夏休みこそ「自然体験活動」を 監督 齊藤 秀樹
先日家の近くの公園を散歩していると、小学校低学年の娘を連れた夫婦が家族3人で遊びに来ていました。しばらく駆け回っていた娘が砂場に行って砂遊びを始めようとした時です。突然母親が「やめなさい。」と叫んで飛んでいって、娘を砂場から引きずり出して、「あなたは何をやっているの。砂場には犬や猫がおしっこをしているかもしれないでしょ。不潔だからこんな所で遊んではダメです。病気になったらどうするの。」とすごい剣幕で叱りつけていました。そしてその矛先はベンチに座っていた父親に向かい、「あなたが公園なんかに行こうっていうからいけないのよ。早く帰りましょう。」と言って3人で帰って行きました。それを見て思わず「うーん。砂や土って不潔なのかな。手を洗えばすむことなのに。一体何をしに公園に来たんだろう。」と思ってしまいました。
国文一太郎という人が書いた『自然ーこのすばらしき教育者』という本の中に次のようなことが書いてありました。「自分も自然の一部である子どもは、自然のモノやコト、生きているものや生きていないものとの接触に忙しくなければならぬ。自然を友と見たてたり、敵と見立てたり、材料や道具にしたりして、活気ある接触をしなければならない。子どもは野蛮でいいのだから、草の葉や木の実をどんどん食ってよい。石ころ道やデコボコ道を裸足で歩いて、たまに転んで血など流した方がよい。…子どもはこういうことに忙しくなくてはならない。…」しかし、ここに描かれている子ども像というのは、今はすっかり遠い昔の世界の話になってしまっています。
冬は暖かく夏は涼しい室内、おいしい食事、ゲームやパソコンや漫画等の魅力的な室内遊び、手伝いから解放された自由時間の増大…。これらは全て子どもたちを快適な室内に吸いよせる条件になっています。
子どもたちを自然教室やキャンプに連れて行くと、毎年必ず体調を崩してしまう子に出会います。「暑くて眠れない」「虫の音がうるさい」「ウンチが出ない」「嫌いなものばかりだから食べたくない」…。コンクリートの中でクーラーをかけながら快適に眠り、生まれたときからウォシュレット付きの洋式トイレで快適に排便をし、好きなものだけを選んで食べてきたのですから、これは当然なのかもしれません。
しかしこのような、自然とあまりにかけ離れた生活をしていると、厳しい環境の中では生きていけない“適応力の狭い人間”ができあがってしまいます。
子どもを取り巻く生活環境の変化に伴って、子どもたちの自然体験や社会体験が喪失しかけている現在、いじめや暴力行為に見られるような相手の痛みや苦しみを感じられない子どもたち。テレビや雑誌に映し出された観光用の人工美に慣らされているため、生の自然の美しさや雄大さには感動できない子どもたちが増えていると思います。
私が校長を務めた学校では、遠足・集団宿泊的行事を「観光旅行や社会科見学」から、下記のような「自然体験的活動」を中心とした行事に精選し実施していました。
1年生 … 千葉市動物公園
2年生 … 金田海岸(潮干狩り)
3年生 … 清水公園フィールドアスレチック
4年生 … 筑波山(登山)
5年生 … 自然教室(鴨川青年の家)磯遊び、飯ごう炊飯、キャンプファイヤー
6年生 … ホワイトスクール(奥日光スキー体験)
特に数多く勤めたニュータウン内の学校では、保護者の教育に対する関心が高く、大切に育てられてきた、明るく素直な子がとても多かった。しかし反面、どこか「たくましさ」や「粘り強さ」や「連帯力」が足りないと感じています。
生の自然と対峙し、机上の学習では得られない「ものの見方、感じ方、考え方」を感覚として育てたい。自然の美しさや偉大さに驚き、やったことのない活動に挑戦したり、冒険心を養ったり、みんなと力を合わせて活動したり、最後まであきらめずに歯を食いしばってやり抜いたり、その場の環境に適応したりする体験活動を通して、「活力」と「柔軟で幅広い適応力」そして「多面的な生活能力」を育てていきたいと実践してきました。
今後、益々国際化が進展し日本を飛び出して世界の人々と交流する機会が増えていくと思います。また、大きな環境の変化や自然災害がいつ起こるかわかりません。
先行き不透明なこんな時代だからこそ、子どものうちから自然体験活動を通して、適応力や生活能力を養っていくことは必要不可欠なことだと思います。
お父さん、お母さん、どうぞこの夏休みを使って「自然体験活動」を経験させてほしいと願います。