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「しつけ」について考える④(監督から)日誌10/17 06:44

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U13CHIBA U13 ATHLETICS MEET日誌10/20 21:01

          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

日誌
123
2024/10/17

「しつけ」について考える④(監督から)

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  「しつけ」について考える④        監督 齊藤 秀樹

 先週は「しつけ」の基本として、まず“子どもの人格を認め、一人前の人間として扱うこと。そして、温かく受け入れてあげること。”でまとめました。
 さて、この本ではこの後も第2、第3の課題が次々に専門家から出されます。その中には、「どんな理由があってもお金を与えてはならない。」とか、「門限を決めて、それを破ったら、絶対に家の中に入れてはいけない。」というようなかなり厳しい課題が入ってきます。これを読んでいると、前回の“子どもを認め、受け入れろ”という内容と矛盾するように思いますが、それは違います。
 “子どもの人格を認め、受け入れろ”というのは、「まず、それをやれ。」ということで、決してズルズルと子どものわがままを通して、言いなりになれということではありません。たとえ家の中であっても、一つの共同体(小社会)として社会的規範(ルール)というものがあり、これを厳しく守らせることはとても大切なことなのです。
 この本を通して私たちが学ぶことは、『承認』(子どもを認め、受け入れてあげること)と、『拒否』(認められないことは、断固認めない、許さないこと)という2つの態度を、はっきりと使い分け、常に示し続けることが大切な教育(子育て)であり、これが“しつけ”の根本であるということです。
    実はこの本は、よく先生方の生徒指導研修会や保護者の家庭教育学級などで取り上げられています。私自身も何度となくこの話をしてきましたが、講義の後の参加者の質問の中でいつも一番多いのが、「承認」と「拒否」の境目、即ち「どこまでは認め、どこからは許さないのか」という判断が難しいという相談です。
 結論から書きます。私は‘親がよいと思ったことはよいし、ダメだと思ったことはダメ’なのだと思います。子どもの善悪の判断とか規範意識というのは、幼少時から言われ続けることによって、意識の中で形成されていきます。社会の変化に伴い個人の価値観が多様化する中で、個性化、自由化、子どもの人権…が尊重されるようになると、「自由でしょ。勝手でしょ。関係ないじゃん。放っといて。」という子どものわがままな主張が、当然認められるべき権利であるがごとく子どもたちの口から次々と出てきます。しかしこれに対しては、「ダメなことはダメ」「家ではダメ」「お父さんはダメ」(※注①)と堂々と言えばよいのです。
 そんなこと言ったって、なかなか子どもは素直に言うことを聞いてくれないという方もいるでしょう。確かに一昔前は、親の尊厳とか威厳というものが、社会の中でしっかりと認められ定着していましたが、今の時代はそれだけでは難しいかもしれません。
 親の方も子どもに「信頼される親」「尊敬される親」になる努力をしなければなりません。その原点は何といっても‘子どもへの理解と愛情’です。「あなたのことはわかっている。そして誰よりもあなたを愛し、大切にしている。」という根っこがあって、初めて成り立つものです。
 人間が人間を育てるのですから、“何を言うかより誰が言うか”によって、その影響や効力は全然違ってきてしまいます。大切なことは「誰が」の「誰」(※注②)になれるかどうか。これが勝負です。
 “大人は正しいことを教えてくれる存在。正しいことには逆らってはいけない。”ということを、今一度しっかり子どもたちに認識させることが大切だと思います。

※注①…お父さんが「ダメ」と言うことを、お母さんが「よい」と言ってしまっては子    どもに正しい善悪の判断力がつきません。よく話し合い共通理解をして、子ど    もの前では常に同じ方向(方針)でしつけることが大切です。

※注②…大変言いにくいのですが、平気で赤信号を横断したり、列を無視して割り込ん    だり、他人の悪口・陰口を言ったりする大人は、決して「正しい」「誰」にはな    れないと思います。特に思春期を迎え、日々大人の言動に対してシビアな目で    見ている子どもの前では厳禁です。                         完


06:44 | 投票する | 投票数(26)
2024/10/11

「しつけ」について考える③(監督から)

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 「しつけ」について考える③         監督 齊藤 秀樹

 それでは前回のお約束通り、専門家からの5つの助言(課題)について詳しく説明していきたいと思います。

 まずは、第1の助言「子どもと話し合いをしてはいけない。」についてですが、これは「非行」に走ってしまった子を持つ親というのは、口を開けばそれが全て“説教”になってしまうからです。子どもが思い通りにならない、どうしたらよいのかわからない、でもこの子を何とかしたい、という思いが強ければ強いほどそうなってしまいます。しかし、子どもは自分のやっていることが「悪いこと」「してはならないこと」だということは百も承知です。わかっていながらわざとやったり、やめられなかったりするのです。それならば、非行に関することでなければいいじゃないかと思うでしょうが、専門家はおそらく、この親はそれを区別するのが難しいと判断したのだと思います。つい他の話題から、その子の考え方や態度、行動への批判が始まり、それがお決まりの“説教”に発展し、ついには最もいけない“否定”につながってしまうことを恐れたのだと思います。
 しかし、「一切話をするな。」では、子どもとの接点が全くなくなってしまいます。そこで「話しかけてきたら相づちを打て。」と、第4の助言の「日常のあいさつは親の方からしろ。」が出てきます。

 子どもにとって、説教じみたことは一切言わず、顔を合わせたらあいさつはきちんとしてくれて、話しかけたら愛情を持って相づちを打ってくれる親。なんていい親なのでしょう。

 まずは親子関係の一番の基本として“子どもを認め、温かく受け入れ見守れる親になれ”ということなのでしょう。これに関してはおそらく異論もあるでしょうが、この一家のように、いわゆる「支配的な親」(いつも口やかましくて、自分の考えを細部まで持ちすぎている親。子どもの主張を抑え自分の型に押し込もうとするタイプの親。)にとっては、この助言はピッタリだと思います。

 次に第3の助言「他人を巻き込んではいけない。」と、第5の助言「いかなる友人からのいかなる内容であっても、本人に正確に伝えなければいけない。」についてですが、これは簡単に言うと“子どもの人格を認めろ”ということです。この本の中にも、悪い友人からの電話に対して、メモを取り、必死の思いで娘に伝える親の姿が度々出てきますが、たとえ「非行」に走ってしまった悪い子であっても、その子はその子なりに一人の人間として生きており、家の外での人間関係やつきあいを持っています。そのことは、一つの人格として認めてあげなければならないということなのでしょう。

 今回の専門家が出した最初の課題(助言)は、一言で言えば“子どもの人格を認め、一人前の人間として扱うこと。そして、子どもを温かく受け入れてあげること”が、まずは「しつけ」の第一歩(基礎基本)であるということです。
                                                                 つづく

07:54 | 投票する | 投票数(58)
2024/10/04

「しつけ」について考える②(監督から)

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  「しつけ」について考える② 監督 齊藤 秀樹

 皆さんは『積木くずし』という本をご存じですか。今からかれこれ30数年前、中学生の「非行」が社会問題として世間を騒がせていた頃に出版され、300万部を超える大ベストセラーとなりました。この本は、ある有名俳優が非行に走った我が子を主人公に書かれたもので、その後テレビドラマ、映画、リバイバル版…が次々に出ましたので、ご存じの方もいるのではないでしょうか。

 では、なぜこの本がこんなにも当時の親たちを夢中にしたのでしょうか。それは有名人が書いたからというより、親たちの中に「もしかしたら近い将来、家の子も…。ひよっとしたら明日にでも我が子が…。」という子育てへの不安が、とても他人事とは思えなかったからではないでしょうか。この本の中では、日に日に非行の度合いが激しくなる我が子と、その娘の一挙手一投足に戸惑い、悩み、オロオロするばかりの親の姿がしばしば出てきますが、これを読んでいくうちに、いつしか登場する親の姿と自分の姿を同一化し、「自分だったらこういう時にどうするか、どう扱えばいいのか、対処はできるのか…。」を一緒になって考え、探し、悩みながら読んでいったのでしょう。

  しかし、私がこの本の中で一番興味を惹かれたのは、実は親と娘との葛藤場面ではなく、親が娘のことで相談に行ったカウンセリングの専門家(警視庁の心理鑑定技師)からの助言と、この助言を必死に守ろうとする両親との闘い場面でした。実はこの専門家からの助言というのは、両親にとっては「こんな馬鹿な。こんなことできるはずがない。」というものばかりだったのです。

 では、専門家からまずはじめに出された助言を紹介します。 

助言1…「子どもと話し合いをしてはいけない。」(親の方からは絶対に話しかけてはいけない。もし子どもから話しかけてきたら、相づちだけを打て。しかし決して意見を言ってはいけない。)

助言2…「子どもに交換条件を出してはいけない。また、子どもからの条件も受け入れてはいけない。」

助言3…「他人を巻き込んではいけない。」(どんなに悪い友人から娘が被害を受けても、決してその友人の保護者に抗議したり、会って相談したりしてはいけない。)

助言4…「日常のあいさつだけは、親の方からきちんとしろ。」(それに対して、娘がしなくても叱ってはいけない。)

助言5…「友人からの連絡があった時は、それがいかなる悪い友人からの、とんでもない誘いであっても、本人にその通り正確に伝えなければならない。」

 いかがですか。専門家がこの親に何を求めているのかわかりますか。実はここからがおもしろいのですが、今週はここまでにします。次週はこの助言に込められた意味を説明していきます。

15:12 | 投票する | 投票数(94)
2024/09/27

「しつけ」について考える①(監督から)

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 「しつけ」について考える①  監督 齊藤 秀樹

【「しつけ」とは】
 『しつけ』という言葉は、辞書によると「礼儀・作法を仕込むこと」(新明解国語辞典)また、「子どもが所属するそれぞれの集団にとって望ましい基本的な行動様式、習慣、価値、態度を教えならすこと」(学校カウンセリング辞典)とあります。
 「心の教育」の充実や重要性が叫ばれて久しいのですが、「悪いことは悪いとしっかり教える。世の中には、人としてしてはいけないことがあることを理解させる。…。」という『しつけ』という問題について今週から数回に分けて考えてみたいと思います。

【外側からのしつけ】  
  ペットを家で飼う場合、飼い主は部屋の一角に砂や新聞紙を入れた箱を置き、そこで用便ができるように「しつけ」ます。きちんとできたら餌などのご褒美を与え、できないと叱ったり、時には叩いたりしてできるまで練習させます。ペットをしつけるには、このような方法が最も効果的で、手っ取り早くしつけることができるそうです。  このように『しつけ』には、いやでも何でも無理矢理やらせることによって「慣らしてしまう」(できるようにさせてしまう)という方法があり、これを「外側からのしつけ」と言います。  教師も保護者もそうですが、「この子を何とかしたい」「このままではまずい」という気持ちが強ければ強いほど、手段を選ばずにできるだけ短期間でよりよい成果を求めたくなります。例えば、家庭学習の一覧表を貼りだし、そこにシールを貼って背比べ競争をさせるとか、約束が守れなければ、グラウンドを走らせたり、残り掃除を命じるとか、百点を取ったら小遣いをあげる…の方法です。 このように競争をさせたり、罰を与えたり、報酬を与えたりすることによって、できるようにしていくというやり方は、前述のペットを慣らすのと同じで、時にとても効果的なしつけ法です。  しかしこの方法には、大きな欠点があります。子どもは罰がいやで(報酬がほしくて)やっているわけですから、たとえ一時期その人の前ではできるようになっても、別の場所や違う人、環境によって、すぐに元に戻ってしまうことが多いようです。

【内側からのしつけ】 
 人間の子どもを育てるというのは、ペットをしつけることとは違うのではないかと思います。そこで「内側からのしつけ」をお薦めします。「内側からのしつけ」というのは、簡単に言えば「自分自身の判断基準で、自分からやろうとすること」です。このしつけ法には、次の3つのステップがあります。

①「理解」…何でそれをするのか。なぜしなければならないのかがわかっていること。
②「方法」…どうやればよいのかを知り、やり方を身につけていること。
③「意欲」…自分から進んでやろうとすること。


   例えば「食事の前には必ず手を洗う」ということをしつけたいなら、まずは①衛生面、健康面、マナー等から、その必要性を子どもが納得いくまでわからせます。次に②子どもを水道の前に連れて行き、石けんを使って何度も繰り返し洗わせ、正しい手の洗い方を身につけさせます。③後は、その子が自分からやる気になればよいのです。こう書くと実に簡単そうですが、これはけっこう根気がいる仕事です。「どうしてやらなければいけないの」(理解)と「どうやればいいの」(方法)はどちらかというと解決しやすいのですが、一番やっかいなのは「やる気がしない」「面倒だからやらない」(意欲)という問題です。どうしてやらなければならないのかはわかっているし、やり方も知っている、だけどやらない?…。「ふざけるな!」と怒ってみても仕方ありません。  「子どものやる気を引き出す方法」というのは、詳しく書くと長くなりますので、別の機会に回しますが、要は山本五十六の名言“やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は育たず”ではありませんが、「信じて、認めて、ほめて、励ます」ことを繰り返し、長い目で子どもを見守ることが大切です。             つづく

15:06 | 投票する | 投票数(132)
2024/09/23

ホームページ110万アクセス達成(監督から)

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ホームページ110万アクセス達成  監督  齊藤 秀樹

    SAAのホームページが先週ついに110万アクセスを突破しました。今の形式にリニューアルした当初は1日平均100名くらいだった閲覧者数が、次第に増え続け、最近は平均1000名(一ヶ月17000名)の方々に毎日見てもらえるようになりました。
 保護者の方々と話していると「ホームページは常に子どもの姿を公開し、開かれたクラブづくりに努めてくれている」「ホームページは指導方針や子どもの様子を分かりやすく説明している」と答えてくれる方々がたくさんいました。このことからも、毎週更新しているホームページがクラブと家庭をつなぐ重要な橋渡しになっていることがよくわかります。
 今回はせっかくの機会ですので、今一度SAAにおけるホームページの重要性について考えていきたいと思います。

 ここ数十年で日本の社会は急激に変化してきました。グローバル社会(国際化の進展)、高度情報化社会(IT社会)、少子高齢化社会、規制緩和社会、情報公開社会、行政参加型社会…。私はこの中でも最も顕著なのが「価値多元化社会」の到来だと思っています。日本人が古くから持っていた、価値観や規範意識というものが多様化し、「求心力」(中心に集まる力)がなくなり、「遠心力」(中心から離れようとする力)によってどんどん人々の個性化、個別化が進んできました。そして、一人ひとりがバラバラで、核となる規範のない、まとまりのない社会になってきていると思います。
 
 さて現在、SAAは150人という別々の個性や生い立ちを持った子どもたちを、別々の環境や考え方を持った家庭(保護者)から預かり指導しています。ですから監督や先生方が「こういう考えで、こういう活動に力を入れて、子どもたちを育てたい。」と言っても、それに対して賛成・反対は当然出てきます。学校で個人面談をしても、各担任に対して「もっと宿題をたくさん出してほしい。」という家庭もあれば、「勉強は学校の中でしっかり教えてください。家では机上ではできない体験や子どもの才能を伸ばす学習をさせたいので…。」という方もいるでしょう。

 要するに大切なことは「クラブや学校のやり方は、我が家の子育てとは違うけど、何をしたいのか、どんな子どもに育てたいのかはよく理解できる。そしてその実現のために指導者や先生方は常に全力で子どもの指導に当たってくれている。そんな中で子どもたちは生き生きと活動し、精一杯がんばっている」ということだと思います。クラブや学校というところは「子どもをたくましく、かしこく、よりよい子に育てたい」という指導者と保護者の共通の願いのもとで、人と人とをつなぐ求心力を持った存在でありたいと思っています。

 学校の考え方や子どもの活動の様子が、常にホームページで公開されているということは、例えば、学校で本校の子どもたちは「連帯」する力が弱いので、クラスみんなで心を一つに団結して勝利をめざす「長縄とび」を頑張らせている、という学校の取り組みの主旨と、各クラスが全力で記録更新をめざして練習を重ねている様子が公開され、それを保護者が理解していれば、「家の子は長縄が嫌だから学校に行きたくないと言っています。是非、長縄大会はやめてほしい。」等という保護者からの不満や苦情が、学校に寄せられるようなことは少なくなると思います。
                                                                            
   SAAは、これからもクラブ内での教育活動や練習内容を毎週写真と共に保護者の皆さんにトップページで公開し、大会情報やフォトギャラリーのページを充実させ、更に「監督から」を通して、SAAの教育理念や教育内容を説明し、理解と支持を得る努力を継続していきたいと思います。今後ともご愛読いただけますようよろしくお願いいたします。

11:26 | 投票する | 投票数(144)
2024/09/14

「努力する」ということ(監督から)

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 「努力する」ということ  監督 齊藤 秀樹
 全国大会が目前に迫ってきました。リレーと100mの選手達7名は、土日の通常練習だけでなく、平日も学校が終わり次第、急いで白井運動公園の競技場に集まって、夢を叶えるために全力で練習に取り組んでいます。当日は日本中から集まってくる精鋭達(生まれてこの方、誰にも負けたことがないという子どもたち)と競い合い、堂々と戦ってきたいと思います。
 さて、ノーベル賞受賞者で数学者の広中平祐氏はその著書の中で「自分で目標を決め、それに向かって努力するかしないかで、その結果に大きな違いが出る」と書いています。自ら目標を決めそれを達成するために最大限の努力をするってすばらしいことです。
 最近、教育の世界で「楽しい」という言葉がとてもよく使われるようになった気がします。「楽しい学校」「楽しい授業」「スポーツの楽しさ」…。確かに子どもたちに楽しさを味わわせるというのは大切なことだと思いますが、私が大切にしたいのは「楽しい」よりも「うれしい」(喜び)という体験です。よく「楽しさと喜び」という言い方もされますが、この両者には大きな違いがあると思っています。
 「楽しい」という言葉は、自分の好きなことを、自分なりにやっているだけで「楽しい」のですが、「喜び」というのは「できた。やった。勝った。バンザイ。」という感動・感激体験のことです。そして、その気持ちを味わうには必ず“苦しくても、歯を食いしばって、精一杯努力した”という過程が入ります。即ち「努力」です。何かが成功したとき、何かをやりとげたときに、バンザイして飛び上がるほどうれしい。失敗したり、夢が叶わなかったときに、涙があふれて止まらないほど悔しいという心情は、その過程の中で精一杯の努力をしない子には決して味わうことのできない感情です。
 私は日々の練習や試合の中で数多くの感動・感激体験を味わわせ、常に“やればできる”を信じて努力できる「活力ある子」を育てたいと思っています。
 何度も同じことを言いますが、子どもには無限の可能性があります。大きな夢や目標を持ち、それに向かって努力すれば叶わない夢なんかないし、これから先の人生をどうにでも創っていくことができます。
 
 人生経験が豊富な私たち大人は、今までに多くの失敗や挫折を経験してきているため、つい「無理しなくていいのよ。」「あなたは今のままで十分よ。」という言い方を子どもにしがちですが、もしかすると、そのことが子どもの秘められた可能性を限定し、小さくまとめてしまっているのかもしれません。「無理だ」「できっこない」「どうでもいい」なんていう言葉は、たかだか10年前後しか生きていない子どもたちが口にするには、あまりに悲しい、情けない言葉だと思います。
 いつもとは言いませんが、時には本人の気分や意志に関係なく無理矢理にでも「やってみろ!」と尻を叩き、「もういいかな。」という我が子かわいさを少し我慢して「まだまだ!」と突き放してみることも必要ではないかと思っています。

  しかしよく考えると「努力」というのは、実はその子の能力には関係なく、一人ひとりの意識の中にかなりの差があるものです。学校のマラソン大会の前に「先生、昨日グラウンドを3周も走ったよ。」と満足そうに言ってくる子もいれば、30周走っても「自分には、まだ努力が足りない。」と感じている子もいます。テスト前に教科書を一通り10分くらい読んできて、「今日のテスト勉強は完璧だ。」という子もいれば、2時間以上かけて、あらゆる問題を解いてからテストに臨む子もいます。このような大きな違いがあるにもかかわらず、本人は「努力した」と同じ気持ちでいるのです。

  子どもの可能性を信じることは大切なことですが、このことは必ずしも結果の平等を意味しないと思っています。自分自身が努力不足を自覚している子はまだよいとして、他人(先生や指導者)から見れば、どう見ても努力したとは思えないのに、本人は満足してしまっている子というのは、当然ですがいつまでたっても結果がついてきません。こういう子は一言で言えば“自分に対して甘い子”です。

  こういう子には、時に叱咤激励して、無理矢理にでも結果を出させ、自信を持たせてあげることで意識改革をさせることが必要だと思います。
 白井アスレチックアカデミーではこれからも「やればできる」を信じて、自分に甘えることなく、歯を食いしばって努力し「やった。できた。勝った。」という感動・観劇体験をたくさん味わわせててあげられる、そんな魅力あふれる陸上クラブでありたいと思っています。

16:24 | 投票する | 投票数(186)
2024/09/06

「運動会」の意義(監督から)

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 「運動会」の意義   監督 齊藤 秀樹       
  
 数ある学校行事の中でも「運動会」は、最も家庭や地域に密着したビックイベントです。前日の夕方はお弁当のおかずを買いに来るお母さんたちで、スーパーや商店がごった返し、唐揚げ用のチキンがすぐに売り切れてしまいます。また、あちこちで行われる井戸端会議では、明日の空模様や見所について話が盛り上がります。

 また当日は、朝早くからお父さん方が眠そうな目をこすりながら特等席をねらって、席取りにやってきます。私などもそうですが、自分の子どもが小学校に通っていなくても、一面に張られた万国旗とにぎやかな駆け足行進曲、そして子どもたちの歓声に誘われて、ついグラウンドを覗いてみたくなるものです。従って運動会は“一種お祭り的雰囲気を持った地域に開放された行事”だと言うことができるでしょう。                     

   もう一つ、運動会には大きな意義があります。それは数ある学校行事の中で“最も公開性のある行事”だということです。保護者の方々が年に一度、学校での子どもの様子を丸一日中見ることができるのは運動会だけです。運動会を見ればどんな学校かがわかるといわれるとおり、我が子の変容や成長、友人達の様子や仲間関係、学校全体の雰囲気、日常の体育指導の成果、先生方の動きやまとまり…、実際の姿を見ることにより、また新たな発見や驚きが生まれ、安心したり、心配になったり、感動したりします。また反対に、子どもたちも「見られている」という意識があるので、普段よりがんばろうという気持ちが強くなることも事実です。子どもは見られることによって成長する部分が大きい(これを見物効果という)ので、運動会はとても教育的効果が高い行事です。
 
 さて話は変わりますが、「運動会」という行事は他国にはあまり例のない、日本独特の行事だそうです。欧米の小学校では「スポーツ大会」的なものが多く、子どもたちはそれぞれ自分のやりたいスポーツ(サッカーやバレーボール等)の会場へ行き、一日中そこで体を動かして楽しむという型が多いようです。

 では、日本に運動会が生まれたのはいつ頃なのかを調べてみたところ、どうやら明治20年前後がその起源のようです。当時は、地域の人々が収穫の後に集まって体を動かして楽しむという「お祭り的性格のもの」と、全体を源平(今の紅白)に分けて、鍛えられた強さやたくましさを競う「軍事教練的性格のもの」があったようです。今でも残っている騎馬戦や綱引きはこの当時からやっていた競技だそうで、かなり長い歴史と伝統がある種目といえます。          

   さて、今年の運動会にはどんなドラマが待っているのでしょうか。私が校長時代は毎年、全体練習の初日に、子どもたちに対して“全力を尽くしてがんばる”という目標を伝えてきました。勝っても負けても、一位になっても転んでしまっても、成功しても失敗しても、自分の持っている力を精一杯出し切ることが大切だと思うからです。「全力だからかっこいい」「全力だから美しい」「全力を尽くす姿は人を感動させる」ものです。

   しかし何といっても、当日の盛り上がりを演出してくれるのは、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、地域の方々…観衆の大きな声援と拍手です。今年の○○小劇場がまもなく開演いたします。どうぞお楽しみに。

16:22 | 投票する | 投票数(229)
2024/08/30

子どもを「一流」に育てる③(監督から)

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子どもを「一流」に育てる③       監督 齊藤 秀樹

 先週は、自分の意志で決めたことは最後までやり抜くことができる。そしてこのことは「自分で決断したことは、最後は自分で責任を取る」という①「自己理解」(自分を知る)、②「自己判断・自己決定」(自分で考え、自分の意志で決める)、③「自己責任」(自分で決めたことは自分の責任)という生きる力につながります。そして、こういう体験が何事も最後までやりとげる力の礎になるということを書きました。

【親は子どもの応援団であれ】
 さて、オリンピックや世界大会でよく見る光景ですが、多くのメダリストたちが試合後のインタビューで「ここまでこれたのは両親のおかげです」と言い、もう亡くなってしまった親には、遺影を抱きながら「一緒に戦って助けてくれたんだと思います。」「天国から誰よりも喜んでくれていると思います。」というコメントを残しています。
    子どもという原石をダイヤに磨き上げるのに最も大切なことは、子どもが強い興味を示し、やりたいと決めた対象があれば、それを追求し極めるまで親は徹底的に応援することです。親の応援は子どもの強いモチベーションにつながり、物事を継続しやりとげる力を育てます。

 子どもの才能を開花させるには、親の存在抜きで語ることはできません。世界的なヴァイオリニストのチョン・キョンファさんは、母親が必死に食堂を経営しながら子どもを留学させ、その才能を開花させました。盲目のピアニスト辻井伸行さんのお母さんは、音楽の素人でしたが、おもちゃのピアノを弾く息子の絶対音感に才能を見い出し、電話帳でピアノの先生を捜すことから始めて今の彼を創り上げました。2人とも自分の専門分野ではない才能を見い出し、執念に近い惜しまぬ応援を続けたことで、原石を磨き、その才能を天職につなげた親たちです。おそらく親の応援がなかったら原石は眠ったままだったと思います。

【子どもには「一生懸命さ」と「真剣さ」を求めよ】                         
 子どもの挑戦を惜しみなく応援することの大切さを書いてきましたが、子どものために時間、労力、金銭、環境面で最大限のサポートをするからには、親に「発言権」も「見守る義務」もあります。子どもには「一生懸命、真剣に挑戦する姿勢」を求めなくてはいけません。私の経験から言えば、本当に勉強のできる子は、部活動や習い事をするときも熱心なものです。何に対しても一生懸命だから何をしても優秀なのか、優秀だから何をしても真剣に取り組めるのかはわかりませんが、いずれにしても鍵は「真剣さ」です。一流のアスリートやアーティスト、社会でリーダーとして活躍している人の多くは、小さい頃から親に「一生懸命取り組んでいるときは惜しみなく応援してもらい、一生懸命でないときはこっぴどく叱られた」という育てられ方をした人が多いようです。

 小さいことと見過ごされがちですが、子ども時代の部活や習い事の怠け癖は、その後の人生全般に悪影響を及ぼします。子どもの頃に「怠けてもいい」「人より優れていなくて当たり前」という負け癖を持つか、「少しでも上を目指し、常に向上心を持って努力する」という習慣を持つかは、一生を左右すると思います。私の教え子たちの人生を見ても、「何事も一生懸命打ち込む習慣」を持っている子は、年齢を重ねても、仕事やライフワーク、趣味にその才能を発揮し続け、うらやましいような人生を歩んでいる子が多いです。子ども時代に部活などに一生懸命取り組む経験はとても重要です。向上心や集中力を養い、よき友やライバルと出会い、何よりも本人が主体的に意欲的に人生を歩む上で基礎となる姿勢や習慣を形成できるからです。「一生懸命なときは惜しみなく応援し、怠けたときは厳しく叱る」という教育は「真剣さ」を育てる重要な役割を果たします。

【失敗は叱らずに、次への教訓と考えさせよ】
 様々なことに自分から挑戦する子は、それだけ失敗も多くなるものです。しかし子どもの失敗に対して感情的に激怒してはいけません。子どもは萎縮し、失敗がバレないように隠すことに腐心するようになります。失敗しても叱られず、その原因を自分で考え、そこから何を学ぶかに視点を置いた育てられ方をした子は、「失敗を教訓とし、それを乗り越え、あきらめずに最後までやりとげる力」を身につけます。

07:51 | 投票する | 投票数(280)
2024/08/23

子どもを「一流」に育てる②(監督から)

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子どもを「一流」に育てる②       監督 齊藤 秀樹

 先週は「下手な鉄砲は、いくら撃っても当たらない。」子どもが「活力」(強いやる気や高いモチベーション)を持って頑張り続けるためには、自分から挑戦しようとする力が原点になる。即ち子ども自身を「言い出しっぺ」にすることが重要だということを書きました。
 実は今、こんな偉そうなことを書いている私ですが、自身の子育てはどうだったかというと、特に上の長女の時には、本人の関心や希望はお構いなしに、私が一方的に2つも3つも習い事に通わせていた一時期があります。その結果、本人はいつも「やらされている感」がつきまとい、受け身でなかなか自主性や向上心の芽は出ませんでした。
 今思うと、とても恥ずかしいことですが、そんな自分の失敗や反省も含めてこのシリーズを書いています。

その2…【自分で決めたことは、自分の責任】
 そんな彼女が明らかに変わったのが中学校に入って部活動を選んだ時からです。ある日突然「お父さん、私ハンドボール部に入りたい。」と言い出しました。私としては小学校時代からやらせていた陸上やテニスの方が適性があると思っていたのですが、本人が自分で判断し、決めたことなので、きっと最後までやり抜くことができるだろうと信じ賛成することにしました。結果的には予想通り、県大会や関東大会に出場して、優勝するというすばらしい実績と思い出を残すことができました。当時娘の入っていたハンドボール部はとても厳しい部活動で、正月早々に合宿があったり、山梨県まで遠征試合に行くといって、早朝4時に学校集合なんてこともしょっちゅうありました。しかし不思議なことに、その間ただの一度も「つらい」とか「辞めたい」という弱音やあきらめを口にしたことはありませんでした。
 やはり、自分の意志で決めたことは最後までやり抜くことができるのです。そして「自分で決断したことは、最後は自分の責任」という大切なことを学ぶことができました。

その3…【途中で簡単にやめさせない】                         
 実はこのハンドボール部の経験の前に、もう一つその前提となる忘れられない出来事があります。それは小学生の時に、本人が「水泳を習いたいので、スイミングクラブへ行きたい」と言った時の話です。私自身も大学まで水泳を続けてきたので、その申し出に大賛成し入会させることにしました。当時そのスイミングクラブには10級から1級までのクラスがあり、月一回の試験で合格すると次の級に進めます。我が子も順調に上手くなり、級もどんどん進んでいきました。そんなある日「もうスイミングを辞めたい」という申し出が本人からありました。話を聞くと何でも2級までは何とか行ったが、どうしても1級に合格できず、もう4回も試験に落ちていると言います。毎週辛そうにバスに乗り組む姿を見るにつけ、かわいそうだから辞めさせてあげようかと正直悩みましたが、私の教育者としての数多くの経験から「途中であきらめずに最後までやり抜く力」というのは、子どもの可能性を引き出し、伸ばし、輝かせるためには決定的に重要な要素だと考えていましたから、1級に合格するまでというゴールを設定し、途中で辞めることを許しませんでした。同時に「自分からやりたいと言い出したことを、途中であきらめるような癖をつけると、全て中途半端な人間になってしまう。自分で決めたことは最後までやり抜きなさい。」と言って続けさせました。
 苦労の末、ようやく努力の甲斐あって、1級に合格した時の写真(満足そうに満面の笑みで賞状を持って写っている写真)は今でも大切に家の壁に飾ってあります。

その4…【最後までやりとげる】
    多くの習い事には通ってはいるが、辞めるのは自由で、いろんな習い事を取っ替え引っ替えやっている子どもをよく見かけます。これでは何一つものにせず中途半端に終わってしまいます。もちろん、中にはすぐに辞めた方が本人の適性のあることに集中できる場合もあるので、一概に一般化できない話ではありますが、「石の上にも3年」「継続は力なり」という諺はダテではありません。「途中で簡単に投げ出さない習慣」を身につけ、小中学生の時代に「初志貫徹」することの経験は、人生を通じて何事も最後までやりとげる力の基礎になると思います。                             つづく


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2024/08/16

子どもを「一流」に育てる①(監督から)

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子どもを「一流」に育てる①       監督 齊藤 秀樹
 夏休み中は様々なスポーツのイベントが行われ、連日テレビや新聞、インターネット等でその様子が大きく取り上げられていました。特にパリオリンピックでは連日、日本選手の活躍に日本中が興奮し、釘付けになりました。中でも柔道女子の阿部詩選手のまさかの一回戦敗退で、号泣し崩れ落ちる姿に日本中が涙を流しました。また体操男子団体では大逆転の金メダルに日本中が興奮し、感動の涙を流しました。そしてオリンピック終盤に行われた陸上の女子やり投げでは北口榛花選手が不可能と言われていた女子投擲種目で初の金メダルを獲得し日本中が歓喜しました。今更ながら国際レベルの大会の持つ魅力とその影響力、そしてチームや国家を強く結びつけ、感動を共有できるスポーツのすばらしさを強く感じました。
 さて、9月22日(日)に国立競技場で行われる全国小学生陸上競技交流大会では、5年男子100mと男女混合リレーの2種目にSAAの子どもたちが千葉県代表として出場します。どんなドラマが待っているのか今からとても楽しみです。
 さて私は、オリンピックや国際大会等で活躍した選手の生い立ちや環境と、それを支えた親の「子育て法」には、ある共通点があることを発見しました。そこで今週から子どもを「一流」に育てるには、どんな教育理念や方針が必要なのかについて、私の教えてきた子たちの話も取り入れながらシリーズで考えていきたいと思います。  

その1【やりたいことは自分で決めさせる】
 「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」という諺がありますが、子どもたちの中には、ピアノ、習字、サッカー、ダンス、公文、学習塾、そろばん、英語…とたくさんの習い事をやり、毎日忙しく過ごしている子がいます。しかし、親から無理矢理押しつけられた習い事は長続きしません。まあ親としては将来子どもが困らないようにいろいろなことができる子どもになってほしいという願いがあり、時に自分がやりたくてもやらせてもらえなかった経験から、自分の夢を子どもに託したい気持ちを持つ方もいるでしょう。
 しかし「無理矢理やらされている」と思っているうちは、何をやっても子どもは主体的に真剣には取り組みません。いつも言っていることですが、子どもが成長するために最も必要な資質は「活力」(自分から「知りたい」「わかりたい」「できるようになりたい」「勝ちたい」という内面からのエネルギー)です。たどり着きたくもないゴールに向かって全力で頑張れる子はいません。

 そうは言っても、小学校低学年の子どもは、親ほどの情報量をまだ持っていません。自分の中に眠っている無限の可能性(自分にとって何が大切で、自分は何が好きで、何が苦手なのか)が十分理解できていません。そこで親は子どもの性格や能力、教育環境(習い事の先生の質や教育方針)などの情報を収集し、積極的に子どもに提示し、選択肢をいろいろと示してあげることが大切です。しかし重要なのはその選択肢の中から最終的に決断するのは子ども自身だということです。自分で決断し、目標を持ったときの子どもの頑張りは親の予想を遥かに超えます。「下手な鉄砲は、いくら撃っても当たりません」、子どもは自分が「言いだしっペ」になってこそがんばれると思います。  

 私の教え子の中に、大きな病院の2代目を次ぐ運命の子どもがいました。母親は強烈な教育ママで、大学は医学部以外は行かせないという厳しい方針で育てられました。ところがどこでどううまくいかなかったのかわかりませんが、彼は高校受験で第一志望校から第三志望校まで全て失敗し、次の大学受験は医学部に三浪までして挑戦しましたが、結局合格できませんでした。その後、彼はすっかり人生の目標を見失い、今はどこで何をしているのか私も友人たちも誰も知りません。利発で素直で努力家だった彼はクラスの人気者でした。そんな彼をあのようにしたのは、本人の意志や選択を全く無視し、進路や人生設計を強制的に押しつけた親のせいだと、当時もっぱらの評判になりました。

  今回のオリンピック大会の選手の中には幼少時から親の方針で体操や卓球をやっていた例が数多くあります。しかし練習を重ねていく中で、間違いなくその競技が好きになり、自分の特技となり、自分はこの道で行くという強い意志を持って努力し続けたからこそ輝けたのだと思います。きっかけは親でも自分の判断と活力がなければ決して一流にはなれないと思います。   
 
 引用、参照「一流の育て方」ムーギーキム著      つづく

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