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          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

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2025/03/21

SAAっ子よ 大志を抱け(監督から)

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 ‘光陰矢の如し’と言われますが、2024年度も明日が最終日です。活力あふれるすばらしい子どもたちと過ごしたこの一年、あまりにもたくさんの思い出がありすぎてとても一枚には収まりきれません。
 長い間ご愛読いただいたこの「監督から」も今日で最終号とさせていただきます。保護者の皆さんの多大なるご理解ご支援、本当にありがとうございました。

  
SAAっ子よ 大志を抱け  監督 齊藤 秀樹
 昭和の初期に、一握りのエリートたちが、国民の意思をかえりみず、日本を軍国主義へと導き、戦争に突入させました。その結果、日本は敗戦のどん底を味わうことになりました。その反省から、日本人は心のどこかで立身出世を否定し、人間は誰もが生まれながらにして平等なのだから、特定の人間が権力を握ることはよくないという意識を持ってきたような気がします。しかしこの考え方は専制的なリーダーの在り方に問題があるのであって、人の上に立つリーダーはいらないという、「リーダー不要論」ではないと思います。会社でも、学校でも、地域でも人間が何人か集まれば、その中にリーダーシップを取る人が必ず生まれます。したがってリーダーのいない集団とか組織というのは、実際にはあり得ないのです。

 しかし今の子どもたちを見ていると、人の上に立つことを嫌い、他人からできるだけ目立たないように行動し、みんなと上手く合わせることをよしとする傾向があります。そんな子どもたちに「大志を抱け」とか「大きな夢を持て」なんていってもピンとこないことが多いようです。最近の子どもたちに将来の夢や希望を聞いてみると「普通のサラリーマン」とか「のんびりとした穏やかな家庭の主婦」なんて答える子がいかに多いことか。そんな中「大会社を立ち上げ社長になる」とか「総理大臣になって日本を変える」なんて言う子がいると、すぐに「冗談はよせ」「無理無理」なんて笑われ相手にしてくれません。大きな夢を持ち、それに向かってがんばることが悪いはずがないのに…。

 私たち大人は、長い人生をもう半分近く歩いてきてしまったので、今からやり直すことはかなりの勇気がいりますが、たかが10年くらいしか生きていない子どもたちには、これから先、できないことなんかないし、叶わない夢なんかないと思います。可能性は無限に広がっていると思います。言い換えれば、未来に大きな夢を持てるということが子どもの特権と言ってもいいかもしれません。

 世の中には、包丁一本で世界を渡り歩き、アメリカで大人気の和食レストランを経営している人。パリで美容室を開き、大成功をおさめた人。国連に入り世界の人々のために働いている人。…。こういう人を見ていると、日本なんていう小さな枠を超え、出身や学歴なんかに頼らず、自分の頭と体一つで努力さえすれば何でもできるんだなと思います。もちろん派手で大きなことをすることだけが人生の価値だとは思いません。報いられることの少ない職場を必死で守り抜く人や、人のために自分を犠牲にして尽くす人なども、考えようによっては大きな生き方だといえるかもしれません。

 人生の成功者になれる人はほんの一握りかもしれません。しかし子ども時代に立てた“青雲の志”は自分の人生にとって必ず大きな財産になります。小学生のころから夢を持たず、目標達成のための努力もせず、人生をオリてしまっている子どもたちに、小さくまとまりがちな子どもたちに、大きな夢や希望を持たせ、自分の人生は無限に開かれているんだということを教えてあげたい。それが私たちの大人の役割だと思います。
                                    完

09:12 | 投票する | 投票数(68)
2025/03/14

「監督から」総集編(監督から)

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 教育とは一朝一夕で身につくものではありません。毎日毎日の地道な積み重ねが子どもを育て成長させていきます。この作業は丹精込めた植物に、美しい花を咲かせる苦労に似ています。残り一週間で卒業していく6年生の子どもたちには、見事な大輪の花を咲かせて小学校を旅立ってほしいと願います。小学校の6年間で咲かせた花が、これからの人生の中で立派な実や種になりますよう期待しています。さて今週は2024年度の「監督から」に書いた名言(迷言)を今一度振り返ってみたいと思います。

 「監督から」総集編  監督 齊藤 秀樹

・「子どもには無限の可能性がある」私たち指導者の仕事は「子どもの中に秘められた可能 性を、発見し、引き出し、伸ばし、輝かせること」だと思っています。

・「子育て」は「己育て」、「育児」は「育自」、「教育」は「共育」といいます。子どもを育てたり教えたりするには、まずは大人自身が、人間的に幅広く豊かに成長していくことです。また説得力のある言葉というのは、「何を言うか」でなく「誰が言うか」で決まります。

・「競争心」は優劣がつくという厳しい現実の中で、勝利という目標に向かって、少し でも自分を成長させるために、自分の可能性を伸ばすために必要だと思います。

・「教育の可能性を信じる」ことは、必ずしも結果において「平等」を意味するものではないと思います。
 
・「学校は病院ではない。まして警察でも裁判所でもない。学校は勉強を教えるところだ。」

・現在は「成人し結婚して子どもを持てば、自然に親になることができる」時代ではな いと思います。

・勝っても負けても、1位になっても転んでしまっても、成功しても失敗しても、自分 が今持っている力を最大限発揮して、“全力を尽くしてがんばる”ことが大切です。「全 力だからかっこいい」「全力だから美しい」「全力を尽くす姿は人を感動させる」と信 じます。

・子どもに手伝いをさせないというのは「一人前に扱われる喜びを奪っている」ことに つながります。マザーテレサが「人間にとって一番不幸なことは、お金がないことで も、病気になって死ぬことでもない。誰からも相手にされないことだ。」と言っている とおり、学校でも家庭でも、みんなの役に立っているという「存在感」や「有用感」 を持たせることが大切である。 
 
・一昔前の父親は怖くて威厳のある存在だった。人の道に背くことや、人に迷惑をかけ たときはこっぴどく叱られた。また同時に大事な決定のキーパーソンでもあった。進学や就職、一人暮らしや結婚などの人生の選択において、父親に納得してもらうのが子どもにとっては一つの難関だった。

・「いつまでも、あると思うな、親と金」教育の最終目標は子どもの「自立」です。

・虐待や理不尽な要求を繰り返す一部の未熟な親は「子どもとの適切な距離感を持つ」 ことができない親が多い。

・子どものしつけの基本は、「承認」(子どもの考えを受け入れ、認めてあげること)と「拒否」(これだけは断固として認めない、譲らないこと)を明確に使い分けることです。

・「一生懸命頑張ったときは惜しげ無く応援し、怠けたり力を抜いたときはこっぴどく叱る」という「真剣さ」を求めなければ、子どもは決して一流にはなれないと思います。

・子どもを伸ばし、輝かせるのに一番大切な資質は「活力」だと思います。「活力」とは自分から「できるようになりたい。上手くなりたい。強くなりたい。勝ちたい。」という子ども自身が持っている「内側からのエネルギー」のことです。指導者がどんなに熱心に丁寧に教えても、子ども自身に「活力」がないと、子どもは決して伸びません。


08:13 | 投票する | 投票数(121)
2025/03/07

「健康」と「体力」について(監督から)

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   「健康」と「体力」について 監督 齊藤 秀樹       
【健康づくり】
    人間にとって何が一番大切かと問われれば、おそらく「健康」という答えが返ってきます。しかしこの健康観というのは人それぞれで、普段特に意識していない人から、常々健康には細心の注意を払っている人まで様々です。また、年齢、環境、人生経験、社会状況等によっても異なります。そこで今回は「健康教育」という観点から、基本的な概念について書いてみたいと思います。

健康の定義(WHOの定義)
   健康とは「病気でない状態」のことではなく、「身体的」(体)にも「精神的」
 (心)にも「社会的」(人間関係)にも良好な状態のことである。

ヘルスプロモーションの考え方
  「病気にならなければよい」とか「病気になったら医者(専門家)に任せておけばよい」という“消極的な健康観”ではなく、健康は自らがコントロールし、改善していくことで「健康は自分でつくる」という“積極的な健康観”を持つことが大切である。           

  「健康」とは、体の問題だけではありません。「健康な人」とは、体も心も社会的関係もうまくいっている状態の人のことです。また従来の健康分野は、特定の人(病人)に対して専門家(医師)が「病院」で「治療して治す」という医療分野の問題とされてきました。したがってともすると、素人が生半可な知識を人に教えることは危険な行為だとされてきました。その証拠に、例えば生活習慣病の患者が増加しても、「学校がしっかりとした健康教育を行っていないのがいけないんだ。」とは昔は誰も言いませんでした。
 しかし、上記で紹介したヘルスプロモーションの考え方が浸透し、世間に健康志向、健康ブームが起こってからは、「健康は全ての人々(素人)が日常生活の中で、自らつくっていくもの」という考え方が定着してきました。学校では体育の「保健」、理科、学級活動、道徳等で「健康」に関する学習を行っています。しかし学校で得た知識や方法(わかる、できる)を、日常生活の中で実践し、継続する(やる、続ける)のは家庭です。学校と家庭が連携し、心身共にたくましく健康な子をつくっていきましょう。

【体力づくり】

    防衛体力     病気にならない体
               ケガをしない体

 体力   
               筋力(筋肉の強さ、パワー)
    行動体力       持久力(体を動かし続ける力、スタミナ)
               柔軟性(体の柔らかさ)
               敏捷性(素早く動く力)
               巧緻性(リズム感、タイミング)
  
   「彼は体力がある。」とはどういう人のことをイメージして言っているのでしょうか。上図のように「体力」は大きく2つに分類すると、防衛体力(体を守る力)と行動体力(体を動かす力)に分けることができます。また「行動体力」の中身も、大きく5つ(筋力、柔軟性、持久力、敏捷性、巧緻性)あり、どれもバランスよく身についている人のことを「体力がある人」と言います。更に、この行動体力には適時性(発達時期)というものがあり、ピークを100とすると、小学校6年生(12才)の子どもでは、「筋力」は約60%の発達、柔軟性は約80%、持久力は80%、敏捷性・巧緻性は100%というデータが出ています。簡単に説明すると、100%の敏捷性・巧緻性は小学生時代に、体を早く動かしたり、リズム感を育てておかないと、一生身につかないということです。また、筋力はまだ60%の発育時期ですから、小学生の時からあまり早くウエイトトレーニング等をやってしまうと、体の発育が早すぎて、その後伸び悩むことにつながります。一般的な日本人の体力ピークは男子20~22才、女子16~18才といわれますので、どの時期(年齢)にどんな運動をさせることが効果的なのかを考えて体力づくりをすると、運動ができる子に育ちます。

 SAAでは常に将来を見据えて、「今、子どもに必要な体力は何か。」(発達特性の適時性)を考えた指導を行っています。


13:56 | 投票する | 投票数(158)
2025/02/28

「命の原点」を伝える(監督から)

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 「命の原点」を伝える  監督 齊藤 秀樹
 
 私が学級担任時代に毎年必ず行っていた「命の授業」について、今週は久しぶりに紹介してみたいと思います。

 「みんなの命が今ここにあるのはどうして。」「お父さん、お母さんが産んでくれたから。」「じゃあお母さんの命は。」「おじいちゃん、おばあちゃんがいたから。」…このように命をさかのぼっていくと最後には「人間の命の始まりは?」にぶつかります。そこで考古学で明らかにされている人間の命の始まりが、今から二千万年前の猿人であることを教えました。次に自分の生きてきた10年と人間の歴史を分かりやすく比べるために、二千万年を2mとすると子どもが生きてきた10年は0.001㎜ということになり、砂つぶの1/10ほどしかないことを教えました。この針でつついた位の長さから考えると、人間は現在に至るまで、生まれ、育ち、死んでいくという繰り返しを数限りなく重ね、その上に今の自分がいることを、命はずっとつながっていることを伝えました。

 次に「自分の歴史をさかのぼろう」ということで、現在4年生、「3年生の頃は何があった。」「1年生の頃は」「幼稚園、保育園の頃は」…を思い出して振り返らせました。「車にはねられそうになった」「ブランコから落ちて大ケガをした」「おたふく風邪の時高熱が出てすごく苦しかった」…今まで様々なことがあったでしょう。もしその時に命を失っていたら、今の自分はここにいなかったことを、お父さんやお母さん、周りの人々がみんなを大切にし、みんなの命を必死で守ってきてくれたことを話しました。
 では「みんな命が誕生したのはいつ?」と聞くと、「10年前の誕生日」と誰かが答えたので、すかさず「それは違う」と否定し、「みんなの命は誕生日の前にも、お母さんのお腹の中で10ヶ月あったんだよ。」と教えました。みんなが10ヶ月入っていたこの部屋を「子宮」と言い、「子どもの宮殿」という名前が付いています。、ふわふわしたとても居心地のいい部屋だそうです。その中で2ヶ月目にはたったの2.5㎝、5ヶ月目でやっと20㎝、10ヶ月たつと身長約50㎝、体重3千グラム位に育って、やっとお母さんのお腹から出てきたんだよ。その日がみんなの誕生日ですと教えました。

 女性の体というのはとても不思議なんだけど、普段は指が1本か2本入るかどうかの狭い子宮の出口だけど、赤ちゃんを産むときにはちゃんと開くんだそうです。でもこんな頭が通るくらい大きくなるんだからやっぱり痛くて大変なんだって。お母さんはみんなが出てくる頃になると「陣痛」っていう痛みがきて、それが30分おきとか、10分おき、3分おきと間隔が縮まって、もうじき生まれるっていう時には、お母さんは体中が壊れるんじゃないかと思うくらいの痛みに耐えて、これ以上出せないくらいの力を入れて、みんなが完全に出てくるまでがんばるんです。そしてこの苦しみを乗り越えてようやく生まれた赤ちゃんの顔を見たときは、言葉にできないくらいの感動を味わって涙を流して喜ぶそうです。みんなはそうやって生まれてきたのです。今度お母さんにその時のことを聞いてみてください。という話をしました。

 現在の子どもたちは、おじいちゃんおばあちゃんと暮らさなくなり、兄弟が減って赤ちゃんを知らず、人間の生や死に鈍感になっています。自然の中での体験が減り、住宅事情からペットを飼う自由も奪われてしまいました。同時に無差別殺人事件や自殺、親殺しや子殺し(虐待)等のニュース、世界中ではテロや紛争が相変わらず続いています。 こんな時代だからこそ、かけがえのない命、不思議ですばらしい命を伝える必要があると思います。そして命をダメにするものに対して、勇気を持って闘い、自分の命、他人の命を大切にできる、そんな人間に育ってほしいと心から願っています。

 この学習をした後には、数多くの母親から「先生ありがとうございました。」なんか子どもがとても素直になって、親子関係がすごく良くなりました。という嬉しい感想をいただきました。ぜひ話題にしてみてください。

07:19 | 投票する | 投票数(212)
2025/02/21

子育て講座③「母親の孤立」(監督から)

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 子育て講座③「母親の孤立」 監督 齊藤 秀樹
 2週にわたり昨今の親たちの中に、極端で唖然とするような行為や未熟さが見られる状況を、「児童虐待」や「モンスターペアレント」を事例にあえて紹介してきました。もちろん多くの親はそうではないし、現在SAAが親の対応に困っているというわけでもありません。しかし一部の親の中に首をかしげたくなるような親が実存し、その数が年々増えていることは事実です。今回はその背景と原因について考えていきたいと思います。

    誤解を恐れずにいえば、現在は「成人し結婚して子どもを持てば自然に親になることができる」時代ではない思います。これは何も、現在の親たちが急に理性を失ったわけでも、忍耐力が無くなったわけでも、人間性が劣っているわけでもありません。また反対に、昔の親たちが人間ができており、すばらしい人ばかりだったわけでもありません。この問題は、親個人の問題というよりは、もっと社会的な問題として考える必要があります。その中でも、虐待や無理難題要求を繰り返す親には実はある共通点があります。それは、身内や地域との人間関係が希薄な(人付き合いが少ない)親が多いという特徴です。そこで今回は「母親の孤立」という視点で考えてみたいと思います。

【祖父母との距離】
    かつては親と同居するのが普通の時代でした。実親だろうと義親だろうと、否応なく毎日顔を合わせる環境の中では、母親が孤立することはありませんでした。また婚姻が近隣同士なら同じ町内や市内に親が住んでいて、簡単に行き来できる距離にいました。しかし今の親は心理的に祖父母と距離をおきたがっており、干渉を受けたくないという人が増えています。かつては親は息子や娘の子育てに手を貸していたし、息子や娘もそれを歓迎していました。しかし今は「お母さんは黙っていて。放っておいて。私の子どもなんだから。」といって、「自分が親だ」という立場で「子育てに口を出さないでほしい」と子どもを抱え込む親が増えています。我が子に対して責任感や愛情を持つことはいいことですが、子育て経験者(親学の先輩)からの助言や評価は本当に必要ないのでしょうか。

【父親の存在】
 ワークライフバランス(仕事と生活の調和)が推奨されて久しい。仕事だけでなく家庭に費やす時間や余裕を確保することが重要だといわれます。コロナ下以降、在宅勤務やテレワークが増えてきたとはいえ、多くのサラリーマンは、実際には「一番は仕事、家庭は二の次」「家庭サービスをしている暇があれば、出勤して人一倍仕事をする」という高度成長時代から続く昔ながらの労働環境は根本的には変わっていないのではないかと感じます。これは家庭内での父親不在ということです。
    父親不在の陰で妻たちは孤立しています。両親から離れ、日中は子どもと過ごし、夜は夫の帰りを待つ。しかし夜遅く帰宅した夫は疲れ切っている。「仕事で疲れているから休ませてほしい」という言い分で、妻の一日の出来事を聞いたり、子育ての相談に乗る余裕はない。たまの休日にしか相手にしない子どもはかわいらしく、手間のかかる子どもには見えない。だから「そんなことは自分で何とかしろ」となってしまう。孤立した母親は子育ての苦労やストレスをますますため込んでしまうことになります。

【地域社会の崩壊】
 今の母親にとって「ご近所さん」とは、心理的にかなり距離の遠い存在です。顔を合わせても軽く会釈する程度で、立ち話もしない。まして自分のプライバシーの話などには決して踏み込まない。中には家は接しているのに名前や顔を知らない人もおり、離れて住んでいる昔の友人の方がよほど仲が良かったりする。若い母親たちはかつてのような密接な近所づきあいをしていない。近所に本音で語り合える相手、困ったときに相談できる相手、身近な心のオアシスは存在しないというのが現実ではないでしょうか。

    母親が孤立する原因はまだいくつも考えられますが、孤立することがどう子育てに影響するかを簡単にいうと、子どもとの「適切な距離を保てなくなる」ということです。孤立しているとストレスがたまったときの吐き出し口がない。昔は近所の人に子育ての相談に乗ってもらえた。親だって聖人ではないし、がまんできないこともある。そんな時、他人に話を聞いてもらうだけでずいぶん楽になる。また自分の子育てのやり方を他人に見てもらう機会がない。第三者の目で批判してもらったり、ほめてもらえない。更に「それはいいこと、悪いこと」といった客観的な評価は、子どもとの二者関係だけで生活していては生まれにくい。このように現在は、親としての成長を助けてくれる機会や可能性が、極端に減ってしまっているのが現実ではないかと思います。

07:04 | 投票する | 投票数(270)
2025/02/14

子育て講座②「学校への要求」(監督から)

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子育て講座②「学校への要求」 監督 齊藤 秀樹

 「全くあの親は、自分の子どものことしか考えていない。」現在、多くの学校の職員室で、電話を置いた教師から漏れる言葉の1つです。私はそんな姿を見るといつも、「保護者の要求というのは裏を返せば学校や教師への期待でもある。そうでなければあきらめて何も言ってこなくなる。親というのは教育の専門家ではなく素人なんだから、他の子の様子もわからないし、客観的な判断もできないことが多い。だからどうしても我が子のことだけを中心に考えてしまうものだ。しっかり話を聞いて要求の主旨をつかみ、丁寧に対応してあげなさい。そして少しずつ視野が広がるように、学校の役割や仕組みを理解してもらう努力をしなさい。」と言っています。
 しかし近年どうしても受け入れられない親からの無理難題要求(イチァモン)が増えてきている気がします。今回はそのことについて考えていきます。  

 2008年にフジテレビで放映された「モンスターペアレント」というドラマが当時世間の注目を集めた。米倉涼子扮する敏腕女性弁護士が某市の教育委員会に派遣され、親のとてつもなく理不尽な要求、言動に正論で対抗するという物語だ。その中で、ある一人の母親が若手教師に対して執拗に文句を言い始めた。何でも我が子が日曜日にクラスの友だちと公園のジャングルジムで遊んでいた際、誤って足を踏み外し、地面に転落してケガをしてしまった。そのためしばらくの間学校を休まなければならなくなったそうだ。そこで母親の要求は「うちの子だけ勉強が遅れるのは不公平だから、学級閉鎖にしてほしい」というものだった。更に「学校は休日でも子どもたちの管理に責任を持つべきだ」にエスカレートし、つまり「うちの子がケガをしたのは学校の責任」だという主張です。まさに開いた口がふさがらないとはこのことである。おそらく多くの視聴者は、これはドラマだから大げさに脚本して…と思っただろうが、私には現在の親のあり得る一面を反映しているように思えてなりませんでした。 

  学校現場に寄せられるクレームや無理難題要求は多種にわたる。このことを紹介する刊行物も多数あるが、今回は私が今までに経験(担任、管理職、行政)したり、身近な現場の教師が実際に遭遇して困っていた事例を中心に紹介してみたいと思います。

・給食費を払わない親に払ってもらうようお願いしたら、「頼みもしないのに強制で給食を食べさせられている。」もし払えと言うなら「もっとましなものを食べさせてほしい。」「自分の子だけ別メニューにしてほしい。」…。
・授業に対して「うちの子は算数が好きだから、音楽や図工はやらずに算数の時間にあててほしい。」「塾の教材を使って授業してほしい。」「受験に関係の無い教科は自習にしてほしい。」
・うちの子の悪口を言っている子がいる。すぐに転校させてほしい。うちの子はデリケートなので、けっして叱らないでほしい。担任との相性が悪いのですぐ代えてほしい。
・うちの子が塾帰りに交通事故に遭った。これは学校が悪い成績を付け、塾に行かざるを得なくなったからだ。
・うちの子はきれい好きなので職員トイレを使わせてほしい。学校の清掃は業者がするべきだ。子どもにやらせるな。
・義務教育は無償なので、野球の試合で使ったユニホームは学校が洗濯しろ。
・学校の対応が悪いので、私立学校へ転校させる。私立学校の費用は市長が負担しろ。
・自分の子が親の言うことを聞かないのは、学校の指導が悪いからだ。  …。 

 いかがですか。現在の世の中の風潮なのかもしれないが、これらの要求を見ていると、あたかも商業サービスの消費者行動によく似ている。高いお金を払って買った商品が不良品だったときのクレームのように、教育現場のあれこれについて、いとも簡単に学校を責めるようになった。少しでも損をさせたら許さないという主張である。
 さて、前述のドラマのタイトルですが、「モンスター」とは怪物のことで、「ペアレント」とは親のことである。この和製英語を文字通り解釈すれば「怪物のような親」という意味になる。学校ではどうにも対応できないクレームをつけたり、異常なまでに我が子のみをかわいがり、他の子はどうでもいい、関係ないという利己的な主張で、とてつもない言動を繰り返すことから、学校現場から恐れられこの呼称で揶揄されている親のことである。
  2週にわたり現在の親の様々な行動や実態について書いてきましたが、次週からはその背景と原因について考えていきたいと思います。                つづく


07:23 | 投票する | 投票数(317)
2025/02/07

子育て講座①「児童虐待」(監督から)

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 子育て講座①「児童虐待」 監督 齊藤 秀樹
 まず「子育て講座」等というタイトルをつけると、「子どもを教育するのはわかるが、親も教育が必要なの?」という人がいます。しかし「子育て」は「己育て」(自己)、「教育」は「共育」、「育児」は「育自」(自分)という言葉があるとおり、子どもを育てるとか教えるというのは、子どもの成長はもちろんですが、むしろ教えている大人自身が学び成長することが大切だと思っています。例えば、子どもが親を信頼するには、親が子どもから信頼される力をつけることだと思うからです。

 さて皆さんは「児童養護施設」という所が全国各地にあることを知っていますか。児童養護施設というのはそもそもは「孤児院」という呼称でした。つまり孤児(親が一人もいない子)が生活する施設でした。しかし現在、児童養護施設で暮らす子どものうち孤児は全体の1割弱しかいません。つまり9割以上の子には親がいます。なのになぜ子どもは親と一緒に生活することができないのでしょうか。子どもたちの入所理由で最も多いのが「児童虐待」です。親がいるのにその子の生命や安全が保証できない。だから親と離れて暮らすことを余儀なくされているのです。

 「親は子どもを守り保護する存在である」とは、ごく普通の当たり前の言葉ですが、これがどの親にも当てはまるとは限りません。なかには子どもの身の安全を脅かし危害を加える親たちがいます。これを「児童虐待」と言います。2024年末に児童相談所に届けられた全国の虐待件数は実に21万9千件に上り、毎年増加しています。

 児童虐待をいくつかの類型に分けてみると次の通りです。
①「身体的虐待」…子どもを殴ったり、蹴ったりする暴力行為。        
②「心理的虐待」…言葉による脅し、無視、子どもの前で家族に暴力(DV)をふるう。
③「性的虐待」…子どもへの性的行為、児童ポルノの被写体にする。
④「ネグレクト」…食事を与えない、家に閉じ込める、病院に連れて行かない等。

   この中で最も多いのが「心理的虐待」です。暴言などで心に深い傷を負わせる。子どもは愛されていない、生まれてこなければよかったという深い悲しみに陥り、劣等感や無力感に悩み、自傷行為や破壊的行為に走ることも多いです。

 心理的虐待の次に多いのが「身体的虐待」です。子どもが言うことを聞かないから殴ったり、蹴ったり、熱くなったやかんやフライパンを押しつける、高い高いをしてわざと床や畳の上に落とす。我が子にここまでするのかと目を覆いたくなる惨事が多発しています。次に多いのが「ネグレクト」です。ネグレクトとは親として行うべき養育や監視をせずに、子どもを放ったらかしにしておくことです。子どもに食事を与えない、子どもを置いて長期に家を出てしまう等がこれにあたります。2004年に実話に基づいたYOU主演の映画『誰も知らない』が上映され、世間に衝撃を与えました。夫のいない母親は4人の子どもを抱えているが、あまり家には帰ってきません。たまに帰ってきたかと思うと、深夜遅く酔っぱらって、眠っている子を無理矢理起こし、母親とは思えないなれなれしさで子どもに接する。そして子どもにはアパートから一歩も出ないよう命じ、子どもたちはそれを従順に守り続ける。ある日母親は少しの金を置いて家を出てしまいます。ある男性と暮らすためです。子どもたちはいつか母親が帰ってくると信じながら、毎日を生き延びます。やがて水道が止められ、風呂にも入れず、水も飲めなくなってしまいます。しかし近所の公園で水を汲んでくることを覚え、残り少ないお金で買ったカップラーメンに公園の水を入れて皆で分けて食べる。そんな生活を続けていきました…。繰り返しますがこれは実話に基づく話です。

 今回紹介した親たちは、残念ながら現在一定数存在します。未熟で親と呼ぶに値しない大人がなぜ出現したのか。これからシリーズで考えていきたいと思います。つづく

13:30 | 投票する | 投票数(365)
2025/01/31

がんばれ先生方(監督から)

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 がんばれ先生方     監督 齊藤 秀樹

 子どもには無限の可能性があります。子どもは誰でもよい芽を持っています。私たち教師の仕事は、“子どもたちの持っている可能性やよい芽を、発見し、引き出し、伸ばし、輝かせてあげること”だと思っています。

 さて私は常々「子どもたちを輝かせるには、まず先生方が輝かなければならない」と思っています。学校の活力の原点は「活力ある先生方」の存在です。
 先生方が生き生きとして元気な学校は、子どもたちも元気です。元気な子どもたちが生き生きとした活力ある学校をつくります。そして活力ある学校には必ず活力ある先生方が生まれます。

 では先生方が、いつも元気に生き生きと(活力)働ける学校とは、どんな学校(職場)なのでしょうか。何事もうまくいっていて、課題もトラブルもなく、取り立ててやるべきこともない、楽な職場のことでしょうか。私はそうは思いません。
 なぜなら、様々な課題を解決していくことが学校現場の本質だと思うからです。何一つ解決するべき課題がないならば、少々大げさな言い方をすると、学校そのものが必要なくなります。これは、事件や犯罪が存在しない社会なら警察はいらず、世の中に病気やケガが存在しなければ病院もいらないというのと同じ理屈です。

 勉強ができない、運動が苦手だ、人と上手く付き合うことができない、悪いことをして人に迷惑をかけるなど、未熟な存在だからこそ子どもたちは様々な課題を持っています。この課題を解決するには、時間も労力もかかりますが、こうした子どもたちと真正面から向き合い、丁寧に粘り強く教え、育て、共に考え、汗を流すことで、できなかったことができるようになり、子どもの変容や成長が実感できたときに、教師のやる気は最高潮に達し、「やった。よっしぁー。」という成就感、達成感を味わうことができるのです。そもそも学校とはそういう職場であり、そこに学校という存在価値があります。

 しかし残念なことに、近年「教師は多忙だ」という面がクローズアップされ、今までにはなかった多忙さによる負担感によって心身を壊してしまう教員、志半ばで辞めてしまう教員が、増加の一途をたどっています。また最近は教師の仕事はブラックだという風潮が高まり、教師という仕事に就きたがらない「教員不足」という状況が大問題になっています。確かに教師という仕事は、境界線のない職務といわれるように、朝から晩までいくら働いても、一切残業手当も付かない特殊な職業です。

 私は「多忙」という言葉には2つの意味があると思っています。1つ目は「物理的な多忙さ」で、とても職務時間内では自分の能力ではやりきれない程の仕事量がある状態のことです。2つ目は「精神的な多忙感」で、自分の仕事にやる価値が見い出せない、やりたくもないことをやらされている等の「やりがいのない忙しさ」のことです。この必要感のない仕事への「負担感」や、自分のやりたいことができない「不満感」こそが、教師の活力を減退させる「多忙感」の正体です。
 
    私たちの教師の願いは、ただ一つ「子どもがよくなること」です。勉強でもスポーツでも人付き合いでも何でもかまいません。子どもの中に眠っている可能性を発見し、引き出し、伸ばし、輝かせ、自信を持たせることができれば、自分の仕事にやりがいと充実感が持てます。どんなに忙しくても、今の仕事に「やりがい」と「充実感」を持っている教員は、常に元気で生き生きとしています。そしてあまり「多忙感」を感じません。

 私が校長時代に教師のやる気を引き出し、活力ある学校を創るために大切にしていたことは…。
①教師がめざすのは「子どもをよくすること」という共通の価値観を持たせること。
②学校が何をめざし、どこへ向かおうとしているかを明確に示すこと。
③教師の全力こそが、全力を尽くしてがんばる子どもを育てるということ。           
④常に組織の中で「役立つ存在」として認められるよう心配りを忘れないこと。
⑤「学校としての判断や決断の責任は全て校長が取る」ことを宣言し、教師が安心して 子どもと全力で向き合える職場をつくること。

 がんばれ先生方。皆さんも応援してください。                     
                                                                              完

08:10 | 投票する | 投票数(430)
2025/01/24

「イチロー思考」について考える(監督から)

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 先日、アメリカの大リーグで活躍し、アメリカ野球の殿堂入りを果たしたイチロー選手を、新人時代から追い続け、その考え方や人物像について多くの著書を残している鹿屋体育大学の児玉教授の「イチロー思考」という講演を十数年前に聴き、当時大変勉強になった話を、久しぶりに思い出しましたので、今回はそれを紹介し、彼の成功の秘訣について考えてみたいと思います。

イチロー思考」について考える  監督 齊藤 秀樹

 今回は彼の持っている2つの力を中心に書いていきたいと思います。
【持続力】
   よくイチローを天才だという人がいますが、イチロー本人は「自分は天才ではないし、天才なんて言われたくない。」と言います。彼は小学校5年生の時から父親に連れられてバッティングセンターに毎日通い、現役を引退するまで血のにじむような努力を積み重ねてきました。本人曰く「自分はバットを振るのは好きではないが、振り続けていないとヒットが打てなくなるので、毎日振り続けている」そうです。そもそも天才というのは“努力しないですごいことができる人”のことで、イチローは長年誰よりもたくさんバットを振り続けてきた「努力の人」ということになります。彼を見ていると「質より量を稼ぐこと(たくさんやること)が大切」だということ。「努力は裏切らない」ということ。そして何より「一番うまい人が一番努力したら誰もかなわない」ということがよくわかります。

【モチベーション(やる気)】
   1つのことに熱中するためには「モチベーション」(やる気)を高め、維持し続けることが大切だと言われています。一般的にモチベーションを高めるためには「外発的動機」と「内発的動機」の2つがあります。

 「外発的動機」というのは、①「金銭報酬」(その結果に見合っただけの金銭がもらえること)、②「地位」(実力や結果に見合った地位や役職がもらえること)、③「責任」(役立つ存在として頼られ、責任ある仕事を与えられること)等が考えられます。

 それに対して「内発的動機」というのは、簡単にいうと「自己実現を図る」ことで、目標に向かって努力し、それを達成させる喜びのことです。イチローのモチベーションの根底は、何といってもこの「自己実現」へのこだわりです。完璧なバッターになりたいという思いから、彼は常に究極の自分を追い求めていました。9年連続200本安打という大リーグ記録を塗り替え、日本人としては前人未踏の4367本安打(世界記録)を達成した時でも、「もっと上手くなりたい」と日々思っていたそうです。

   ある研究によると、「モチベーション」と「目標設定」の間には相関関係があるそうで、簡単に達成できる低い目標や絶対に達成できそうもない高い目標を設定してしまうと、モチベーションは極端に落ちてしまいます。一番いいのは、もう少しがんばれば達成できそうな目標(60%達成可能)の時が、一番モチベーションが高くなるそうです。

 しかしイチローの場合は、達成可能な目標ではなく、遙かに届きそうもない高い目標設定することで、究極の自分を創り上げようとしていました。私たち一般人にはなかなかできないことですが、“一流になるということは、高い遠くの目標を持ち続けること”なのかもしれません。

 さて、我が子を将来一流のアスリートや芸術家にしたいと考えている方は多いのではないでしょうか。「努力の大切さ」「自己実現へのこだわり」「目標を持つこと」等のイチローの生き方や考え方は大切なヒントを与えてくれています。

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2025/01/17

思春期の子の育て方②(監督から)

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「思春期の子の育て方」②  監督 齊藤 秀樹  
【思春期~青年期での親の在り方】
 先週は思春期の子どもの扱いや育て方で保護者の方が一番悩むのは、なかなか素直に言うことを聞かない、反抗的な言動が出てくることだと書きました。しかし発達心理学からすると「思春期に子どもが親に反抗するのはある意味当然であり、反抗しない方が心配である。」と考えます。したがって「うちの子には反抗期がない」ことを誇らしげに自慢する必要はないし、それがよい親子関係だとは必ずしも言えません。
 この時期にしっかり親離れしないと子どもはいつまでも独り立ちできないし、親も子離れできなくなってしまいます。
 
 この時期の子どもは「自分とは何者か」という“自分探しの旅”を始めます。自分はどんなものが得意でどんなものが苦手なのか。どんな個性や能力を持っているのか。今どんな生活を送り、どんな人たちとつき合いがあるのか等を手がかりに自分自身を理解していきます。そして自分が今まで生きてきた人生を振り返り、時に否定し、自己を再構築していきます。その自立のためのエネルギーが、今まで何でも言うことを聞いていた親への「不服従や反抗」という形で現れるのです。

 ではこの反抗期に親からの自立や子離れがうまくいかないと、その後どんな影響が出てくるのかについて考えていきたいと思います。
 まず1つ目は、エネルギーが家庭の外に向けて発散されるケースとして「非行や犯罪などの反社会的行為」となって現れることがあります。親との葛藤があるにも関わらず、その不満が親に直接向くのではなく、社会や世間に向けられ非行、犯罪という形で現れる場合です。
 2つ目は、とても悲惨な結果として起こりうる「家庭内暴力や親殺し」というケースです。本当は一人前の人間として認めてもらいたいのに、上手く関わってもらえない(相手にしてもらえない)。そのやり場のないネガティブな思いが、親に暴力的に向けられてしまいます。子どもは親を傷つけたり殺したりすることで親を乗り越え、自己を確立しようとする場合もあります。
 3つ目は、親との関係の不満が子ども自身の内側にたまるというケースです。そのよい例が「引きこもり」です。家から何ヶ月も何年も外に出ないで家の中にいる。そして家にずっといながら、インターネットなどのメディアとのみ外部とつながる。食事は親から与えてもらうが、生活や趣味には干渉させない生活を送るという場合です。
 これは、親が自分を独立させてくれない結果として現れる現象の一つです。外とのつき合いを持てずに、親のなすがままに育てられ大きくなった弊害といえるでしょう。

   もう一つつけ加えると、現在は自立して大人になるまでの時間(青年期)が非常に長くなっているように感じます。20才(18才)で成人になることは変わりませんが、例えば就職、結婚、子育て、持ち家は一昔前に比べて確実に遅くなっています。「自分探し」がなかなか終わらずに長い年月を費やす若者が増えています。「パラサイト・シングル」と揶揄されるように、いつまでも独身でニートやフリーターを続けながら親に「寄生」している若者は現在も少なくありません。
    更に、皆さんは1992年のTBSで放映された「ずっとあなたが好きだった」というドラマを知っていますか。主人公の佐野史郎扮する中年の「冬彦さん」は、いつも従順に母親の言うことを聞きます。この母親は息子の結婚生活に干渉し、妻よりも率先して愛情表現をし、独立して家庭を持った息子の生活に平気で割り込んでいく。当時は多くの視聴者から「気持ち悪い」「異常な関係だ」と騒がれたほどの親子関係でした。
 
  「いつまでも あると思うな 親と金」といわれるように、子育ての最終目標は子どもの「自立」です。特に思春期から青年期にかけては、子どもにやたらとべたべたしない方がよいし、事細かに親の考えを押しつけて、子どもの主張を抑え込み、親の前で「よい子」を演じさせてはいけません。これは非常に危険であり、ふとしたきっかけて思いもよらない行動に発展しかねない可能性を持っています。思春期以降の子育てで一番大切なことは、発達段階や年齢に応じて「子どもとの適切な距離感を持つ」ことだということを覚えておいてください。


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