますが、小学校5年生の国語の教科書に「言葉と事実」という説明文があります。この中に「イソップ童話のうそつき少年」という話が出てきます。有名な話なので皆さんもご存じだと思いますが、羊の番をしている少年が、オオカミが来てもいないのに「大変だ。オオカミが来た。」と言って、度々村人を驚かしだましていました。そのため本当にオオカミが来たときに「大変だ。オオカミが来た。」と言って必死に助けを求めても、村人はまた嘘だと思って、誰も助けに行かなかったという話です。
 この話は、「言葉は事実と結びつけて使わないと、言葉としての役を果たさなくなってしまう」という教えです。

   私は常々言葉というのは、それを発する人の「人格」や「人間性」が表れてしまうものだと思っています。例えば「今日の富士山は本当に美しい」という言葉でも、有名な写真家が言う言葉と、たまたま訪れた一般の観光客が言った言葉では、それを聞いた人の印象は大きく違ってくると思います。

 よくクラスの帰りの会の中で「掃除中に○○君がふざけていました。」とか「最近、忘れ物が多いので気をつけてください。」等と、友人たちをよく注意する子がいますが、その注意がどんなに正しくても、注意した子自身がそれを守れていないと、かえって反感をかうだけで誰からも聞いてはもらえません。他人に注意できる人は、まずは自分が注意できるだけのしっかりした人間であることが基本になります。 

  「子育て」は「己育て」、「育児」は「育自」、「教育」は「共育」という言葉がありますが、これは子どもを育てるとか教えるというのは、相手である子どもが成長するのはもちろんですが、それよりもむしろ育て教えている大人自身が、人間的に幅広く豊かに成長していくことだということです。子どもが親や先生の言うことを素直に聞くようにするためには、まず親や先生が子どもから信頼される存在であることが大前提だと思います。

 人に対して、説得力のある言葉というのは、実は「何を言うか」ではなく「誰が言うか」で決まることが多いものです。したがって、私たちは「誰が言うか」の「誰」になれるよう日々努力していくことが大切ではないでしょうか。

07:52 | 投票する | 投票数(253)
2024/01/19

親として一番大切なこと(監督から)

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  親として一番大切なこと      監督 齊藤 秀樹

 突然ですが、皆さんは子どもの前で夫婦げんかをしたことがありますか。また子どもの前で、お互いの悪口や陰口を言ったことがありますか。残念ながらおそらくは、ほとんどの方があると思います。アメリカでは、子どもの前で夫婦げんかをしたり、悪口を言ったりすることは「児童虐待」に当たります。さらに子どもの前で物を壊したり、暴力を振るえば、即「逮捕」です。愛する子どもの心を傷つける行為は許されないことなのです。
 
    さて、私は18年間の担任時代の約3分の2は6年生の担任でした。その内5年6年と持ち上がったのが5回、後は全て単発(1年間だけ)の6年生でした。その理由の多くは5年生の時に一部の子どもが荒れて、先生の指示や指導に従わず好き勝手なことをして、授業が成立しない状態となり、学級が崩壊寸前になってしまったため、その学級の再生役として受け持つことが多かったからです。また2回の行政(教育委員会)経験の中では、主に非行や不登校、児童虐待等の生徒指導を担当することが多かったです。

 そんな経験の中で私はあることに気づきました。それは思春期を迎えて何らかの問題行動や学校不適応を起こす子どもたちの多くが、家庭の中で幼少時から嫌というほど両親のケンカや悪口・陰口の言い合いを経験しているということです。
 考えてみてください。子どもは親を選べません。子どもにとって両親は、この世で最も愛すべき大切な存在であり、最も信頼できる存在です。

 その二人がいつも目の前でケンカをする。どれだけ幼い子どもの心を深く傷つけることでしょう。子どもは人のことが怖くて仕方なくなります。いつもビクビクして他人と向き合うようになります。だから弱い奴だと思われいじめの標的にされてしまいます。
 また、子どもの前でお互いの悪口や陰口を言うと、子どもは人のことを信じることができなくなります。ちょっとしたことで傷つき、心を閉ざし、次第に不登校や引きこもりになってしまいます。
   もしも、つい子どもの前でケンカをしてしまったら、側にいる子どもの方に視線を送ってみてください。どんなにおびえた目をしているか。どんなに身体を小さく丸めて震えているか。その嵐が過ぎてくれるのをじっとがまんして待っているはずです。

 誤解を恐れずに言えば、成人して結婚して子どもを持てば、自然に親になることができるわけではありません。「養ってやってるんだから、子どもが親の言うことを聞くのは当たり前だ。」とか、「ゲームや携帯を買ってやったんだから、勉強しなさい。」等と考えてはいませんか。親になるということは、「親という職業に就く」ということです。家族とは親が社長である一つの会社です。その中でいつも社長と副社長が皆の前でケンカばかりしていて、口を開けばお互いの悪口を言い合っている会社の中で、一社員として勤務していたらどうですか。まず間違いなく組織の統率は乱れ、社員はやる気を失い、こころある社員は辞めていき、いつかは会社が潰れていくことでしょう。
 しかし哀しいことに、家族という会社の社員である子どもたちは、辞めることも、逃げることもできないのです。社長の犠牲になって人生をあきらめながら歩んでいくしかありません。

 学校の先生方も大学で教員免許を取得し、採用試験に合格して、教育委員会から辞令をもらえば教員です。しかし、日々向上心を持ってよりよい先生をめざす努力をしなければ、決して一人前のプロ先生にはなれません。親も同じです。良い親になるためには、絶え間ない学習と、子どもの見本になる努力が必要です。そのことを今多くの親たちが忘れています。親という権威に寄りかかり、その日の気分や思いつきで子どもを追い込んでいます。耳の痛いうるさいことを書いて申し訳ありませんが、是非、今の自分を振り返り謙虚に学ぶ姿勢を持ってください。そして一番大切なことは、いつも笑顔が絶えない温かな家庭の中にこそ、心の安定や本当の幸せがあると思っています。 
                 
               参照・引用…「子育てで一番大切なこと」水谷修 著

08:32 | 投票する | 投票数(314)
2024/01/12

「厳しさ」と「やさしさ」監督から

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 「厳しさ」と「やさしさ」 監督 齊藤 秀樹

 私はよく先生方に、星の王子様の冒頭文にある“大人は、誰も、昔は子どもだった”を引用して、子どもを教育するときは、「自分が子どもだったら…」という“子どもから見た目(視点)を忘れない”ことが大切なポイントだよ。という話をします。
 そこで、今回は私が教師という職業をめざす原点となった小学校時代に出会った2人の先生と教師になってから出会った1人のプロ教師について書いてみたいと思います。 
 
    私が1年生の時の担任の先生はA先生という55才くらいの女性ベテラン教師でした。優しさの中に厳しさもある大好きな先生でした。冬のある日、その日は大雪の降るとても寒い日でした。私はジャンバーの上にビニールのコートを着て学校へ行きました。帰りの会が終わり、みんなで昇降口まで行って帰り支度をはじめました。私は寒さで手がかじかんで上手くビニールコートのホックがはまらず困っていました。そこで近くにいた先生に「先生ホックはめて。」と甘えた声で頼みました。すると先生は「ヒデキ君、あなたは自分で出来ます。」と一言言って、他の子の面倒を見に行ってしまいました。私はその一言が悲しく、泣きながらホックをはめて走って帰りました。このことがあってから私は先生が嫌いになりました。なんて不親切で冷たい先生なんだろうと思いました。しかしその時以来、私はあまり人を頼らなくなり、自分のことは自分でやるようになりました。今思うと、実は先生ほど私を理解してくれていた人はいなかったのかもしれません。「君には出来ます。」の一言で私は泣きながらも自分でホックをはめられたのです。先生はきっと私を、人に助けを求めず自分の力で解決できる自立した子に育てたかったのでしょう。
 “厳しさは決して不親切ではない”と思います。小学校1年生で出会ったA先生には、どんなにやさしくしてくれた先生より今は感謝しています。

 私が小学校4年生の時の話です。暴れん坊で悪ガキだった私は、休み時間になると決まって教室の後ろで友だちとプロレスごっこをして遊んでいました。その日はいつになくだんだんエスカレートしてきて、跳び蹴りのまねをした時、ベランダに出る後ろのガラスドアを割ってしまいました。「ガチャーン」というものすごい音を立ててガラスが割れ、教室の中が大騒ぎになりました。その音を廊下で聞きつけた担任のI先生(30歳代の男性教師)が、血相を変えてすごい勢いで教室に駆け込んできました。私はまずい怒られると思い、心の中で(コラー、何をしているんだ。またお前か。だからいつも…。)と怒鳴られ叱られる準備をして、体を硬く丸め下を向いていました。ところが先生の第一声は「ヒデキ。大丈夫か。ケガはないか。よかった。」でした。私は何が何だか訳がわからずにボーッと先生の顔を見ていましたが、知らぬ間に涙があふれオンオンと泣いてしまいました。悪戯したことや、物を壊したことなんかより、子どものケガを心配し、一人ひとりをいつも大切にしてくれる、I先生はいつもそんなやさしい先生でした。

 私が教員になって2年目にすばらしい学級経営をすると評判の2年生の学年主任の先生の授業を、若手教師数名で見せてもらっていた時の話です。確か算数の授業だったと思いますが、実に分かりやすい説明で、子どもたちも学ぶ意欲にあふれたすばらしい授業でした。授業が始まって20分くらいたったころでしょうか、先生が突然「みんな姿勢を正して、目をつむりなさい。」と言いました。私は何が始まるのだろうとじっと先生の様子を見ていましたが、先生はみんながしっかり目をつむって静かになったのをみると、一人の女の子の所へ行き、その子をそっと抱き上げて私の方に歩いてきました。そして「気づかれないように雑巾でふいておいてください。」とだけ言い残し、教室を出て行きました。私は言われたとおりに雑巾を持ってその子の席に行くと、何とおしっこを漏らしてしまっていたのです。全く気づきませんでしたがそっと拭き取りました。クラスの子は先生に言われたとおりじっと目をつむっています。しばらくして先生はその子と教室に戻ってきて、前と同じように授業が始まりました。数人の子が不思議そうな顔をしていましたが、誰一人としてお漏らしには気づかなかったようです。私はまるで魔法でも見ているような気がしてあっけにとられていました。同時に子どもの心を傷つけないよう細心の気配りをして、子どもたち一人ひとりを大切に育てている先生の姿に感動したのを覚えています。

 以前「子どもが求める大人像」という記事でも書きましたが、教育(子育て)は、いかに子どもを理解し、大切にできるか、そして子どものためにどこまで関われるかを追求していく営みであると思います。


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2024/01/03

1~3月の重要性(監督から)

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 あけましておめでとうございます(日本語)・Happy New Year(英語)Bonne Annee(フランス語)Buon anno(イタリア語)
Frohes neues Jahr(ドイツ語)・新年快楽(中国語)…。 
 本年も白井アスレチックアカデミー(SAA)をよろしくお願いいたします。今年も、新年の初めは練習初日に子どもたちに話す予定のこの記事で2024年をスタートしたいと思います。
           
   1~3月の重要性  監督 齊藤 秀樹
【1年のまとめ】 
   1~3月は3学期制の学校では今の学年最後の学期であり、2学期制の学校では後期後半、1年のまとめの期間でもあります。4~12月でやり残したことや、できなかったこと、わからなかった内容はないかもう一度振り返ってみて、全ての面で総点検をし、1~3月中にしっかり身につけておきましょう。

 物事には「段階・順番」というものがあります。2年生のかけ算九九ができなければ、その後に出てくる分数や小数のかけ算はできないし、高学年で出会う通分や約分もできません。また、水に浮けない子は決して泳げないし、自分のことも自分でできない子が、他人のために何かをやってあげられる「思いやりのある子」には決してなれません。

 このように今やっておかなければならないことをそのままにしておくと、必ずその「つけ」が後々の自分を苦しめることになります。簡単な例えを出して説明すると、4年生で習得すべき学習内容が「10」だとすると、4年生で「8」しか身につかなかった子は、次年度の5年生では10+2=「12」の内容を理解し、身につけなければならないことになります。更に、小学校時代に身につけるべき習得内容を「100」として、6年生終了の段階で「70」までしかできていなければ、中学校では「130」の内容を身につけるために大変な努力をしなければなりません。こういうことが繰り返されていくと、いざ自分の進路選択をするときになって、「あの時しっかりやっておけばよかった。」と後悔しても取り返しがつかないことになってしまいます。
 どうぞまとめの時期である3学期(2学期後半)のうちに、やり残し、持ち越しがないようがんばりましょう。

【1年の始まり】
    ○年生という学年はそのままですが、1~3月は令和6年(2024年)の初めでもあります。日本は古くから「1年の計は元旦にあり」と言われてきました。年の初めは誰しもが「今年こそは…」という目標を持つはずです。「始めよければ全てよし」「千里の道も一歩より」「はじめのボタンを掛け違えると、最後のボタンははまらない」等のことわざがあるように、年の初めに「最初の一歩」を大切にしたいものです。
 以前にも何度か書きましたが、ノーベル賞受賞者の数学者である広中平祐氏は「人は目標を持つか持たないかで、その後の結果に大きな違いが出る。」と言っています。新年に当たり、まずは今年の目標をしっかり持って、できるだけ早く「最初の1歩」を踏み出しましょう

【次学年への心の準備】
   「1月は行く。2月は逃げる。3月は去る。」と言われるとおり、1~3月は1年で一番短い期間です。あと少しで、1年生は2年生に。4年生は高学年(5年生)に。5年生は最高学年(6年生)に。そして、6年生は中学生になります。
 実はこの進級・進学時に、上手く環境やシステムに適応できずに不登校になってしまう子が結構多いのです。特に6年生は「中一ギャップ」と言って、中学1年生になると小学校6年生の約3倍の子が不登校になってしまうそうです。次学年になってから適応していければいいのですが、今のうちから1年生と2年生の違い、低学年と中学年の違い、中学年と高学年の違い、そして小学校と中学校の違いを知り、その準備をしておことはとても大切なことです。
 そういう意味で、1~3月は「次学年への心の準備」でもあることを自覚して生活してほしいと思います。

 来たる1月7日(日)の練習初日に、このような話を子どもたちにしたいと思います。「今までと同じではない」という新たな気持ちで、1月をスタートしてほしいと願っています。

11:03 | 投票する | 投票数(445)
2023/12/29

「キャリア教育」のススメ②(監督から)

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「キャリア教育」のススメ②   監督 齊藤 秀樹

   「キャリア教育」シリーズの続きに戻ります。先週は、「ただ何となく、どんな仕事についても、今までと同じくらいの生活はできると安易に考えている子どもたちが多い。」というところまで書きました。

【金銭と労働】 
    子どもたちに「お金」について理解させるには、まず“金銭は労働によって得られるもの”ということを教えることが基本となります。
   今まで私が学級担任をしていたクラスの中に、小学校5年生で総額13万円のお年玉をもらったという子がいました。地元で会社経営をしていた家の娘さんなので、おそらくお正月にたくさんの社員や関係者が家に集まってきて、たくさんのお年玉をくれたのだろうと、特に気にもせず、ただ「すごいな。」と職員室での話題にはなっていました。 しかし、その後本人からよくよく話を聞くと、お年玉を一番多くくれた人は父親で、その額はなんと3万円だったという話を聞いて愕然としました。

   その後、父親と会って話をする機会があったので、余計なことかもしれませんが、なぜそんなに我が子にお金をあげるのかと聞いてみたことがあります。何でも父曰く「自分は昔、貧乏でほしい物があっても買ってもらえず、ずいぶん惨めな思いをした。だからせめて娘にだけはそんな思いをさせたくない。」というのが教育方針なのだそうです。個々の家庭のことなので他人が口を挟むことではないかもしれませんが、私は「ほしい物が買えなかったことをバネに、将来を夢見て人一倍働き、努力したからこそ、今の生活があることをどうして子どもに教えないのだろう。」「この子にとってお金の価値って…。」と考えさせられました。

 また近年、ゲームセンターやスーパーのゲームコーナーに行くと、百円玉をポンポン使ってゲームに熱中する小学生の姿をよく見かけます。日本の子どもたちの金銭感覚はこれで大丈夫なのでしょうか。「お金は天から降ってくるもの」でも「掘れば出てくるもの」でもないという当たり前のことを、大人はもっとしっかり教えるべきではないでしょうか。子どもたちは、日々のマスメディアを通して芸能人がクイズ番組で、信じられない豪華賞品や大金を貰っている姿や、野球選手が何十億という契約金を貰って大リーグの球団に入ったという話題に触れています。

 未だ労働経験のない子どもたちに、大人がお金を得るために、どんな苦労や努力をしているのか。自分に与えられたお金がどんなに大切で価値あるものなのかについて、子どものうちにしっかり教えておくことは大切なことだと思います。

【「働く」ということ】
   そういえば数年前に海外から日本の教育制度を視察に来た先生方が、ある高校の「進路相談室」を見せてもらうと、大学入試の資料しか置いていないその部屋に驚いて、「日本の『進路相談室』は、『進学相談室』のことなのか。」と言ったそうです。

 しかし最近(コロナ下を除いて)は、どこの学校でも「職業体験」を実施するようになりました。以前にも紹介したとおり私のいた小学校では30近くの事業所の協力を得て半日の体験学習をしてきました。今後中学生になると2日間の本格的な「職業体験」が行われます。これは中学生のうちから体験を通して、職業(労働)について学び、大人の社会を知り、将来の夢を持ったり、心の準備をさせるというすばらしい取り組みだと思います。また私のいた学校には、進学先の隣の中学校から毎年数名の「先生になりたい」という夢を持った生徒が職業体験に来て、二日間の体験後「先生の仕事の大変さがよくわかった。」「先生になりたいという気持ちが今まで以上に強くなった。」という感想を残して帰っていきました。

   私たちは今まで「働く」ことを通して「職業」(就労)や「金銭」という中身について、子どもたちと真剣に語り合うことが少なかった気がします。「ただ何となくフワフワと生きている若者たち」に、“今と同じ生活が将来も保証されている訳ではない”ということを、“自分の人生は自らの手で切り拓いていく”ことを、そして“日本の将来は、君たちの双肩にかかっている”ということを、大人が本気になって真正面から教え、伝えるべきだと思います。よいお年を。       完

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2023/12/22

「キャリア教育」のススメ①(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
 さて現在、各小中学校が地域の特性を生かした「職業体験」や「職常人に学ぶ」という「キャリア教育」(自分の生き方を考え、将来に対して夢や志を持たせるための教育)を実施しています。この教育は今教育界で最も重要視されている教育の1つなので、せっかくですから今週からシリーズで考えていきたいと思います。

 「キャリア教育」のススメ①  監督 齊藤 秀樹

【現在の若者たちの労働観】 
  「仕事に就いて働く」というのは本来、国民の義務です(就労義務)。しかし現在の若者たちを見ていると、特定の職業に就かずに、アルバイト先を転々として、「何とか楽をして稼げる方法はないか。」とか、「お金さえもらえるなら何をやっても平気だ。」とか、「こんな仕事だとは思わなかったので辞める。」というような、労働を気軽な遊び感覚で捉えてしまっているような風潮があるのではないかと心配しています。

 これは何も、急激な社会の変化に伴って、行き先不透明な経済状況を反映した就職選択の多様性が問題だということではなく、もっと本質的な問題ではないかと思っています。
 今の若者たちと話をしていて私がつくづく感じるのが、“労働”というものに対する「執着心のなさ」と「無知ぶり」そして何より「金銭感覚の欠如」です。                                                       
【職業が見えない】
  「職業」と「住居」の分離が進んでいる現在では、自分の親が一体どんな仕事をしているのかが、子どもたちから理解しにくくなっています。このことは同時に、「働くということの実態が、子どもの目には見えにくくなっている」とも言えます。
 例えばスーパーに行って、子どもが買い物をしたとき、レジを打つ人の仕事はある程度理解できるでしょうが、そのスーパーがどのように品物を仕入れ、その品物がどこで作られ、どうやってスーパーまで運ばれてきて、どのようにスーパーの商品棚に並ぶのかは、子どもにとっては見えない「視野外の仕事」ということになります。
 
 そう言えば、何年か前にある先生が「仕事をする父親」という題で、子どもたちに絵を描かせたことがあるそうです。するとその中で「生き生きと働く父親の姿」を描いてきたのは、全て“農業か自営業の父”を持つ子どもに限られていたそうです。反面、サラリーマンを父に持つ子の絵は、窓ガラスを背景にきちっと背広を着て椅子に座り、机の上には、電話とパソコンと書類が置いてある…。という画一的で全く個性のない絵ばかりだったそうです。
 まあ子どもにしてみれば、父親の仕事など実際に見たこともなく、ただ漠然とテレビドラマか何かで見た情景を、オフィスにダブらせて描いただけなのでしょうから、仕方のないことかもしれません。
 このように、現在の子どもたちにとっては、「職業について働く」ということが、大変見えにくくなっています。

【何とかなる】 
    更に今の時代は、中学から高校に進学するのが当たり前になっていますから、子どもたちはここ当分仕事に就く必要はないし、まして大学への進学を考えている子にとっては、遙か10年以上先のことなので、どうしても関心が薄くなってしまいます。
 また、大変恐ろしいことですが、子どもたちは「ただ何となく、どんな仕事に就いても、ある程度の生活はできる。」と安易に考えているところがあります。何不自由なく生活してきた子どもたちにとっては、今までがそうだったように、これから先も親と同じくらいの生活は可能だと信じているようです。                       
                                   つづく

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