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「外遊び」のススメ(監督から)日誌05/13 07:19

          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

日誌
12
2021/05/13new

「外遊び」のススメ(監督から)

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  さわやかな新緑の風が吹き抜ける季節になりました。初夏の太陽がサンサンと降り注ぎ、子どもたちの服装も春から夏へと急ピッチで「衣替え」が進んでいます。

  「外遊び」のススメ        監督 齊藤 秀樹

    もうかれこれ十数年前になりますが、教育関係者の間で「どこかおかしい子どもの体」という一冊の本が話題になりました。そこに出ているいくつかを紹介してみると、①背中がぐちゃぐちゃしている。②転んでもすぐに手が出ないため顔を打つケガが多い。③ボールが避けられず目に当たる。④頭痛・腹痛持ちが多い。⑤低体温(35度台)の子が多い。⑥少し動くとすぐに「疲れた」という。…などです。その当時は「えー本当なの。今まではそんな子はいなかったのに…。」とあちこちの学校の先生方から驚きの声が聞こえたものです。しかし、現在先生方にこの話をしても、「どこにでもよくいる子」としてあまり珍しくなくなってしまいました。
  体のゆがみや体力・運動の能力の低下という問題は、生命活動の基盤である「動ける体の衰退」とも言われています。
  体づくりや体力・運動能力というと、ついスポーツや鍛錬の問題と考えがちですが、その原点は、幼いうちから「気軽に体を動かす経験」の不足、即ち「外遊びの不足」が一番大きな要因だと思います。
  子どもたちが外遊びをしなくなった要因は、子どもたちを取り巻く急激な社会の変化、特に都市化に伴う自然体験の喪失、塾や習い事による時間的な余裕のなさ、人間関係の希薄化による地域社会の衰退、コロナ感染問題、更には子どもたちを室内に吸い寄せる快適で魅力的なパソコン・スマホ・ゲーム・漫画等の室内遊びの進展…。地域における自然発生的な遊びとそこに集まる仲間たちを通して、年長者が年少者の面倒を見、上手な子が下手な子を教えながら、ごく自然に身についてきた「体を精一杯使って動くことの楽しさや爽快感」が失われつつあることは、子どもたちの今後の成長にとってとても心配です。
 それでは、外遊びにはどんな教育的効果があるのかについて、最も身近な「鬼ごっこ」を例に挙げて紹介してみたいと思います。
「体力・運動能力」…身体を動かすことで持久力・瞬発力・調整力が身につく。
「社会性」…友人達との関わりの中で、他人を認めたり、自分を主張したりできる。
「忍耐力」…じっと我慢したり、苦痛に耐えたりすることができる。
「創造力」…捕まえ方、逃げ方、隠れ方を工夫し、考えることができる。
「心の鍛錬」…人と競い合う中で、できる喜び、できない悔しさ恥ずかしさを体験できる。
「心の解放」…身体を思い切り動かすことの爽快感を感じ、気分の発散やストレスの解消に繋がる。
「自然の体感」…暑さ、寒さ、風の強さ、急な天候の変化などの自然を感じることができる。
  
 いかがですか。まだまだあるとは思いますが、ざっとこんな効果が考えられます。白井アスレチックアカデミーの活動は、原則週一回です。子ども達が自分の可能性に挑戦し、大会などで活躍し、輝くためには、どうしても日常の「外遊び」(気軽に身体を動かす習慣)が不可欠です。現在仕事で白井市内の小中学校を連日訪問し、子ども達の学校生活を見学、観察していますが、多くの学校で業間や昼休みになると、先生や友だちがグラウンドに出て、たくさんの子が汗びっしょりになりながら外遊びを楽しんでいる姿を見かけます。とても大切なことだし、すばらしいことです。

07:19 | 投票する | 投票数(23)
2021/05/04

活力ある学校には元気な先生がいる(監督から)

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 活力ある学校には元気な先生がいる   監督 齊藤 秀樹

 子どもには無限の可能性があります。子どもは誰でもよい芽を持っています。私たち教師の仕事は、“子どもたちの持っている可能性やよい芽を、発見し、引き出し、伸ばし、輝かせてあげること”だと思っています。

  さて私は常々「子どもたちを輝かせるには、まず先生方が輝かなければならない」と思っています。活力ある良い学校の原点は「活力ある先生方」の存在です。
  先生方が生き生きとして元気な学校は、子どもたちも元気です。元気な子どもたちが生き生きとした活力ある学校をつくります。そして活力ある学校には必ず活力ある先生方が生まれます。

  では先生方が、いつも元気に生き生きと(活力)働ける学校とは、どんな学校(職場)のことなのでしょうか。何事もうまくいっていて、課題もトラブルもなく、取り立ててやるべきこともない、楽な職場のことでしょうか。私はそうは思いません。
  なぜなら、様々な課題を解決していくことが学校現場の本質だと思うからです。何一つ解決するべき課題がないならば、少々大げさな言い方をすると、学校そのものが必要なくなります。これは、犯罪が存在しない社会なら警察はいらず、世の中に病気やケガが存在しなければ病院もいらないというのと同じ理屈です。

  勉強ができない、運動が苦手だ、人と上手く付き合うことができない、悪いことをして人に迷惑をかけるなど、未熟な存在だからこそ子どもたちは様々な課題を持っています。この課題を解決するには、時間も労力もかかりますが、こうした子どもたちと真正面から向き合い、丁寧に粘り強く教え、育て、共に考え、汗を流すことで、できなかったことができるようになり、子どもの変容や成長が実感できたときに、教師のやる気は最高潮に達し、「やった。よっしぁー。」という成就感、達成感を味わうことができるのです。そもそも学校とはそういう職場であり、そこに学校という存在価値があります。

  しかし残念なことに、近年「教師は多忙だ」「ブラック企業だ」という面がクローズアップされ、教員になりたがらない若者が増え、せっかく教職についても多忙さによる負担感によって心身を壊してしまう教員、志半ばで辞めてしまう教員が、増加の一途をたどっています。確かに教師という仕事は、境界線のない職務といわれるように、朝から晩までいくら働いても、一切残業手当も付かない特殊な職業です。

  私は「多忙」という言葉には2つの意味があると思っています。1つ目は「物理的な多忙さ」で、とても職務時間内では自分の能力ではやりきれない程の仕事量がある状態のことです。2つ目は「精神的な多忙感」で、自分の仕事にやる価値が見い出せない、やりたくもないことをやらされている等の「やりがいのない忙しさ」のことです。この必要感のない仕事への「負担感」や、自分のやりたいことができない「不満感」こそが、教師の活力を減退させる「多忙感」の正体だと思っています。
 
    私たちの教師の願いは、ただ一つ「子どもがよくなること」です。勉強でもスポーツでも人付き合いでも何でもかまいません。子どもの中に眠っている可能性を発見し、引き出し、伸ばし、輝かせ、自信を持たせることができれば、自分の仕事にやりがいと充実感が持てます。どんなに忙しくても、今の仕事に「やりがい」と「充実感」を持っている教員は、常に元気で生き生きとしています。そしてあまり「多忙感」を感じません。

  ちなみに私が7年間にわたる校長時代に、教師のやる気を引き出し、活力ある学校を創るために大切にして来たことを紹介したいと思います。
①教師がめざすのは「子どもをよくすること」という共通の価値観を持たせること。
②学校が何をめざし、どこへ向かおうとしているかを明確に示すこと。
③教師の全力こそが、全力を尽くしてがんばる子どもを育てるということ。           
④常に組織の中で「役立つ存在」として認められるよう心配りを忘れないこと。
⑤「学校としての判断や決断の責任は全て校長が取る」ことを宣言し、教師が安心して 子どもと全力で向き合える職場をつくること。…でした                       
                                                                   

09:45 | 投票する | 投票数(77)
2021/04/27

「聞く子はよい子」について(監督から)

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「聞く子はよい子」について 監督 齊藤 秀樹
  先週は「言葉で伝える力」(アウトプット)の重要性について書きましたので、今週は「人の話を聞く力から」(インプット)の重要性について、私が校長時代によく先生方に話した事を中心に書いていきたいと思います。

 「学校は勉強するところ」です。もちろん学校には行事や様々な活動がありますが、何といってもメインは子どもたちが学校生活の中で最も多くの時間を費やす一時間一時間の「授業」です。
 そこで今回は各担任の先生方が4月当初から取り組んでいる授業の基本的なしつけの一つである「聞く子はよい子」について書いていきたいと思います。

    子どもたちが落ち着いて真剣に授業に取り組むために最も大切なのが「人の話をしっかり聞く」ことです。先生の説明や友だちの発言を聞き逃さないようにするには、最初に繰り返し「聞き返しの訓練」を行います。「○○君、今○○さんが言ったことをもう一度言ってごらん。」というようにです。こうやって聞いた後の確かめをやっていくと、子どもたちは自然に「聞き上手」になってきます。どうしてこのようなことをするのかというと、授業に緊張感が出て、みんながボケッとすることなく集中して授業に取り組めるため、学習内容がしっかり頭に入ること。また、人の話を聞くことのできる子は、相手の立場を尊重し、相手を認めてあげられる「思いやりの心」も育つからです。人の話を真剣に聞くことのできる子は、友人たちから信頼され、心の触れあいも深まります。

  さらに「聞く」という力は「話す」という力にも通じます。いつも自分の主張ばかりに忙しく、他人の話に耳を傾けない子というのは、だいたいの場合、話の内容が浅く、説得力もありません。それに比べて、人の話をしっかり聞いた後に、自分の頭でそれを整理し、考えながら話せる子の言葉には深みや重みがあり、説得力もあります。クラスの子全員が「聞き上手」になれたら、どんなにけじめある和やかな雰囲気のすばらしいクラスになるだろうと思います。

 それでは具体的に聞き方のポイントを書いていきます。

その1…「話し手の方を向いて聞く」
  話し手は何かを伝えたい、わかってもらいたいと思って話しています。だから話を聞くときは、横を向いたり、おしゃべりをしたりせず、しっかり相手の方を向いて聞いてあげましょう。一般的には「話しは目で聞く」とか「体の正面で聞く」という分かり易い具体的な指導をしていきます。

その2…「自分の声を自分で聞きながら話す」
  自分の言っていることが自分でわからなくなっては、相手にもわかってもらえません。思いつきでなく、よく考えながらゆっくり話すことです。

その3…「聞く人を見ながら話す」
  これは「その1」の反対で、人に何かを伝えたいなら、天井に目を向けたり、うつむいて蚊の鳴くような声で話したのでは相手に伝わらないということです。

その4…「話は最後まではっきり言う」
 これは日本語の特徴でもありますが、言葉の最後にその人の考えや気持ちが出て、話が完結します。尻切れトンボや語尾が曖昧な話し方はダメです。

その5…「自分から積極的に聞く」
 授業中は受け身ばかりではなく、自ら耳を傾け、わからないことや疑問があったら、積極的に聞く(質問する)ことが大切です。これは聞き耳を育ててくれます。 
 
    学校ではこのように4月の始めに基本的な学習のしつけとして「聞き上手な子」を育てる努力をしています。現在各学校で行われている授業参観に来校する際には、授業中我が子がどんな姿で先生や友だちの話を聞いているのか注目して見てください。

09:08 | 投票する | 投票数(119)
2021/04/20

「言葉で伝える力」の育成(監督から)

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 「言葉で伝える力」の育成   監督 齊藤 秀樹
    自分に自信がなく、間違えて恥をかきたくないから授業中手を挙げない、という子がいます。しかし学校という所は、わからないことをわかるようにするところです。朝、校門をくぐるときには知らなかったりわからなかったことも、下校するときにはわかっている。このように子どもたちは日々の学校生活の中で1つ1つのことを学び、理解していくことで成長し、これが学校に来る意義であり価値でもあります。そう考えれば、新しいことを理解するために、間違えるのは当たり前のことです。みんながわかっていることなら授業なんか必要ありません。そう“学校は間違えて良いところ”なのです。同じ1時間の授業をしていても、いつも受け身で覚えたり理解するだけの子と、理解したことを頭の中で整理し、それを相手にわかりやすく伝わるよう挙手をして発表する子とでは、その学力に大きな差ができてしまいます。

  ある会社で人事、採用を担当している私の友人曰く、会社としてほしい人材は、「知識・理解」に優れた人ではなく、人前で自分の考えを分かりやすく堂々と発言できる「表現力・プレゼン力」に優れた人材だそうです。

  さて話は変わりますが、5年生が国語の授業で「言葉と事実」という説明文の学習をします。この中に「イソップ童話のうそつき少年」という話が出てきます。有名な話なので皆さんもご存じだと思いますが、羊の番をしている少年が、オオカミが来てもいないのに「大変だ。オオカミが来た。」と言って、度々村人を驚かしだましていました。そのため本当にオオカミが来たときに「大変だ。オオカミが来た。」と言って必死に助けを求めても、村人はまた嘘だと思って、誰も助けに行かなかったという話です。
 この話は、「言葉は事実と結びつけて使わないと、言葉としての役を果たさなくなってしまう」という教えです。

    私は常々言葉というのは、それを発する人の「人格」や「人間性」が表れてしまうものだと思っています。例えば「今日の富士山は本当に美しい」という言葉でも、有名な写真家や画家が言う言葉と、たまたま訪れた一般の観光客が言った言葉では、それを聞いた人の印象は大きく違ってくると思います。

  よくクラスの帰りの会の中で「掃除中に○○君がふざけていました。」とか「最近、廊下を走っている子が多いので気をつけてください。」等と、友人たちをよく注意する子がいますが、その注意がどんなに正しくても、注意した子自身がそれを守れていないと、かえって反感をかうだけで誰からも聞いてはもらえません。他人に注意できる人は、まずは自分が注意できるだけのしっかりした人間であることが基本になります。 

    さて「子育て」は「己育て」、「育児」は「育自」、「教育」は「共育」という言葉がありますが、これは子どもを育てるとか教えるというのは、相手である子どもが成長するのはもちろんですが、それよりもむしろ育て教えている大人自身が、人間的に幅広く豊かに成長していくことだということです。子どもが親や先生の言うことを素直に聞くようにするためには、まず親や先生が子どもから信頼される存在であることが必要だと思います。

 人に対して、説得力のある言葉というのは、実は「何を言うか」ではなく「誰が言うか」で決まることが多いものです。したがって、私たち大人は「誰が言うか」の「誰」になれるよう日々努力していくことが大切ではないでしょうか。

08:47 | 投票する | 投票数(148)
2021/04/13

全ては「偶然の出会い」から(監督から)

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  全ては「偶然の出会い」から   監督 齊藤 秀樹

  4月6日・7日に行われた新年度の始業式での様子です。「それでは今から担任の先生の発表をします。」と言うと、子どもたちが急にそわそわザワザワし始め、体育館中が何とも言えない緊張感に包まれます。そして校長先生から「○年○組、○○先生」と次々に担任を発表するたびに、あちこちから「わぁーい。やった。バンザイ。」「えー。うそー。あーあ。」「うっ。(シーン)…」等実に様々な反応が返ってきます。学校の先生方は、必ず毎年、この何とも言えないこの瞬間に立ち会わなければなりません。そして、緊張気味の先生方をよそに、子どもたちは実に素直に(遠慮なく)一喜一憂して見せます。
  
    先生方は、まずはこの出会いを正面から受け止め、ここから新たな関係づくりをスタートさせなければなりません。私立学校や学習塾のように、この学校(塾)で学ばせたいという保護者と、教わりたいという子どもを集め、試験や面接を通して学校(塾)が入学を許可した子どものみを教える相思相愛型の出会いとは違い、公立の小学校の場合は、「子どもは担任を選べない。担任も子どもを選べない。」という原則の下、共に選んだわけでもない両者が偶然に出会い、そこから少しずつ時間をかけて、信頼関係や師弟関係づくりが始めなければ」なりません。

  「千里の道も一歩より」「はじめのボタンをかけ違えると、最後のボタンははまらない」という通り、「はじめの一歩」はとても大切です。しかし、よく考えてみると、始業式で見せた子どもの反応は、あくまでその先生の表面的なイメージからのものであり、実はその後に行われた各クラスでの自己紹介や学級指導、更にその後、数日間の授業や様々な活動の中で、少しずつ担任の先生の人柄や生い立ち、そして、めざす子ども像や経営方針などが理解できるようになっていくものです。

    先生たちは全く別々の生い立ちや個性や能力を持ったお子さんを、別々の考えや方針を持った保護者から預かり育てるという仕事をしていますので、当然一人の担任のやり方については賛否両論が出てきます。だからこそ、担任教師それぞれが「自分はこういう考え方で、こういう子どもたちを育てたい」という教育観や方針をはっきり示すことが大切だと思っています。学校と家庭、あるいは担任と保護者が、全く同じ考えだということはまずありません。しかしお互いに共通していることは「子どもを賢く、よりよい子に育てたい」という願いです。ですから大切なことは「今度の先生は、私の考えとは違うけれど、先生の考えや、やっていることはよく理解できる。」という“違いを認め、理解し合うことで、折り合いをつけていく”ことが大切です。

 そのためには「子どもたちは今こんなことに頑張っています。そしてこんなに変身し成長しました。」という学校での子どもの姿を公開し、常に情報を発信し続けていくことが信頼関係づくりには重要だと思っています。現在白井、印西の各学校は毎日欠かさずホームページを公開し、とても充実した情報を発信していると思います。

     子どもというのは日々変化し成長していくものです。また。その時々の立場や環境によって様々な顔を持っています。ですから、親が我が子を一番理解していることは事実ではありますが、子どもが小さい頃のイメージや前学年までの姿、また家族と一緒に過ごしている時の顔というのは、必ずしも固定的なその子の現状や本質ではないことが多いものです。

  白井アスレチックアカデミーのホームページやFacebookは、毎週行われる活動の中での子どもの様子や変容、成長をお知らせしたり、クラブチームとして大切にしていることや,今取り組んでいること、そして私の教育理念や指導方針、更に最新の教育情報や役に立つ子育てのポイントなどを、毎週きちんと各家庭にお伝えすることで“クラブと家庭の橋渡し”になってほしいという願いを込めて更新・連載しています。

  今年度も多くの保護者の方々に「今週の“監督から”はまだ?」と言っていただけるような魅力的な記事にしていけるよう努力したいと思います。一年間よろしくお付き合い下さい。


09:37 | 投票する | 投票数(178)
2021/04/06

子ども達を輝かせたい(監督から)

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  子ども達を輝かせたい      監督 齊藤 秀樹

  「子どもには無限の可能性がある」「子どもは誰でもよい芽を持っている」私は常々そう信じています。私たち指導者や教師の仕事は、「子どもの中に秘められた可能性を、発見し、引き出し、伸ばし、輝かせること」だと思っています。
 
  さて先週から2021年度のSAAの活動がスタートしました。初日に保護者の皆さんにクラブの指導理念や方針をお話ししたかったのですが、どうしても外せない用事があり会場を離れてしまったので、この「監督から」のコーナーを通してお伝えしたいと思います。私は教員2年目に佐倉市の学級対抗リレーで自分のクラスを男女ダブル優勝させてから、ずっと子どもたちに陸上競技を教えています。その中で今までに、学校の体育主任時代や現在の陸上クラブ(白井アスレチックアカデミー)を通して、総勢126名の子どもたちを千葉県チャンピオンに育て、そのうち118名を夢の全国大会に出場させてきました。(昨年度、県大会で優勝した8名は、残念ながら全国大会が中止になってしまいました)
  さて今回は、私が「子どもを伸ばし、輝かせる」ために常に大切にしていることを、3つに絞って紹介したいと思います。

【活力ある子どもを育てること】
  走ることが得意でも、苦手でも、適切な指導を受ければ誰でも必ず足は速くなります。そういう意味で私は教育の可能性を信じています。しかし、同じ指導を受けていても記録が飛躍的に伸びて、どんどん速くなっていく子もいれば、少しの向上で止まってしまう子もいるのは事実です。それはなぜでしょう。私は「活力」だと思っています。「活力」とは自分から「上手くなりたい。強くなりたい。できるようになりたい。勝ちたい。」という内面からのエネルギーのことです。指導者がどんなに優れた指導力を持ち、熱心に丁寧に教えても、子ども自身に活力がないと決して伸びません。まず「活力ある子ども」を育てることが最も重要なことだと思います。
  活力ある子を育てるには「やればできる」という体験をたくさん味わわせることです。「やった。できた。わかった。うまくなった。バンザイ。」という体験は、子どもに自信を与え、大きく変身、成長させます。

【夢を目標に変えること】
    ノーベル賞受賞者で数学者の広中平祐氏はその著書の中で「自分で目標を決め、それに向かって努力するかしないかで、その結果に大きな違いが出る」と書いています。
  よく「夢」と「希望」と「目標」を同じだと考えている人がいますが、実はこの三者には微妙な違いと順序があります。まず「夢」(できたらいいな)を持つことです。そしてその「夢」に向かってがんばり続けることで、可能性が出てきます。可能性が出てくると「希望」(できるかもしれない)という明かりが差し込み始めます。ただこの「希望」は未だ弱い望みなので、これを強い望み=目標に変えていかなくてはいけません。この希望を「目標」(やればできる)に変えることができたときに、人はすごい力を発揮することができます。私が指導しているSAAの子どもたちは、常に千葉県大会で優勝し、全国大会に出場して、日本一になることを目標にして練習に取り組み、大会に望む子どもたちです。目標がもし「県大会に出場して入賞すること」だったらこんなに長年勝ち続けることはできなかったと思います。目標が実現できたときの感動・感激体験は、一生忘れられない宝物になります。

【素直な心を持つこと】 
    運動能力や技術は、一生懸命に練習を積み重ねていけばある程度は身につきます。しかし、飛躍的に伸びる子どもの一番の資質は実は「素直さ」だと思っています。素直で謙虚な気持ちで練習に臨める子は、多くの人から指導や助言をもらうことができます。またその指導や助言に対して、すぐに吸収し自分のものにすることができます。素直さは子どもを向上、成長させるとても大切な資質だと思います。

09:07 | 投票する | 投票数(172)
2021/03/24

「しつけ」について考える④(監督から)

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 「しつけ」について考える④         監督 齊藤 秀樹

  先週は「しつけ」の基本として、まず“子どもの人格を認め、一人前の人間として扱うこと。そして、温かく受け入れてあげること。”でまとめました。

  さて、この本ではこの後も第2、第3の課題が次々に専門家から出されます。その中には、「どんな理由があってもお金を与えてはならない。」とか、「門限を決めて、それを破ったら、絶対に家の中に入れてはいけない。」というようなかなり厳しい課題が入ってきます。これを読んでいると、前回の“子どもを認め、受け入れろ”という内容と矛盾するように思いますが、それは違います。
  “子どもの人格を認め、受け入れろ”というのは、「まず、それをやれ。」ということであって、決してズルズルと子どものわがままを通して、言いなりになれということではありません。たとえ家の中であっても、一つの共同体(小社会)として社会的規範(ルール)というものがあり、これを厳しく守らせることはとても大切なことなのです。
  この本を通して私たちが学ぶことは、『承認』(子どもを認め、受け入れてあげること)と、『拒否』(認められないことは、断固認めない、許さないこと)という2つの態度を、はっきりと使い分け、常に示し続けることが大切な教育(子育て)であり、これが“しつけ”の根本であるということです。

    実はこの本は、よく先生方の生徒指導研修会や保護者の家庭教育学級などで取り上げられています。私自身も何度となくこの話をしてきましたが、講義の後の参加者の質問の中でいつも一番多いのが、「承認」と「拒否」の境目、即ち「どこまでは認め、どこからは許さないのか」という判断が難しいという相談です。
 
  結論から書きます。私は‘親がよいと思ったことはよいし、ダメだと思ったことはダメ’なのだと思います。子どもの善悪の判断とか規範意識というのは、幼少時から言われ続けることによって、意識の中で形成されていきます。社会の変化に伴い個人の価値観が多様化する中で、個性化、自由化、子どもの人権…が尊重されるようになると、「自由でしょ。勝手でしょ。関係ないじゃん。放っといて。」という子どものわがままな主張が、当然認められるべき権利であるがごとく子どもたちの口から次々と出てきます。しかしこれに対しては、「ダメなことはダメ」「家ではダメ」「お父さんはダメ」(※注①)と堂々と言えばよいのです。
  そんなこと言ったって、なかなか子どもは素直に言うことを聞いてくれないという方もいるでしょう。確かに一昔前は、親の尊厳とか威厳というものが、社会の中でしっかりと認められ定着していましたが、今の時代はそれだけでは難しいかもしれません。
  親の方も子どもに「信頼される親」「尊敬される親」になる努力をしなければなりません。その原点は何といっても‘子どもへの理解と愛情’です。「あなたのことはわかっている。そして誰よりもあなたを愛し、大切にしている。」という根っこがあって、初めて成り立つものです。

  人間が人間を育てるのですから、“何を言うかより誰が言うか”によって、その影響や効力は全然違ってきてしまいます。大切なことは「誰が」の「誰」(※注②)になれるかどうか。これが勝負です
  “大人は正しいことを教えてくれる存在。だから正しいことには逆らってはいけない。”ということを、今一度しっかり子どもたちに認識させることが大切だと思います。

※注①…お父さんが「ダメ」と言うことを、お母さんが「よい」と言ってしまっては子どもに正しい善悪の判断力がつきません。よく話し合い共通理解をして、子どもの前では常に同じ方向(方針)でしつけることが大切です。

※注②…大変言いにくいのですが、平気で赤信号を横断したり、列を無視して割り込んだり、他人の悪口・陰口を言ったりする大人は、決して「正しい」「誰」にはなれないと思います。特に思春期を迎え、日々大人の言動に対してシビアな目で見ている子どもの前では厳禁です。
                                   完

08:45 | 投票する | 投票数(164)
2021/03/17

「しつけ」について考える③(監督から)

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  「しつけ」について考える③  監督 齊藤 秀樹

  それでは前回のお約束通り、専門家からの5つの助言(課題)について詳しく説明していきたいと思います。

  まずは、第1の助言「子どもと話し合いをしてはいけない。」についてですが、これは「非行」に走ってしまった子を持つ親というのは、口を開けばそれが全て“説教”になってしまうからです。子どもが思い通りにならない、どうしたらよいのかわからない、でもこの子を何とかしたい、という思いが強ければ強いほどそうなってしまいます。しかし、子どもは自分のやっていることが「悪いこと」「してはならないこと」だということは百も承知です。わかっていながらわざとやったり、やめられなかったりするのです。 

    それならば、非行に関することでなければいいじゃないかと思うでしょうが、この専門家はおそらく、この親はそれを区別するのが難しいと判断したのだと思います。つい他の話題から、その子の考え方や態度、行動への批判が始まり、それがお決まりの“説教”に発展し、ついには最もいけない子どもの“否定”につながってしまうことを恐れたのだと思います。

  しかし、「一切話をするな。」では、子どもとの接点が全くなくなってしまいます。そこで「話しかけてきたら相づちを打て。」と、第4の助言の「日常のあいさつは親の方からしろ。」が出てきます。
  子どもにとって、説教じみたことは一切言わず、顔を合わせたらあいさつはきちんとしてくれて、話しかけたら愛情を持って相づちを打ってくれる親。なんていい親なのでしょう。

  まずは親子関係の一番の基本として“子どもを認め、温かく受け入れ、見守れる親になれ”ということなのでしょう。これに関してはおそらく異論もあるでしょうが、この一家のように、いわゆる「支配的な親」(いつも口やかましくて、自分の考えを細部まで持ちすぎている親。子どもの主張を抑え自分の型に押し込もうとするタイプの親。)にとっては、この助言はピッタリだと思います。

  次に第3の助言「他人を巻き込んではいけない。」と、第5の助言「いかなる友人からのいかなる内容であっても、本人に正確に伝えなければいけない。」についてですが、これは一言で簡単に言うと“子どもの人格を認めろ”ということです。この本の中にも、悪い友人からの電話に対して、メモを取り、必死の思いで娘に伝える親の姿が度々出てきますが、たとえ「非行」に走ってしまった悪い子であっても、その子はその子なりに一人の人間として生きており、家の外での人間関係やつきあいを持っています。そのことは、一つの人格として認めてあげなければならないということなのでしょう。

  今回の専門家が出した最初の課題(助言)は、一言で言えば“子どもの人格を認め、一人前の人間として扱うこと。そして、子どもを温かく受け入れてあげること”が、まずは「しつけ」の第一歩(基礎基本)であるということです。
                                                                  まだまだ続きます

08:54 | 投票する | 投票数(185)
2021/03/10

「しつけ」について考える②(監督から)

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 「しつけ」について考える②  監督 齊藤 秀樹

  皆さんは『積木くずし』という本をご存じですか。今からかれこれ30数年前、中学生の「非行」が社会問題として世間を騒がせていた頃に出版され、300万部を超える大ベストセラーとなりました。この本は、ある有名俳優が非行に走った我が子を主人公に書かれたもので、その後テレビドラマ、映画、リバイバル版…が次々に出ましたので、ご存じの方もいるのではないでしょうか。

  では、なぜこの本がこんなにも当時の親たちを夢中にしたのでしょうか。それは有名人が書いたからというより、親たちの中に「もしかしたら近い将来、家の子も…。ひよっとしたら明日にでも我が子が…。」という子育てへの不安が、とても他人事とは思えなかったからではないでしょうか。この本の中では、日に日に非行の度合いが激しくなる我が子と、その娘の一挙手一投足に戸惑い、悩み、オロオロするばかりの親の姿がしばしば出てきますが、これを読んでいくうちに、いつしか登場する親の姿と自分の姿を同一化し、「自分だったらこういう時にどうするか。どう扱えばいいのか。対処はできるのか…。」を一緒になって考え、探し、悩みながら読んでいったのでしょう。

    しかし、私がこの本の中で一番興味を惹かれたのは、実は親と娘との葛藤場面ではなく、親が娘のことで相談に行ったカウンセリングの専門家(警視庁の心理鑑定技師)からの助言と、この助言を必死に守ろうとする両親との闘い場面でした。実はこの専門家からの助言というのは、両親にとっては「こんな馬鹿な。こんなことできるはずがない。」というものばかりだったのです。

 では、専門家からまずはじめに出された助言を紹介します。 

助言1「子どもと話し合いをしてはいけない。」(親の方からは絶対に話しかけてはいけない。もし子どもから話しかけてきたら、相づちだけを打て。しかし決して意見を言ってはいけない。)

助言2「子どもに交換条件を出してはいけない。また、子どもからの条件も受け入れてはいけない。」

助言3「他人を巻き込んではいけない。」(どんなに悪い友人から娘が被害を受けても、決してその友人の保護者に抗議したり、会って相談したりしてはいけない。)

助言4「日常のあいさつだけは、親の方からきちんとしろ。」(それに対して、娘がしなくても叱ってはいけない。)

助言5「友人からの連絡があった時は、それがいかなる悪い友人からの、とんでもない誘いであっても、本人にその通り正確に伝えなければならない。」

    いかがですか。専門家がこの親に何を求めているのかわかりますか。実はここからがおもしろいのですが、今週はここまでにします。次週はこの助言に込められた意味(真意)を説明していきます。

08:30 | 投票する | 投票数(210)
2021/03/03

「しつけ」について考える①(監督から)

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  今年度も残すところ後一ヶ月となりました。世界中がコロナウイルスの感染拡大に翻弄され、その対策、対応のために思うような教育活動ができない大変の一年となってしましました。そんな中ですが、週に一回、屋外の広い陸上競技場を貸し切りにして何とか活動を継続することができました。皆様のご支援ご協力に感謝申し上げます。
           
  「しつけ」について考える①   監督 齊藤 秀樹

【「しつけ」とは】
  『しつけ』という言葉は、辞書によると「礼儀・作法を仕込むこと」(新明解国語辞典)また、「子どもが所属するそれぞれの集団にとって望ましい基本的な行動様式、習慣、価値、態度を教えならすこと」(学校カウンセリング辞典)とあります。
  「心の教育」の充実や重要性が叫ばれて久しですが、「悪いことは悪いとしっかり教える。世の中には、人としてしてはいけないことがあることを理解させる。…。」という『しつけ』という問題について今週から数回に分けて考えてみたいと思います。

【外側からのしつけ】  
  ペットを家で飼う場合、飼い主は部屋の一角に砂や新聞紙を入れた箱を置き、そこで用便ができるように「しつけ」ます。きちんとできたら餌などのご褒美を与え、できないと叱ったり、時には叩いたりしてできるまで練習させます。ペットをしつけるには、このような方法が最も効果的で、手っ取り早くしつけることができるそうです。  このように『しつけ』には、いやでも何でも無理矢理やらせることによって「慣らしてしまう」(できるようにさせてしまう)という方法があり、これを「外側からのしつけ」と言います。 
  教師も保護者もそうですが、「この子を何とかしたい」「このままではまずい」という気持ちが強ければ強いほど、手段を選ばずにできるだけ短期間でよりよい成果を求めたくなります。例えば、家庭学習の一覧表を貼りだし、そこにシールを貼って背比べ競争をさせるとか、約束が守れなければ、グラウンドを走らせたり、残り掃除を命じるとか、百点を取ったら小遣いをあげる…の方法です。 
  このように競争をさせたり、罰を与えたり、報酬を与えたりすることによって、できるようにしていくというやり方は、前述のペットを慣らすのと同じで、時にとても効果的なしつけ法です。 
  しかしこの方法には、実は大きな欠点があります。子どもは罰がいやで(報酬がほしくて)やっているわけですから、たとえ一時期その人の前ではできるようになっても、別の場所や違う人、環境によって、すぐに元に戻ってしまうことが多いようです。

【内側からのしつけ】 
    人間の子どもを育てるというのは、ペットをしつけることとは違うのではないかと思います。そこで「内側からのしつけ」をお薦めします。「内側からのしつけ」というのは、簡単に言えば「自分自身の判断基準で、自分からやろうとすること」です。このしつけ法には、次の3つのステップがあります。

①「理解」…何でそれをするのか。なぜしなければならないのかがわかっていること。
②「方法」…それをどうやればよいのかを知り、やり方を身につけること。
③「意欲」…自分からいつも進んでやろうとすること。
 

  例えば「食事の前には必ず手を洗う」ということをしつけたいなら、まずは①衛生面、健康面、マナー等から、その必要性を子どもが納得いくまでわからせます。次に②子どもを水道の前に連れて行き、石けんを使って何度も繰り返し洗わせ、正しい手の洗い方を身につけさせます。③後は、その子が自分からやる気になればよいのです。
  こう書くと実に簡単そうですが、これはけっこう根気がいる仕事です。「どうしてやらなければいけないの」(理解)と「どうやればいいの」(方法)はどちらかというと解決しやすいのですが、一番やっかいなのは「やる気がしない」「面倒だからやらない」(意欲)という問題です。どうしてやらなければならないのかはわかっているし、やり方も知っている、だけどやらない?…。「ふざけるな!」と怒ってみても仕方ありません。  「子どものやる気を引き出す方法」というのは、詳しく書くと長くなりますので、別の機会に回します。要は山本五十六の名言“やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は育たず”ではありませんが、信じて、認めて、ほめて、励ます」ことを繰り返し、長い目で子どもを見守ることが大切です。                             つづく

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