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「友だち」とは(監督から)日誌01/09 14:26
1月~3月の重要性(監督から)日誌01/03 08:43

          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

日誌
12345
2026/01/09new

「友だち」とは(監督から)

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 「友だち」とは   監督 齊藤 秀樹  
 マザーテレサは「人間にとって最も不幸なことは、貧しいことでも、病気になることでも、お腹を空かせて死ぬことでもない。誰からも相手にされないこと。みんなから捨てられ寂しい思いをすることだ。」と言っています。

    昨年ある教え子のお母さんから、子どもが学校でいじめを受けて困っているという相談を受けました。何でも他の子には言わないと約束したことを、ついうっかりしゃべってしまって、それ以降仲の良かった友人たちから無視され、仲間はずれになっているというのです。食事ものどを通らず、毎朝「学校に行きたくない」と大泣きする毎日で、とても困っているという話でした。原因を作ったのは確かに本人ですが、もうやってしまったことなので今更悔やんでも仕方ありません。
 しかし端から聞いていると、そんなに嫌で、そんな友人たちなら、こちらから相手にせず、グループを抜けて、新しい友達を作ればいいと思うのですが、本人はどうしてもそういう気にはなれないらしいのです。つまり、子どもにとって友だちというのはかくも大切なものであって、それがたとえ自分に対して被害を及ぼしてこようとも、友だち関係を失ってしまうことはそれ以上に耐え難いことなのでしょう。

 そういえば、昔読んだある本の中に「日本人の子ども観」という章があり、その中に“七つ前は神のうち”という言葉がありました。私たち日本人は“子どもは純粋で汚れ無き存在”という考えの基、「子どものやったことだから」という一言で、たいていのことは大目に見て許してしまっているところがあるのではないかと思います。
 しかし実はこういう「性善説的な子ども観」の中に大きな落とし穴が潜んでいることが多いものです。私は昔から子どもが大好きで、かれこれ40年以上も教員という仕事を続け、休日もたくさんの子どもたちを集めて陸上クラブを主催していますが、そんな私から見ても、子どもというのは、決して純真で汚れなき存在ではなく、けっこう平気で残酷なことを言ったりしたりするものです。
                                                          
 先日ある高齢者の方(Aさん)から貴重な体験談を伺う機会がありました。Aさんが中学校に通っていた終戦後間もない時代の話です。誰もが一様に貧乏だった世の中で、友人の一人にいわゆる良い家のお坊ちゃんがいて、その子はいつも弁当にサンドウィッチを持ってきていたそうです。Aさんはそれがうらやましくてしかたなかったそうですが、ある日そんな息子の願いをいつも聞いていた母親が、イチゴジャム(粒のないのりみたいなもの)のついたサンドウィッチを持たせてくれたことがあるそうです。その日の昼食時、その友人がAさんのサンドウィッチを見て「俺のと交換しよう。」と言ってきたので一切れ取りかえたのですが、なんとその友人は「なんだジャムか。」と言って、一口も食べずにゴミ箱に捨ててしまったそうです。Aさんがもらったサンドウィッチにはコンビーフのような肉がぎっしり詰まっていたそうです。この時代にこんなものを食べられる人がいるのかと強烈なショックを受けたそうです。 

    考えてみると友だちというのは実に残酷なことを言ったりしたりするものです。親が子どもに知らせないよう努力してきた「人生の真実」(Aさんの場合は「貧富の差」)を一瞬のうちに壊し明らかにしてしまいます。

 学校という所は、別々の個性を持った子どもたちが一カ所に集まり、集団生活の中で多くの時間や空間を過ごす場所です。ですから、そこでは度々弱肉強食の争いが起こります。うちの子は集団生活が苦手だからという理由で、毎日家の中に閉じ込めて、親の庇護のもと温室で育てておくわけにはいかないのですから、集団での様々な活動の中で、人との関わり方を学び、子ども自身がたくましく心豊かに成長していくしかありません。その支援者として大切な体験を提供し、時に人生を教えてくれるのが友だちという存在です。
 
 そういう意味で、友だちとは極めて大切な成長への援助者だと言えるかもしれません。


14:26 | 投票する | 投票数(25)
2026/01/03

1月~3月の重要性(監督から)

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 あけましておめでとうございます(日本語)・Happy New Year(英語)
Bonne Annee(フランス語)Buon anno(イタリア語)
Frohes neues Jahr(ドイツ語)・新年快楽(中国語)…。 
 本年も白井アスレチックアカデミーをよろしくお願いいたします。今年も、新年お馴染みのこの記事で2026年をスタートしたいと思います。
           
   1月~3月の重要性   監督 齊藤 秀樹
【1年のまとめ】 
   後期後半の1月から3月は今の学年最後の3ヶ月であり、1年のまとめの時期でもあります。今年度の4月~12月までにやり残したことや、できなかったこと、わからなかった内容はないかもう一度振り返ってみて、全ての面で総点検をし、残り3ヶ月中にしっかり身につけておきましょう。
 物事には「段階・順番」というものがあります。2年生のかけ算九九ができなければ、その後に出てくる分数や小数のかけ算はできないし、高学年で出会う通分や約分もできません。また、水に浮けない子は決して泳げないし、自分のことも自分でできない子が、他人のために何かをやってあげられる「思いやりのある子」には決してなれません。
 このように今やっておかなければならないことをそのままにしておくと、必ずその「つけ」が後々の自分を苦しめることになります。簡単な例えを出して説明すると、4年生で習得すべき学習内容が「10」だとすると、4年生で「8」しか身につかなかった子は、次年度の5年生では10+2=「12」の内容を理解し、身につけなければならないことになります。更に、小学校時代に身につけるべき習得内容を「100」として、6年生終了の段階で「70」までしかできていなければ、中学校では「130」の内容を身につけるために大変な努力をしなければなりません。こういうことが繰り返されていくと、いざ自分の進路選択をするときになって、「あの時しっかりやっておけばよかった。」と後悔しても取り返しがつかないことになってしまいます。
 どうぞまとめの期間である1月から3月のうちに、やり残し、持ち越しがないようがんばりましょう。

【1年の始まり】
    ○年生という学年はそのままですが、1月から3月は2026年の初めでもあります。日本は古くから「1年の計は元旦にあり」と言われてきました。年の初めは誰しもが「今年こそは…」という目標を持つはずです。「始めよければ全てよし」「千里の道も一歩より」「はじめのボタンを掛け違えると、最後のボタンははまらない」等のことわざがあるように、年の初めに「最初の一歩」を大切にしたいものです。
 以前にも何度か書きましたが、ノーベル賞受賞者の数学者である広中平祐氏は「人は目標を持つか持たないかで、その後の結果に大きな違いが出る。」と言っています。新年に当たり、まずは今年の目標をしっかり持って、できるだけ早く「最初の1歩」を踏み出しましょう。

【次学年への心の準備】
  「1月は行く。2月は逃げる。3月は去る。」と言われるとおり、1月から3月は1年で一番短い期間です。あと少しで、1年生は2年生に。4年生は高学年(5年生)に。5年生は最高学年(6年生)に。そして、6年生は中学生になります。
 実はこの進級・進学時に、上手く環境やシステムに適応できずに不登校になってしまう子が結構多いのです。特に6年生は「中一ギャップ」と言って、中学1年生になると小学校6年生の約3倍の子が不登校になってしまうそうです。次学年になってから適応していければいいのですが、今のうちから1年生と2年生の違い、低学年と中学年の違い、中学年と高学年の違い、そして小学校と中学校の違いを知り、その準備をしておくことはとても大切なことです。
 そういう意味で、1月から3月は「次学年への心の準備」でもあることを自覚して生活してほしいと思います。

 私は校長時代の1月の始業式で、毎回このような話を子どもたちにしました。「今までと同じではない」という新たな気持ちで、後期後半(残り3ヶ月)をスタートしてほしいと願っています。

08:43 | 投票する | 投票数(59)
2025/12/27

手伝いのススメ(監督から)

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 手伝いのススメ  監督 齊藤 秀樹

 突然ですが保護者の皆さんに私からお願いがあります。それは、この冬休みを使ってぜひとも「家庭で子どもに手伝い(仕事)をさせてください。」ということです。こう書くとおそらく何人かのお母さんから「そんなことを言われても、うちの子は塾や習い事で毎日忙しく、そんなことをしている暇はありません。かわいそうです。」という反論が返って来ると思います。

    しかしよく考えてみると「かわいそう」と子どもをかばっているつもりでも、実は子どもから「一人前に扱われる喜びを奪っている」のではないかと思うのです。家庭というのは社会生活の一番の基本であり、「共同体」です。家族それぞれが個々の特性や人格を認め合うことで成り立っています。これから社会に出て自分一人の力で世の中をたくましく生き抜いていくためには、まずその最も基本となる家庭の中で“自立”し、家族みんなから“役に立つ存在”として認められることによって、はじめて外の社会(学校や社会)に胸を張って踏み出していけるのです。「あなたの仕事は勉強と運動よ。あなたがよい成績を取ってくれることが一番の親孝行なんだから。後の余計なことは全てお母さんに任せて…。」と上げ膳据え膳で尽くすのは、私から言わせれば単なる親の自己満足であって、それとは気づかずに子どもを自分では何もできない“操り人形”にしてしまっていることにはならないでしょうか。

 ただし、ここで間違えてもらっては困るのが、家の仕事や手伝いをさせることは親が楽をするためだと思いがちですが、それは全く逆です。子どもに任せる(やらせる)というのは、楽どころか返って邪魔なことが多いものです。だって自分がやってしまった方がずっと早いし、きちんとできるからです。そういう意味で、子どもに任せるというのはとても根気と忍耐がいる仕事(子育て)です。

 クラスの中でもそうですが、クラスの仲間や先生から頼りにされ、一人前の人間として認められ、みんなの役に立っているという「存在感」や「有用感」を持てるということは、子どもにとってはこの上ない喜びです。

 マザーテレサが「人間にとって一番不幸なことは、お金がないことでも病気になって死ぬことでもない。誰からも相手にされないことだ。」と言っている通りだと思います。
どうぞこの機会に手伝いをさせてください。家庭での手伝い(仕事)は子どもの重要な子育て(教育)だと思います。

07:36 | 投票する | 投票数(96)
2025/12/18

「ホームページ」の充実(監督から)

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 今年も残り後わずかとなりました。いつもホームページ及びこの「監督から」をご愛読いただきありがとうございます。毎回ずらずらと勝手なことを長文で書いていますので、「忙しくて読むのが大変だから、もっと簡潔にまとめてほしい。」という方もいると思いますが、「お母さんは『監督から』の大ファンだから、いつも金曜日になるとすぐにホームページを見ているんだよ。」「家のお父さんは『監督から』をいつも会社に持って行って、同僚のお父さんたちにコピーして見せているんだって。」という一部の強力な「SAA信奉者」の方々に支えられ毎週何とか書き続けています。
 今年もお世話になりました。どうぞよいお年をお迎えください。

「ホームページ」の充実    監督 齊藤 秀樹
                                           
 このSAAのホームページがまもなく140万アクセスを迎えようとしています。100万アクセスを達成してからわずか1年ちょっとでこの数字になりました。本当にありがとうございます。では今回は私がホームページを重視する理由を書いていきたいと思います。
 
 一昔前になりますが、あるテレビコマーシャルに対する視聴者からの投稿欄(新聞紙上)に、大変興味深いやりとりが数週に渡って掲載されていました。
 そのコマーシャルは、母親と赤ちゃんが画面いっぱいに出てきて、仲むつましくじゃれ合っているというシーンで、母と子の愛情いっぱいの姿が、実に美しくほほえましく表現されている映像でした。

 しかしこれに対して「あんなコマーシャルは見たくもないから、すぐに止めてほしい。」という一件の投稿がありました。するとこれに対して、次の週に何百件というすごい数の反論が紙面を賑わし、「人間のもっとも美しい、生命の原点ともいうべきすばらしいシーンをなぜ否定するのか。…」という一斉反論が起こってしまいました。しかしその後様々なやりとりや解説から、「止めてほしい。見たくもない。」と書いた人は、実は子どもがほしいと願いながら何年も子宝に恵まれず、先頃やっとのことで妊娠したと思ったら、不幸にも死産してしまい、このコマーシャルが前触れもなく突然流れてくるたびに、辛くて悲しくて仕方なかったということがわかりました。

 同じテレビを見ていても、見る人の立場や心理状態によって、その受け取り方は様々あるものです。大多数の人が「かわいらしい」「ほほえましい」と思っていても、「見たくもない」「お願いだから止めてほしい」という人がいるのは事実だし、それに対して自分勝手な批判をするなと言っても、その人の苦しさや悲しみは、他の人にはわからないのだから何とも言えません。即ち、同じことでも、人の見方、考え方は全て個に属するということです。

    SAAは毎年100名を超える別々の個性や生い立ちを持った子どもたちを、別々の環境や考え方を持った家庭(保護者)から預かり育てています。ですからクラブが「こういう考えで、こういう活動に力を入れて、子どもたちを育てたい。」と言っても、それに対して賛成・反対は当然出てきます。最近各学校で個人面談が行われているようですが、各担任に対して「もっと宿題をたくさん出してほしい。」という家庭もあれば、「勉強は学校の中でしっかり教えてください。家では机上ではできない体験や子どもの才能を伸ばす学習をさせたいので…。」という方もいるでしょう。

 要するに大切なことは「SAA(学校や担任)のやり方は、私とは違うけど、何をしたいのか、どんな子どもに育てたいのかはよく理解できる。そしてその実現のために、監督(先生方)は常に全力で子どもの指導に当たってくれ、子どもたちは活き活きと活動(学校生活)に取り組んでいる。」ということだと思います。
 学校も家庭も「子どもをかしこく、たくましく、よりよい子に育てたい」という思いは同じはずです。

 学校の考え方や子どもの活動の様子が常に学校だよりやホームページで公開されているということは、例えば、本校の子どもたちは「連帯」の力が弱いので、クラスみんなで心を一つに団結して優勝と記録更新をめざす「長縄とび」を頑張らせている、という学校の取り組みが理解されていれば、「家の子は長縄が嫌だと言っています。是非やめてほしい。」等という保護者からの苦情が、学校に寄せられることはなくなると思います。

   SAAは、これからもクラブでの教育活動を機会あるごとに保護者の皆さんに公開し、このSAAだより「監督から」やホームページを通して、SAAの教育方針や教育内容を説明し、理解と支持を得る努力を継続していきたいと思います。

10:02 | 投票する | 投票数(130)
2025/12/12

目標に向かって努力すること(監督から)

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目標に向かって努力すること  監督 齊藤 秀樹

    今年もまもなく終わりに近づいています。この紙面でお知らせした通り、全国大会に千葉県代表として出場した100mと男女混合リレーでは、全国2位(銀メダル)と全国3位(銅メダル)を獲得し輝かしい成績を収めることができました。たくさんの応援ありがとうございました。子どもたちはSAAの練習日以外にも平日特別練習を行ったり、バトンを自宅に持ち帰って自主練をしたりして精一杯の努力をしていました。だからこそ都道府県記録ランキングで28位だったチームが記録を2秒も縮めて3位入賞するという奇跡が起きたのです。そこで今週は久しぶりに、日本人で初めて米国野球殿堂入りを果たしたイチロー選手の考え方や生き方、努力について書いていきたいと思います。

【持続力】
    よくイチローを天才だという人がいますが、イチロー本人は「自分は天才ではないし、天才なんて言われたくない。」と言います。彼は小学校5年生の時から父親に連れられてバッティングセンターに毎日通い、40才代で引退するまで血のにじむような努力を積み重ねてきました。本人曰く「自分はバットを振るのは好きではないが、振り続けていないとヒットが打てなくなるので、今でも毎日振り続けている」そうです。そもそも天才というのは“努力しないですごいことができる人”のことで、イチローは長年誰よりもたくさんバットを振り続けてきた「努力の人」ということになります。彼を見ていると「質より量を稼ぐこと(たくさんやること)が大切」だということ。「努力は裏切らない」ということ。そして何より「一番うまい人が一番努力したら誰もかなわない」ということがよくわかります。

【モチベーション(やる気)】
    1つのことに熱中するためには「モチベーション」(やる気・活力)を高め、維持し続けることが大切だと言われています。一般的にモチベーションを高めるためには「外発的動機」と「内発的動機」の2つがあります。

 「外発的動機」というのは、①「金銭報酬」(その結果に見合っただけの金銭がもらえること)、②「地位」(実力や結果に見合った地位や役職がもらえること)、③「責任」(役立つ存在として頼られ、責任ある仕事を与えられること)等が考えられます。
 それに対して「内発的動機」というのは、簡単にいうと「自己実現を図る」ことで、目標に向かって努力し、それを達成させる喜びのことです。イチローのモチベーションの根底は、何といってもこの「自己実現」へのこだわりです。完璧なバッターになりたいという思いから、彼は常に最高の自分を追い求めてきました。9年連続200本安打という大リーグ記録を塗り替え、安打数世界記録を塗り替えた時でも、「もっと上手くなりたい」と日々思っていたそうです。

    ある研究によると、「モチベーション」と「目標設定」の間には相関関係があるそうで、簡単に達成できる低い目標や絶対に達成できそうもない高い目標を設定してしまうと、モチベーションは極端に落ちてしまいます。一番いいのは、もう少しがんばれば達成できそうな目標(60%達成可能)の時が、一番モチベーションが高くなるそうです。
 しかしイチローの場合は、達成可能な目標ではなく、遙かに届きそうもない高い目標設定することで、究極の自分を創り上げようとしていました。私たち一般人にはなかなかできないことですが、“一流になるということは、高い遠くの目標を持ち続けること”なのかもしれません。

 さて、我が子を将来一流のアスリートや芸術家にしたいと考えている方は多いのではないでしょうか。「努力の大切さ」「自己実現へのこだわり」「目標を持つこと」等のイチローの生き方や考え方は大切なヒントを与えてくれていると思います。


07:47 | 投票する | 投票数(163)
2025/12/05

子どもを輝かせるには(監督から)

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 子どもを輝かせるには    監督 齊藤 秀樹

    確か昨年の「監督から」でも書いたと思いますが、私の教育理念の基本でもありますので、今一度書いていきたいと思います。

 「子どもには無限の可能性がある」「子どもは誰でもよい芽を持っている」私は常々そう信じています。私たち指導者の仕事は、「子どもの中に秘められた無限の可能性を、発見し、引き出し、伸ばし、輝かせること」だと思っています。

    私は休日を使って、SAA(白井アスレチックアカデミー)を30年以上にわたって主宰してきました。その中で今までに総勢170名を越えるの子どもたちを千葉県大会で優勝させ、全国大会に出場させてきました。そこで今までの陸上指導者としての経験から、私が「子どもを伸ばし、輝かせる」ために常に大切にしていることを3つ紹介したいと思います。

【活力ある子どもを育てること】
 走ることが得意でも、苦手でも、適切な指導を受ければ誰でも必ず足は速くなります。そういう意味で私は教育の可能性を信じています。しかし、同じ指導を受けていても記録が飛躍的に伸びて、どんどん速くなっていく子もいれば、少しの向上で止まってしまう子もいるのは事実です。それはなぜでしょう。私は「活力」だと思っています。「活力」とは自分から「上手くなりたい。強くなりたい。できるようになりたい。勝ちたい。」という子ども自身が持っている「内面からのエネルギー」のことです。指導者がどんなに熱心に丁寧に上手に教えても、子ども自身に「活力」がないと決して子どもは伸びません。まず「活力ある子ども」を育てることが大切です。
 活力ある子を育てるには「やればできる」という体験をたくさん味わわせることです。「やった。できた。わかった。うまくなった。バンザイ。」という体験は、子どもに自信を与え、子どもを大きく変容、成長させる原動力となります。

【夢を目標に変えること】
    ノーベル賞受賞者で数学者の広中平祐氏はその著書の中で「自分で目標を決め、それに向かって努力するかしないかで、その結果に大きな違いが出る」と書いています。
 よく「夢」と「希望」と「目標」を同じだと考えている人がいますが、実はこの三者には微妙な違いと順番があります。まず「夢」(できたらいいな)を持つことです。そしてその「夢」に向かってがんばり続けることで、可能性が出てきます。可能性が出てくると「希望」(できるかもしれない)という明かりが差し込み始めます。ただこの「希望」は未だ弱い望みなので、これを強い望み=目標に変えていかなくてはいけません。この希望を「目標」(やればできる)に変えることができたときに、人はすごい力を出すことができます。私が指導しているSAAの子どもたちは、常に千葉県大会で優勝し、全国大会に出場して、日本一になることを目標にして練習に取り組み、大会に望む子どもたちです。目標がもし「県大会に出場して入賞すること」だったらこんなに長年勝ち続けることはできなかったと思います。目標が実現できたときの感動・感激体験は、一生忘れられない宝物になり、これからの人生の生きる自信につながります。

【素直な心を持つこと】 
    運動能力や技術は、一生懸命に練習を積み重ねていけばある程度は身につきます。しかし、伸びる子どもの一番の資質は実は「素直さ」だと思っています。素直で謙虚な気持ちで練習に臨める子は、多くの人から指導や助言をもらうことができます。またその指導や助言に対して、すぐにそれを吸収し自分のものにすることができます。素直さは子どもを向上、成長させるとても大切な資質だと思います。素直な心を持った子どもたちを育てたいです。

07:32 | 投票する | 投票数(184)
2025/11/28

「競争心」について③(監督から)

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 「競争心」について③  監督 齊藤 秀樹

 運動会は、大勢の友だちや大人達が見ている前で、ハッキリと勝敗や順位が決まる場です。だから勝てば喝采を受けてとてもいい気持ちになる反面、負けたときはとても悔しい気持ちになります。
 それを受けて、「たくさんの観衆の前で順位をつけるような競走は好ましくない。」「遅い子がかわいそうだ。」という一部の保護者からの反対論に押され、運動会で徒競走を中止する学校や、中には徒競走はみんなで手をつないで横一列でゴールするという学校まで出てきてしまいました。

 これは間違っていると思います。

 たかだか一年に一度の運動会のたった一つの種目にこれほど神経質になる必要があるのでしょうか。数多くの多様な個性や能力を持った子どもたちが集まり生活する、それが学校というところです。ですから「みんな違ってみんないい」し、「人との違いを認め、個性を尊重し合える心の強さや大きさを持ってほしい」と思っています。「ひいきだ。」という言葉を気にした“形式的平等”は、子どもたちから「自分なりに精一杯がんばる」という“活力”を減退させます。
 
 日常の学校生活では控え目でおとなしく目立たない子でも、「かけっこ」だけは得意で、自分の唯一の特技だという子が、一年に一度晴れがましくゴールテープを切り、輝いたっていいじゃないですか。「ずるいな。あいつばかり目立って。むかつく。」なんて思う子は、あまりに心が狭く貧しすぎます。私は素直に「すごいね。さすがだね。おめでとう。よーし、ぼくは得意の漢字でがんばるぞ。」という子を育てたいのです。
 
 走るのが苦手で徒競走がビリだって、歌が抜群に上手い子や、計算が速い子、友達を作るのが上手な子、身体が丈夫で一日も学校を休まない子はたくさんいます。子どもたちには誰にでも、これだけは人に負けないというものが必ずあるはずです。
 この世の中に競争のない世界なんてありません。子どもの頃に競争することから遠ざけられた子どもたちが、社会に出て行ったとき、現実の世界に対応することができず辛い思いをするのは本人です。
 
 自分の得意不得意を事実として認め、自分探しをしながら自分に一番合った職業を選択し、競争社会をたくましく生き抜いていくための力を、子どもの頃から身につけていくことはとても大切なことだと思います。
  
 「競争」では負けた悔しさと勝った喜びを味わうことができます。私は負けた悔しさがあるからこそ、勝った喜びがあると思っています。そしてこの体験は、跳び上がってバンザイしたくなるほどの感動・感激体験として心と体の中に刻み込まれます
 同時に、自分と他人との違いを受け入れ、認め、尊重する豊かな心を育てます。
 
 私たちの仕事は一人ひとり違う個性や能力を持った子どもたちを、あらゆる場面で、一人でも多く輝かせることだと思っています。
 競争心は、優劣がつくという厳しい現実の中で、勝利という目標に向かって、少しでも自分を成長させるために、自分の持っている無限の可能性を引き出し、伸ばすために「必要」だと思います。
 ただし、その使い方や活かし方をよく考えて使うのは、私たち大人の役割です。
                                    完


07:21 | 投票する | 投票数(215)
2025/11/21

「競争心」について②(監督から)

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 「競争心」について②  監督 齊藤 秀樹

    先週は競争心を「ただ勝てばよい」というマイナス面ではなく、「勝つために最大限の努力をする」というプラス面で考えていく必要がある。というところまで書きました。今回は「子どもをダメにしてしまう競争心の使い方」(マイナス面)について考えてみたいと思います。
 
 親なら誰しも我が子をよい子に育てたい。何としてもがんばってほしいと願い、大きな期待をかけていることと思います。これは当然のことだと思うし、なくては困ります。 しかし実際には、なかなか親の思い通りにはいかないことも事実です。そこで親として様々な働きかけを子どもにしますが、その1つとして「競争心をあおる」という方法があります。しかし実はここに、大きな落とし穴が潜んでいる場合があります。今回は実際に私が担任時代に出逢った事例から考えてみたいと思います。

事例①
   マラソン大会が間近に迫ったある日のこと、S君が私の机の前にやってきて「先生、今度のマラソン大会で10位以内になったら、お父さんが自転車を買ってくれるって。僕がんばるから。」とうれしそうに話しかけてきました。私も「よかったな。がんばれよ。」と励ましました。いよいよマラソン大会当日、私は各学年の子どもたちと一緒に走っていましたので、結果については全く知らずに、大会後の後片付けをしていました。そこへS君と仲の良いT君が困った顔でやってきて、私にこう訴えました。「先生どうしよう。S君が順位カードを取り替えてくれってしつこく言ってくるんだ。一生のお願いだから。一番の親友だろって…。」実はS君が11番でT君が10番だったのです。
 
 実はこういう話は珍しいことではありません。「成績が上がったら小遣いを増やしてくれる。」「100点取ったら、100円くれる。」「優勝したら携帯電話を買ってあげる。」何としてもがんばってほしいと望む親の働きかけが、「物」や「金」でやる気を出させ、競争心をあおるという形になってしまった結果、子どもは不正だとわかっていても無理をしようとします。そして、これが繰り返されると、報酬なしには努力をしない“打算的でずるがしこい子”になってしまう恐れがあります。

事例② 
    十数年前の家庭訪問での出来事です。玄関に入るとご両親がそろって出迎えてくれましたが、何とその第一声が「先生、うちの子いい子でしょう。私たち夫婦の自慢の子どもなんです。」でした。
 その子は確かに性格も穏やかで、友人にも優しく、勉強も出来る子どもでした。でもなぜか伸び伸びとした子どもらしさがない子だなと思っていました。そんなある日、私は信じられない光景を目撃してしまったのです。朝早く誰も登校していない教室で、その子が今日実施する予定のワークテストの解答を、私の戸棚から盗み見しているところを…。放課後その子を呼んで、なぜそんなことをしてしまったのかをよくよく聞いてみると、涙ながらに「どうしても百点を取って、お父さんとお母さんにほめられたかった。」「両親の喜ぶ顔を見て、あなたは本当にいい子ね。」と言われたかったそうです。「先生うちの子いい子でしょう。私たちの自慢の宝物なんです。」と言われ続けてきた結果がこれです。その子は残念ながらその後も、冬休みの書き初めの宿題に、私が全員に書いて配った手本を、明らかに下に敷いて写し書きにした作品を持ってきたことがありました。理由は前と同じ、良い賞を取ってほめられたかったからだそうです。ダメだと言われ続ける子もかわいそうですが、良い子と思われ続けるのも辛いものです。親の勝手な世間体や見栄で、常にプレッシャーを受けて、よい子を演じてダメになっていく子というのも少なくありません。

 目先のことだけを考え、あせって結果を出そうと「誤った競争心の使い方」をすると、後で取り返しのつかないことになります。競争心は必要だと思います。しかしその使い方によっては善にも悪にもなる可能性があることを心に置いて、広く長い目で、今子どもに何を培うことが必要なのかを考えることが大切だと思います。    

                                  つづく

06:49 | 投票する | 投票数(244)
2025/11/14

「競争心」について(監督から)

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   「競争心」について   監督 齊藤 秀樹
   ここ近年全国のあちこちから「運動会がつまらなくなった。」という声をよく聞きます。これは何も、運動会という行事を、教師の負担が大きく、授業時数も不足しがちなので、できるだけ練習時間を少なくして、春先や平日に質素に実施してしまおう、親の弁当づくりの負担をなくすために半日行事にしようという学校が増えてきたからということだけではなく、いつの頃からか「子どもに勝敗や順番をつけるような競争(競走)はしない方がよい。」という風潮が広がってきてしまったからです。
 
 特にそのやり玉に真っ先に挙がったのが徒競走で、「たくさんの観衆の前で、速い遅いを見せる必要はないのではないか。」「遅い子がかわいそうだ。」という一部の保護者からの猛烈な反対論がきっかけだったようです。その結果、運動会から徒競走をなくした学校、さらに、全員で手をつないでゴールする学校まで出てきました。皆さんはこれをどう思いますか。

 久しぶりに今回から数週にわたって「競争心は必要か」というテーマで書いていきたいと思います。おそらくこのテーマは、保護者の中でも意見が二分する(「競争心がなければ子どもは成長しない」対「競争心をあおることは子どもにとってマイナスである」)議論になると思います。ですから、私の考えに対する各家庭からの賛否両論はどんどんお寄せください。できるだけこの紙面で紹介し、共に考えていけたらと思っています。

 「競い争う」という考えは、人間が持っている本能として、誰もが昔から身につけている資質ですが、現在の日本における「競争社会」の始まりは、おそらく明治時代の福沢諭吉に代表される「能力主義」あたりではないかと考えられます。有名な“人は生まれながらにして身分や地位は平等であり、能力さえあれば、努力さえすれば、誰もがそれに見合った地位で活躍し、豊かな生活が送れる”という能力主義の考え方です。
 
 この考え方こそ、明治以降、欧米に追いつき追い越そうと、全力をあげてがんばってきた日本人の基本理念であり、途中「戦争」という苦難を乗り越えながらも、今の日本の国際的な地位や発展につながっています。しかしこのことが、ひたすら金儲けのためだけに働き、自分の国さえ良ければ、自分の会社さえ良ければいいという生産競争意識を生み、結果として海外からの非難を生み、目の敵にされることもありました。また国内でも、出世競争や受験戦争を生み、競争率の高い有名校へ合格し進学することが、その個人としての有能な証とされ、ただ他人に勝つことが、相手を蹴落とすことが…という個人主義的意識に向かいすぎてしまいました。
 
 こう書いていくと、やはり「競争はよくない」という結論になってしまいそうですが、反面、資源のない国、他国から遠い小さな島国、戦争で負けた国である日本に、競争心がなくなってしまったら、これ以上の発展や安定は望めないだろうし、立身出世という夢があるから、受験という壁があるからこそ、皆、日夜がんばって努力しているんだという事実も否定できません。
 
 即ち、「競争」というものを、「ただ相手に勝てばよい。」というマイナス面から見るのではなく、勝つために「精一杯の努力をする」というプラス面で考えていくことが必要なのではないかと思います。                  つづく


14:32 | 投票する | 投票数(268)
2025/11/07

子どもを「一流」にそだてる③(監督から)

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子どもを「一流」に育てる③       監督 齊藤 秀樹

 先週は、自分の意志で決めたことは最後までやり抜くことができる。そしてこのことは「自分で決断したことは、最後は自分で責任を取る」という①「自己理解」(自分を知る)、②「自己判断・自己決定」(自分で考え、自分の意志で決める)、③「自己責任」(自分で決めたことは自分の責任)という生きる力につながります。そして、こういう体験が何事も最後までやりとげる力の礎になるということを書きました。

【親は子どもの応援団であれ】
 さて、オリンピックや世界大会でよく見る光景ですが、多くのメダリストたちが試合後のインタビューで「ここまでこれたのは両親のおかげです」と言い、もう亡くなってしまった親には、遺影を抱きながら「一緒に戦って助けてくれたんだと思います。」「天国から誰よりも喜んでくれていると思います。」というコメントを残しています。
  子どもという原石をダイヤに磨き上げるのに最も大切なことは、子どもが強い興味を示し、やりたいと決めた対象があれば、それを追求し極めるまで親は徹底的に応援することです。親の応援は子どもの強いモチベーションにつながり、物事を継続しやりとげる力を育てます。

 子どもの才能を開花させるには、親の存在抜きで語ることはできません。世界的なヴァイオリニストのチョン・キョンファさんは、母親が必死に食堂を経営しながら子どもを留学させ、その才能を開花させました。盲目のピアニスト辻井伸行さんのお母さんは、音楽の素人でしたが、おもちゃのピアノを弾く息子の絶対音感に才能を見い出し、電話帳でピアノの先生を捜すことから始めて今の彼を創り上げました。2人とも自分の専門分野ではない才能を見い出し、執念に近い惜しまぬ応援を続けたことで、原石を磨き、その才能を天職につなげた親たちです。おそらく親の応援がなかったら原石は眠ったままだったと思います。

【子どもには「一生懸命さ」と「真剣さ」を求めよ】                         
 子どもの挑戦を惜しみなく応援することの大切さを書いてきましたが、子どものために時間、労力、金銭、環境面で最大限のサポートをするからには、親に「発言権」も「見守る義務」もあります。子どもには「一生懸命、真剣に挑戦する姿勢」を求めなくてはいけません。私の経験から言えば、本当に勉強のできる子は、部活動や習い事をするときも熱心なものです。何に対しても一生懸命だから何をしても優秀なのか、優秀だから何をしても真剣に取り組めるのかはわかりませんが、いずれにしても鍵は「真剣さ」です。一流のアスリートやアーティスト、社会でリーダーとして活躍している人の多くは、小さい頃から親に「一生懸命取り組んでいるときは惜しみなく応援してもらい、一生懸命でないときはこっぴどく叱られた」という育てられ方をした人が多いようです。

 小さいことと見過ごされがちですが、子ども時代の部活や習い事の怠け癖は、その後の人生全般に悪影響を及ぼします。子どもの頃に「怠けてもいい」「人より優れていなくて当たり前」という負け癖を持つか、「少しでも上を目指し、常に向上心を持って努力する」という習慣を持つかは、一生を左右すると思います。私の教え子たちの人生を見ても、「何事も一生懸命打ち込む習慣」を持っている子は、年齢を重ねても、仕事やライフワーク、趣味にその才能を発揮し続け、うらやましいような人生を歩んでいる子が多いです。子ども時代に部活などに一生懸命取り組む経験はとても重要です。向上心や集中力を養い、よき友やライバルと出会い、何よりも本人が主体的に意欲的に人生を歩む上で基礎となる姿勢や習慣を形成できるからです。「一生懸命なときは惜しみなく応援し、怠けたときは厳しく叱る」という教育は「真剣さ」を育てる重要な役割を果たします。

【失敗は叱らずに、次への教訓と考えさせよ】
 様々なことに自分から挑戦する子は、それだけ失敗も多くなるものです。しかし子どもの失敗に対して感情的に激怒してはいけません。子どもは萎縮し、失敗がバレないように隠すことに腐心するようになります。失敗しても叱られず、その原因を自分で考え、そこから何を学ぶかに視点を置いた育てられ方をした子は、「失敗を教訓とし、それを乗り越え、あきらめずに最後までやりとげる力」を身に付けます。


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