アクセスカウンター1367978
Since 2014/01/06

更新履歴

 

パブリックスペース

松山下公園カレンダー11/04 16:39
松山下公園カレンダー11/04 16:38

クラブ紹介

子どもを「一流」にそだてる③(監督から)日誌11/07 07:06
子どもを「一流」に育てる②(監督から)日誌10/31 06:22

フォトギャラリー

第41回全国小学生陸上競技交流大会日誌11/02 19:18

          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

日誌
1234
2025/11/07new

子どもを「一流」にそだてる③(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
子どもを「一流」に育てる③       監督 齊藤 秀樹

 先週は、自分の意志で決めたことは最後までやり抜くことができる。そしてこのことは「自分で決断したことは、最後は自分で責任を取る」という①「自己理解」(自分を知る)、②「自己判断・自己決定」(自分で考え、自分の意志で決める)、③「自己責任」(自分で決めたことは自分の責任)という生きる力につながります。そして、こういう体験が何事も最後までやりとげる力の礎になるということを書きました。

【親は子どもの応援団であれ】
 さて、オリンピックや世界大会でよく見る光景ですが、多くのメダリストたちが試合後のインタビューで「ここまでこれたのは両親のおかげです」と言い、もう亡くなってしまった親には、遺影を抱きながら「一緒に戦って助けてくれたんだと思います。」「天国から誰よりも喜んでくれていると思います。」というコメントを残しています。
  子どもという原石をダイヤに磨き上げるのに最も大切なことは、子どもが強い興味を示し、やりたいと決めた対象があれば、それを追求し極めるまで親は徹底的に応援することです。親の応援は子どもの強いモチベーションにつながり、物事を継続しやりとげる力を育てます。

 子どもの才能を開花させるには、親の存在抜きで語ることはできません。世界的なヴァイオリニストのチョン・キョンファさんは、母親が必死に食堂を経営しながら子どもを留学させ、その才能を開花させました。盲目のピアニスト辻井伸行さんのお母さんは、音楽の素人でしたが、おもちゃのピアノを弾く息子の絶対音感に才能を見い出し、電話帳でピアノの先生を捜すことから始めて今の彼を創り上げました。2人とも自分の専門分野ではない才能を見い出し、執念に近い惜しまぬ応援を続けたことで、原石を磨き、その才能を天職につなげた親たちです。おそらく親の応援がなかったら原石は眠ったままだったと思います。

【子どもには「一生懸命さ」と「真剣さ」を求めよ】                         
 子どもの挑戦を惜しみなく応援することの大切さを書いてきましたが、子どものために時間、労力、金銭、環境面で最大限のサポートをするからには、親に「発言権」も「見守る義務」もあります。子どもには「一生懸命、真剣に挑戦する姿勢」を求めなくてはいけません。私の経験から言えば、本当に勉強のできる子は、部活動や習い事をするときも熱心なものです。何に対しても一生懸命だから何をしても優秀なのか、優秀だから何をしても真剣に取り組めるのかはわかりませんが、いずれにしても鍵は「真剣さ」です。一流のアスリートやアーティスト、社会でリーダーとして活躍している人の多くは、小さい頃から親に「一生懸命取り組んでいるときは惜しみなく応援してもらい、一生懸命でないときはこっぴどく叱られた」という育てられ方をした人が多いようです。

 小さいことと見過ごされがちですが、子ども時代の部活や習い事の怠け癖は、その後の人生全般に悪影響を及ぼします。子どもの頃に「怠けてもいい」「人より優れていなくて当たり前」という負け癖を持つか、「少しでも上を目指し、常に向上心を持って努力する」という習慣を持つかは、一生を左右すると思います。私の教え子たちの人生を見ても、「何事も一生懸命打ち込む習慣」を持っている子は、年齢を重ねても、仕事やライフワーク、趣味にその才能を発揮し続け、うらやましいような人生を歩んでいる子が多いです。子ども時代に部活などに一生懸命取り組む経験はとても重要です。向上心や集中力を養い、よき友やライバルと出会い、何よりも本人が主体的に意欲的に人生を歩む上で基礎となる姿勢や習慣を形成できるからです。「一生懸命なときは惜しみなく応援し、怠けたときは厳しく叱る」という教育は「真剣さ」を育てる重要な役割を果たします。

【失敗は叱らずに、次への教訓と考えさせよ】
 様々なことに自分から挑戦する子は、それだけ失敗も多くなるものです。しかし子どもの失敗に対して感情的に激怒してはいけません。子どもは萎縮し、失敗がバレないように隠すことに腐心するようになります。失敗しても叱られず、その原因を自分で考え、そこから何を学ぶかに視点を置いた育てられ方をした子は、「失敗を教訓とし、それを乗り越え、あきらめずに最後までやりとげる力」を身に付けます。


07:06 | 投票する | 投票数(11)
2025/10/31

子どもを「一流」に育てる②(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
子どもを「一流」に育てる②     監督 齊藤 秀樹
 先週は「下手な鉄砲は、いくら撃っても当たらない。」子どもが「活力」(強いやる気や高いモチベーション)を持って頑張り続けるためには、自分から挑戦しようとする力が原点になる。即ち子ども自身を「言い出しっぺ」にすることが重要だということを書きました。
 実は今、こんな偉そうなことを書いている私ですが、自身の子育てはどうだったかというと、特に上の長女の時には、本人の関心や希望はお構いなしに、私が一方的に2つも3つも習い事に通わせていた一時期があります。その結果、本人にいつも「やらされている感」がつきまとい、受け身でなかなか自主性や向上心の芽は出ませんでした。
 今思うと、とても恥ずかしいことですが、そんな自分の失敗や反省も含めてこのシリーズを書いています。

その2…【自分で決めたことは、自分の責任】
 そんな彼女が明らかに変わったのが中学校に入って部活動を選んだ時からです。ある日突然「お父さん、私ハンドボール部に入りたい。」と言い出しました。私としては小学校時代からやらせていた陸上やテニスの方が適性があると思っていたのですが、本人が自分で判断し、決めたことなので、きっと最後までやり抜くことができるだろうと信じ賛成することにしました。結果的には予想通り、県大会や関東大会に出場して、優勝するというすばらしい実績と思い出を残すことができました。当時娘の入っていたハンドボール部はとても厳しい部活動で、正月早々に合宿があったり、山梨県まで遠征試合に行くといって、早朝4時に学校集合なんてこともしょっちゅうありました。しかし不思議なことに、その間ただの一度も「つらい」とか「辞めたい」という弱音やあきらめを口にしたことはありませんでした。
 やはり、自分の意志で決めたことは最後までやり抜くことができるのです。そして「自分で決断したことは、最後は自分の責任」という大切なことを学ぶことができました。

その3…【途中で簡単にやめさせない】                         
 実はこのハンドボール部の経験の前に、もう一つその前提となる忘れられない出来事があります。それは小学生の時に、本人が「水泳を習いたいので、スイミングクラブへ行きたい」と言った時の話です。私自身も大学まで水泳を続けてきたので、その申し出に大賛成し入会させることにしました。当時そのスイミングクラブには10級から1級までのクラスがあり、月一回の試験で合格すると次の級に進めます。我が子も順調に上手くなり、級もどんどん進んでいきました。そんなある日「もうスイミングを辞めたい」という申し出が本人からありました。話を聞くと何でも2級までは何とか行ったが、どうしても1級に合格できず、もう4回も試験に落ちていると言います。毎週辛そうにバスに乗り組む姿を見るにつけ、かわいそうだから辞めさせてあげようかと正直悩みましたが、私の教育者としての数多くの経験から「途中であきらめずに最後までやり抜く力」というのは、子どもの可能性を引き出し、伸ばし、輝かせるためには決定的に重要な要素だと考えていましたから、1級に合格するまでというゴールを設定し、途中で辞めることを許しませんでした。同時に「自分からやりたいと言い出したことを、途中であきらめるような癖をつけると、全て中途半端な人間になってしまう。自分で決めたことは最後までやり抜きなさい。」と言って続けさせました。
 苦労の末、ようやく努力の甲斐あって、1級に合格した時の写真(満足そうに満面の笑みで賞状を持って写っている写真)は今でも大切に家の壁に飾ってあります。

その4…【最後までやりとげる】
  多くの習い事には通ってはいるが、辞めるのは自由で、いろんな習い事を取っ替え引っ替えやっている子どもをよく見かけます。これでは何一つものにせず中途半端に終わってしまいます。もちろん、中にはすぐに辞めた方が本人の適性のあることに集中できる場合もあるので、一概に一般化できない話ではありますが、「石の上にも3年」「継続は力なり」という諺はダテではありません。「途中で簡単に投げ出さない習慣」を身につけ、小中学生の時代に「初志貫徹」することの経験は、人生を通じて何事も最後までやりとげる力の基礎になると思います。                             つづく


06:22 | 投票する | 投票数(38)
2025/10/24

子どもを「一流」に育てる(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
子どもを「一流」に育てる①      監督 齊藤 秀樹
 夏から秋にかけては様々なスポーツのイベントが行われ、連日テレビや新聞、インターネット等でその様子が大きく取り上げられていました。先日東京で行われた世界陸上では、惜しくもメダルを逃した村竹ラシット選手の試合後インタビューでの「何が足りなかったのだろう。何が間違っていたのだろう。全力でやれる限りのことはやってきたのに悔しい。」と号泣する姿に日本中が感動の涙を流しました。今更ながら全国・国際レベルの大会の持つ魅力とその影響力、そしてチームや国家を強く結びつけ、感動を共有できるスポーツのすばらしさを強く感じました。来週末行われる全国小学生陸上交流大会には、千葉県選手団の半数である7名の代表を送り込んでいるSAAっ子がどんな活躍を見せてくれるか、どんなドラマが待っているのか今からとても楽しみです。
 さて私は、オリンピックや国際大会等で活躍した選手の生い立ちや環境と、それを支えた親の「子育て法」には、ある共通点があることを発見しました。そこで今週から子どもを「一流」に育てるには、どんな教育理念や方針が必要なのかについて、私の教え子たちの話も取り入れながらシリーズで考えていきたいと思います。  

その1【やりたいことは自分で決めさせる】
 「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」という諺がありますが、子どもたちの中には、ピアノ、習字、サッカー、ダンス、公文、学習塾、そろばん、英語…とたくさんの習い事をやり、毎日忙しく過ごしている子がいます。しかし、親から無理矢理押しつけられた習い事は長続きしません。まあ親としては将来子どもが困らないようにいろいろなことができる子どもになってほしいという願いがあり、時に自分がやりたくてもやらせてもらえなかった経験から、自分の夢を子どもに託したい気持ちを持つ方もいるでしょう。
 しかし「無理矢理やらされている」と思っているうちは、何をやっても子どもは主体的に真剣には取り組みません。いつも言っていることですが、子どもが成長するために最も必要な資質は「活力」(自分から「知りたい」「わかりたい」「できるようになりたい」「勝ちたい」という内面からのエネルギー)です。たどり着きたくもないゴールに向かって全力で頑張れる子はいません。

 そうは言っても、小学校低学年の子どもは、親ほどの情報量をまだ持っていません。自分の中に眠っている無限の可能性(自分にとって何が得意で、自分は何が好きで、何が苦手なのか)が十分理解できていません。そこで親は子どもの性格や能力、教育環境(習い事の先生の質や教育方針)などの情報を収集し、積極的に子どもに提示し、選択肢をいろいろと示してあげることが大切です。しかし重要なのはその選択肢の中から最終的に決断するのは子ども自身だということです。自分で決断し、目標を持ったときの子どもの頑張りは親の予想を遥かに超えます。「下手な鉄砲は、いくら撃っても当たりません」、子どもは自分が「言いだしっペ」になってこそがんばれると思います。  

 私の教え子の中に、大きな病院の2代目を次ぐ運命の子どもがいました。母親は強烈な教育ママで、大学は医学部以外は行かせないという厳しい方針で育てられました。ところがどこでどううまくいかなかったのかわかりませんが、彼は高校受験で第一志望校から第三志望校まで全て失敗し、次の大学受験は医学部に三浪までして挑戦しましたが、結局合格できませんでした。その後、彼はすっかり人生の目標を見失い、今はどこで何をしているのか私も友人たちも誰も知りません。利発で素直で努力家だった彼はクラスの人気者でした。そんな彼をあのようにしたのは、本人の意志や選択を全く無視し、進路や人生設計を強制的に押しつけた親のせいだと、当時もっぱらの評判になりました。

    オリンピックや世界大会で活躍した先週の中には、幼少時から親の方針で体操や卓球をやっていた例があります。しかし練習を重ねていく中で、間違いなくその競技が好きになり、自分の特技となり、自分はこの道で行くという強い意志を持って努力し続けたからこそ輝けたのだと思います。きっかけは親でも自分の判断と活力がなければ決して一流にはなれないと思います。         つづく
          引用、参照「一流の育て方」ムーギーキム著      

07:08 | 投票する | 投票数(64)
2025/10/17

「成績」について考える(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
 「成績」について考える     監督 齊藤 秀樹

 各学校では前期が終了し、修了式の後「通知表」が配られられたことと思います。そこで今回はお馴染みのこの記事を紹介したいと思います、

 皆さんは、俗に「天才」と呼ばれている偉人たちの、子ども時代の学業成績を集めた「天才の通信簿」(プラウゼ著)という本をご存じでしょうか。この本を読むと「いったい学校時代の成績って何だったんだろう?」と考えさせられます。カントやヘーゲルといった人たちは、学校(子ども)時代から“神童”と呼ばれ天才の名をほしいままにしてきた人ですが、反対に学校時代は“落ちこぼれ”と言われ心配されていた人が、いつしか天才に化けたという例もたくさんあります。

   プラウゼによれば、エジソン、リンカーン、ノーベル、ルソーなどはその典型だそうです。その理由としては大きく2つが考えられます。1つ目は、あまりにスケールが大きすぎて、学校という規格に当てはまらず、教師もその才能を見抜けなかったこと。2つ目は、これらの人に共通することですが、自分の好きなこと(興味あること)にしか関心を示さず、得意・不得意があまりにもはっきりしすぎていたため、多くの学校が目指す「知・徳・体」のバランスのとれた優等生にはなれなかったことです。どちらにしても、日本にも「二十歳過ぎればただの人」ということわざがあるとおり、学生時代の成績が必ずしも将来とは関連しないというよい例だと思います。

    こういうことを書くと必ず「監督、それは違うんじゃないですか。今の時代は…」という反論が必ず起こります。こういう人たちは、おそらくみんな共通して“学歴”(良い成績を取ることがその子の優秀さの証であり、上級学校への進学を可能にする)という重みが、他の要素や可能性、これからの変容や成長というものを圧倒して、大きく意識の中にあるのでしょう。そして、あたかも成績の善し悪しがその子の“格付け”になり、良い成績を取れば未来は開かれるが、悪ければ全てが閉ざされてしまうがごとく考えてしまっているのかもしれません。

  さて、先日学校から渡された通知表ですが、ここに記載されている「A」「B」「C」は、そのままその子の人間としての実体や価値ではありませんし、もちろん格付けでもありません。教科の方は、前期の間(4月~9月)にどれだけの学習内容が目標に到達したかを示しています(到達度評価)。一昔前の評価は相対評価といって、クラスの中での位置(上中下)を示していましたが、現在の評価は、先生が決めた基準(例えば、90%以上がA、60%以上がB、それ以下がCというように)がどこまで到達したか(理解できたか。身についたか。)を評価しますので、学習の定着度はわかりますが、クラス内での位置や順位を図るものではありません。
 また、行動面の評価はこの到達度評価に加えて個人内評価も加味されていますので、他人と比べてではなく、その子個人としての長所や成長、努力した項目に「○」がついています。

 さて今回、私が各家庭にお願いしたいのは、苦手な算数の思考力を叱るより、得意な体育のボールゲームでの活躍を認めてあげてほしい、うるさくて調子に乗りやすい性格を叱らずに、常に明るく前向きな面を褒めてほしいということです。子どもは日々変わり成長していくものですから、一番大切なのは「過去」ではなく「未来」です。どうぞ、せっかくの楽しい後期の前に、子どもがやる気をなくし自信喪失状態になるようなことは、言いたくても腹の中でぐっとこらえ、「よくがんばった。後期もまた新しいことに挑戦してがんばろう。」という温かい励ましをお願いします。 
 どうぞ、家族水入らずで充実した実りの秋をお過ごしください。           完


07:04 | 投票する | 投票数(94)
2025/10/10

「厳しさ」と「やさしさ」(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
 「厳しさ」と「やさしさ」  監督 齊藤 秀樹

 私はよく先生方に、星の王子様の冒頭文にある“大人は、誰も、昔は子どもだった”を引用して、子どもを教育するときは、「自分が子どもだったら…」という“子どもから見た目(視点)を忘れない”ことが大切なポイントだよ。という話をします。
 そこで、今回は私が教師という職業をめざす原点となった小学校時代に出会った2人の先生と教師になってから出会った1人のプロ教師について書いてみたいと思います。 
 
    私が1年生の時の担任の先生はA先生という55才くらいの女性ベテラン教師でした。優しさの中に厳しさもある大好きな先生でした。冬のある日、その日は大雪の降るとても寒い日でした。私はジャンバーの上にビニールのコートを着て学校へ行きました。帰りの会が終わり、みんなで昇降口まで行って帰り支度をはじめました。私は寒さで手がかじかんで上手くビニールコートのホックがはまらず困っていました。そこで先生に「先生ホックはめて。」と甘えた声で頼みました。すると先生は「ヒデキ君、あなたは自分で出来ます。」と一言言って、他の子の面倒を見に行ってしまいました。私はその一言が悲しく、泣きながらホックをはめて走って帰りました。このことがあってから私は先生が嫌いになりました。なんて不親切で冷たい先生なんだろうと思いました。しかしその時以来、私はあまり人を頼らなくなり、自分のことは自分でやるようになりました。今思うと、実は先生ほど私を理解してくれていた人はいなかったのかもしれません。「君には出来ます。」の一言で私は泣きながらも自分でホックをはめられたのです。先生はきっと私を、人に助けを求めず自分の力で解決できる自立した子に育てたかったのでしょう。
 “厳しさは決して不親切ではない”と思います。小学校1年生で出会ったA先生には、どんなにやさしくしてくれた先生より今は感謝しています。

 私が小学校4年生の時の話です。暴れん坊で悪ガキだった私は、休み時間になると決まって教室の後ろで友だちとプロレスごっこをして遊んでいました。その日はいつになくだんだんエスカレートしてきて、跳び蹴りのまねをした時、ベランダに出る後ろのガラスドアを割ってしまいました。「ガチャーン」というものすごい音を立ててガラスが割れ、教室の中が大騒ぎになりました。その音を廊下で聞きつけた担任のI先生(30歳代の男性教師)が、血相を変えてすごい勢いで教室に駆け込んできました。私はまずい怒られると思い、心の中で(コラー、何をしているんだ。またお前か。だからいつも…。)と怒鳴られ叱られる準備をして、体を硬く丸め下を向いていました。ところが先生の第一声は「ヒデキ。大丈夫か。ケガはないか。よかった。」でした。私は何が何だか訳がわからずにボーッと先生の顔を見ていましたが、知らぬ間に涙があふれオンオンと泣いてしまいました。悪戯したことや、物を壊したことなんかより、子どものケガを心配し、一人ひとりをいつも大切にしてくれる、I先生はいつもそんなやさしい先生でした。

 私が教員になって2年目にすばらしい学級経営をすると評判の2年生の学年主任の先生の授業を、若手教師数名で見せてもらっていた時の話です。確か算数の授業だったと思いますが、実に分かりやすい説明で、子どもたちも学ぶ意欲にあふれたすばらしい授業でした。授業が始まって20分くらいたったころでしょうか、先生が突然「みんな姿勢を正して、目をつむりなさい。」と言いました。私は何が始まるのだろうとじっと先生の様子を見ていましたが、先生はみんながしっかり目をつむって静かになったのをみると、一人の女の子の所へ行き、その子をそっと抱き上げて私の方に歩いてきました。そして「気づかれないように雑巾でふいておいてください。」とだけ言い残し、教室を出て行きました。私は言われたとおりに雑巾を持ってその子の席に行くと、何とおしっこを漏らしてしまっていたのです。全く気づきませんでしたがそっと拭き取りました。クラスの子は先生に言われたとおりじっと目をつむっています。しばらくして先生はその子と教室に戻ってきて、前と同じように授業が始まりました。数人の子が不思議そうな顔をしていましたが、誰一人としてお漏らしには気づかなかったようです。私はまるで魔法でも見ているような気がしてあっけにとられていました。同時に子どもの心を傷つけないよう細心の気配りをして、子どもたち一人ひとりを大切に育てている先生の姿に感動したのを覚えています。

 教育(子育て)とは、いかに子どもを理解し、大切にできるか、そして子どものためにどこまで関われるかを追求していく営みであると思います。


07:24 | 投票する | 投票数(121)
2025/10/03

「個性」について考える(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
「個性」について考える  監督 齊藤 秀樹
  
    ある生徒指導の専門書に「いじめられやすい子の4つのタイプ」というのがありましたので紹介します。①目立ちたがり屋で自己主張の強い子、②おとなしく消極的で目立たない子、③勉強が苦手な子。運動が苦手な子。行動が遅い子等、④何でも良くできて優秀な子。リーダー性のある子だそうです。もう皆さんも感じていると思いますが、これを見ると「いじめの本質」がとてもよくわかります。それは、この4つのタイプにクラスの子を当てはめようとすれば「全員が当てはまる」ということです。即ち、いじめの被害は、今や「いつでも、どこでも、誰にでも起こりうる」ということです。

 辞書によると『個性』とは「他の誰とも違う、その人特有の性質、個人差」とあります。私が古くからつきあっているアメリカ人の友人は、「私は小さい時からよく親に、『人と違う人になりなさい』とか『人に惑わされないで、しっかり自分というものを持ちなさい』と教わってきたよ。」と言います。このように欧米人にとっては当たり前のように教育されている「個性」(他人とは違う自分)というものが、どうも日本人にはうまく育てられないような気がしています。
 
    日本の家庭の中で「他人と違う人になれ」ということを重視して子育てをしている親がどのくらいいるでしょうか。おそらく多くの家庭は「皆と同じように」とか「皆と違わないように」と願っているはずです。日本人というのは昔から「他人との違いを認めることを嫌がる」傾向がある国民だと思っています。まぁこれは同じ島国で生まれ、同じ肌の色、同じ髪の色、そして同じ言葉を使って長い間生活してきたのですから、「同じ」ことが普通であって、「違う」ことは普通ではないのでしょう。言い方を変えれば「同じ」であることが一番安心で居心地がいいのかもしれません。

 しかしこのことが、「隣の子が塾へ行けば、家の子も行かせなきゃ。」と焦りだし、「小学5年生のお小遣いは、いくらくらいが普通でしょうか。」と平均を気にし、「家の子は他の子と比べてどうでしょう。」と心配する、“どの子も皆同じ意識”に通じています。

  また、「あの人はどうも個性的でねぇ。」とか「あの人の意見はいつも個性的すぎる。」等の言葉をよく耳にするように、『個性的な人間であること』が必ずしもよい評価を得られず、時には批判の対象にされていることからも明らかだと思います。

 では「個性」をどうとらえるか。「個性」をどう育てるか。についてですが、私は、他人と比べたその子の特長というよりは、もっと広く、一人ひとりが持っている「その子らしさ」(取り柄)ととらえたいと思います。人にはない優れた面を持っている子には「その子にしかない『よさ』を発見し、引き出し、伸ばしてあげる」。反対にただ真面目で目立たない子や、消極的な子に対しては「それを自分の『持ち味』として自覚させ、その生かし方を教えてあげる」ことが大切だと思います。
 そして、一人ひとりの子が皆持っている「その子らしさ」が、将来その子の人生の中で「生かされる」よう導いてあげることが、私たち大人の役割ではないかと思います。

  私たちが尊重したい「個性」とは、一人ひとりの子が持っている「よさ」「取り柄」「持ち味」のことだと考えます。

 私はSAAの教育目標の柱として、“人との違いを認められる豊かな心の育成”(個性の尊重)を掲げています。最近のいじめに見られる「皆と違う面をからかいの材料にする」「人より優れた面を発揮すると妬まれる」という、皆が同じでなくてはいけないという形式的平等意識をなくし、一人ひとりが“その子らしさ”を思う存分発揮できる、そんな活力あふれる魅力的な学校でありたいと願っています。
 
 “人はみんな違ってみんないい”のですから。

07:19 | 投票する | 投票数(144)
2025/09/27

「体力づくり」は時期が大切(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
「体力づくり」は時期が大切  監督   齊藤 秀樹
  「体力」とは「敏捷性」「筋力」「持久力」「柔軟性」「巧緻性」等の様々な運動能力の総称です。これから大人になっていく子どもたちにとって、健康で強い体を作ることは極めて重要です。しかしこの体力づくりには、それを伸ばすのに適した時期というものがあります。今回はそのいくつかを紹介してみましょう。

  まずは「敏捷性」。これは素早い身のこなしや手足を動かすスピード、反射神経などでですが、この能力は比較的低い年齢でピークを迎えてしまうと言われています。小学校6年生の段階では、男子が93%、女子が99%に達してしまいます。ということはこの敏捷性は小学校時代に鍛えておかないと、もうこれ以上は速くならないということです。体はまだ小さいけれどもすばしっこい子というのは、将来無限に伸びる可能性を持った子だと言えます。日常生活の中でできるだけ素早く動く体験をさせるよう心がけるとよいでしょう。

 次に「持久力」ですが、これはエネルギーの消耗に対して、どのくらいの時間動き続けることができるかという力です。これも5分間走のデータを見ると、男子が89%、女子が97%の発育発達をしてしまいます。私たち大人が子どもを見て、「よく疲れないものだな」と感じるのはこのためです。しかしここで間違ってもらっては困ることがあります。それはこの数字は、こどもの体重当たりの酸素摂取量であって、大人の体になった時12才時(小学校6年生)の心肺機能の発達・発育は60%だそうです。したがって今は体が軽いから疲れないのであって、心肺機能の発育はまだまだ未熟な時期ですから、無理な長距離トレーニング(毎日10キロ走らせる等)は避けるべきだと思います。

 最後に「筋力」ですが、これは小学校6年生時では、男子が50%、女子が70%位の発育・発達です。したがって筋力がピークを迎えるのはまだまだ先の話ですので、力が強くなりたいからといって、バーベルを持ち上げたり、何百回も腕立て伏せや腹筋をしたりすると、大人の体づくりを早めてしまう恐れがあり、これが将来の伸び悩みにつながってしまう原因ともなります。私は毎年小学生の全国大会に子どもを連れて行きますが、決勝に並ぶ子どもたちの中にはとても小学生とは思えない筋骨隆々の大人顔負けの体が出来上がってしまった6年生がいます。実は小学校時代のスーパースターが高校に入る頃には普通の選手になってしまう例がたくさんありますが、これは一般に「早生(わせ)」といって、他のこどもより筋力の発達が2~3年は早い子のことをいい、早く結果を出したいという指導者や保護者の犠牲になってしまった子といえるかもしれません。

  人間の体力全体のピークは、一般に男性が20才~22才くらい、女性が16才~18才くらいと言われていますので、それまでに年齢に応じた体力づくりと、将来を見通した計画的なトレーニング(練習、訓練)をしていくことが大切です。SAAでは常に発達段階や年齢に応じたトレーニングを実践しています。

06:47 | 投票する | 投票数(179)
2025/09/19

本番に強くなれ(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
 本番に強くなれ         監督 齊藤 秀樹

 現在、連日世界陸上でのトップ選手の活躍に日本中が興奮し、一喜一憂しています。SAAでも全国大会を目指す100mとリレーの選手達が先週から平日に特別練習を開始しました。「やればできる」を信じて全力で努力する子どもたちを皆さんも応援してください。がんばります。

 さて、よくオリンピックや世界大会などを見ていると、優勝候補(素質や技能が優れた選手)が、本番のプレッシャーや緊張感に負け、実力を出し切れずに負けてしまい、期待していた人々をがっかりさせることがあります。これらは全て精神力の弱さから来るものです。しかしこの精神力の弱さというのは生まれつきのもの(遺伝、血液型、性格)だとあきらめてはいけません。大きな試合やピンチの場面などで、普段通り自分の力を発揮する力は、日常の訓練で克服できるものなのです。この精神力を鍛える訓練を「メンタルトレーニング」と言います。

 この精神力を科学的に強化するという訓練の始まりは、1950年代に旧ソ連で宇宙計画の一環として始まったと言われています。それが東欧諸国に広がりスポーツの世界に応用したことで一気に競技力を伸ばしました。その後アメリカなどが取り入れ、次第に全世界に広がっていきましたが、日本では1985年頃からようやくスタートしました。当時の日本のスポーツ界は「試合に勝てないのは気合いが足りないから」という精神論が古くから根付いていたため、研究や実践はかなり世界から遅れてしまいました。
 しかし現在多くのスポーツ関係者がこのトレーニングに注目し実際に成果を上げています。これは身につけておくと、試合、運動会、コンサート、試験、受験…様々な場面で応用でき、とても有効ですのでその一部を紹介いたします。

【イメージトレーニング】
   大会や試合がある前日には、知らず知らずのうちに神経質になり緊張感も高まってきます。そんな時は頭の中で、「自分のすばらしいプレーや活躍する姿を思い浮かべる」ことです。過去に一番がんばった姿や勝利の瞬間のイメージなどが、どんどん頭の中に浮かんでいけばしめたものです。例えば「スタートの瞬間に素早く反応し、ぐんぐんスピードが上がって他の選手を引き離していく。、なんだかいつもより体が軽く、足もよく動き、あっという間に1位でゴールする」そんな姿を思い浮かべるのです。ただし、決して失敗したり転んだりする姿を思い浮かべてはいけません。せっかくのイメージトレーニングがダメージトレーニングになってしまいます。

【ルーティン】
 この技法を取り入れていることで有名なのが、野球のイチロー選手です。彼はバッタボックスに入ると必ずユニホームの肩や袖をつまみ、バットを立ててピッチャーの方へ向けます。彼は毎回行うこの同じ動作で平常心を保っているのです。その後はラグビーの五郎丸選手の動きが話題になりましたが、練習からいつも同じ動作を繰り返すことで自分の心をコントロールすることができます。

【深呼吸】
 さあいよいよ100メートルの決勝です。スタートの直前は胸が激しく高鳴ってきます。そんな時には大きく深呼吸を1~2回するとよいでしょう。息を吸うときは腹式呼吸で胸よりもお腹に空気を入れ、吐くときは全身の筋肉をリラックスさせます。すると不思議と緊張が取れ、集中力が高まってきます。

 さてこれから始まるの秋の陸上大会や運動会、合唱祭などで是非実践してみてください。

07:53 | 投票する | 投票数(220)
2025/09/11

教育の究極の目標は「生きる力」の育成(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
教育の究極の目標は「生きる力」の育成   監督 齊藤 秀樹

  「お母さん、今日雨降るかな。」「そうね。天気予報でもそう言っていたし、この様子だときっと降るから、傘を持って行きなさい。」「はーい。」ある朝の玄関先での会話です。ところがその日は予想に反して一滴の雨も降りませんでした。学期末で荷物が多い上、傘まで持って帰ってきた息子は、開口一番「何だよ。雨なんか降らなかったじゃないか。お母さんの嘘つき。」と言ってすごい勢いでプンプン怒っています。
    実はお母さんの天気予報は結構よく当たり、家族もそれを認めていて、時折それを無視して出勤してしまう父親が、夜の帰宅時になると「傘がないので迎えにきてくれ。」と電話をしてくる度に、母親から小言をもらっている姿を子どもたちもよく見ていました。そんな母親の口癖は「いい。お母さんの言う通りにしておけば間違いないのよ。」でした。

 さて、このように‘母親の判断こそが正しい’という経験が続けば、子どもは“自分で考え、判断し、決定する”ことをやめてしまいます。何でも母親に尋ね、それに従っていた方が楽だし、たまに不都合が起こってもそれは全て母親のせいにしてしまえばよいのです。即ち、子どもは結果を見て、その責任を引き受けなくてよいのです。子どもは有能な母親に依存し、ほとんど失敗や後悔を味わうことなしに、子ども時代を過ごすことができます。
 しかし、当然そういう育ち方をしていると、その子は母親なしでは生きていけない、とても不安な子になります。そして、何かにつけて思い通りにならないことを「誰かのせい」にする被害者意識の強い子にもなります。

 考えてみれば人生というのは、“判断”“決断”の連続です。今日傘を持って家を出るかどうかも1つの判断です。何かを決めるということは、同時に何かを捨てることです。時に切り捨てたものの大きさに悔やむこともあるでしょう。しかし、子どもたちは日々の生活の中で小さな判断を繰り返すことによって“自分で考え、判断し、決定する”ことの難しさを学びます。これは同時に、自分で下した判断の結果に直面し、それを「自分の責任」として引き受けなくてはならないということも学ぶのです。思い通りにいかない人生を、どうやって生き抜いていけばよいのかという力を身につけていくのです。
 これはとても厳しい学習です。子ども自身が判断し、決定するまでじっくり待ち、そこでどんな結果が出ようとも、それを責めたり叱ったりすることなく見守れる大人の存在なくしてできないことです。

 保護者として、子どもたちから慕われ頼られる存在であることはすばらしいことです。でも、それに満足していると、いつしか知らぬ間に、子どもを自分の思い通りにする「あやつり人形」にしてしまっていることがあります。今育てなければいけない自主性や責任感という大切な芽を摘んでしまってはいけないと思います。
  
 個性とわがままをはき違え、「自由でしょ。勝手でしょ。関係ないじゃん。放っといて。」を主張し、なかなか親の言うことを聞かない子の扱いに困っている親が多い昨今、親の言うことを聞く素直な子は確かに“よい子”です。しかし、「言われたことしかできない子」や「言われなければやらない子」は、私に言わせればとても“心配な子”です。

  「いつまでも あると思うな 親と金」という言葉がありますが、教育の究極の目標は、「生きる力の育成」だと思います。「生きる力」とはどんなに時代が変化し、どんな社会が来ようとも、社会の中で自立し“自分で考え、判断し、決定していく”という力のことです。子どもに生きる力を身につけさせるには、子どもの頃から、日常生活の中で「信じて、任せて、やらせてみる」という経験を日々積み重ねていくことが大切だと思います。

14:28 | 投票する | 投票数(244)
2025/09/05

「やればできる」の原点(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
  「やればできる」の原点     監督 齊藤 秀樹

    今回は皆さんお馴染みのこの記事を久しぶりに書いてみたいと思います。
 私がこの言葉を40数年の教員(陸上指導者)人生での中で、いつも使い続けているのは、多くの子どもたちの夢を叶え、時に奇跡を起こし、忘れられない思い出を共につくってきたからです。今回はその原点となった子どもたちとの思い出についてお話ししたいと思います。
  
 今から40年以上前のことですが、私が初めて教員になって担任したクラスが佐倉市立小竹小学校の5年1組でした。当時佐倉市には、市内全小学校の5・6年生の全クラスが参加する「学級対抗リレー」という一大イベントがありました。私は9月採用でしたので、慌ただしい毎日を過ごしながら、訳もわからずに、11月1日に開催されるこの大会に子どもたちと共に参加しました。ところが予選、準決勝、決勝と行われ、今年の佐倉一の学級はどこになるかと会場が盛り上がる中、なんと私のクラスは男女とも、最初の予選で他のクラスから30メートル以上引き離されて、ダントツのビリでした。

 学校に戻り、子どもたちに自身の指導力のなさからみんなに恥ずかしい、悲しい思いをさせてしまったことを謝りました。ところがその後子どもたちの口から出てきた言葉を聞いて、愕然としてしまいました。「先生、僕たち全然悔しくないよ。」「かけっこなんか速くなくてもいいじゃん、僕たちの方が頭はいいんだから。」「どうせやったって無理。」「…。」私はこれはまずい、このままではいけないと思い、「ふざけるな。冗談じゃない。やる前からあきらめたり、自分の可能性を限定したりするのは許せない。」と言って、思わず「よし、来年の学級対抗リレーでは、男女とも絶対に優勝させてやる。」と約束をしてしまいました。

 次の日から担任とクラスの子全員による陸上練習が始まりました。私は学生時代は水泳部でしたので、陸上の選手経験もなければ、まして指導歴も何もない、全くのド素人でしたので、文献を読みあさったり、専門家に聞きに行ったり、強いチームの練習法を見に行ったりしながら、試行錯誤で毎日子どもたちと夢中で練習しました。練習は土日にも、長期休業にも行われ、1月1日(元旦)以外の364日間毎日続きました。当時のことを思い出すと申し訳なさでいっぱいになりますが、当時の私の信念は「人一倍努力し、誰よりもたくさん練習すれば負けるわけがない」「努力は決して裏切らない」というかなり精神論・根性論的な指導でした。しかし不思議と子どもたちは皆私についてきてくれ、保護者も文句も言わずに温かく応援してくれました。

 6年生の夏休みを過ぎると、クラス全体が学級対抗リレーの優勝に向けて異様な盛り上がりを見せ始めました。ある日、放課後練習が終わり、職員室で明日の教材研究や事務処理を済ませて帰宅しようと外へ出ると、真っ暗なグラウンドから「ハイ。ハイ。」という聞き覚えのある声が聞こえてきました。時間は夜の9時、まさかとは思いましたがグラウンドへ行くと、選手の子どもたちが自主的にバトンパスの練習をしていました。子どもたちを集め、どうしてこんな時間に練習をしているのかを聞いたところ、「先生が誰よりも努力したら勝てると言ったから、夕食を食べて宿題をやった後に、集まって練習しているんです。」と言います。涙が出るほどうれしかったのですが、いくら何でもやりすぎだと思い、学校の練習で十分だと説得し、家まで送って帰宅させました。本番で選手になる子は男女とも4人ずつですが、選手以外の子も毎日皆一緒に汗を流して努力してきた仲間なので、放課後集まって旗や横断幕をつくったり、応援歌を作ったり、神社へ行って優勝祈願をしたりしてくれました。

 そしていよいよ本番の日。結果は大会史上初となる、1クラスの男女がダブル優勝。しかも大会新記録での圧勝でした。飛び上がって泣きじゃくり大喜びする子どもたちと、感動で涙が止まらない保護者たち。信じられない奇跡が現実に起こった瞬間でした。
 これが「やればできる」の原点となった忘れられない思い出です。実はこの時もしも「必ず勝たせてやる。」という子どもとの約束を果たせなかったら、私は教員を辞めるつもりでいましたが、神様は自分の人生をかけて夢の実現に挑戦した私を見捨てることはありませんでした。
 子どもには無限の可能性があります。大きな夢や希望を持ち、それに向かって努力すれば、できないことなんてないし、叶わない夢なんてないと私は今でも信じ続けています。

07:15 | 投票する | 投票数(285)
1234