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          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

日誌
12
2024/07/26new

「健康な子」「体力がある子」とは(監督から)

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 「健康な子」「体力のある子」とは 監督 齊藤 秀樹    
【「健康な子」とは】
  人間にとって何が一番大切かと問われれば、おそらく「健康」という答えが返ってくるでしょう。しかしこの「健康観」というのは人それぞれで、普段特に意識していない人から、常々健康には細心の注意を払っている人まで様々です。また、年齢、環境、人生経験、社会状況等によっても異なります。そこで今回は「健康教育」という観点から、基本的な概念について書いてみたいと思います。

基本的な健康観(WHOの定義・ヘルスプロモーション)
 健康とは「病気でない状態」のことではなく、「身体的」(体)にも「精神的」(心)にも「社会的」(人間関係)にも良好な状態のことである。
 「病気にならなければよい」とか「病気になったら医者(専門家)に任せておけばよい」という消極的な健康観ではなく、「健康」は自らがコントロールし、改善していくことで「健康は自分でつくる」という積極的な健康観を持つことが大切である。

  「健康」というのは、体の問題だけではありません。「健康な人」とは、体も心も社会的関係もうまくいっている状態の人のことです。また従来の健康分野は、特定の人(病人)に対して専門家(医師)が「病院」で「治療して治す」という医療分野の問題とされてきました。したがってともすると、素人が生半可な知識を人に教えることは危険な行為だとされてきました。その証拠に、例えば生活習慣病の患者が増加しても、「学校がしっかりとした健康教育を行っていないのがいけないんだ。」とは昔は誰も言いませんでした。しかし、上記で紹介したヘルスプロモーションの考え方が浸透し、世間に健康志向、健康ブームが起こってからは、「健康は全ての人々(素人)が日常生活の中で、自らつくっていくもの」という考え方が定着してきました。学校では体育の「保健」、理科、学級活動、道徳等で「健康」に関する学習を行っています。しかし学校で得た知識や方法(わかる、できる)を、日常生活の中で実践し、継続する(やる、続ける)のは家庭です。学校と家庭が連携し、心身共にたくましく健康な子をつくっていきましょう。

【「体力のある子」とは】
                             
        防衛体力      病気にならない体
                 ケガをしない体
  体力
 
        行動体力     筋力(筋肉の強さ、パワー)
                 柔軟性(体の柔らかさ)
                   持久力(体を動かし続ける力、スタミナ)
                 敏捷性(素早く動く力)
                 巧緻性(リズム感、タイミング)  
  「彼は体力がある。」とはどういう人のことをイメージして言っているのでしょうか。上図のように「体力」は大きく2つに分類すると、防衛体力(体を守る力)と行動体力(体を動かす力)に分けることができます。また「行動体力」の中身も、大きく5つ(筋力、柔軟性、持久力、敏捷性、巧緻性)あり、どれもバランスよく身についている人のことを「体力がある人」と言います。更に、この行動体力には適時性(発達時期)というものがあり、ピークを100とすると、小学校6年生(12才)の子どもでは、「筋力」は約60%の発達、柔軟性は約80%、持久力は80%、敏捷性・巧緻性は100%というデータが出ています。簡単に説明すると、100%の敏捷性・巧緻性は小学生時代に、体を早く動かしたり、リズム感を育てておかないと、一生身につかないということです。また、筋力はまだ60%の発育時期ですから、小学生の時からあまり早くウエイトトレーニング等をやってしまうと、体の発育が早すぎて、その後伸び悩むことにつながります。一般的な日本人の体力ピークは男子20~22才、女子16~18才といわれますので、どの時期(年齢)にどんな運動をさせることが効果的なのかを考えて体力づくりをすると、運動ができる子に育ちます。


08:38 | 投票する | 投票数(10)
2024/07/19

活力は「やればできる」体験から(監督から)

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 活力は「やればできる」体験から 監督 齊藤 秀樹

  子どもには無限の可能性があります。子どもは誰でもよい芽を持っています。私は常々そう信じています。そして私たち指導者の仕事は、子どもの持っている可能性やよい芽を「発見し、引き出し、伸ばし、輝かせること」だと思っています。
 
 さて先日行われた「千葉県小学生陸上競技交流大会」には、SAAから31名の選手が参加しました。結果は男女混合リレーで51秒63という大会新記録で、鍛え抜かれた見事な走りとチームワークを発揮して、他チームに圧倒的な大差をつけて、2年連続の“優勝”に輝くことができました。また5年男子100mでも12秒87という会場中がどよめく走りで、これも従来の大会記録を大幅に更新して“優勝”することができました。子どもたちが誇れるチーム「白井アスレチックアカデミー」にまた新たな歴史の1ページが刻まれたすばらしい瞬間でした。

 ではせっかくの機会ですので全国大会前に、私が「子どもを伸ばし、輝かせるため」に常に大切にしていることのいくつかを紹介します。

【活力ある子どもを育てること】
 走ることが得意でも、苦手でも、適切な指導を受ければ誰でも必ず足は速くなります。そういう意味で私は教育の可能性を信じています。しかし、同じ指導を受けていても記録が飛躍的に伸びて、どんどん速くなっていく子もいれば、少しの向上で止まってしまう子がいるのは事実です。なぜでしょう。私は「活力」だと思っています。活力とは自分から「上手くなりたい。強くなりたい。できるようになりたい。勝ちたい。」という内側からのエネルギーのことです。指導者がどんなに熱心に丁寧に教えても、子ども自身に活力がないと決して伸びません。「活力ある子ども」を育てることが大切です。

【夢を目標に代えること】
    ノーベル賞受賞者で数学者の広中平祐氏はその著書の中で「自分で目標を決め、それに向かって努力するかしないかで、その結果に大きな違いが出る」と書いています。
 よく「夢」と「希望」と「目標」を同じだと考えている人がいますが、実はこの三者には微妙な違いと順番があります。まず「夢」(できたらいいな)を持つことです。そしてその「夢」に向かってがんばり続けることで、可能性が出てきます。可能性が出てくると「希望」(できるかもしれない)という明かりが差し込み始めます。ただこの「希望」は未だ弱い望みなので、これを強い望み=目標に変えていかなくてはいけません。この希望を「目標」(やればできる)に変えることができたときに、人はすごい力を出すことができます。今回の男女混合リレーチームは、明確に優勝することを目標に練習に取り組み「優勝してきます」といって大会に望んだ子どもたちです。目標がもし3位入賞できればよい、だったら勝てなかったと思います。目標が実現できたときの感動・感激体験は、必ず今後の人生の自信になると思います。

【素直な心を持つこと】 
    運動能力や技術は、一生懸命に練習を積み重ねていけばある程度は身につきます。しかし、伸びる子どもの一番の資質は実は「素直さ」です。素直で謙虚な気持ちで練習に臨める子は、多くの人(監督・コーチ・保護者・先輩…)から指導や助言をもらうことができます。またその指導や助言に対して、すぐに吸収し自分のものにすることができます。素直さは子どもを向上、成長させるとても大切な資質だと思います。

 以上のことを常に頭の中に入れてこれからも努力していってください。合言葉は「やればできる」です。これからもSAAはたくさんの子どもたちを輝かせていきたいと思います。会場に応援に来てくれた、たくさんの子どもと保護者、卒業生の皆さん、ありがとうございました。


08:30 | 投票する | 投票数(45)
2024/07/12

「言葉で伝える力」について(監督から)

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 「言葉で伝える力」について 監督 齊藤 秀樹

    自分に自信がなく、間違えて恥をかきたくないから授業中手を挙げない、という子がいます。しかし学校という所は、わからないことをわかるようにするところです。朝、校門をくぐるときには知らなかったりわからなかったことも、下校するときにはわかっている。このように子どもたちは日々の学校生活の中で1つ1つのことを学び、理解していくことで成長し、これが学校に来る意義であり価値でもあります。そう考えれば、新しいことを理解するために、間違えるのは当たり前のことです。みんながわかっていることなら授業なんか必要ありません。そう“学校は間違えて良いところ”なのです。同じ1時間の授業をしていても、いつも受け身で覚えたり理解するだけの子と、理解したことを頭の中で整理し、それを相手にわかりやすく伝わるよう挙手をして発表する子とでは、その学力に大きな差ができてしまいます。

 ある会社で人事、採用を担当している私の友人曰く、会社としてほしい人材は、「知識・理解」に優れた人ではなく、人前で自分の考えを分かりやすく堂々と発言できる「表現力・プレゼン力」に優れた人材だそうです。

 さて話は変わりますが、私が現職の頃、小学生の国語の授業で「言葉と事実」という説明文の学習がありました。この中に「イソップ童話のうそつき少年」という話が出てきます。有名な話なので皆さんもご存じだと思いますが、羊の番をしている少年が、オオカミが来てもいないのに「大変だ。オオカミが来た。」と言って、度々村人を驚かしだましていました。そのため本当にオオカミが来たときに「大変だ。オオカミが来た。」と言って必死に助けを求めても、村人はまた嘘だと思って、誰も助けに行かなかったという話です。
 この話は、「言葉は事実と結びつけて使わないと、言葉としての役を果たさなくなってしまう」という教えです。

    私は常々言葉というのは、それを発する人の「人格」や「人間性」が表れてしまうものだと思っています。例えば「今日の富士山は本当に美しい」という言葉でも、有名な写真家が言う言葉と、たまたま訪れた一般の観光客が言った言葉では、それを聞いた人の印象は大きく違ってくると思います。

 よくクラスの帰りの会の中で「掃除中に○○君がふざけていました。」とか「最近、忘れ物が多いので気をつけてください。」等と、友人たちをよく注意する子がいますが、その注意がどんなに正しくても、注意した子自身がそれを守れていないと、かえって反感をかうだけで誰からも聞いてはもらえません。他人に注意できる人は、まずは自分が注意できるだけのしっかりした人間であることが基本になります。 

  「子育て」は「己育て」、「育児」は「育自」、「教育」は「共育」という言葉がありますが、これは子どもを育てるとか教えるというのは、相手である子どもが成長するのはもちろんですが、それよりもむしろ育て教えている大人自身が、人間的に幅広く豊かに成長していくことだということです。子どもが親や先生の言うことを素直に聞くようにするためには、まず親や先生が子どもから信頼される存在であることが必要だと思います。

 人に対して、説得力のある言葉というのは、実は「何を言うか」ではなく「誰が言うか」で決まることが多いものです。したがって、私たちは「誰が言うか」の「誰」になれるよう日々努力していくことが大切ではないでしょうか。

08:41 | 投票する | 投票数(66)
2024/07/04

今一度「学校安全」について考える(監督から)

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 今一度「学校安全」について考える     監督 齊藤 秀樹

   久しぶりにこの話題について考えてみたいと思います。
 平成13年6月8日(金)午前10時過ぎごろ、犯人は開いていた学校の東門前に自動車を止め、出刃包丁と文化包丁の入った緑のビニール袋を持って学校の敷地内に入った。そして、一階の教室に次々に侵入し、子どもたちを出刃包丁で切りつけ突き刺し、子ども8名が死亡し、子ども13名、教員2名の計15名が負傷した。これが20数年前に起こった大阪教育大学付属池田小学校事件である。「まさか。小学校に侵入し、子どもを無差別に刺し殺すなんて。あり得ない。」当時の世間はあまりの衝撃に騒然となったものです。
 この事件は学校の安全神話を一瞬のうちに崩壊させ、学校安全の在り方に多くの課題と教訓を残した事件でした。今回はこの事件の教訓を今一度検証し、学校の基本的な安全対策について書いていきたいと思います。

 池田小学校は、国立大学の付属校という特性から、遠方から通学している子どももあり、保護者は自動車で来校することも多く、東門は常に開いていました。犯人は裁判の公判の中で、「もし門が閉まっていたら入らなかったかもしれない。」という趣旨のことを言っていましたが、門が開いていたばかりに尊い8名の命が失われたといっても過言ではないかもしれません。各学校では、常に日中は正門の扉を閉めています。これに対して、「面倒だ。不親切だ。」と感じる方もいるでしょう。しかしこの対応は、子どもの安全を第一に考えた「安心・安全な学校づくり」のためであることを、今一度ご理解いただきたいと思います。
 
    この事件では門から入って少しした所で、教員が犯人とすれ違っていました。しかし声をかけることなく犯人は校内に入ってきてしまいました。一昔前の学校では来校者に声をかけると、疑っているようで失礼なのではないかという風潮がありました。しかしあの時に教員が一言「こんにちは。」「どちら様ですか。」「何かご用なら承りますが。」と声をかけていたら、この学校は外部の人にはガードが固い学校だと感じ、犯行を躊躇したかもしれません。私のいた学校では極力来校者には挨拶や声かけをするよう努めていました。また保護者には必ず「IDカード」をつけてもらい、授業参観や保護者会の会議以外は職員玄関からインターホンで職員室に連絡し、職員に用件を伝えてから校舎に入るようにお願いしています。用件を聞くことや声かけをすることは決して失礼なことではなく、安全に配慮している証拠であることをご理解ください。

   最後に子どもたちの被害を拡大させた最大の教訓は、学校に緊急時の連絡体制(危機対応マニュアル)が整っていなかったということです。犯人が2年南組に侵入した時刻はちょうど2時間目が終わり、休み時間になったばかりの時で、この教室には担任は不在でした。次に隣の2年西組に入った時はまだ授業中で、担任は侵入に気づき教卓上の電話機を取ろうとしたものの、犯人を刺激すると思って受話器を置き、警察に通報するため事務室へ向かってしまいました。この事件は教員が誰もいない2つの教室の中で、子どもたちに避難誘導もないまま、次々と幼い子どもが犠牲になってしまったのです。更に2階、3階にいた教員はこの10分の間、誰も異変に気づいていなかったといいます。ここで問題なのは、不審者が侵入してきた時の担任の対応と連絡方法、全校体制での避難誘導の仕方、そして日常の避難訓練等の安全対策の在り方です。

   この事件以降、全国各地の学校では「不審者侵入時の対応マニュアル」が整備され、定期的な訓練が実施されるようになりました。私のいた学校でも、不審者が侵入してきたらまず担任が笛を鳴らし、周囲の学級に非常事態を知らせると同時に子どもを守り避難誘導させる。そして同学年の担任が職員室へ不審者の侵入をインターホンで伝える。校内放送で全校に不審者侵入を知らせ、教職員は決められた役割分担にしたがって、侵入した学級へ急行する職員と児童の避難誘導に当たる職員に分かれ対応する。…。というマニュアルを作成し、定期的に訓練を実施していました。

 よく勘違いされるのですが、「開かれた学校づくり」とは、学校の透明性を高めるために、教育理念や教育方針を常に明確に示し、学校での様々な子どもの活動を参観やホームページ、学校だより等で公開し、理解と支援を得ようというものであって、いつでも誰でも自由に学校に入れるよう門や玄関を開けておくというものでは無いということを、今一度確認しておきたいと思います。

16:48 | 投票する | 投票数(100)
2024/06/28

「はやく」「はやく」どうして(監督から)

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 「はやく」「はやく」どうして 監督 齊藤 秀樹

  突然ですが、皆さんは動物園で実際にカバの顔を見たことがありますか。
 ある動物園の調査によると、入場者が1つの動物を見学する時間は平均5~10秒だそうです。これでは動物の行動はほとんどわかりません。カバはいつも水の中に潜っていると感じている人が多いようですが、実は平均90秒、どんなに長くても5分以上は潜れないそうです。動物園でカバの顔が見れないのは、カバが水から顔を出すまでゆっくり待てないことが原因です。せっかく動物園に行っても、そそくさと先を急いで通り過ぎてしまう日本人の「ゆとりのなさ」がよく現れています。
 
 そういえば大人が子どもに使う言葉調査のベスト3に「早くしろ」という言葉が入っていました。私たち教師もつい無意識に、「早く席について」「早く朝の会を始めて」「早く教科書を開けて」「早く片付けて」「早く集まって」「早く帰れよ」…。になってしまうことが多く、登校から下校まで「急げや急げ、早く早く」のオンパレードです。 まあ学校というところは、決められた時間の中で、常に集団が動いているわけですから、「かわいそうだ」とは思いながら、つい出てしまう言葉なのかもしれません。

 では家ではどうなんだろうと、先日、学校訪問時の休み時間中の子どもたちを数人集めて聞いてみたところ、答えは「家でも全く同じだよ。大人って早く早くが好きなんだね。」ということでした。まずは「早く起きて」からスタートし、「早く顔洗って」「早くご飯食べて」「早く学校に行きなさい」で登校。帰宅後は「早く塾に行って」「早く宿題やりなさい」「早くお風呂に入って」「早く寝なさい」…だそうです。いやはや、子どもというのは大人のペースに巻き込まれて、毎日急かされ忙しい生活を送っているんだなとつくづく感じます。

 子どもは幼く未熟なものです。こちらが何も言わないで放っておくと、何もしないでだらだらしているという面は確かにあります。しかしだからと言って、こんなに「早く早く語」を連発されてしまうと、子どもが「自分から何かをやろうとする意欲(自主性・主体性)」がどんどん無くなってしまいます。本来子どもは生まれながらにして個性的な存在ですから、その子の持っている良さや可能性は、じっくり時間をかけ、信じて任せてやらせてみてこそ、発見し伸ばせるものだと思います。教育の最終目標は、「一人ひとりに‘生きる力’を育成し、子どもを自立させること」ですから、私たちは「自らの力で考え、判断し、これからの社会をたくましく生き抜いていく力」を子どもたちに身につけさせる“余裕”を持つことが大切だと思います。
 ウサギとカメの話ではありませんが、あまりに子どもを急がせすぎると、途中でバテてしまわないかと心配になる今日この頃です。

15:12 | 投票する | 投票数(135)
2024/06/21

親として一番大切なこと(監督から)

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  親として一番大切なこと      監督 齊藤 秀樹

 突然ですが、皆さんは子どもの前で夫婦げんかをしたことがありますか。また子どもの前で、お互いの悪口や陰口を言ったことがありますか。残念ながらおそらくほとんどの方があると思います。アメリカでは、子どもの前で夫婦げんかをしたり、悪口を言ったりすることは「児童虐待」に当たります。さらに子どもの前で物を壊したり、暴力を振るえば、即「逮捕」です。愛する子どもの心を傷つける行為は許されないことなのです。
 
   さて、私は18年間の担任時代の約3分の2は6年生の担任でした。その内5年6年と持ち上がったのが5回、後は全て単発(1年間だけ)の6年生でした。その理由の多くは5年生の時に一部の子どもが荒れて、先生の指示や指導に従わず好き勝手なことをして、授業が成立しない状態となり、学級が崩壊寸前になってしまったため、その学級の再生役として受け持つことが多かったからです。また2回の行政(教育委員会)経験の中では、主に非行や不登校、児童虐待等の生徒指導を担当することが多かったです。

 そんな経験の中で私はあることに気づきました。それは思春期を迎えて何らかの問題行動や学校不適応を起こす子どもたちの多くが、家庭の中で幼少時から嫌というほど両親のケンカや悪口・陰口の言い合いを経験しているということです。
 考えてみてください。子どもは親を選べません。子どもにとって両親は、この世で最も愛すべき大切な存在であり、最も信頼できる存在です。

 その二人がいつも目の前でケンカをする。どれだけ幼い子どもの心を深く傷つけることでしょう。子どもは人のことが怖くて仕方なくなります。いつもビクビクして他人と向き合うようになります。だから弱い奴だと思われいじめの標的にされてしまいます。
 また、子どもの前でお互いの悪口や陰口を言うと、子どもは人のことを信じることができなくなります。ちょっとしたことで傷つき、心を閉ざし、次第に不登校や引きこもりになってしまいます。
  もしも、つい子どもの前でケンカをしてしまったら、側にいる子どもの方に視線を送ってみてください。どんなにおびえた目をしているか。どんなに身体を小さく丸めて震えているか。その嵐が過ぎてくれるのをじっとがまんして待っているはずです。

 誤解を恐れずにいえば、成人して結婚して子どもを持てば、自然に親になることができるわけではありません。「養ってやってるんだから、子どもが親の言うことを聞くのは当たり前だ。」とか、「ゲームや携帯を買ってやったんだから、勉強しなさい。」等と考えてはいませんか。親になるということは、「親という職業に就く」ということです。家族とは親が社長である一つの会社です。その中でいつも社長と副社長が皆の前でケンカばかりしていて、口を開けばお互いの悪口を言い合っている会社の中で、一社員として勤務していたらどうですか。まず間違いなく組織の統率は乱れ、社員はやる気を失い、こころある社員は辞めていき、いつかは会社が潰れていくことでしょう。
 しかし哀しいことに、家族という会社の社員である子どもたちは、辞めることも、逃げることもできないのです。社長の犠牲になって人生をあきらめながら歩んでいくしかありません。

 学校の先生方も大学で教員免許を取得し、採用試験に合格して、教育委員会から辞令をもらえば教員です。しかし、日々向上心を持ってよりよい先生をめざす努力をしなければ、決して一人前のプロ先生にはなれません。親も同じです。良い親になるためには、絶え間ない学習と、子どもの見本になる努力が必要です。そのことを今多くの親たちが忘れています。親という権威に寄りかかり、その日の気分や思いつきで子どもを追い込んでいます。耳の痛いうるさいことを書いて申し訳ありませんが、是非、今の自分を振り返り謙虚に学ぶ姿勢を持ってください。そして一番大切なことは、いつも笑顔が絶えない温かな家庭の中にこそ、心の安定や本当の幸せがあると思っています。 
                 
               参照・引用…「子育てで一番大切なこと」水谷修 著

07:57 | 投票する | 投票数(188)
2024/06/14

「運脳神経」について(監督から)

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 「運脳神経」について  監督 齊藤 秀樹
    私は「運動神経がない」から運動は苦手です。という話をよく聞きます。しかし「運動神経がない人」なんてこの世に誰一人いません。自転車は、小さい頃にがんばって練習して一度でもできるようになったら、その後は一生乗れます。
 しかし、子どもの頃に乗れるまでがんばらなかった人が、大人になって自転車の練習をしても、乗れるようになるには子どもの何倍も努力が必要になります。運動神経がよいとか鈍いというのは生まれつきではなく、ある運動をできるまで練習したかどうか、つまり、できるようになるまでがんばったかどうかによって違ってきます。決して遺伝で決まっているわけではありません。
 
 日本人は右手で文字を書く人が多いのですが、それはいつも右手で書いているから上手になったのです。ケガなどをして右手が使えなくなってしまった人たちの中には、努力して左手で上手にかけるようになった人がたくさんいます。
 できるようになるまでの練習時間が長いか短いか、回数が多いか少ないかは個人差がありますが、できるようになるまで最後まであきらめないでがんばれば、誰でも必ずできるようになります。
  
 一般に「器用だ」「上手だ」と言われている人は、子どもの頃に身体を使ういろいろな遊びを体験して、様々な運動のパターン(感覚)を獲得している人です。そのパターン(感覚)は、小さなプログラムになって「脳」に格納されます。それが多ければ多いほど、手先が器用だったり、巧みに身体を動かしたりすることができるようになります。また、将来新しい動きや技に初めて出会った時も、以前に獲得したパターンを加工すればすぐにできるようになります。
  このように子どもの頃に遊びや運動を通してたくさんの動きを脳に格納しておくことが、将来運動ができる子を育てます。
 
 ところで皆さんは「運動ができる子は勉強がダメ」一方、「勉強ができる子は運動がダメ」というイメージを持っていませんか。確かにスポーツばかりに夢中になって全然勉強しない子は、成績がよいはずはありません。しかし、前述したとおり「運動」と「脳」は実は深い関係があるのです。「勉強はアタマで、運動はカラダで」とか、「うちの子は頭が筋肉だから…」なんて思っている人はけっこうたくさんいるものです。
 しかし、ものを覚えたり、考えたりするのも、身体を器用に、巧みに動かしたりするのも、全て「脳」がするものなのです。
 
 最近の研究では、“運動ができる子どもの方が、できない子どもより学力が高い”という結果が数多く発表されています。
 ではなぜ運動すると勉強もできるようになるのでしょうか。一つは、運動すると「脳が活性化される」ということです。これを日本女子体育大学学長の深代氏は「運脳神経」と呼んでいます。もう一つは、運動すると「活力」が育ちます。もう何度も書いていることですが、「活力」とは、自ら「わかるようになりたい。できるようになりたい。うまくなりたい。勝ちたい。」というエネルギーのことで、これがないと子どもは伸びません。一般には「やる気・意欲」と呼んでいるものです。
 白井アスレチックアカデミーは、これからも動的ストレッチや陸上運動を通して、脳の活性化を図り、活力を高め、「かしこく、たくましい子」を育てていきたいと思います。

08:46 | 投票する | 投票数(223)
2024/06/07

シリーズ「子育て講座」⑦(監督から)

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 シリーズ「子育て講座」⑦ 監督 齊藤 秀樹
【思春期~青年期での親の在り方】
 先週は思春期の子どもの扱いや育て方で保護者の方が一番悩むのは、なかなか素直に言うことを聞かない、反抗的な言動が出てくることだと書きました。しかし発達心理学からすると「思春期に子どもが親に反抗するのはある意味当然であり、反抗しない方が心配である。」と考えます。したがって「うちの子には反抗期がない」ことを誇らしげに自慢する必要はないし、それがよい親子関係だとは必ずしも言えません。
 この時期にしっかり親離れしないと子どもはいつまでも独り立ちできないし、親も子離れできなくなってしまいます。
 
 この時期の子どもは「自分とは何者か」という“自分探しの旅”を始めます。自分はどんなものが得意でどんなものが苦手なのか。どんな個性や能力を持っているのか。今どんな生活を送り、どんな人たちとつき合いがあるのか等を手がかりに自分自身を理解します。そして自分が今まで生きてきた人生を振り返り、ときに否定し、自己を再構築していきます。その自立のためのエネルギーが、今まで何でも言うことを聞いていた親への「不服従や反抗」という形で現れるのです。

 ではこの反抗期に親からの自立や子離れがうまくいかないと、その後どんな影響が出てくるのかについて考えていきたいと思います。
 まずエネルギーが家庭の外に向けて発散されるケースとして「非行や犯罪などの反社会的行為」となって現れることがあります。親との葛藤があるにも関わらず、その不満が親に直接向くのではなく、社会に向けられ非行、犯罪という形で現れる場合です。
 2つ目は、とても悲惨な結果として起こりうる「家庭内暴力や親殺し」というケースです。本当は一人前の人間として認めてもらいたいのに、上手く関わってもらえない(相手にしてもらえない)。そのやり場のないネガティブな思いが、親に暴力的に向けられてしまいます。子どもは親を傷つけたり殺したりすることで親を乗り越え、自己を確立しようとする場合もあります。
 3つ目は、親との関係の不満が子ども自身の内側にたまるというケースです。そのよい例が「引きこもり」です。家から何ヶ月も何年も外に出ないで家の中にいる。そして家にずっといながら、インターネットなどのメディアとのみ外部とつながる。食事は親から与えてもらうが、生活や趣味には干渉されない生活を送るという場合です。
 これは、親が自分を独立させてくれない結果として現れる現象の一つです。外とのつき合いを持てずに、親のなすがままに育てられ大きくなった弊害といえるでしょう。

  もう一つつけ加えると、現在は自立して大人になるまでの時間(青年期)が非常に長くなっているように感じます。20才で成人になることは変わりませんが、例えば就職、結婚、子育て、持ち家は一昔前に比べて確実に遅くなっています。「自分探し」がなかなか終わらずに長い年月を費やす若者が増えています。「パラサイト・シングル」と揶揄されるように、いつまでも独身でニートやフリーターを続けながら親に「寄生」している若者は現在も少なくありません。
  更に、皆さんは1992年のTBSで放映された「ずっとあなたが好きだった」というドラマを知っていますか。主人公の佐野史郎扮する中年の「冬彦さん」は、いつも従順に母親の言うことを聞きます。この母親は息子の結婚生活に干渉し、妻よりも率先して愛情表現をし、独立して家庭を持った息子の生活に平気で割り込んでいく。当時は多くの視聴者から「気持ち悪い」「異常な関係だ」と騒がれたほどの親子関係でした。
 
  「いつまでも あると思うな 親と金」といわれるように、子育ての最終目標は子どもの「自立」です。特に思春期から青年期にかけては、子どもにやたらとべたべたしない方がよいし、事細かに親の考えを押しつけて、子どもの主張を抑え込み、親の前で「よい子」を演じさせてはいけません。これは非常に危険であり、ふとしたきっかけて思いもよらない行動に発展しかねない可能性を持っています。
 
  さて、私がこのシリーズを通して一環して重視してきたのは「子どもとの適度な距離感を持つ」ことの大切さです。そして子どもにはそれぞれの発達段階に応じた関わり方があり、子どもは自分の子だけではない自覚を持って育てること。その上で親自身も成長・発達し続けなければならないということです。今回を持ってこのシリーズを終了します。 長期にわたるご愛読ありがとうございました。  完


07:31 | 投票する | 投票数(276)
2024/05/31

シリーズ「子育て講座」⑥(監督から)

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 シリーズ「子育て講座」⑥  監督 齊藤 秀樹
【思春期~青年期(小学校高学年~)】
    この時期になると子どもは親との付き合い方をかなり転換させるようになります。一緒に外出することを避けるようになったり、友人には話せても親には話せない秘密を持ったりします。また今まで絶対だった親に対してその生き方や考え方、更に毎日の生活の在り方に疑問を持つようになり、親が自分にいちいち指図してくるのがうっとうしくなってきます。では今回もまずはこの思春期の特徴から書いていきます。

 「思春期」というのは、個人差が非常に大きいものです。小学校4年生ぐらいから始まることもあるし、中学2年生ぐらいからの子もいます。 
  思春期というのは、その出発点は“肉体の変化”です。胸がふくらんできたとか、生理が始まったとか、ヒゲが生えてきたとか、夢精をしたとか…こういう現象が思春期の入り口です。実はこの肉体の変化が「心」に多きな動揺や変化をもたらすのが思春期なのです。
 
 思春期というのは、人生の嵐の時代ともいえる時期で、精神的なブレが激しい時期です。この時期を別名「第2反抗期」とか「半熟期」とも呼んでいます。
 思春期の特徴は、あまり大人が干渉しすぎると、「私はそんなに子どもじゃない。放っといてくれ。」と言うし、じゃあ「任せるよ」と放っておくと、「助けてよ。私はまだそんなに大人じゃないのよ。」と甘えてきたりします。また、朝は「パパ大好き」だったのが、夕方には「うるせー、おやじ!」にコロッと変わったりします。家にいても、学校いても、何がそんなにおかしいのかと思うくらい、キャッ、キャッ、キャッ、キャッと大騒ぎし、箸が落ちても笑い転げていた子が、夜になるとムスッとして部屋にこもり、どうしたのかと聞くと、「この世で、私ほど不幸な子はいない」なんて言ったりします。
 このような両極端な態度の変化が、「思春期の子は扱いが難しい」といわれる所以なのでしょう。

 また、典型的なこととして、人間関係が縦社会から横社会に変わるようになります。小学校の中学年くらいまでは、先生がこう言っていたとか、お母さんがああ言ったというように、先生や親は絶対でした。ところが思春期に入ると大人よりも友だちを大事にしだします。「あの子とはつきあってはいけません」とか「もっとよい友達を作りなさい」
なんていうと、「お母さん、友だちの悪口だけは絶対に言わないで」と言うようになります。 

   思春期の子どもの扱いや育て方で保護者の方が一番困るのは、なかなか素直に言うことを聞かない、反抗的な言動です。これは一言で言えば“精一杯の大人への背伸び”です。「もうぼくは子どもじゃないんだから、いちいち言われなくてもわかっている。放っておいてくれ。」すなわち、「一人前の人間として認めてくれ」という親からの分離、自立への第一歩です。ですから今までよりも少し多く「承認」(子どもを一人前の人間として、受け入れ認めてあげること)してあげることが大切です。しかしだからといって、子どもの言うことを全て受け入れ、子どもの言いなりになってはいけません。思春期の子どもは、親に反抗すれば叱られることは百も承知です。わかっていてわざとやっているのです。自分の主張がどこまで通じるのかを試しているのです。だから、ダメなこと、認められないこと、譲れないことに関しては、断固「拒否」することは大切な教育です。この「承認」と「拒否」を上手く使い分けることが、思春期の子の扱いで最も大切なポイントとなります。この時期の子どもの扱いについては、詳しく書き出すと長くなりますので、思春期という発達段階の特徴はここまでで終了いたします。次週はこの時期の親の在り方について考え、このシリーズの最終号と致します。

 今回のシリーズを書くにあたり、参照、引用した文献は以下の通りです。
・「生涯発達心理学」 エリクソン      ・「親の発達心理学」 柏木恵子
・「親になれない親たち」 斎藤嘉孝 他


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2024/05/24

シリーズ「子育て講座」⑤(監督から)

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  シリーズ「子育て講座」⑤  監督 齊藤 秀樹
【学童期】
《小学校入学~思春期前》
 学校は勉強するところです。したがって、この時期は“学ぶことがうれしい時期”と言えるでしょう。「できた」「わかった」「うまくなった」という『有能感』を持たせることが大切です。学校から帰ってきて「お母さん、かけ算の九九が三の段まで言えたよ」と子どもが喜んで報告しているのに、「なんだ、○○ちゃんなんて八の段まで言えるそうよ」などど、劣等感を植え付けるような子育てをしてはいけません。他の子に比べて、多い少ない、早い遅いは個性であって、大切なのは子どものやる気を引き出し、認めて励まし、自信と有能感をいかに伸ばすかということです。

 その一つの方法としてお薦めしたいのが、「博士」「名人」「天才」にしてしまうという方法です。昆虫が好きなら「昆虫博士」、鉄道が好きなら「鉄道博士」、「花博士」「星座博士」…「自転車名人」「なわとび名人」「遊びの天才」…。これだけは自信がある、これだけは人に負けない、というものが1つでもあれば、必ず将来、他の分野にも広がっていきます。まあ親としては、「鉄道のことはいいからもっと計算を…」とか「体育はいいから、もう少し国語に関心を…」と割り切れないでしょうが、好きなことをいっぱいさせて、それをどう伸ばすかという気持ちに切り替えられるかがポイントになります。

 次に友人の作り方ですが、小学校の低学年と高学年とではずいぶん違います。低学年では、家が近所だからとか、お母さん同士が仲が良いからとか、席が隣になったからというように、非常に「変動的」です。班が変わり、席替えをしたとたんに親友が変わってしまうということが起こります。ところが高学年になると、友人関係の変動も少なくなり、性格が合うからとか、共通の趣味を持っているからというように「固定的」になってきます。
 よく保護者の方から、低学年では「ついこの間まで仲良かった子と遊ばなくなってしまった」とか、高学年では「最近、友人関係が固定的になってきて心配です」という相談がありますが、これは発達段階に応じた正常な成長をしている証拠です。

  さてこの時期の親は「子どもの成長に関わっているのは自分だけではない」ということを知ることが大切です。教師や友人という存在が今まで以上に大きな役割を果たし、子どもたちはそれらの人間関係の中で「社会性」や「協調性」、そして「社会のルール」を学んでいきます。確かに基本は親子関係であり、これが安定していないと外でも安定した生活を送れない可能性は高いのですが、自分だけが子どもを育て、守ってあげられる唯一絶対の存在であるわけではありません。

 子どもは様々な顔を持っています。家の中での顔、学校での顔、習い事での顔、友人と遊んでいるときの顔…。即ち「親の前でいい子」や「親から見ていい子」という評価基準だけでは子どもの実態や変容を正確に理解できないということです。最近とても気になるのが、子どもの外での人間関係に口をはさむ親が増えてきたことです。たしかに子ども同士の人間関係の問題やトラブルを親同士で話し合ったり、学校の先生を含めて問題解決することは時には必要なことでしょうが、ささいなことで日常的に子どもの交友関係に口をはさみ、親の視点で「この子だけがよければいい」という解決の仕方は、子どもの成長にとって決してプラスにはならないのではないかと思います。
 この時期は、「自分以外の他者」を含めた様々な人々と関わり、「子どもは自分の子どもだけではない」ことを理解して、適切な距離感を持った子育てが大切だと思います。
                                                             つづく

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