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          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

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123
2020/09/23new

子どもを「一流」に育てる③(監督から)

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子どもを「一流」に育てる③       監督 齊藤 秀樹

  先週は、自分の意志で決めたことは最後までやり抜くことができる。そしてこのことは「自分で決断したことは、最後は自分で責任を取る」という①「自己理解」(自分を知る)、②「自己判断・自己決定」(自分で考え、自分の意志で決める)、③「自己責任」(自分で決めたことは自分の責任)という生きる力につながります。そして、こういう体験が何事も最後までやりとげる力の礎になるということを書きました。


【親は子どもの応援団であれ】
  さて、オリンピックや世界大会でよく見る光景ですが、多くのメダリストたちが試合後のインタビューで「ここまでこれたのは両親のおかげです」と言い、もう亡くなってしまった親には、遺影を抱きながら「一緒に戦って助けてくれたんだと思います。」「天国から誰よりも喜んでくれていると思います。」というコメントを残しています。
  子どもという原石をダイヤに磨き上げるのに最も大切なことは、子どもが強い興味を示し、やりたいと決めた対象があれば、それを追求し極めるまで親は徹底的に応援することです。親の応援は子どもの強いモチベーションにつながり、物事を継続しやりとげる力を育てます。


  子どもの才能を開花させるには、親の存在抜きで語ることはできません。世界的なヴァイオリニストのチョン・キョンファさんは、母親が必死に食堂を経営しながら子どもを留学させ、その才能を開花させました。盲目のピアニスト辻井伸行さんのお母さんは、音楽の素人でしたが、おもちゃのピアノを弾く息子の絶対音感に才能を見い出し、電話帳でピアノの先生を捜すことから始めて今の彼を創り上げました。2人とも自分の専門分野ではない才能を見い出し、執念に近い惜しまぬ応援を続けたことで、原石を磨き、その才能を天職につなげた親たちです。おそらく親の応援がなかったら原石は眠ったままだったと思います


【子どもには「一生懸命さ」と「真剣さ」を求めよ】                        
  子どもの挑戦を惜しみなく応援することの大切さを書いてきましたが、子どものために時間、労力、金銭、環境面で最大限のサポートをするからには、親に「発言権」も「見守る義務」もあります。子どもには「一生懸命、真剣に挑戦する姿勢」を求めなくてはいけません。私の経験から言えば、本当に勉強のできる子は、部活動や習い事をするときも熱心なものです。何に対しても一生懸命だから何をしても優秀なのか、優秀だから何をしても真剣に取り組めるのかはわかりませんが、いずれにしても鍵は「真剣さ」です。一流のアスリートやアーティスト、社会でリーダーとして活躍している人の多くは、小さい頃から親に「一生懸命取り組んでいるときは惜しみなく応援してもらい、一生懸命でないときはこっぴどく叱られた」という育てられ方をした人が多いようです。


  小さいことと見過ごされがちですが、子ども時代の部活や習い事の怠け癖は、その後の人生全般に悪影響を及ぼします。子どもの頃に「怠けてもいい」「人より優れていなくて当たり前」という負け癖を持つか、「少しでも上を目指し、常に向上心を持って努力する」という習慣を持つかは、一生を左右すると思います。私の教え子たちの人生を見ても、「何事も一生懸命打ち込む習慣」を持っている子は、年齢を重ねても、仕事やライフワーク、趣味にその才能を発揮し続け、うらやましいような人生を歩んでいる子が多いです。子ども時代に部活などに一生懸命取り組む経験はとても重要です。向上心や集中力を養い、よき友やライバルと出会い、何よりも本人が主体的に意欲的に人生を歩む上で基礎となる姿勢や習慣を形成できるからです。「一生懸命なときは惜しみなく応援し、怠けたときは厳しく叱る」という教育は「真剣さ」を育てる重要な役割を果たします

【失敗は叱らずに、次への教訓と考えさせよ】                        様々なことに自分から挑戦する子は、それだけ失敗も多くなるものです。しかし子どもの失敗に対して感情的に激怒してはいけません。子どもは萎縮し、失敗がバレないように隠すことに腐心するようになります。失敗しても叱られず、その原因を自分で考え、そこから何を学ぶかに視点を置いた育てられ方をした子は、「失敗を教訓とし、それを乗り越え、あきらめずに最後までやりとげる力」を身につけます


07:52 | 投票する | 投票数(26)
2020/09/17

子どもを「一流」に育てる②(監督から)

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子どもを「一流」に育てる②       監督 齊藤 秀樹
  先週は「下手な鉄砲は、いくら撃っても当たらない。」子どもが「活力」(強いやる気や高いモチベーション)を持って頑張り続けるためには、自分から挑戦しようとする力が原点になる。即ち子ども自身を「言い出しっぺ」にすることが重要だということを書きました。

  実は今、こんな偉そうなことを書いている私ですが、自身の子育て(長女と次男)はどうだったかというと、特に上の長女の時には、本人の関心や希望はお構いなしに、私が一方的に2つも3つも習い事に通わせていた一時期があります。その結果、本人にいつも「やらされている感」がつきまとい、受け身でなかなか自主性や向上心の芽は出ませんでした
  今思うと、とても恥ずかしいことですが、そんな自分の失敗や反省も含めてこのシリーズを書いています。


その2…【自分で決めたことは、自分の責任】
  そんな彼女が明らかに変わったのが中学校に入って部活動を選んだ時からです。ある日突然「お父さん、私ハンドボール部に入りたい。」と言い出しました。私としては小学校時代からやらせていた陸上やテニスの方が適性があると思っていたのですが、本人が自分で判断し、決めたことなので、きっと最後までやり抜くことができるだろうと信じ、賛成し応援することにしました。結果的には予想通り、県大会や関東大会に出場して、優勝するというすばらしい実績と思い出を残すことができました。当時娘の入っていたハンドボール部はとても厳しい部活動で、正月早々に合宿があったり、山梨県まで遠征試合に行くといって、早朝4時に学校集合なんてこともしょっちゅうありました。しかし不思議なことに、その間ただの一度も「つらい」とか「辞めたい」という弱音やあきらめを口にしたことはありませんでした。
  やはり、自分の意志で決めたことは最後までやり抜くことができるのです。そして「自分で決断したことは、最後は自分の責任」という大切なことを学ぶことができました。


その3…【途中で簡単にやめさせない】                        
  実はこのハンドボール部の経験の前に、もう一つその前提となる忘れられない出来事があります。それは小学生の時に、本人が「水泳を習いたいので、スイミングクラブへ行きたい」と言った時の話です。私自身も大学まで水泳を続けてきたので、その申し出に大賛成し入会させることにしました。当時そのスイミングクラブには10級から1級までのクラスがあり、月一回の試験で合格すると次の級に進めます。我が子も順調に上手くなり、級もどんどん進んでいきました。そんなある日「もうスイミングを辞めたい」という申し出が本人からありました。話を聞くと何でも2級までは何とか行ったが、どうしても1級に合格できず、もう4回も試験に落ちていると言います。毎週辛そうにバスに乗り組む姿を見るにつけ、かわいそうだから辞めさせてあげようかと正直悩みましたが、私の教育者としての数多くの経験から「途中であきらめずに最後までやり抜く力」というのは、子どもの可能性を引き出し、伸ばし、輝かせるためには決定的に重要な要素だと考えていましたから、「1級に合格するまでは続ける」というゴールを設定し、途中で辞めることを許しませんでした。同時に「自分からやりたいと言い出したことを、途中であきらめるような癖をつけると、全て中途半端な人間になってしまう。自分で決めたことは最後までやり抜きなさい。」と言って続けさせました。

  苦労の末、ようやく努力の甲斐あって、1級に合格した時の写真(満足そうに満面の笑みで賞状を持って写っている写真)は今でも大切に家の壁に飾ってあります。


その4…【最後までやりとげる】
    多くの習い事には通ってはいるが、辞めるのは自由で、いろんな習い事を取っ替え引っ替えやっている子どもをよく見かけます。これでは何一つものにせず中途半端に終わってしまいます。もちろん、中にはすぐに辞めた方が本人の適性のあることに集中できる場合もあるので、一概に一般化できない話ではありますが、「石の上にも3年」「継続は力なり」という諺はダテではありません。「途中で簡単に投げ出さない習慣」を身につけ、小中学生の時代に「初志貫徹」することの経験は、人生を通じて何事も最後までやりとげる力の基礎になると思います。              つづく                   


14:53 | 投票する | 投票数(59)
2020/09/10

子どもを「一流」に育てる(監督から)

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子どもを「一流」に育てる①      監督 齊藤 秀樹

  9月に入り、子ども達も2学期の学校生活を送っている今日この頃ですが、本来ならば日本中がオリンピックの数々の名シーンや日本人の活躍に歓喜し、皆が話題にしているはずでした。スポーツの持っている魅力とその影響力、そしてチームや国家を強く結びつけ、感動を共有できるオリンピックですが、次年度(2021年)には是非開催し、たくさんのドラマを見せてほしいと願います。

  さて私は、オリンピックや国際大会等で活躍した選手の生い立ちや環境と、それを支えた親の「子育て法」には、ある共通点があることを発見しました。そこで今週から子どもを「一流」に育てるには、どんな教育理念や方針が必要なのかについて、私の教え子たちの話も取り入れながらシリーズで考えていきたいと思います。 


その1【やりたいことは自分で決めさせる】
  「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」という諺がありますが、子どもたちの中には、ピアノ、習字、サッカー、ダンス、公文、学習塾、そろばん、英語…とたくさんの習い事をやり、毎日忙しく過ごしている子がいます。しかし、親から無理矢理押しつけられた習い事は長続きしません。まあ親としては将来子どもが困らないようにいろいろなことができる子どもになってほしいという願いがあり、時に自分がやりたくてもやらせてもらえなかった経験から、自分の夢を子どもに託したい気持ちを持つ方もいるでしょう。

  しかし「無理矢理やらされている」と思っているうちは、何をやっても子どもは主体的に真剣には取り組みません。いつも言っていることですが、子どもが成長するために最も必要な資質は「活力」(自分から「知りたい」「わかりたい」「できるようになりたい」「勝ちたい」という内面からのエネルギー)です。たどり着きたくもないゴールに向かって全力で頑張れる子はいません。

 
 そうは言っても、小学校低学年の子どもは、親ほどの情報量をまだ持っていません。自分の中に眠っている無限の可能性(自分にとって何が大切で、自分は何が好きで、何が苦手なのか)が十分理解できていません。そこで親は子どもの性格や能力、教育環境(習い事の先生の質や教育方針)などの情報を収集し、積極的に子どもに提示し、選択肢をいろいろと示してあげることが大切です。しかし重要なのはその選択肢の中から最終的に決断するのは子ども自身だということです。自分で決断し、目標を持ったときの子どもの頑張りは親の予想を遥かに超えます。「下手な鉄砲は、いくら撃っても当たりません」、子どもは自分が「言いだしっペ」になってこそがんばれると思います。 


  ある知り合いの子どもの中に、大きな病院の2代目を次ぐ運命の子どもがいました。母親は強烈な教育ママで、大学は医学部以外は行かせないという厳しい方針で育てられました。ところがどこでどううまくいかなかったのかわかりませんが、彼は高校受験で第一志望校から第三志望校まで全て失敗し、次の大学受験は医学部に三浪までして挑戦しましたが、結局合格できませんでした。その後、彼はすっかり人生の目標を見失い、今はどこで何をしているのか私も友人たちも誰も知りません。利発で素直で努力家だった彼はクラスの人気者でした。そんな彼をあのようにしたのは、本人の意志や選択を全く無視し、進路や人生設計を強制的に押しつけた親のせいだと、当時もっぱらの評判になりました。


    今回出場予定だった日本のオリンピック候補選手の中には幼少時から親の方針で体操や卓球をやっていた例があります。しかし練習を重ねていく中で、間違いなくその競技が好きになり、自分の特技となり、自分はこの道で行くという強い意志を持って努力し続けたからこそ強くなれたのだと思います。きっかけは親でも自分の判断と活力がなければ決して一流にはなれないと思います。   

     引用、参照「一流の育て方」ムーギーキム著      つづく


07:48 | 投票する | 投票数(90)
2020/09/02

「個性」「自由」の落とし穴(監督から)

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「個性」「自由」の落とし穴   監督 齊藤 秀樹


  先週は「みんな違って、みんないい。」のだから「人との違いを認められる豊かな心を育てたい」と書きました。今週は先週の内容とはがらりと変えて、違う視点で「個性尊重の負の部分(落とし穴)」について書いていきたいと思います。


    私の関わっているある教育研究会の調査報告に次のようなデータが載っていました。


○質問 … 「あなたは親や先生に反抗してはいけないと思いますか。」


○回答結果… ・小学生「そう思う」82%  「そう思わない」18%
                ・中学生「そう思う」47%  「そう思わない」53%
                   ・高校生「そう思う」21%  「そう思わない」79%
             
○世界との比較… 日本の高校生  「そう思う」21% 「そう思わない」79%
                      アメリカの高校生「そう思う」82% 「そう思わない」18%
                      中国の高校生    「そう思う」85% 「そう思わない」15%
                  
    さて皆さんはこの結果を見てどのように感じますか。現在の日本は急激に『価値多元型社会』に向かっていると言われています。個性が尊重され、自由が保障されることで、人々の価値観が多様化し、良いことや大切なこと、社会的なルールやマナー(規範意識)は、全て個人によって違うという「個別化現象」が起きています。

  まぁこれはこれで一面とても大切なことだと思いますが、その結果、社会とか集団とかいうまとまりに「求心力」(核となるもの)がなくなり、中心から離れようとする「遠心力」によって、みんながバラバラに好き勝手なことをし出すという現象が起きてしまっています。


    暴力行為、学級崩壊、いじめ、SNSへの書き込み、万引き、援助交際、薬物乱用、オヤジ狩り、授業中の携帯電話、地べたリアン…。今の若者たちの「自由でしょ。勝手でしょ。関係ないじゃん。放っといてくれ。」に何も言えない大人たち。これで日本は本当に大丈夫なのだろうかと心配になります。物わかりのいい「友だち親子」「友だち先生」でもいいのですが、確かなことは、確実に大人の権威は無くなりつつあるということです。


 私は、「やりたいことはやる」「やりたくないことはやらない」という自分の意志や感情のみを主張することは、個性でも自由でもないと思っています。世の中には「やりたくてもやってはいけないこと」や「やりたくなくてもやらねばならないこと」がたくさんあります。そのことをしっかり子どもに教えておかないと、取り返しのつかない個性的な「わがままお化け」が大量に発生してしまうのではないかと心配しています。


    個性を尊重し、その子らしさを認めてあげることは大切なことです。しかし、私たちが大切にし尊重したい個性とは、その子の持っている「よさ」や「取り柄」や「持ち味」であって、悪いところや認められないことは「ならぬものはならぬ」としっかり教えねばならないということを、決して忘れてはいけないと思います。


10:32 | 投票する | 投票数(116)
2020/08/27

「人との違いを認められる力」の育成

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「人との違いを認められる心」の育成  監督 齊藤 秀樹


    ある生徒指導の専門書に「いじめられやすい子の4つのタイプ」というものがありましたので紹介します。①目立ちたがり屋で自己主張の強い子、②おとなしく消極的で目立たない子、③勉強が苦手な子。運動が苦手な子。行動が遅い子等、④何でも良くできて優秀な子。リーダー性のある子だそうです。もう皆さんも感じていると思いますが、これを見ると「いじめの本質」がとてもよくわかります。それは、この4つのタイプにクラスの子を当てはめようとすれば「全員が当てはまる」ということです。即ち、いじめの被害は、今や「いつでも、どこでも、誰にでも起こりうる」ということです。


  辞書によると『個性』とは「他の誰とも違う、その人特有の性質、個人差」とあります。私が古くからつきあっているアメリカ人の友人は、「私は小さい時からよく親に、『人と違う人になりなさい』とか『人に惑わされないで、しっかり自分というものを持ちなさい』と教わってきたよ。」と言います。このように欧米人にとっては当たり前のように教育されている「個性」(他人とは違う自分)というものが、どうも日本人にはうまく育てられないような気がしています
 
    日本の家庭の中で「他人と違う人になれ」ということを重視して子育てをしている親がどのくらいいるでしょうか。おそらく多くの家庭は「皆と同じように」とか「皆と違わないように」と願っているはずです。日本人というのは昔から「他人との違いを認めることを嫌がる」傾向がある国民だと思っています。まぁこれは同じ島国で生まれ、同じ肌の色、同じ髪の色、そして同じ言葉を使って長い間生活してきたのですから、「同じ」ことが普通であって、「違う」ことは普通ではないのでしょう。言い方を変えれば「同じ」であることが一番安心で居心地がいいのかもしれません。

 しかしこのことが、「隣の子が塾へ行けば、家の子も行かせなきゃ。」と焦りだし、「小学5年生のお小遣いは、いくらくらいが普通でしょうか。」と平均を気にし、「家の子は他の子と比べてどうでしょう。」と心配する、“どの子も皆同じ意識”に通じています。


    また、「あの人はどうも個性的でねぇ。」とか「あの人の意見はいつも個性的すぎる。」等の言葉をよく耳にするように、『個性的な人間であること』が必ずしもよい評価を得られず、時には批判の対象にされていることからも明らかだと思います。


  では「個性」をどうとらえるか。「個性」をどう育てるか。についてですが、私は、他人と比べたその子の特長というよりは、もっと広く、一人ひとりが持っている「その子らしさ」(取り柄)ととらえたいと思います。人にはない優れた面を持っている子には「その子にしかない『よさ』を発見し、引き出し、伸ばしてあげる」。反対にただ真面目で目立たない子や、消極的な子に対しては「それを自分の『持ち味』として自覚させ、その生かし方を教えてあげる」ことが大切だと思います。
 そして、一人ひとりの子が皆持っている「その子らしさ」が、将来その子の人生の中で「生かされる」よう導いてあげることが、私たち大人の役割ではないかと思います。


   私たちが尊重したい「個性」とは、一人ひとりの子が持っている「よさ」「取り柄」「持ち味」のことだと考えます。


  私はSAAの子どもたちに、“人との違いを認められる豊かな心の育成”(個性の尊重)を育てたいと思っています。最近のいじめに見られる「皆と違う面をからかいの材料にする」「人より優れた面を発揮すると妬まれる」という、皆が同じでなくてはいけないという形式的平等意識をなくし、一人ひとりが“その子らしさ”を思う存分発揮できる、そんな活力あふれる魅力的なクラブチームでありたいと願っています。


07:15 | 投票する | 投票数(130)
2020/08/20

「しつけ」について考える⑦(監督から)

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 「しつけ」について考える⑦     監督 齊藤 秀樹


  先週は「しつけ」の基本として、まず“子どもの人格を認め、一人前の人間として扱うこと。そして、温かく受け入れてあげること。”でまとめました。


  さて、この本ではこの後も第2、第3の課題が次々に専門家から出されます。その中には、「どんな理由があってもお金を与えてはならない。」とか、「門限を決めて、それを破ったら、絶対に家の中に入れてはいけない。」というようなかなり厳しい課題が入ってきます。これを読んでいると、前回の“子どもを認め、受け入れろ”という内容と矛盾するように思いますが、それは違います。

  “子どもの人格を認め、受け入れろ”というのは「まず、それをやれ。」ということであって、決してズルズルと子どものわがままを通して、言いなりになれということではありません。たとえ家の中であっても、一つの共同体(小社会)として社会的規範(ルール)というものがあり、これを厳しく守らせることはとても大切なことなのです。

  この本を通して私たちが学ぶことは、『承認』(子どもを認め、受け入れてあげること)と、『拒否』(認められないことは、断固認めない、許さないこと)という2つの態度を、はっきりと使い分け、常に示し続けることが大切な教育(子育て)であり、これが“しつけ”の根本であるということです。

 
    実はこの本は、よく先生方の生徒指導研修会や保護者の家庭教育学級などで取り上げられています。私自身も何度となく研修会に呼ばれ、この話をしてきましたが、講義の後の参加者の質問の中でいつも一番多いのが、「承認」と「拒否」の境目、即ち「どこまでは認め、どこからは許さないのか」という判断が難しいという相談です。
  結論から書きます。私は‘親がよいと思ったことはよいし、ダメだと思ったことはダメ’なのだと思います。子どもの善悪の判断とか規範意識というのは、幼少時から言われ続けることによって、意識の中で形成されていきます。社会の変化に伴い個人の価値観が多様化する中で、個性化、自由化、子どもの人権…が尊重されるようになると、「自由でしょ。勝手でしょ。関係ないじゃん。放っといて。」という子どものわがままな主張が、当然認められるべき権利であるがごとく子どもたちの口から次々と出てきます。しかしこれに対しては、「ダメなことはダメ」「家ではダメ」「お父さんはダメ」(※注①)と堂々と言えばよいのです。

  そんなこと言ったって、なかなか子どもは素直に言うことを聞いてくれないという方もいるでしょう。確かに一昔前は、親の尊厳とか威厳というものが、社会の中でしっかりと認められ定着していましたが、今の時代はそれだけでは難しいかもしれません。
  親の方も子どもに「信頼される親」「尊敬される親」になる努力をしなければなりません。その原点は何といっても‘子どもへの理解と愛情’です。「あなたのことはわかっている。そして誰よりもあなたを愛し、大切にしている。」という根っこがあって、初めて成り立つものです。


  人間が人間を育てるのですから、“何を言うかより誰が言うか”によって、その影響や効力は全然違ってきてしまいます。大切なことは「誰が」の「誰」(※注②)になれるかどうか。これが勝負です。
  “大人は正しいことを教えてくれる存在。だから正しいことには逆らってはいけない。”ということを、今一度しっかり子どもたちに認識させることが大切だと思います。


※注①…お父さんが「ダメ」と言うことを、お母さんが「よい」と言ってしまっては子どもに正しい善悪の判断力がつきません。よく話し合い共通理解をして、子どもの前では、常に同じ方向(方針)でしつけることが大切です。

※注②…大変言いにくいのですが、平気で赤信号を横断したり、列を無視して割り込んだり、他人の悪口・陰口を言ったりする大人は、決して「正しい」「誰」にはなれないと思います。特に思春期を迎え、日々大人の言動に対してシビアな目で見ている子どもの前では厳禁です。 
                             完


07:23 | 投票する | 投票数(139)
2020/08/13

「しつけ」について考える⑥(監督から)

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「しつけ」について考える⑥   監督 齊藤 秀樹


  それでは前回のお約束通り、専門家からの5つの助言(課題)について詳しく説明していきたいと思います。前回の(「しつけ」について考える⑤)を手元に置いてお読みください。


  まずは、第1の助言「子どもと話し合いをしてはいけない。」についてですが、これは「非行」に走ってしまった子を持つ親というのは、口を開けばそれが全て“説教”になってしまうからです。子どもが思い通りにならない、どうしたらよいのかわからない、でもこの子を何とかしたい、という思いが強ければ強いほどそうなってしまいます。しかし、子どもは自分のやっていることが「悪いこと」「してはならないこと」だということは百も承知です。わかっていながらわざとやったり、やめられなかったりするのです。 
  それならば、非行に関することでなければいいじゃないかと思うでしょうが、この専門家はおそらく、この親はそれを区別するのが難しいと判断したのだと思います。つい他の話題から、その子の考え方や態度、行動への批判が始まり、それがお決まりの“説教”に発展し、ついには最もいけない子どもの“否定”につながってしまうことを恐れたのだと思います。

  しかし、「一切話をするな。」では、子どもとの接点が全くなくなってしまいます。そこで「話しかけてきたら相づちを打て。」と、第4の助言の「日常のあいさつは親の方からしろ。」が出てきます。

  子どもにとって、説教じみたことは一切言わず、顔を合わせたらあいさつはきちんとしてくれて、話しかけたら愛情を持って相づちを打ってくれる親。なんていい親なのでしょう。


  まずは親子関係の一番の基本として“子どもを認め、温かく受け入れ、見守れる親になれ”ということなのでしょう。これに関してはおそらく異論もあるでしょうが、この一家のように、いわゆる「支配的な親」(いつも口やかましくて、自分の考えを細部まで持ちすぎている親。子どもの主張を抑え自分の型に押し込もうとするタイプの親。)にとっては、この助言はピッタリだと思います。


  次に第3の助言「他人を巻き込んではいけない。」と、第5の助言「いかなる友人からのいかなる内容であっても、本人に正確に伝えなければいけない。」についてですが、これは一言で簡単に言うと“子どもの人格を認めろ”ということです。この本の中にも、悪い友人からの電話に対して、メモを取り、必死の思いで娘に伝える親の姿が度々出てきますが、たとえ「非行」に走ってしまった悪い子であっても、その子はその子なりに一人の人間として生きており、家の外での人間関係やつきあいを持っています。そのことは、一つの人格として認めてあげなければならないということなのでしょう。


  今回の専門家が出した最初の課題(助言)は、一言で言えば“子どもの人格を認め、一人前の人間として扱うこと。そして、子どもを温かく受け入れてあげること”が、まずは「しつけ」の第一歩(基礎基本)であるということです。
                                                            まだまだ続きます


08:39 | 投票する | 投票数(131)
2020/08/06

「しつけ」について考える⑤(監督から)

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  「しつけ」について考える⑤  監督 齊藤 秀樹

  皆さんは『積木くずし』という本をご存じですか。今からかれこれ約30年前、中学生の「非行」が社会問題として世間を騒がせていた頃に出版され、300万部を超える大ベストセラーとなりました。この本は、ある有名俳優が非行に走った我が子を主人公に書かれたもので、その後テレビドラマ、映画、リバイバル版…が次々に出ましたので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。


  では、なぜこの本がこんなにも当時の親たちを夢中にしたのでしょうか。それは有名人が書いたからというより、親たちの中に「もしかしたら近い将来、家の子も…。ひよっとしたら明日にでも我が子が…。」という子育てへの不安が、とても他人事とは思えなかったからではないでしょうか。この本の中では、日に日に非行の度合いが激しくなる我が子と、その娘の一挙手一投足に戸惑い、悩み、オロオロするばかりの親の姿がしばしば出てきますが、これを読んでいくうちに、いつしか登場する親の姿と自分の姿を同一化し、「自分だったらこういう時にどうするか、どう扱えばいいのか、対処はできるのか…。」を一緒になって考え、探し、悩みながら読んでいったのでしょう。


    しかし、私がこの本の中で一番興味を惹かれたのは、実は親と娘との葛藤場面ではなく、親が娘のことで相談に行ったカウンセリングの専門家(警視庁の心理鑑定技師)からの助言と、この助言を必死に守ろうとする両親との闘い場面でした。実はこの専門家からの助言というのは、両親にとっては「こんな馬鹿な。こんなことできるはずがない。」というものばかりだったのです。


  では、専門家からまずはじめに出された助言を紹介します。 
助言1…「子どもと話し合いをしてはいけない。」(親の方からは絶対に話しかけてはいけない。もし子どもから話しかけてきたら、相づちだけを打て。しかし決して意見を言ってはいけない。)


助言2…「子どもに交換条件を出してはいけない。また、子どもからの条件も受け入れてはてはいけない。」


助言3…「他人を巻き込んではいけない。」(どんなに悪い友人から娘が被害を受け手も、決してその友人の保護者に抗議したり、会って相談したりしてはいけない。)


助言4…「日常のあいさつだけは、親の方からきちんとしろ。」(それに対して、娘がしなくても叱ってはいけない。)


助言5…「友人からの連絡があった時は、それがいかなる悪い友人からの、とんでもない誘いであっても、本人にその通り正確に伝えなければならない。」

  いかがですか。専門家がこの親に何を求めているのかわかりますか。実はここからがおもしろいのですが、今週はここまでにします。次週はこの助言に込められた意味を説明していきます。                                                       つづく


08:35 | 投票する | 投票数(141)
2020/07/30

「しつけ」について考える④(監督から)

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 「しつけ」について考える④                              
   …子どもの「ほめ方」「叱り方」…         監督 齊藤 秀樹    


【子どもの叱り方②】
  「叱る」というのはとても大切な、しかし、とても難しい教育です。子どもたちが最も嫌いな叱られ方を調査したところ、第一位は「わけ(理由)もなく頭ごなしに叱られる」ことだそうです。しかしよく考えてみると、理由もなく叱る大人なんていません。大人は皆必ず何らかの理由があって叱っているはずです。なのになぜ「理由なく叱られた」と子どもは思ってしまうのでしょうか。それは、大人には十分叱る理由があるのに、それが子どもに通じていないからです。


  簡単に言うと、子どもが納得するような、子ども心に響くような叱り方ができていないからです。もちろんこの前提には、子どもとの信頼関係(親子関係、師弟関係…)が絶対条件になることは言うまでもありませんが、どちらにしてもこれではせっかく子どものために叱っても、子どもの心に不満や反発が残るだけで、かえってマイナスに作用してしまいます。


  では先週号の例から子どもの叱り方について考えてみます。前述の2人の保護者の叱り方はどこがどう違うのでしょうか。前者の母親の「体罰、脅し、泣き落とし、世間体」という叱り方が全く娘の心に入らなくて、後者の父親の「どんなにできが悪くても、こいつは私の息子です。」が心に響いたのでしょうか。


 実は子どもの叱り方には次の3つのポイントが重要なのです。

 ①…「お前(あなた)にはよいところがたくさんある。なのに何でこんなことをし
   てしまったのか。」ということ。

 ②…「お前は私の大事な子どもなんだ。大事だからこそ叱るんだ。」ということ。

 ③…「お前がそんなことをしたのは、親である自分にもいけないところがあるはずだ。だから一緒に悪いところは直すように努力していこう。」ということ。 

    自分のことを大切にしてくれる。自分の良さを認め、応援してくれる。いつも同じ方向を向いていてくれる。このことが基本です。
 
  「叱る」というしつけ(教育)は“愛”がなくてはできません。何よりもわが子が好きだから、大切だから、よい子に育ってほしいからこそ、大人は子どもを叱るのです。


07:22 | 投票する | 投票数(147)
2020/07/22

「しつけ」について考える③(監督から)

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 「しつけ」について考える③                              
  …子どもの「ほめ方」「叱り方」…       監督 齊藤 秀樹    


【子どもの叱り方①】
  「子どもをほめる」というのは大切な教育です。しかし、ただほめているだけでは決してよい子は育ちません。しつけの基本は「承認」(よいことは認められ、ほめられる)と「拒否」(いけないこと、ダメなことは禁止され、叱られる)の使い分けです。子どもはこの両方を経験を通して、しだいに自分の行動をコントロールしたり、自分自身の中に善悪の判断基準を形成したりしていきます。また、叱られるということは、裏を返せば「自分のことをいつも考え、心配し、大切にしてくれている」=「愛されている」という実感にもつながります。では、どのように子どもを叱ったらよいのかについて2週に渡って考えてみたいと思います。


    ここに「叱り方」のよい例がありますので紹介します。
 (例1)
    ある中学2年生の女の子がスーパーで万引きをしてしまい、学校へ連絡が入ったので担任が引き取りにいき、そのまま子どもを自宅に送り届けた時の話です。玄関に入った瞬間に、待ち構えていた母親に「バチン、バチン」とほっぺたを叩かれ、「あんたはなんてことをするの。もう我慢できません。お父さんが帰ってきたら思いっきり折檻してもらいますからね。あなたなんか、警察でも施設でも何処へでも行ってしまいなさい。」…更に「こんな近くのスーパーで万引きなんかしたら、せっかく買ったこの家にもう住めなくなっちゃうでしょう。冗談じゃないわ。まったく。」とものすごい剣幕で怒鳴られていました。女の子はその間、唇をかんだままじっと横を向いて、一切の返事もせずにふて腐れていたそうです。


(例2)
    ある中学1年生の男の子が本屋で万引きをしてしまい、学校で担任と話した後、家まで送り届けた時の話です。家に入ると父親が奥の部屋で待っていて、父、母、本人、担任が向かい合わせの席に座りました。そして担任が本人に「今日あったことを自分の口から話しなさい。」と促すと、その子は涙ぐみながら「あのな…、今日な…、学校からな…、帰ったらな、暇だったんで本屋に行ってな…」とぼそりぼそりと話し出しました。その間、父親と母親は目をつぶったまま膝の上に握り拳を置いて、じっと子どもの話を聞いていました。そして一通り話が終わったとたん、父親が畳の上に手をついて「先生、どんなにできが悪くてもこいつは私の息子です。どうか勘弁してください。明日きちっと本屋に一緒に行って謝らせますから。」と、涙をぼたぼたこぼして言ったそうです。その姿を見た息子はビクッとして「お父さんごめんなさい。許してください。もう二度とこんなことはしません。」と、父親に抱きついて泣いたそうです。

    さて、この2人の親の叱り方はどこが違うのでしょうか。
 
  確かなことは、前者の母親の「体罰、脅し、泣き落とし、世間体」という叱り方が全く娘の心に入らなくて、後者の父親の「どんなにできが悪くても、私の息子です。」がなぜ息子の心に響いたのでしょうか。この例は、私たち大人が子どもをどう叱ったらよいかの大切なヒントを与えてくれています。皆さんはわかりますか。
                                 つづく


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