教育に「競争」は必要である 監督 齊藤 秀樹
運動会やマラソン大会は、そのスポーツの持つ特性上、大勢の友だちや保護者の方々が見ている前で、ハッキリと勝敗や順位が決まる行事です。勝てば皆から喝采を浴びて良い気持ちになる反面、負けたときはとても悔しく悲しい気持ちにもなります。
これを受けて近年「たくさんの観衆の前で勝敗や順位をつける競走は好ましくない。」「遅い子がかわいそうだ。」という一部の保護者からの強い反対論に押され、運動会では徒競走を中止する学校。みんなで手をつないで横一線にゴールする学校。マラソン大会では自分が○分○秒で走るという申告タイムを事前に決めさせて、そのタイムに近い子どもから順位をつけていくという学校まで出てきてしまいました。
これは間違っていると思います。
数多くの多様な個性や能力を持った子どもたちが集まり生活する学校では、「みんな違ってみんないい」し、「人との違いを認め、個性を尊重し合える心の強さや大きさを持ってほしい」と思っています。「ひいきだ」という言葉を気にした“形式的平等”は、子どもたちから「勝つという目標に向かって、自分なりに精一杯がんばる」という“活力”を減退させます。
日常の学校生活では控え目でおとなしく目立たない子でも、「かけっこ」だけは得意で、唯一の特技だという子が、運動会やマラソン大会で晴れがましくゴールテープを切り、輝いたっていいじゃないですか。「ずるいな。あいつばかり目立って。むかつく。」なんて思う子は、あまりに心が貧しすぎます。私は素直に「すごいね。さすがだね。おめでとう。よーしぼくは得意の漢字でがんばるぞ。」という子を育てたいのです。
走るのが苦手で徒競走がビリだって、歌が抜群に上手い子や、計算が速い子、字がきれいな子、友達を作るのが上手な子、健康で一日も学校を休まない子はたくさんいます。子どもたちには誰にでも、これだけは人に負けないというものが必ずあるはずです。
この世の中に競争のない世界なんてありません。子どもの頃に競争することから遠ざけられた子どもたちが、社会に出て行ったとき、現実の世界に対応することができず辛い思いをするのは本人です。
自分の得意不得意を事実として認め、自分探しをしながら自分に一番合った職業を選択し、競争社会をたくましく生き抜いていくための力を、子どもの頃から身につけていくことはとても大切なことだと思います。
「競争」では負けた悔しさと勝った喜びを味わうことができます。私は負けた悔しさがあるからこそ、勝った喜びがあると思っています。そしてこの体験は、飛び上がってバンザイしたくなるほどの感動・感激体験として心と体の中に深く刻み込まれます。
同時に、自分と他人との違いを受け入れ、認め、尊重する豊かな心を育てます。
私たちの仕事は一人ひとり違う個性や能力を持った子どもたちを、あらゆる場面で、一人でも多く輝かせることだと思っています。
競争心は、優劣がつくという厳しい現実の中で、勝利という目標に向かって、少しでも自分を成長させるために、自分の持っている無限の可能性を引き出し、伸ばすために“必要だ”と思います。
皆さん、どうぞよいお年をお迎えください。