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          齊藤 秀樹  監督

 
 

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2022/09/16

「競争心」について考える①(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
「競争心」について考える① 監督 齊藤 秀樹

    秋真っ盛りの今日この頃ですが、現在多くのSAAっ子が所属している白井市、印西市の学校で「運動会」が行われています。

   前にも書いたことがありますが、近年、全国のあちこちから「運動会がつまらなくなった。」という声をよく聞きます。これは何も、運動会という行事を、教師の負担が大きく、授業時数も不足しがちなので、できるだけ練習時間を少なくして、質素に実施してしまおうという学校が増えてきたからというのではなく、いつの頃からか「子どもに順番をつけるような競走はしない方がよい。」という風潮が広がってきたからです。
 
 特にそのやり玉に挙がったのが徒競走で、「たくさんの観衆の前で、速い遅いを見せる必要はないのではないか。」「遅い子がかわいそうだ。」という一部の保護者からの猛烈な反対論がきっかけだったようです。その結果、運動会から徒競走をなくした学校、さらに、全員で手をつないでゴールする学校まで出てきました。皆さんはこれをどう思いますか。

 この記事は、学校の教育活動の根幹に関わる重要な考え方ですので、今回から数週にわたって「競争心は必要か」というテーマで書いていきたいと思います。おそらくこのテーマは、保護者の中でも意見が二分する(「競争心がなければ子どもは成長しない」対「競争心をあおることは子どもにとってマイナス面が多い」)議論になると思います。ですから、私の考えに対する各家庭からの賛否両論はどんどんお寄せください。できるだけこの紙面で紹介し、共に考えていけたらと思っています。

 「競い争う」という考えは、人間が持っている本能として、誰もが昔から身につけている資質ですが、現在の日本における「競争社会」の始まりは、おそらく明治時代の福沢諭吉に代表される「能力主義」あたりではないかと考えられます。有名な“人は生まれながらにして身分や地位は平等であり、能力さえあれば、努力さえすれば、誰もがそれに見合った地位で活躍し、豊かな生活が送れる”という考え方です。
 
 この考えこそ、明治以降、欧米に追いつき追い越そうと、全力をあげてがんばってきた日本人の基本理念であり、途中「戦争」という苦難を乗り越えながらも、今の日本の国際的な地位や発展につながっています。しかしこのことが、ひたすら金儲けのためだけに働き、自分の国さえ良ければ、自分の会社さえ良ければという生産競争意識を生み、結果として海外からの非難を生み、目の敵にされた時代もありました。また国内でも、出世競争や受験戦争を生み、競争率の高い有名校へ合格し進学することが、その個人としての有能な証とされ、ただ他人に勝つことが、相手を蹴落とすことが…という個人主義的意識に向かいすぎてしまいました。
 
 こう書いていくと、やはり「競争はよくない」という結論になってしまいそうですが、反面、資源のない国、他国から遠い小さな島国、戦争で負けた国である日本に、競争心がなくなってしまったら、これ以上の発展や安定は望めないだろうし、立身出世や豊かな生活という夢があるから、受験という壁があるからこそ、皆、日夜がんばって努力しているんだという事実も否定できません。
 
 即ち、「競争」というものを、「ただ相手に勝てばよい。」というマイナス面から見るのではなく、勝つという目標に向かって「精一杯の努力をする」というプラス面で考えていくことが必要なのではないかと思います。              
                              つづく

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