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子どもは社会を映す鏡(監督から)日誌05/18 14:16

          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

日誌
1234
2017/05/18

子どもは社会を映す鏡(監督から)

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 子どもは社会を映す鏡    校長 齊藤 秀樹

 
  『星の王子様』という本の冒頭に、「大人は誰でも、はじめは子どもだった。」という有名な言葉があります。しかし、このことを忘れずにいる大人というのは、とても少ない気がします。

  最近よく大人たちが、「今の教育は…」とか「今の学校は…、今の子どもたちは…。」という話題を口にしているのを聞きます。「今の子は昔と違って…。俺の子どもの頃には…から始まって、最後は必ずお決まりの、今の教育はなっとらん。」になります。このように、眉をひそめて、もっともらしい教育論を展開し、「今の子はしょうがない。昔の方がずっとよかった。」的な発言を聞いていると、「ちよっと待てよ。おかしくないか。」という気がしてきます。


  今の子どもたちは、大人が作った世界の中に生きているわけで、子どもの世界というものが大人の世界とは別に存在するわけではありません。「すぐにいじけて、我慢ができず、他人のことを考えない、わがままな子どもたち。」こんな子どもたちを作ったのは、大人の責任であって、子どもが自分から勝手にそうなった訳ではないと思います。
  それなのに、大人の世界が子どもの世界とは「別のもの」という錯覚を起こしてしまうのは何故なのか。それは、大人があまりに子どものことを知らなすぎる(無関心すぎる)からだと思います。別の言い方をするなら、大人は大人、子どもは子どもで生活し、その距離が離れすぎていると言えるかもしれません。


  大人は大人の望む自分本位の生活環境に社会を変えてきました。自家用車の急増により路地裏の遊び場は安全ではなくなり、家の周りの空き地にはたくさんの家が建ってしまいました。兄弟も減り、おじいちゃんおばあちゃんとも暮らさなくなり、ペット飼う自由さえ奪われてしまいました。更に様々な生活便利品や魅力的なメカゲームが、子どもたちを室内に吸い寄せ、体を動かす機会を奪ってしまいました。
 このように本来あるべき「子どもらしい生活」が、大人の作った生活に巻き込まれてしまったことで、まだ発育途中の未熟な子どもたちが最もその影響を受けることになったのです。そのことが今まで予想もつかなかった「心と体のゆがみ」(例:転んでも手が出ないのですぐに顔や歯をぶつける。他人とコミュニケーションがとれず集団生活ができない。…。)を生むことになってしまったのではないでしょうか。


  現在、社会問題になっている青少年の凶悪化した犯罪(少年非行)も、実は過去に何回かの波があったようです。
   昭和20年代は「生活型の非行」と言われ、戦後の混乱の中で、親がいない、お金がない子どもたちが、生きるために(食いつないでいくために)あちこちで、窃盗や売春行為を繰り返していました。
  昭和30年代後半は「反抗型非行」と言われ、急激な都市化、工業化が進んだために、環境の変化に適応できない「反社会的行為」(暴行、傷害、シンナーなど)が急増しました。
  昭和50年代後半は「遊び型非行」と言われ、豊かな社会の中で、価値観が多様化し、普通の家庭の子が遊び感覚でバイクを乗り回し、集団で暴れ回っていました。
    そして平成に入った近年は、経済が混迷する中、行き先不透明な社会の中で、何をめざしてどう生きていけばよいのかがわからずに、訳もなく凶悪化、粗暴化した「生き方探しの戸惑い非行」(?)が多発しています。


  これらは全て、その時々の社会の変化が子どもの世界に大きな影響を与えていることを物語っています。「子どもは社会を映す鏡」です。子どもたちが投げかけている問題は、私たち大人たちが歩んできた道への反省であり、同時に「これからの社会がどう進んでいけばいいのか」という新たな課題を提示してくれているのかもしれません。


14:16 | 投票する | 投票数(33)
2017/04/12

子どもを輝かせるには(監督から)

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  子どもを輝かせるには     監督 齊藤 秀樹


  「子どもには無限の可能性がある」「子どもは誰でもよい芽を持っている」私は常々そう信じています。私たち指導者の仕事は、「子どもの中に秘められた可能性を、発見し、引き出し、伸ばし、輝かせること」だと思っています。
 
 さて先週の保護者説明会でもお話ししましたが、私は教員2年目に佐倉市の学級対抗リレーで自分のクラスを男女ダブル優勝させてから、ずっと子どもたちに陸上競技を教えています。その中で今までに学校の体育主任時代や現在の陸上クラブ(白井アスレチックアカデミー)を通して、総勢98名の子どもたちを千葉県チャンピオンに育て、全国大会に出場させてきました。
  さて以前にも書きましたが、私が「子どもを伸ばし、輝かせる」ために常に大切にしていることを3つに絞って紹介したいと思います。

【活力ある子どもを育てること】
  走ることが得意でも、苦手でも、適切な指導を受ければ誰でも必ず足は速くなります。
そういう意味で私は教育の可能性を信じています。しかし、同じ指導を受けていても記録が飛躍的に伸びて、どんどん速くなっていく子もいれば、少しの向上で止まってしまう子もいるのは事実です。なぜでしょう。私は「活力」だと思っています。「活力」とは自分から「上手くなりたい。強くなりたい。できるようになりたい。勝ちたい。」という内面からのエネルギーのことです。指導者がどんなに熱心に丁寧に教えても、子ども自身に活力がないと決して伸びません。まず「活力ある子ども」を育てることが大切です。
  活力ある子を育てるには「やればできる」という体験をたくさん味わわせることです。「やった。できた。わかった。うまくなった。バンザイ。」という体験は、子どもに自信を与え、大きく変身、成長させます。


【夢を目標に変えること】
   ノーベル賞受賞者で数学者の広中平祐氏はその著書の中で「自分で目標を決め、それに向かって努力するかしないかで、その結果に大きな違いが出る」と書いています。
  よく「夢」と「希望」と「目標」を同じだと考えている人がいますが、実はこの三者には微妙な違いと順番があります。まず「夢」(できたらいいな)を持つことです。そしてその「夢」に向かってがんばり続けることで、可能性が出てきます。可能性が出てくると「希望」(できるかもしれない)という明かりが差し込み始めます。ただこの「希望」は未だ弱い望みなので、これを強い望み=目標に変えていかなくてはいけません。この希望を「目標」(やればできる)に変えることができたときに、人はすごい力を出すことができます。私が指導しているSAAの子どもたちは、常に千葉県大会で優勝し、全国大会に出場して、日本一になることを目標にして練習に取り組み、大会に望む子どもたちです。目標がもし「県大会に出場して入賞すること」だったらこんなに長年勝ち続けてはいなかったと思います。目標が実現できたときの感動・感激体験は、一生忘れられない宝物になります。


【素直な心を持つこと】 
   運動能力や技術は、一生懸命に練習を積み重ねていけばある程度は身につきます。しかし、伸びる子どもの一番の資質は実は「素直さ」だと思っています。素直で謙虚な気持ちで練習に臨める子は、多くの人から指導や助言をもらうことができます。またその指導や助言に対して、すぐに吸収し自分のものにすることができます。素直さは子どもを向上、成長させるとても大切な資質だと思います。


14:12 | 投票する | 投票数(62)
2017/02/14

「男の子」と「女の子」の育て方(監督)

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「男の子」と「女の子」の育て方     監督 齊藤 秀樹

  さて今回は前回の「父親と母親の役割」に引き続き、「男の子と女の子」の違いとその育て方について考えていきたいと思います。


  まず最初に「性」(男女)という言葉には、2つの側面があるということを理解する必要があります。
   1つ目は「生物的・肉体的な性別」、2つ目は「社会的な性役割」の2つです。人間は生まれ持っている自分の性(生物的・肉体的な性)を土台に、社会の中で一定の役割やそれに相応しい行動を取るよう周りから期待され、それを自分の個性や特性として身につけて(社会的な性役割)いきます。


  ここに小学校5年生を対象とした「子どもの性意識」という調査があります。この調査によると「男なんだから~」「女なんだから~」と言われた経験は、女の子の場合「女なんだからきちんとしなさい」が6割、「女なんだから行儀よくしなさい」が5割、男の子の場合は「男なんだから女の子に負けてはいけない」が7割、「男なんだから泣いてはいけない」が6割いたそうです。このように多くの親は「男の子には男らしく、女の子には女らしく育てたい」と考えていることがわかります。この結果、当然子どもは無意識のうちに親の期待に応えようとします。この調査の中に「自分の良い所はどこですか」という問いがありますが、男の子は「元気な所、たくましい所、頭がよい所」をあげる子が多く、女の子は「おとなしい所、かわいい所、おしゃれな所」をあげていることからも明らかです。


  実はこのことは、学校生活の中でも様々な活動に影響を及ぼしています。例えばクラス内の係活動では「保健係」と「飼育係」の2つは圧倒的に女の子がやることが多く、やはり伝統的な女性の役割とされている“奉仕と世話”を好むという特徴があります。一方男子は、よくやる活動として「授業中は積極的に手を挙げて発言する」「休み時間は元気に外で遊ぶ」等が女子の割合より高く、男の子には“積極性や活発さ、リーダーシップ”が求められていることがわかります。

  このように子どもたちが抱く「男女観」あるいは「性役割」というものは、大人が築いてきた社会や意識というものが、如実に反映されていると言ってよいでしょう。


  さて日本には古くから「男子厨房に入らず」「男は船で女は港」「男は仕事で女は家庭」等の言葉が残っています。しかしこれらは、親が育てられてきた経験や風習によっていつの間にか創り上げられてきた意識であり、これからの未来をたくましく生き抜いていく子どもたちのそれとは別に考えた方がよいのではないかと思います。女性の社会進出が進み、共稼ぎが普通になってきた現在、互いに仕事や趣味や持ちながら、共にパートナーを組んで生活していく時代が必ず来ると思います。
   前述のように、肉体的な性別は不変ですが、社会的な性役割は、時代や社会の変化に応じて変化していくべきではないかと思っています。                            


  要するに何を言いたいかというと、「男だから~をしてはいけない。」「女のくせに~するな。」という大人たちが勝手に決めた価値基準によって“その子の持っている個性や能力や可能性というものが制限されてはならない”ということです。面倒見のよい保健係の男の子がいていいし、女の子が運動会の応援団長をやってもいいはずです。


  「女の子を女の子らしく育てたい」というのはよいことだと思います。しかし「女のくせに~してはいけない」とか「女なんだからこうあらねばならない」という言葉を使って、無意識のうちに子どもの活動を制限してはいけないと思います。子どもが本当の意味で「自分の性」に誇りを持ち、一人ひとりが持っている個性や特性を活かして、堂々と自分らしく生きていける、そんな社会が来てほしいなと心から願っています。


15:40 | 投票する | 投票数(69)
2017/02/01

「父親」と「母親」の役割(監督から)

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 「父親」と「母親」の役割         監督 齊藤 秀樹

  私の両親は共に東京都で小学校の教員をしていました。父親は山梨県、母親は徳島県出身で、職を求めて都会へ出てきました。2人ともいつも忙しく、私と妹は近所の方に幼児の時から預けられ、学校もそこから毎日通っていました。
  当時は生活していくのがやっとで、今の子どもたちのように家族で温泉旅行に行ったことも、遊園地に連れて行ってもらったことも、おいしい名店で外食したという記憶もありません。ただ唯一、年に2度山梨の実家に帰省し、祖父の作った干し柿と、祖母の作った水飴を食べるのが何よりの楽しみでした。でも、他人をうらやましいと思ったことも、自分が不幸だと思ったことも一度もありませんでした。忙しくお金もない家庭でしたが、両親はいつも私を理解し、精一杯の愛情を注いでくれていました。


   さて、私は小学校6年生の時に、学校の部活動でサッカーの練習に毎朝通っていました。両親は「子どもが好きでやっていることだから」ということで喜んで送り出してくれていました。そんなある日のこと、私はその日に限ってサッカーの練習に行きたくなくなり、布団をかぶってゴロゴロしていました。すると隣の部屋から父親の「あいつは何をしているんだ。自分からやりたいと行ってやり出したことを、途中であきらめるような奴はダメだ。」という野太い声が聞こえてきました。私は「まずい。」と思い、自分が父親にたたき起こされる姿を想像しながら布団の中で小さく身を潜めていました。
  すると母親が「そっとしておきましょうよ。あの子が起きてこないくらいだから、きっと何か考えがあるのでしょう。」といういつになく強い口調の声が聞こえてきました。それからしばらくの間父親と母親が話していましたが、結局私が起こされることはありませんでした。


  その一部始終を布団の中で聞いていた私は、自分のしたことを深く反省しました。と同時に何ともいえない嬉しさを感じました。それは「私は信じられている」という嬉しさでした。本当はサッカーに行きたくない理由など何もなかったのに、ただ何となく行く気がしなかっただけだったのに、母親は「あの子はそんな子ではない」と私を信じてくれました。一方父親はおそらく私の心の中にある甘さ(さぼり)を見抜き許せない気持ちになったのでしょう。


   このように私は、常に厳しい父親と、やさしい母親という異質の2人によって育てられました。ある本によると、本来父親は「切る」存在で、母親は「包む」存在であると書いてありました。例えば、我が子が非行に走り問題を起こした時に、たとえ我が子であっても悪いことをしたのは事実だから許さないと、子どもを「切る」のが父親で、悪いことをしたのは確かだが、我が子なんだから何とか救いたい、助けたいと「包む」のが母親だといいます。人によっては「ひっぱる」のが父親で、「なだめる」のが母親だという人もいます。


   一昔前の父親は怖くて威厳のある存在でした。子どもが何か曲がったことをすれば、父親から毅然とした態度で叱られました。時にはゲンコツが飛んでくることもありました。人の道に背くことをしたとき、人様に迷惑をかけたときには、こっぴどく叱られたものです。また父親は一家の大事な決定のキーパーソンでもありました。進学や就職、あるいは一人暮らしや結婚などの人生の選択においては、父親に納得してもらうのが一つの難関でした。それほど父親は一家の大黒柱として君臨していました。


   しかし現在この図式が変わってきているような気がします。子どもたちに話を聞いてみても、父親を「厳しい人」と捉える子より、「やさしい人」と捉える子の方が圧倒的に多いようです。反対に母親を「やさしい人」と捉えるより「厳しい人」と捉える子が最近増えてきているようです。


  即ち、父親がどんどん優しくなり、母親がどんどん厳しくなって、父親と母親の違いが無くなり、両親の「同質化」が進んできているような気がします。まあ今の時代は、両親の共働きが普通になり、互いに仕事や趣味を持ちながら、共にパートナーを組んで、同じように子育てをしていくことが現実的で理想的なのかもしれません。しかし「同質」か「異質」か、どちらがよいかは別として、大切なことは、必ず両親の価値観と教育方針は一致させ、その共通理解の基で、お互いの役割分担をよく話し合い、共に子育てをしていくことだと思います。 
                      皆さんのご家庭はいかがですか。


13:48 | 投票する | 投票数(59)
2017/01/27

「親として一番大切なこと」(監督より)

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「親として一番大切なこと」    監督 齊藤 秀樹

  年末年始は家族揃ってゆっくり過ごせましたか。帰省して祖父母と再会した子、家族旅行で温泉に行き美しい自然を満喫してきた子、遊園地やテーマパークに行ってたっぷり遊んできた子、アウトレットやショッピングモールのバーゲンで爆買いに付き合わされた子…。子どもたちが話す冬休みの思い出は、家族様々だったようです。

  さて保護者の皆さんの年末年始の家族サービスや頑張りを否定するつもりは全くありませんが、私は子どもにとっての本当の幸せは、携帯やゲームを買ってあげることでも、年に1・2回の旅行をして有名旅館で豪華な食事を食べることでもなく、毎日少しでも子どもと関わる時間を取り、何よりも夫婦が仲良することだと思っています。

  皆さんは子どもの前で夫婦げんかをしたことがありますか。また子どもの前で、お互いの悪口や陰口を言ったことがありますか。残念ながらおそらくは、ほとんどの方があると思います。アメリカでは、子どもの前で夫婦げんかをしたり、悪口を言ったりすることは「児童虐待」に当たります。さらに子どもの前で物を壊したり、暴力を振るえば、即「逮捕」です。愛する子どもの心を傷つける行為は許されないことなのです。
 
   さて、私は18年間の担任時代の約3分の2は6年生の担任でした。その内5年6年と持ち上がったのが5回、後は全て単発(1年間だけ)の6年生でした。その理由の多くは5年生の時に一部の子どもが荒れて、先生の指示や指導に従わず好き勝手なことをして、授業が成立しない状態となり、学級が崩壊寸前になってしまったため、その学級の再生役として受け持つことが多かったからです。また2回の行政(教育委員会)経験の中では、主に非行や不登校、児童虐待等の生徒指導を担当することが多かったです。


  そんな経験の中で私はあることに気づきました。それは思春期を迎えて何らかの問題行動や学校不適応を起こす子どもたちの多くが、家庭の中で幼少時から嫌というほど両親のケンカや悪口・陰口の言い合いを経験しているということです。
  考えてみてください。子どもは親を選べません。子どもにとって両親は、この世で最も愛すべき大切な存在であり、最も信頼できる存在です。


  その二人がいつも目の前でケンカをする。どれだけ幼い子どもの心を深く傷つけることでしょう。子どもは人のことが怖くて仕方なくなります。いつもビクビクして他人と向き合うようになります。だから弱い奴だと思われいじめの標的にされてしまいます。
  また、子どもの前でお互いの悪口や陰口を言う。子どもは人のことを信じることができなくなります。ちょっとしたことで傷つき、心を閉ざし、次第に不登校や引きこもりになってしまいます。
   もしも、つい子どもの前でケンカをしてしまったら、側にいる子どもの方に視線を送ってみてください。どんなにおびえた目をしているか。どんなに身体を小さく丸めて震えているか。その嵐が過ぎてくれるのをじっとがまんして待っているはずです。


   誤解を恐れずにいえば、成人して結婚して子どもを持てば、自然に親になることができるわけではありません。「養ってやってるんだから、子どもが親の言うことを聞くのは当たり前だ。」とか、「ゲームや携帯を買ってやったんだから、勉強しなさい。」等と考えてはいませんか。親になるということは、「親という職業に就く」ということです。家族とは親が社長である一つの会社です。その中でいつも社長と副社長が皆の前でケンカばかりしていて、口を開けばお互いの悪口を言い合っている会社の中で、一人の社員として勤務していたらどうですか。まず間違いなく組織の統率は乱れ、社員のはやる気を失い、こころある社員は辞めていき、いつかは会社が潰れていくことでしょう。
  しかし哀しいことに、家族という会社の社員である子どもたちは、辞めることも、逃げることもできないのです。社長の犠牲になって人生をあきらめながら歩んでいくしかありません。


  学校の先生方も大学で教員免許を取得し、採用試験に合格して、教育委員会から辞令をもらえば教員です。しかし、日々向上心を持ってよりよい先生をめざす努力をしなければ、決して一人前のプロ先生にはなれません。親も同じです。良い親になるためには、絶え間ない学習と、子どもの見本になる努力が必要です。そのことを今多くの親たちが忘れています。親という権威に寄りかかり、その日の気分や思いつきで子どもを追い込んでいます。いつも耳の痛いうるさいことを書いて申し訳ありませんが、是非、今の自分を振り返り謙虚に学ぶ姿勢を持ってください。そして一番大切なことは、いつも笑顔が絶えない温かな家庭の中にこそ、心の安定や本当の幸せがあると思っています。
                 
                              参照・引用…「子育てで一番大切なこと」水谷修 著


08:41 | 投票する | 投票数(75)
2016/12/12

今一度「しつけ」を見直そう②(監督から)

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 今一度「しつけ」を見直そう②     監督 齊藤 秀樹
【「しつけ」とは】
  『しつけ』という言葉は、辞書によると「礼儀・作法を仕込むこと」(新明解国語辞典)また、「子どもが所属するそれぞれの集団にとって望ましい基本的な行動様式、習慣、価値、態度を教えならすこと」(学校カウンセリング辞典)とあります。
  「心の教育」の充実や重要性が叫ばれて久しいですが、「悪いことは悪いとしっかり教える。世の中には、人としてしてはいけないことがあることを理解させる。…。」という『しつけ』という問題について、そのポイントを考えてみたいと思います。


【外側からのしつけ】  
    ペットを家で飼う場合、飼い主は部屋の一角に砂や新聞紙を入れた箱を置き、そこに用便ができるように「しつけ」ます。きちんとできたら餌などのご褒美を与え、できないと叱たり、時には叩いたりしてできるまで練習させます。ペットをしつけるにはこのような方法が最も効果的で、手っ取り早くしつけることができるそうです。
   このように『しつけ』には、いやでも何でも無理矢理やらせることによって「慣らしてまう」(できるようにさせてしまう)という方法があり、これを「外側からのしつけ」といます。
   教師も保護者もそうですが、「この子を何とかしたい」「このままではまずい」という気持ちが強ければ強いほど、手段を選ばずにできるだけ短期間でよりよい成果を求めたくなります。例えば、家庭学習の一覧表を貼りだし、そこにシールを貼って背比べ競争をさせるとか、約束が守れなければ、グラウンドを走らせたり、残り掃除を命じるとか、百点を取ったら小遣いをあげる…の方法です。

  このように競争をさせたり、罰を与えたり、報酬を与えたりすることによって、できるようにしていくというやり方は、前述のペットを慣らすのと同じで、時にとても効果的なしつけ方法です。  しかしこの方法には、大きな欠点があります。それは子どもは罰がいやで(報酬がほしくて)やっているわけですから、たとえ一時期その人の前ではできるようになっても、別の場所や違う人、環境によって、すぐに元に戻ってしまうことが多いようです。


内側からのしつけ】
   人間の子どもを育てるというのは、ペットをしつけることとは少し違うのではないかと思います。そこで私は「内側からのしつけ」をお薦めします。「内側からのしつけ」というのは簡単に言えば「自分自身の判断基準で、自分からやろうとすること」です。このしつけ法には次の3つのステップがあります。

①「理解」…何でそれをするのか。なぜしなければならないのかを理解していること。
②「方法」…それをどうやればよいのかを知り、やり方を身につけていること。
③「意欲」…自分から進んでやり続けようとすること。
 

  例えば「食事の前には必ず手を洗う」ということをしつけたいなら、まずは①衛生面、健康面、マナー面等から、その必要性を子どもが納得いくまでわからせます。次に②子どもを水道の前に連れて行き、石けんを使って何度も繰り返し洗わせ、正しい手の洗い方を身につけさせます。③後は、その子が自分からやる気になればよいのです。こう書くと実に簡単そですが、これはけっこう根気がいる仕事です。「どうしてやらなければいけないの」(理解)と「どうやればいいの」(方法)はどちらかというと解決しやすいのですが、一番やっかなのは「やる気がしない」「面倒だからやらない」(意欲)という問題です。どうしてやなければならないのかはわかっているし、やり方も知っている、だけど面倒だからやらない…。「ふざけるな!」と怒ってみても仕方ありません。

   子どものしつけの基本は、山本五十六の名言“やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は育たず”です。“やりもせず 教えもせずに ただやらせ 叱り飛ばせば 子はいじける”では子どもを正しくしつけることはできません。一つ一つのステップをしっかり確認し、長い目で子どもを見守り定着させることが大切です。  


11:09 | 投票する | 投票数(73)
2016/11/05

今一度「しつけ」を見直そう(監督から)

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 今一度「しつけ」を見直そう     監督 齊藤 秀樹

  ある本にこんなことが書いてありました。社会人になった若者が、この先その道で一流になって活躍していくか、二流、三流のまま大して組織の役に立たない働きしかできないかを見るには、家でバーベキューパーティーを開催してみればよくわかるそうです。一流になる若者は実によく働くし気が利きます。肉の買い出しは率先してやるし、ロースやカルビは率先して自分で焼き、ビールも皆に注いでまわる。更に気を利かせてお土産にデザートまで持ってくる。席は譲り合うし、小さい子の面倒もよく見る。当然、後片付けの時もお皿を完璧に洗い、実に礼儀正しくお礼の挨拶をして家路についていくことができます。つまるところ、何かとしつけが行き届いており、自主的に周囲の役に立つことをすることができるのです。そんな彼らとは対照的に、真ん中の席にドカンと座り、何もせずに一番高級なカルビだけをバクバク食べているだけの若者もいます。一体この差はどこから生まれてくるのでしょう。


  私たちの職場である学校にも、近年、新採用の若い先生方が毎年のように入ってくるようになりましたが、その多くの先生方は皆、子どもの頃から成績優秀で、一流の高校を出て、国立大学や有名私立大学の教育学部を卒業して教師として赴任してくる人が多いです。しかしその先生がよい先生かどうかは、学歴や専門性ではなく、人間としての深みや幅の広さを持っているか、他者への配慮や誰に対しても敬意を持って丁寧に接するマナーが身についているかどうかで決まります。即ち「豊かな人間性」を持っているかどうかです。豊かな人間性を持っている若手職員に話を聞くと、その多くが幼少時に「時間や約束は守らなければいけない」「メリハリをつけてやるときはやる」「靴はきちんと揃えて脱ぐ」「宿題は嫌でもやらなければならない」「挨拶ができるのは基本」…当たり前のことを厳しくしっかり親からしつけられていたと言います。即ち大人になって組織のリーダーになったり、人の役に立つ人になるかどうかは、幼少期のしつけで決まるといっても過言ではないと思います。
 
  多くの親たちは、子どもに勉強させようとはしますが、直接的なしつけは疎かにしがちです。大切なことは、身の回りの整理整頓、時間や約束を守る…の、やらねばならないことはやりたくなくても我慢してやるという「自律心」を養うことです。
  また他人への接し方や配慮については、多くの場合、ホテルやレストランでの店員さんへの接し方、学校や塾や学童の先生への接し方など、親の「他人への接し方」の丁寧さや乱暴さがそのまま子どもに大きく影響します。「子どもは親の背を見て育つ」と言われますが、幼少期に親を見て学んだことは、大人になっても子どもの中に染みついているものです。
  そんな子どもの人間性を高める子育ての最大の障害が、幼少期の親による溺愛です。我が子かわいさにしつけが後回しになってしまうことです。小さい頃のしつけの悪さはそれほど気にならなくても、思春期を迎え中学生になる頃には相当目立つようになります。しかしそこから直そうとしてもなかなか直るものではありません。また自分の子どもは多少しつけがなっていなくてもかわいいのかもしれませんが、他人から見ればしつけがしっかりできているからこそ魅力的であり貴重な人材として認めてもらえるのです。


  自律心が欠けていたり、他人への接し方が失礼だったりすれば、社会に出てから苦労するのは子ども本人です。


17:11 | 投票する | 投票数(78)
2016/10/19

「判断する力」を育てる(監督)

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「判断する力」を育てる  監督 齊藤 秀樹

   「お母さん、今日雨降るかな。」「そうね。天気予報でもそう言っていたし、この様子だときっと降るから、傘を持って行きなさい。」「はーい。」ある朝の玄関先での会話です。ところがその日は予想に反して一滴の雨も降りませんでした。学期末で荷物が多い上、傘まで持って帰ってきた息子は、開口一番「何だよ。雨なんか降らなかったじゃないか。お母さんの嘘つき。」と言ってすごい勢いでプンプン怒っています。

   実はお母さんの天気予報は結構よく当たり、家族もそれを認めていて、時折それを無視して出勤してしまう父親が、夜の帰宅時になると「傘がないので迎えにきてくれ。」と電話をかけ
てくるたびに、母親から小言をもらっている姿を子どもたちもよく見ていました。そんな母親の口癖は「いい。お母さんの言う通りにしておけば間違いないのよ。」でした。


  さて、このように‘母親の判断こそが正しい’という経験が続けば、子どもは“自分で判断し、決定する”ことをやめてしまいます。何でも母親に尋ね、それに従っていた方が楽だし、たまに不都合が起こっても、それは全て母親のせいにしてしまえばよいのです。即ち、子どもは結果を見て、その責任を引き受けなくてよいのです。子どもは有能な母親に依存し、ほとんど失敗や後悔を味わうことなしに、子ども時代を過ごすことができます。

  しかし、当然そういう育ち方をしていると、その子は母親なしでは生きていけない、とても不安な子になります。そして、何かにつけて思い通りにならないことを「誰かのせい」にする被害者意識の強い子にもなります。


  考えてみれば人生というのは、“判断”の連続です。今日傘を持って家を出るかどうかも1つの判断です。何かを決めるということは、同時に何かを捨てることです。時に切り捨てたものの大きさに悔やむこともあるでしょう。しかし、子どもたちは日々の生活の中で小さな判断を繰り返すことによって“自分で考え、判断し、決定する”ことの難しさを学びます。「一流に育てる」シリーズでも書きましたが、これは同時に、自分で下した判断の結果に直面し、それを「自分の責任」として引き受けなくてはならないということも学ぶのです。思い通りにいかない人生を、どうやって生き抜いていけばよいのかという力を身につけていくのです。

  これはとても厳しい学習です。子ども自身が判断し、決定するまでじっくり待ち、そこでどんな結果が出ようとも、それを責めたり叱ったりすることなく見守れる大人の存在なくしてできないことです。

 保護者としては、子どもたちから慕われ頼られる存在であることはとてもうれしいことです。でも、それに満足していると、いつしか知らぬ間に、子どもを自分の思い通りにする「あやつり人形」にしてしまっていることがあります。今育てなければいけない自主性や責任感という大切な芽を摘んでしまってはいけないと思います。


   “いつまでも あると思うな 親と金”という言葉があります。教育の究極の目標は、「生きる力の育成」です。「生きる力」とはどんなに時代が変化し、どんな社会が来ようとも、自分のことは“自分で考え、判断し、決定していく”という力のことです。生きる力を身につけるには、子どもの頃から、日常生活の中で日々実践し、積み重ねていくことが大切だと思います。


12:33 | 投票する | 投票数(62)
2016/10/06

子どもを「一流」に育てる③(監督から)

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 子どもを「一流」に育てる③       監督 齊藤 秀樹

  先週は、自分の意志で決めたことは最後までやり抜くことができる。そしてこのことは「自分で決断したことは、最後は自分で責任を取る」という①「自己理解」(自分を知る)、②「自己判断・自己決定」(自分で考え、自分の意志で決める)、③「自己責任」(自分で決めたことは自分の責任)ということにつながります。こういう体験をさせることが、何事も最後までやりとげる力の礎になるということを書きました。


【親は子どもの応援団であれ】
  先日のリオオリンピックでもそうでしたが、多くのメダリストたちが試合後のインタビューで「ここまでこれたのは両親のおかげです」と言い、もう亡くなってしまった親には、遺影を抱きながら「一緒に戦って助けてくれたんだと思います。」「天国から誰よりも喜んでくれていると思います。」というコメントを残していました。
   子どもという原石をダイヤに磨き上げるのに最も大切なことは、子どもが強い興味を示し、やりたいと決めた対象があれば、それを追求し極めるまで親は徹底的に応援することです。親の応援は子どもの強いモチベーションにつながり、物事を継続しやりとげる力を育てます。

  子どもの才能を開花させるのに親の存在抜きにしては語れません。世界的なヴァイオリニストのチョン・キョンファさんは、母親が必死に食堂を経営しながら子どもを留学させ、その才能を開花させました。盲目のピアニスト辻井伸行さんのお母さんは、音楽の素人でしたが、おもちゃのピアノを弾く息子の絶対音感に才能を見いだし、電話帳でピアノの先生を捜すことから始めて今の彼を創り上げました。2人とも自分の専門分野ではない才能を見いだし、執念に近い惜しまぬ応援を続けたことで、原石を磨き、その才能を天職につなげた親たちです。おそらく親の応援がなかったら原石は眠ったままだったと思います。


【子どもには「一生懸命さ」と「真剣さ」を求めよ】                        
  子どもの挑戦を惜しみなく応援することの大切さを書いてきましたが、子どものために時間、労力、金銭、環境面で最大限のサポートをするからには、親に「発言権」も「見守る義務」もあります。子どもには「一生懸命、真剣に挑戦する姿勢」を求めなくてはいけません。私の経験から言えば、本当に勉強のできる子は、部活動や習い事をするときも熱心なものです。何に対しても一生懸命だから何をしても優秀なのか、優秀だから何をしても真剣に取り組めるのかはわかりませんが、いずれにしても鍵は「真剣さ」です。一流のアスリートやアーティスト、社会でリーダーとして活躍している人の多くは、小さい頃から親に「一生懸命取り組んでいるときは惜しみなく応援してもらい、一生懸命でないときはこっぴどく叱られた」という育てられ方をした人が多いようです。


  小さいことと見過ごされがちですが、子ども時代の部活や習い事の怠け癖は、その後の人生全般に悪影響を及ぼします。子どもの頃に「怠けてもいい」「人より優れていなくて当たり前」という負け癖を持つか、「少しでも上をめざし、常に向上心を持って努力する」という習慣を持つかは、一生を左右すると思います。私の教え子たちの人生を見ても、「何事も一生懸命打ち込む習慣」を持っている子は、年齢を重ねても、仕事やライフワーク、趣味にその才能を発揮し続け、うらやましいような人生を歩んでいる子が多いです。子ども時代に部活などに一生懸命取り組む経験はとても重要です。向上心や集中力を養い、よき友やライバルと出会い、何よりも本人が主体的に意欲的に人生を歩む上で基礎となる姿勢や習慣を形成できるからです。「一生懸命なときは押しみなく応援し、怠けたときは厳しく叱る」という教育は「真剣さ」を育てる重要な役割を果たします


【失敗は叱らずに、次への教訓と考えさせよ】                   
  様々なことに自分から挑戦する子は、それだけ失敗も多くなるものです。しかし子どもの失敗に対して感情的に激怒してはいけません。子どもは萎縮し、失敗がバレないように隠すことに腐心するようになります。失敗しても叱られず、その原因を自分で考え、そこから何を学ぶかに視点を置いた育てられ方をした子は、「失敗を教訓とし、それを乗り越え、あきらめずに最後までやりとげる力」を身につけます。
                                                             参照・引用…「一流の育て方」ムーギーキム著


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2016/09/29

子どもを「一流」に育てる②(監督)

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子どもを「一流」に育てる②       監督 齊藤 秀樹

  先週は「下手な鉄砲は、いくら撃っても当たらない。」子どもが「活力」(強いやる気や高いモチベーション)を持って頑張り続けるためには、自分から挑戦しようとする力が原点になる。即ち子ども自身を「言い出しっぺ」にすることが重要だということを書きました。
  実は今、監督として偉そうなことを書いている私ですが、自身の子育てはどうだったかというと、特に上の女の子の時は、本人の関心や希望はお構いなしに、私が一方的に3つも4つ
も習い事に通わせていたことがあります。その結果いつも「やらされている」感がつきまとい、受け身でなかなか自主性や向上心の芽は出ませんでした。
  今思うと、とても恥ずかしいことですが、そんな自分の失敗や反省も含めてこのシリーズを書いています。

【自分で決めたことは、自分の責任】
  そんな彼女が明らかに変わったのが中学校に入って部活動を選んだ時からです。ある日突然「お父さん、私ハンドボール部に入りたい。」と言い出しました。私としては小学校時代からやらせていた陸上やテニスの方が適性があると思っていたのですが、本人が自分で判断し、決めたことなので、きっと最後までやり抜くことができるだろうと信じ賛成することにしました。結果的には予想通り、県大会や関東大会に出場して、優勝するというすばらしい実績と思い出を残すことができました。当時娘の入っていたハンドボール部はとても厳しい部活動で、正月早々に合宿があったり、山梨県まで遠征試合に行くといって、早朝4時に学校集合なんてこともしょっちゅうありました。しかし不思議なことに、その間ただの一度も「つらい」とか「辞めたい」という弱音やあきらめを口にしたことはありませんでした。
 やはり、自分の意志で決めたことは最後までやり抜くことができるのです。そして「自分で決断したことは、最後は自分の責任」という大切なことを学ぶことができました。


【途中で簡単にやめさせない】                        
  実はこのハンドボール部の経験の前に、もう一つその前提となる忘れられない出来事があります。それは小学生の時に、本人が「水泳を習いたいので、スイミングクラブへ行きたい」と言った時の話です。私自身も大学まで水泳を続けてきたので、その申し出に大賛成し入会させることにしました。当時そのスイミングクラブには10級から1級までのクラスがあり、月一回の試験で合格すると次の級に進めます。我が子も順調に上手くなり、級もどんどん進んでいきました。そんなある日「もうスイミングを辞めたい」という申し出が本人からありました。話を聞くと何でも2級までは何とか行ったが、どうしても1級に合格できず、もう4回も試験に落ちていると言います。毎週辛そうにバスに乗り組む姿を見るにつけ、かわいそうだから辞めさせてあげようかと正直悩みましたが、私の教育者としての数多くの経験から「途中であきらめずに最後までやり抜く力」というのは、子どもの可能性を引き出し、伸ばし、輝かせるためには決定的に重要な要素だと考えていましたから、1級に合格するまでというゴールを設定し、途中で辞めることを許しませんでした。同時に「自分からやりたいと言い出したことを、途中であきらめるような癖をつけると、全て中途半端な人間になってしまう。自分で決めたことは最後までやり抜きなさい。」と言って続けさせました。
  苦労の末、ようやく努力の甲斐あって、1級に合格した時の写真(満足そうに満面の笑みで賞状を持って写っている写真)は今でも大切に壁に飾ってあります。


【最後までやりとげる】
   多くの習い事には通ってはいるが、辞めるのは自由で、いろんな習い事を取っ替え引っ替えやっている子どもをよく見かけます。これでは何一つものにせず中途半端に終わってしまいます。もちろん、中にはすぐに辞めた方が本人の適性のあることに集中できる場合もあるので、一概に一般化できない話ではありますが、「石の上にも3年」「継続は力なり」という諺はダテではありません。「途中で簡単に投げ出さない習慣」を身につけ、幼少時に「初志貫徹」することの経験は、人生を通じて何事も最後までやりとげる力の礎になると思います。                                   つづく


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