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子どもの「ほめ方」「叱り方」③(監督から)日誌11/22 17:56

          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

日誌
1234
2021/11/22

子どもの「ほめ方」「叱り方」③(監督から)

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    子どもの「ほめ方」「叱り方」③        校長 齊藤 秀樹

【子どもの叱り方①】
 「子どもをほめる」というのは大切な教育です。しかし、ただほめているだけでは決してよい子は育ちません。しつけの基本は「承認」(よいことは認められ、ほめられる)と「拒否」(いけないこと、ダメなことは禁止され、しかられる)の使い分けです。子どもはこの両方を経験を通して、しだいに自分の行動をコントロールしたり、自分自身の中に善悪の判断基準を形成したりしていきます。また、叱られるということは、裏を返せば「自分のことをいつも考え、心配し、大切にしてくれている」=「愛されている」という実感にもつながります。では、どのように子どもを叱ったらよいのかについて、2週にわたって考えてみたいと思います。

   ここに「叱り方」のよい例がありますので紹介します。
(例1)
 ある中学2年生の女の子がスーパーで万引きしてしまい、学校へ連絡が入ったので担任が引き取りに行き、担任と一緒に自宅へ送り届けた時の話です。玄関に入った途端に、待ち構えていた母親に「バチン、バチン」とほっぺを叩かれ、「あんたはなんてことをするの。もう我慢できません。お父さんが帰ってきたら思いっきり折檻してもらいますからね。あんたなんか警察でも施設でもどこへでも行ってしまいなさい。」そして更に「こんな近くのスーパーで万引きなんかしたら、せっかく買ったこの家にもう住めなくなってしまうでしょう。冗談じゃないわ、全く。」と、もの凄い剣幕で怒鳴られていました。女の子はその間、じっと黙ってうつむいて、一切の返事もせずにふて腐れていたそうです。

(例2)
 ある中学1年生の男の子が本屋で万引きしてしまい、学校で担任と話した後、家まで送り届けた時の話です。家に入ると父親が奥の部屋で待っていて、父、母、本人、担任が向かい合わせの席に座りました。そして担任が本人に「今日あったことを自分の口から言いなさい。」と言うと、その子は涙ぐみながら「あのな…、今日な…、学校から帰ったらな、暇だったんで本屋に行ってな…」とボソリボソリ話し始めました。その間、父親と母親は目をつぶったまま、膝の上に握りこぶしを置いてじっと聞いていました。そして一通り話が終わった途端、父親が畳の上に手をついて「先生。どんなにできが悪くても、こいつは私の息子です。どうか勘弁して下さい。明日きちっと本屋に一緒に行って謝ってきますから。」と涙をボタボタこぼして言ったそうです。その姿を見た息子はビクッとして「お父さんごめんなさい。許して下さい。もう二度とこんなことはしません。」と、父親に抱きついて泣いたそうです。

   さて、この2人の親の叱り方はどこが違うのでしょうか。
   確かなことは、前者の母親の「体罰、脅し、泣き落とし、世間体」という叱り方が全く娘の心に入らなくて、後者の父親の「どんなにできが悪くても、私の息子です。」が、なぜ心に響いたのでしょうか。この例は、私たち大人が子どもをどう叱ったらよいかの大切なヒントを与えてくれています。皆さんはわかりますか。
                                                                    つづく


17:56 | 投票する | 投票数(33)
2021/11/16

子どもの「ほめ方」「叱り方」②(監督から)

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子どもの「ほめ方」「叱り方」② 監督 齊藤秀樹

【子どものほめ方②】
 実は「ほめる」と「叱る」は紙一重だと言われます。何故かというと、これは子どもの特性や性格、行動をどう見るかによって決まってくるからです。具体的には、プラスに見るか、マイナスに見るかによって、良くも悪くも見えてしまうということです。
 今回は、日々の子育ての中で、子どもをほめることが苦手なお父さん、お母さん必見の“逆転の発想で子どもをほめる”ついて紹介していきたいと思います。

  マイナス面(欠点とみれば)       プラス面(長所だとみれば)
  
  おせっかい          →    世話好き
  頑固で分からず屋       →    芯があり意志が強い
  人見知り           →    真面目で慎重
  わがまま           →    正直で素直
  でしゃばり          →    前向きで挑戦的
  お調子者           →    ユーモアがありおもしろい
  いばっている         →    自信がある
  仕切りや           →    リーダー性がある
  気性が激しい         →    情熱的 野性的
  おとなしい 消極的      →    謙虚で慎ましい
  マイペース          →    常に落ち着いている
  ぶっきらぼう         →    嘘がつけない

 いかがでしょうか。欠点は見方を変えれば長所でもあります。良い担任の先生は、通知表の所見欄に、子どもの成長やがんばり、良い面を見つけて、たくさん書いてくれます。
 次回は、これも難しい「子どもの叱り方」について紹介したいと思います。お楽しみに。                       つづく
08:49 | 投票する | 投票数(72)
2021/11/09

子どもの「褒め方」「叱り方」①(監督から)

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 子どもの「ほめ方」「叱り方」①  監督 齊藤 秀樹

 さてずいぶん前(3月頃)の記事になりますが、「しつけについて考える」というシリーズで「積み木くずし」という本を例に挙げて紹介した、「しつけ」の基本は、『承認』(子どもを認め、受け入れてあげること)と、『拒否』(認められないことは、断固認めない、許さないこと)という2つの態度を、はっきりと使い分け、常に示し続けることが大切だということを書いてシリーズをまとめました。そこで今週から「承認」と「拒否」の具体的な使い方として、子どもの「ほめ方」と「叱り方」について、これも何週かに分けてシリーズで書いていきたいと思います。

【子どものほめ方①】
 子どもの評価には、大きく3つの方法があります。1つ目は「相対評価」といって、他の子と比較することで、その子が集団の中でどのくらいの位置にいるかを評価します。1番なのか、中間なのか、中の下くらいなのか…というように「集団内での位置」を評価するものです。2つ目は、「到達度評価」(絶対評価)といって、親や先生があらかじめ示す基準(目標)にどれだけ到達できるかで評価します。90%以上なら十分満足、70%以上ならおおむね満足、60%以下ならまだまだ努力不足…というように到達度で評価します。ちなみに、現在の通知表はこの評価ですので、学力がどの程度身についたかはわかりますが、クラス内の位置や順位は関係ありません。3つ目は「個人内評価」といって、その子個人の中で、よいところはどこなのか、悪いところはどこなのか、伸びたことは何なのかということを評価するものです。   

   さて、子どもをほめることが苦手な方には、ぜひ3つ目の「個人内評価」をお薦めします。更にその中での「加点評価」(+評価)を心がけると、ぐっと子どもをほめる機会が増えると思います。例えば“掃除”を取り上げて帰りの会で「○○君は、いつもしゃべらないできちんと掃除やっているね。偉いぞ。」とほめます。これは4月当初が20点の掃除しかできなかった子に、2ヶ月たって60点をあげられるまでに成長した時に使います。20点が60点になったということは、+40で3倍も努力し成長したことになります。これを加点評価と言います。なかなか子どもをほめられない大人の中には、常に自分の満足度を100点に設定し、そこまで到達しなければ認めないという人がいます。従ってその人にとっては、○○君の現在の60点は-40点であり、全然だめだということになってしまいます(これを到達度評価の減点評価といいます)。また、他人と比べて何点だったかという相対評価も、「お母さん九九が4の段まで言えたよ。」とうれしそうに報告してきた子どもに対して、「何言ってんの、お姉ちゃんなんかあなたの年には9の段まで言えたわよ。」という比較になってしまい、本人が頑張ったことをほめてあげられません。

 どの評価法も時には必要かもしれませんが、子どもが1つでもできるようなったら、少しでも努力し成長が見られたら、それを見つけ、認め、ほめてあげることが「よし。次も頑張るぞ。」という活力(意欲)や向上心につながります。

  “子どもは 誰でも よい芽を持っている”
  “子どもは 誰でも 認められたいと思っている”
 “ほめれられることが 嫌いな子はいない”    のですから。   つづく

08:54 | 投票する | 投票数(106)
2021/11/02

「父親」と「母親」考(監督から)

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「父親」と「母親」考   監督 齊藤 秀樹  
    昨年から続いていたコロナウィルスの感染拡大がようやく収まり、様々な自粛・行動制限が解除され始めてきました。私も先日久しぶりに大型ショッピングモールに出かけ、様々な店を回って買い物や食事を楽しみました。そんな中でまず驚いたのが、今までにない人の多さです。どこへ行っても若者や家族連れで店内はごった返していました。これから始まる年末年始は今のままの状況で、家族揃ってゆっくり過ごしてほしいと願います。新年の学校では、帰省した子、旅行に行った子、遊園地に行った子、アウトレットやショッピングモールのバーゲンに付き合わされた子など、子どもたちが楽しそうに話す冬休みの思い出話に花が咲きそうです。
    さて今週はせっかくの機会ですので、家族(父親と母親)について、私の実体験を基に考えてみたいと思います。

    私は小学校6年生の時に、毎朝サッカーの練習に通っていました。両親は「子どもが好きでやっていることだから」ということで喜んで送り出してくれていました。そんなある日のこと、私はその日に限ってサッカーの練習に行きたくなくなり、布団をかぶってゴロゴロしていました。すると隣の部屋から父親の「あいつは何をしているんだ。自分からやりたいと行ってやり出したことを、途中であきらめるような奴はダメだ。」という野太い声が聞こえてきました。私は「まずい。」と思い、自分が父親にたたき起こされる姿を想像しながら布団の中で小さく身を潜めていました。
 すると母親が「そっとしておきましょうよ。あの子が起きてこないくらいだから、きっと何か考えがあるのでしょう。」といういつになく強い口調の声が聞こえてきました。それからしばらくの間父親と母親が話していましたが、結局私が起こされることはありませんでした。

 その一部始終を布団の中で聞いていた私は、自分のしたことを深く反省しました。と同時に何ともいえない嬉しさを感じました。それは「私は信じられている」という嬉しさでした。本当はサッカーに行きたくない理由など何もなかったのに、ただ何となく行く気がしなかっただけだったのに、母親は「あの子はそんな子ではない」と私を信じてくれました。一方父親はおそらく私の心の中にある甘さ(さぼり癖)を見抜き、許せない気持ちになったのでしょう。

    このように私は、常に厳しい父親と、やさしい母親という「異質」の2人によって育てられてきました。ある本によると、本来父親は「切る」存在で、母親は「包む」存在であると書いてありました。例えば、我が子が非行に走り事件を起こした時に、我が子であっても悪いことをしたのは事実だから許さないと、子どもを「切る」のが父親で、悪いことをしたのは確かだが、我が子なんだから何とか救いたい、助けたいと「包む」のが母親だといいます。人によっては「ひっぱる」のが父親で、「なだめる」のが母親だという人もいます。

   しかし現在この図式が少しずつ変わってきているような気がしています。以前学校で取ったアンケートでも、「子どもが求める大人像」の調査を結果を見てみると、父親を厳しい人と捉える子より、やさしい人と捉える子の方が圧倒的に多いようです。また反対に母親をやさしい人と捉えるより厳しい人と捉える子が最近増えてきているようです。

 即ち、父親がどんどん優しくなり、母親がどんどん厳しくなって、父親と母親の違いが無くなり「同質化」が目立ってきているようです。今の時代は、両親の共働きが普通になり、互いに仕事や趣味を持ちながら、共にパートナーを組んで、同じように子育てをしていくことが現実的で理想的なのかもしれません。要は「同質」か「異質」かではなく、必ず両親の価値観と教育方針は一致させ、その上でお互いの役割分担をよく話し合い共に子育てをしていくことが大切だと思います。
 
 皆さんのご家庭はいかがですか。

08:56 | 投票する | 投票数(117)
2021/10/26

自然体験活動のススメ(監督から)

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     自然体験活動のススメ      監督 齊藤 秀樹
  昨年度から長期にわたって続いた新型コロナウィルス感染症が、少しずつ収まり、生活行動も徐々に緩和・解除に向けて動き出しました。学校現場でも、校外学習や修学旅行、運動会や合唱祭等の学校行事も実施され始めています。そこで今回は、子どもの発育・発達にとても重要な、是非学校現場及び家庭教育の中で充実させてほしい「自然体験活動」について書いていきたいと思います。

  国文一太郎という人が書いた『自然ーこのすばらしき教育者』という本の中に次のようなことが書いてありました。「自分も自然の一部である子どもは、自然のモノやコト、生きているものや生きていないものとの接触に忙しくならねばならぬ。自然を友と見たてたり、敵と見立てたり、材料や道具にしたりして、活気ある接触をしなければならい。子どもは野蛮でいいのだから、草の葉や木の実をどんどん食ってよい。石ころ道やデコボコ道を裸足で歩いて、たまに転んで血など流した方がよい。…子どもはこういことに忙しくなくてはならない。」                                                      
 しかし、ここに描かれている子ども像というのは、今はすっかり遠い昔の世界の話になってしまっています。

   冬は暖かく夏は涼しい室内、おいしい食事、ゲームや漫画等の魅力的な室内遊び、手伝いから解放された自由時間の増大…。これらは全て子どもたちを快適な室内に吸いよせる条件になっています。
   子どもたちを自然教室やキャンプに連れて行くと、毎年必ず体調を崩してしまう子に出合います。「暑くて眠れない」「虫の音がうるさい」「ウンチが出ない」「嫌いなものばかりだから食べたくない」…。コンクリートの中でクーラーをかけながら快適に眠り、生まれたときからウォシュレット付きの洋式トイレで快適に排便をし、好きなものだを選んで食べてきたのですから、これは当然なのかもしれません。
  
    しかしこのような、自然とあまりにかけ離れた生活をしていると、厳しい環境の中では生きていけない“適応力の狭い人間”ができあがってしまいます。
   子どもを取り巻く生活環境の変化に伴って、子どもたちの自然体験や社会体験が喪失しかけている現在、いじめや暴力行為に見られるような相手の痛みや苦しみを感じられない子どもたち。テレビや雑誌に映し出された観光用の人工美に慣らされているため、生の自然の美しさや雄大さには感動できない子どもたちが増えています。

   そこで私が現職の時に改革し、実践してきた「遠足・集団宿泊的行事」について紹介し、その意義について解説していきたいと思います。それは、従来の社会科見学・観光旅的な行事から、下記のように自然体験的活動を中心とした行事に精選し実施してきました。

1年生 … 千葉市動物公園
2年生 … 潮干狩り(木更津)
3年生 … 清水公園フィールドアスレチック
4年生 … 筑波山(登山)
5年生 … 自然教室(大房岬自然の家での海体験)一泊二日
6年生 … ホワイトスクール(奥日光スキー)二泊三日 
 
  生の自然と対峙し、机上の学習では得られない「ものの見方、感じ方、考え方」を感覚として育てたい。自然の美しさや偉大さに驚き、やったことのない活動に挑戦したり冒険心を養ったり、みんなと力を合わせてやりとげる体験をしたり、その場の環境に適応したりする体験を通して、“柔軟で幅広い適応力”や“多面的な生活能力”を育てていきたいと思ってます。
  
 今後、益々国際化が進展し日本を飛び出して世界の人々と交流する機会が増えてくと思います。また、大きな環境の変化や新たな感染症の大流行、更に大規模自然災害がいつ起こるかわかりません。 
 行き先不透明なこんな時代だからこそ、子どものうちから自然体験活動を通して、適応力や生活能力を養っていくことは必要不可欠なことだと思います。
 
 これらの自然体験的行事を通して、現在の子ども達に足りない「3つのたい力」(①体力(たくましい身体)・②耐力(がまんしてやり遂げる力)・③帯力(みんなで心を一つに協力し団結する力)を是非身につけさせたいと考え実施してきました。いかがですか。家族旅行や地区行事でもでも、是非実践してもらいたいと思います。

08:53 | 投票する | 投票数(142)
2021/10/20

「食育」について考える②(監督から)

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  「食育」について考える②  監督 齊藤 秀樹
    先週は「偏食」について書きましたが、せっかくですので「食」について、もう少し別の角度から調査データを基に考えていきたいと思います。

【食に関するしつけ】
  現在の保護者が「食」に関して子どもに行っているしつけやマナーについてのアンケート調査を見ると、1位が「正しい姿勢で食べる」(肘をつかない等)2位が「いただきます」「ごちそうさま」をきちんと言う、で共に5割を超えています。次いで3位が「好き嫌いをしない」、4位が「食べ残さない」、5位が「箸を正しく使う」の順でした。
 では、現在の親が「自分が親から受けた食事のしつけ」についての調査を見てみると、1位が「好き嫌いをしない」で、2位が「食べ残さない」の順で、この項目は、自分が親から教えられたときよりも、子どもに教えている割合が低下していることがわかります。時代の変化に伴い、食生活の意識も変化してきていることがわかります。

【朝食について】
 昨今、朝食を食べないで登校する子が増加しているのではないかと問題視されているようですが、実際は、朝食を「毎日食べる」小学生の割合は9割を超えており、この結果は昭和63年の調査から現在まで約30年以上ほとんど変わっていないことがわかりました。
 しかし増加してはいないものの、朝食を取らない子が今も昔も小学生の1割いることは事実です。そこで「食べない」と答えた子の理由を聞いてみたところ、最も多かったのが「時間がない」、次いで「食べたくない」「眠い」という順でした。毎日の生活習慣が夜型(いつまでも起きていて、おやつをだらだら食べたり、夜食を取ったりする)になっており、朝はぎりぎりの時間に起き、食べる時間も食欲もないまま、急いで学校に行く子どもの実態がわかります。
 脳の重量は体重の2%ですが、エネルギーは体全体の20%を消費します。しかも夜でも脳は休まないので、朝になると「ガス欠状態」になります。脳のエネルギーであるブドウ糖は体にため込むことが出来ないため、まず、朝はご飯やパンなどの糖質を取ることが必要です。また、朝は体温が低いので朝食を取って早く体温をあげてやる必要があります。その結果、食後2時間くらいが一番学習能力が高まると言われています。さらに、内閣府の食育調査によると、「朝食を食べる子」は「食べない子」に比べてペーパーテストの得点が高いという成績との関係も明らかになっています。また、朝食を食べない子は、「つかれる」「イライラする」等と感じる割合も高いとされています。
 これらの調査からわかることは、「朝食を食べなければならない」ということよりも、就寝時間が遅く、睡眠時間が短いという基本的生活習慣の乱れが、子どもの学習能力や、気力、体力の低下の要因であることに注目する必要があると思います。

【「孤食化」する子どもたち】
  また、その一方で「朝食を子どもだけで食べる」割合が、平成5年に小学校1~3年で27.4%、4~6年32.6%であったのが、平成17年にはそれぞれ40.9%と40.3%と10ポイントも増加し、4割を超えたことがわかりました。共稼ぎ世帯が増加し、食卓を家族で囲む時間は、家族の大切なコミュニケーションの場であるという意識が薄くなり、食事は家族個々の時間に合わせて取らざるを得ない状況がわかります。
   人間の食の特性は“みんなと一緒に食べる=「共食」”のことです。どんなに栄養素の高い食事でも、一人で寂しい思いをして食べていれば心は満たされません。このことは、食事の時間を楽しいと感じられない小学生が、男子が27%、女子が21%おり、中学生になるとその割合が更に増加するという調査結果からも明らかです。
 今一度「食卓」の意味とその価値について考えてみることも必要なのかもしれません。「食卓」は、1mの距離を挟んで、一人ひとりの表情や息づかいを感じ、家族のコミュニケーションを図り、絆を深める場です。忙しい毎日ですが、よい食習慣をつけるためにも、楽しくみんなで食事する機会を意図的に作っていく必要がありそうです。
       
    参照…ベネッセ教育研究所資料、白井市教育センター室調査研究資料 他

08:27 | 投票する | 投票数(132)
2021/10/12

「食育」について考える①(監督から)

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  「食育」について考える①  監督 齊藤 秀樹
  
    このことについては以前からぜひ機会があったら書いてみたいと思っていましたが、現在、食品ロスとか食品廃棄の問題がよくニュースに取り上げられています。現役の校長時代も教室を回ると、子どもたちの偏食の多さがとても気になっていました。そこで今週から2週にわたって「食育」というテーマで書いていきます。

    現在の日本は大変食生活に恵まれた国です。飢えに苦しむ世界中の子どもたちの情報を聞くにつけ、「まずいから」「食べたくないから」といって、自分の好きな物だけを食べて生きていける日本の子どもたちはつくづく幸せだなと思います。しかし問題なのはこうした偏食生活に何の疑問も持たずに、これが当然のような感覚を持ってしまっていることです。

  現在は“グルメブーム”(コロナ禍での自粛期間は除く)で、うまい店の紹介や食べ歩きの本が売れ、テレビでは毎日のように行列の出来る店や名旅館の豪華な夕食が紹介されています。まあ、餓死した日本人のニュースは滅多に聞きませんから、「食」はもはや「生存」とは別の話になってきているのかもしれません。こういう話をすると「いやそんなことはありません。今は『グルメブーム』以上に『健康食ブーム』だから、みんな食については関心を持ち、自分の健康には十分に気を遣っています。」という方もいるでしょう。しかしこれは私のように毎年身体のあちこちが健康診断(人間ドック)で引っかかり、真面目に「このままではいかん。」と思っている大人の世界の話で、特に若者たちはレトルト食品やコンビニ・ファーストフード食を安易に食べたり、激辛ものや食べ放題を好んだりしています。また不足している鉄分、カルシウムや繊維質は栄養ドリンクやサプリメントを飲めば大丈夫だと思っているのが現実です。

 さてズバリ核心に入ります。子どもは親に養われている存在です。親が一生懸命働いたお金で“食べさせてもらっている”のです。ところが、子どもがかわいいから、育ちざかりだからと行って、子どもを「メインゲスト」の席に座らせて、母親が作ってくれている食事を“食べてやっている”存在にはなっていないでしょうか。「何でカレーに、にんじんを入れるんだよ。」「どうしてぼくのおかずがお母さんより少ないんだ。」なんて偉そうに腹を立てている子は、まさに「子ども中心型食卓」で甘やかされて育ってきた典型ではないかと思います。学校でも、残りの給食を他人のことなんか全く考えずに全部一人でおかわりしてしまう子。嫌いな物は全く手をつけず、いつも平気で大量に残してしまう子。挙げ句の果ては、先生の給食が自分より多いと文句を言って怒っている子までいる始末です。

 多少大げさかもしれませんが、「豊かさ」は大人の世界に限定して、子ども世界とは分けて考えた方がいいのではないかと思っています。親が焼き肉で子どもがコロッケという夕食があってもいいし、回転寿司に行ったら、大人は中トロ、子どもは赤身でも文句を言わない子どもに育てたいものです。ある調査によると、人間の味覚は18才までに形成されてしまい、若いころの味覚歴が将来の「味覚オンチ」を作ってしまうそうです。

    先行き不透明な変化が激しい社会の中で、子どもたちが大人になったとき、今と同じような豊かな食生活が送れるとは限りません。どうぞ、生きるために、食べるために働くのは大変なことなのだと教えてあげてください。子ども時代の今だからこそ、あらゆるものを食べ、健康な身体と多様な味覚を身につけさせることは必要不可欠です。
                                    
    食生活の豊かな日本だからこそ、子どもをそれに巻き込み「自分に甘く、わがままな子」に育ててはいけないと思います。
                                                                   つづく

09:01 | 投票する | 投票数(150)
2021/10/05

「運動会」を考える(監督から)

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  「運動会」を考える  監督 齊藤 秀樹
       
    近年「運動会がつまらなくなった。」という声を、多くの方々から聞きます。実際に多くの学校が、運動会は、春先(5月)に、練習時間や種目数を減らして、半日行事で、無観客で行う所が増えてきています。その理由としては、教員の働き方改革の一環としてとか、高温対策とか、授業時数の確保…。そして何よりコロナ感染症対策…様々あげられていますが、「本当にそれでいいのだろうか。今一度運動会という行事の持つ意義を考え、伝えたい」という思いを込めて、この記事を書かせていただきます。

 数ある学校行事の中でも「運動会」は、最も家庭や地域に密着したビックイベントです。前日の夕方はお弁当のおかずを買いに来るお母さんたちで、スーパーや商店がごった返し、唐揚げ用のチキンがすぐに売り切れてしまいます。また、あちこちで行われる井戸端会議では、明日の空模様や見所について話が盛り上がります。

 また当日は、朝早くからお父さん方が眠そうな目をこすりながら特等席をねらって、席取りにやってきます。私などもそうですが、自分の子どもが小学校に通っていなくても、一面に張られた万国旗とにぎやかな駆け足行進曲、そして子どもたちの歓声に誘われて、ついグラウンドを覗いてみたくなるものです。従って運動会は“一種お祭り的雰囲気を持った地域に開放された行事”だと言うことができるでしょう。                     

   もう一つ、運動会には大きな意義があります。それは数ある学校行事の中で“最も公開性のある行事”だということです。保護者の方々が年に一度、学校での子どもの様子を丸一日中見ることができるのは運動会だけです。我が子の変容や成長、友人達の様子や仲間関係、学校全体の雰囲気、日常の体育指導の成果、先生方の動きやまとまり…、実際の姿を見ることにより、また新たな発見や驚きが生まれ、安心したり、心配になったり、感動したりします。また反対に、子どもたちも「見られている」という意識があるので、普段よりがんばろうという気持ちが強くなることも事実です。子どもは見られることによって成長する部分が大きい(これを見物効果という)ので、運動会はとても教育的効果が高い行事です。
 
 さて話は変わりますが、「運動会」という行事は他国にはあまり例のない、日本独特の行事だそうです。欧米の小学校では「スポーツ大会」的なものが多く、子どもたちはそれぞれ自分のやりたいスポーツ(サッカーやバレーボール等)の会場へ行き、一日中そこで体を動かして楽しむという型が多いようです。

 では、日本に運動会が生まれたのはいつ頃なのかを調べてみたところ、どうやら明治20年前後がその起源のようです。当時は、地域の人々が収穫の後に集まって体を動かして楽しむという「お祭り的性格のもの」と、全体を源平(今の紅白)に分けて、鍛えられた強さやたくましさを競う「軍事教練的性格のもの」があったようです。今でも残っている騎馬戦や綱引きはこの当時からやっていた競技だそうで、かなり長い歴史と伝統がある種目といえます。          

    さて、今年の運動会にはどんなドラマが待っているのでしょうか。私は校長時代、どの学校に行っても、全体練習の初日に、子どもたちに対して“全力を尽くしてがんばる”という目標を伝えてきました。勝っても負けても、一位になっても転んでしまっても、成功しても失敗しても、自分の持っている力を精一杯出し切ることが大切だと思うからです。「全力だからかっこいい」「全力だから美しい」「全力を尽くす姿は人を感動させる」ものです。

 現在、仕事上様々な小中学校を回って、運動会(体育祭)を参観させていただいています。制限の多いコロナ禍で各学校とも、様々な配慮や工夫をしながら何とか運動会を成立させるために頑張っています。そんな中で私が見る視点はただ一つ、紅も白も勝利を目指して、心を一つに団結し、全力を尽くしてがんばる子ども(「活力あふれる子ども」)を育てている学校かどうかです。そしてそんな子ども達を支え、子どもの中に入って、一緒になって共に最高の運動会が創れるよう全力を尽くして汗をかき、指導・支援している情熱を持った先生方の姿です。
 間もなく本番が始まります。大声は出せませんが、熱い応援をお願いいたします。  

08:59 | 投票する | 投票数(143)
2021/09/27

発達段階に応じた子どもの育て方⑤(監督から)

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 発達段階に応じた子どもの育て方⑤最終回 監督 齊藤 秀樹

【思春期~青年期での親の在り方】
 先週は思春期の子どもの扱いや育て方で保護者の方が一番悩むのは、なかなか素直に言うことを聞かない、反抗的な言動が出てくることだと書きました。しかし発達心理学からすると「思春期に子どもが親に反抗するのはある意味当然であり、反抗しない方が心配である。」と考えます。したがって「うちの子には反抗期がない」ことを誇らしげに自慢する必要はないし、それがよい親子関係だとは必ずしも言えません。
 この時期にしっかり親離れしないと子どもはいつまでも独り立ちできないし、親も子離れできなくなってしまいます。
 
 この時期の子どもは「自分とは何者か」という“自分探しの旅”を始めます。自分はどんなものが得意でどんなものが苦手なのか。どんな個性や能力を持っているのか。今どんな生活を送り、どんな人たちとつき合いがあるのか等を手がかりに自分自身を理解します。そして自分が今まで生きてきた人生を振り返り、ときに否定し、自己を再構築していきます。その自立のためのエネルギーが、今まで何でも言うことを聞いていた親への「不服従や反抗」という形で現れるのです。

 ではこの反抗期に親からの自立や子離れがうまくいかないと、その後どんな影響が出てくるのかについて考えていきたいと思います。
 まずエネルギーが家庭の外に向けて発散されるケースとして「非行や犯罪などの反社会的行為」となって現れることがあります。親との葛藤があるにも関わらず、その不満が親に直接向くのではなく、社会に向けられ非行、犯罪という形で現れる場合です。
 2つ目は、とても悲惨な結果として起こりうる「家庭内暴力や親殺し」というケースです。本当は一人前の人間として認めてもらいたいのに、上手く関わってもらえない(相手にしてもらえない)。そのやり場のないネガティブな思いが、親に暴力的に向けられてしまいます。子どもは親を傷つけたり殺したりすることで親を乗り越え、自己を確立しようとする場合もあります。
 3つ目は、親との関係の不満が子ども自身の内面にたまるというケースです。そのよい例が「引きこもり」です。家から何ヶ月も何年も外に出ないで家の中にいる。そして家にずっといながら、インターネットなどのメディアとのみ外部とつながる。食事は親から与えてもらうが、生活や趣味には干渉されない生活を送るという場合です。
 これは、親が自分を独立させてくれない結果として現れる現象の一つです。外とのつき合いを持てずに、親のなすがままに育てられ大きくなった弊害といえるでしょう。

    もう一つつけ加えると、現在は自立して大人になるまでの時間(青年期)が非常に長くなっているように感じます。20才で成人になることは変わりませんが、例えば就職、結婚、子育て、持ち家は一昔前に比べて確実に遅くなっています。「自分探し」がなかなか終わらずに長い年月を費やす若者が増えています。「パラサイト・シングル」と揶揄されるように、いつまでも独身でニートやフリーターを続けながら親に「寄生」している若者は現在も少なくありません。
    更に、皆さんは1992年のTBSで放映された「ずっとあなたが好きだった」というドラマを知っていますか。主人公の佐野史郎扮する中年の「冬彦さん」は、いつも従順に母親の言うことを聞きます。この母親は息子の結婚生活に干渉し、妻よりも率先して愛情表現をし、独立して家庭を持った息子の生活に平気で割り込んでいく。当時は多くの視聴者から「気持ち悪い」「異常な関係だ」と騒がれたほどの親子関係でした。
 
  「いつまでも あると思うな 親と金」といわれるように、子育ての最終目標は子どもの「自立」です。特に思春期から青年期にかけては、子どもにやたらとべたべたしない方がよいし、事細かに親の考えを押しつけて、子どもの主張を抑え込み、親の前で「よい子」を演じさせてはいけません。これは非常に危険であり、ふとしたきっかけて思いもよらない行動に発展しかねない可能性を持っています。
 
    さて、私がこのシリーズを通して最も重視しているのは「子どもとの適度な距離感を持つ」ことの大切さです。そして子どもにはそれぞれの発達段階に応じた関わり方があり、子どもは自分の子だけではない自覚を持って育てること。その上で親自身も成長・発達し続けなければならないということです。長編になりましたが、今回をもってこのシリーズを終了します。SAAの家族の幸せを心から願っています。 完

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2021/09/21

発達段階に応じた子どもの育て方④(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
  発達段階に応じた子どもの育て方④ 監督 齊藤 秀樹

【思春期~青年期(小学校高学年~)】
    この時期になると子どもは親との付き合い方をかなり転換させるようになります。一緒に外出することを避けるようになったり、友人には話せても親には話せない秘密を持ったりします。また今まで絶対だった親に対してその生き方や考え方、更に毎日の生活の在り方に疑問を持つようになり、親が自分にいちいち指図してくるのがうっとうしくなってきます。では今回もまずはこの思春期の特徴から書いていきます。

 「思春期」というのは、個人差が非常に大きいものです。小学校4年生ぐらいから始まることもあるし、中学2年生ぐらいからの子もいます。 
  思春期というのは、その出発点は“肉体の変化”です。胸がふくらんできたとか、生理が始まったとか、ヒゲが生えてきたとか、夢精をしたとか…。こういう現象が思春期の入り口です。実はこの肉体の変化が「心」に大きな動揺や変化をもたらすのが思春期なのです。
 
  思春期というのは、人生の嵐の時代ともいえる時期で、精神的なブレが激しい時期です。この時期を別名「第2反抗期」とか「半熟期」とも呼んでいます。
  思春期の特徴は、あまり大人が干渉しすぎると、「私はそんなに子どもじゃない。放っといてくれ。」と言うし、じゃあ「任せるよ」と放っておくと、「助けてよ。私はまだそんなに大人じゃないのよ。」と甘えてきたりします。また、朝は「パパ大好き」だったのが、夕方には「うるせー、おやじ!」にコロッと変わったりします。家にいても、学校にいても、何がそんなにおかしいのかと思うくらい、キャッ、キャッ、キャッ、キャッと大騒ぎし、箸が落ちても笑い転げていた子が、夜になるとムスッとして部屋にこもり、どうしたのかと聞くと、「この世で、私ほど不幸な子はいない」なんて言ったりします。
 このような両極端な態度の変化が、「思春期の子は扱いが難しい」といわれる所以なのでしょう。

  また、典型的なこととして、人間関係が縦社会から横社会に変わるようになります。小学校の中学年くらいまでは、先生がこう言っていたとか、お母さんがああ言ったというように、先生や親は絶対でした。ところが思春期に入ると大人よりも友だちを大事にしだします。「あの子とはつきあってはいけません」とか「もっとよい友達を作りなさい」なんていうと、「お母さん、友だちの悪口だけは絶対に言わないで」と言うようになります。 

    思春期の子どもの扱いや育て方で保護者の方が一番困るのは、なかなか素直に言うことを聞かない、反抗的な言動です。これは一言で言えば“精一杯の大人への背伸び”です。「もうぼくは子どもじゃないんだから、いちいち言われなくてもわかっている。放っておいてくれ。」すなわち、「一人前の人間として認めてくれ」という親からの分離、自立への第一歩です。ですから今までよりも少し多く「承認」(子どもを一人前の人間として、受け入れ認めてあげること)してあげることが大切です。しかしだからといって、子どもの言うことを全て受け入れ、子どもの言いなりになってはいけません。思春期の子どもは、親に反抗すれば叱られることは百も承知です。わかっていてわざとやっているのです。自分の主張がどこまで通じるのかを試しているのです。だから、ダメなこと、ならぬことに関しては、断固「拒否」(絶対譲らない。認めない。許さないこと)することは大切な教育です。この承認」と「拒否」を上手く使い分けることが、思春期の子の扱いで最も大切なポイントとなります。この時期の子どもの扱いについては、詳しく書き出すと長くなりますので、思春期という発達段階の特徴はここまでで終了いたします。次週はこの時期の親の在り方について考え、このシリーズの最終号といたします。                                                       
                                   つづく


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