シリーズ「子育て講座②」 監督 齊藤 秀樹
【妊娠期】
それでは続けます。この時期はまだ子どもがいないにもかかわらず、親にとって非常に大きな意味がある。これら生まれる子どもに対して肯定的になるか、否定的になるか、この時期の在り方がのちのち大きく関係してくる。「自分は今本当に子どもがほしいのか」「子どもを持つことで今後の人生にどんな影響があるのか」そうしたことをこの時期に自分の中で整理できているかが、その後の家庭での子どもへの接し方や態度に表れてしまうからである。
《父親考》
さてこの時期の父親も、母親と同じく親になることへの喜びと期待を持つ。しかし、自分の体が直接変化していく母親とは違い、かなりの個人差があることが指摘されている。父親になることに喜びややりがいを感じ肯定的にとらえる人もいれば、反対に重荷に感じたり、親になることに無自覚な人も少なくない。
この時期の父親は、母親のサポート役として人間的に大きく成長する可能性がある。体の変わりゆく母親の精神的な支えになったり、気持ちを共有して夫婦の絆を深めたりすることができる。しかし一方で「何かしてあげたいという気持ちはあるが、知識や経験が不足しているため、何もできない」という男性もいる。そして何もできない自分に対して、しだいに無力感を覚えていく。
また、父母ともこの時期は次の新しい家族形態への準備を行う。つまり家族が増え二人きりの生活ができなくなることへの準備である。ここでも父親と母親には違う心情が生まれる。この時の父親は生まれてくる子どもと母親の関係が密接であろうことに疎外感を感じてしまう可能性を持っている。
この妻を支えきれない「無力感」とこれから迎える母子関係への「疎外感」はネガティブな感情として、後の子育てに影響してしまうことになる。
その一番の原因は、先週書いた原体験(自分の子ども時代)にある。今の日本の親たち世代は、父親が子育てにほとんど関与しなかった時代に幼少期を過ごした人が多い。時は高度成長期からバブル経済真っ直中、父親は家庭生活をほとんどかえりみず、毎日遅く帰宅し、休日もよく出勤した。例え家にいても父親の権威は十分に発揮されていなかった家庭が多いのではないだろうか。したがって自分が父親から受けた原体験がないまま、親になってしまい、子どもの成長には父親的な役割(父性)が必要だと思っても、その示し方がよくわからない。そして父親に頼らず子育てを一手に引き受けてきた母親を見てきた女性にとっても、父性とどう付き合い、それを家庭の中でどう生かしていくのかが経験の中で蓄積されていないのではないだろうか。
最後に、せっかくの機会なので父親の役割について書いてみたい。一昔前の父親は怖くて威厳のある存在であった。子どもが何か曲がったことをすれば、父親から毅然とした態度で叱られた。時にはげんこつが飛んでくることもあった。人の道に背くことをしたとき、人様に迷惑をかけたときは、強く叱られたものだった。
また父親は大事な決定のキーパーソンでもあった。就職や進学、あるいは結婚などの人生の選択において、父親に納得してもらうのが子どもにとっては一つの難関だった。それだけ父親は常に毅然とした態度で是非を決める存在(家庭内での役割)だった。
現在はどうだろう。たまにしか関わらない子どもに対し異様に機嫌を取ったり、母親からの学校への不満をまともに受け、原因や事実もしっかり把握しないまま、いきなり担任に怒鳴り込んできたりする父親さえ出現するようになった。母親との話し合いがうまくいかないときは、父親に来てもらうことで、大概のことは解決し、よりよい方向へ向かったのは、今は昔の話になってしまった気がする。 次回は「育児期」に入ります