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          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

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12
2025/07/04new

今一度「しつけ」について考える(監督から)

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今一度「しつけ」について考える  監督 齊藤 秀樹

 この問題について久しぶりに何回かのシリーズに分けて考えていきたいと思います。

 ある本にこんなことが書いてありました。社会人になった若者が、この先その道で一流になって活躍していくか、二流、三流のまま大して組織の役に立たない働きしかできないかを見るには、家でバーベキューパーティーを開催してみればよくわかるそうです。一流になる若者は実によく働くし気が利きます。肉の買い出しは率先してやるし、ロースやカルビは率先して自分で焼き、ビールも皆に注いでまわる。更に気を利かせてお土産にデザートまで持ってくる。席は譲り合うし、小さい子の面倒もよく見る。当然、後片付けの時もお皿を完璧に洗い、実に礼儀正しくお礼の挨拶をして家路についていくことができます。つまるところ、何かとしつけが行き届いており、自主的に周囲の役に立つことをすることができるのです。そんな彼らとは対照的に、真ん中の席にドカンと座り、何もせずに一番高級なカルビとハラミだけをバクバク食べているだけの若者もいます。一体この差はどこから生まれてくるのでしょう。

 私たちの職場である学校にも、近年、新採用の若い先生方が毎年のように入ってくるようになりましたが、その多くの先生方は皆、子どもの頃から成績優秀で、一流の高校を出て、国立大学や有名私立大学の教育学部を卒業して教師として赴任してくる人が多いです。しかしその先生がよい先生かどうかは、学歴や専門性ではなく、人間としての深みや幅の広さを持っているか、他者への配慮や誰に対しても敬意を持って丁寧に接するマナーが身についているかどうかで決まります。即ち「豊かな人間性」を持っているかどうかです。豊かな人間性を持っている若手職員に話を聞くと、その多くが幼少時に「時間や約束は守らなければいけない」「メリハリをつけてやるときはやる」「靴はきちんと揃えて脱ぐ」「宿題は嫌でもやらなければならない」「挨拶ができるのは基本」…当たり前のことを厳しくしっかり親からしつけられていたと言います。即ち大人になって組織のリーダーになったり、人の役に立つ人になるかどうかは、幼少期のしつけで決まるといっても過言ではないと思います。
 
 多くの親たちは、子どもに勉強させようとはしますが、直接的なしつけは疎かにしがちです。大切なことは、身の回りの整理整頓、時間や約束を守る…の、やらねばならないことはやりたくなくても我慢してやるという「自律心」を養うことです。
 また他人への接し方や配慮については、多くの場合、ホテルやレストランでの店員さんへの接し方、学校や塾や学童の先生への接し方など、親の「他人への接し方」の丁寧さや乱暴さがそのまま子どもに大きく影響します。「子どもは親の背を見て育つ」と言われますが、幼少期に親を見て学んだことは、大人になっても子どもの中に染みついているものです。
  そんな子どもの人間性を高める子育ての最大の障害が、幼少期の親による溺愛です。我が子かわいさにしつけが後回しになってしまうことです。小さい頃のしつけの悪さはそれほど気にならなくても、思春期を迎え中学生になる頃には相当目立つようになります。しかしそこから直そうとしてもなかなか直るものではありません。また自分の子どもは多少しつけがなっていなくてもかわいいのかもしれませんが、他人から見ればしつけがしっかりできているからこそ魅力的であり貴重な人材として認めてもらえるのです。

 自律心が欠けていたり、他人への接し方が失礼だったりすれば、社会に出てから苦労するのは子ども本人です。そのことを確認して「しつけ」シリーズの1回目を終了いたします。                                                                つづく

08:14 | 投票する | 投票数(13)
2025/06/27

「運脳神経」とは(監督から)

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 「運脳神経」とは  監督 齊藤 秀樹
 今週はお馴染みのこの記事を久しぶりに紹介していこうと思います。
   私は「運動神経がない」から運動は苦手です。という話をよく聞きます。しかし「運動神経がない人」なんてこの世に誰一人いません。自転車は、小さい頃にがんばって練習して一度でもできるようになったら、その後は一生乗れます。
 しかし、子どもの頃に乗れるまでがんばらなかった人が、大人になって自転車の練習を初めても、乗れるようになるには子どもの何倍も努力が必要になります。運動神経がよいとか鈍いというのは生まれつきではなく、ある運動をできるまで練習したかどうか、つまり、できるようになるまでがんばったかどうかによって違ってきます。決して遺伝で決まっているわけではありません。
 
 日本人は右手で文字を書く人が多いのですが、それはいつも右手で書いているから上手になったのです。ケガなどをして右手が使えなくなってしまった人たちの中には、努力して左手で上手にかけるようになった人がたくさんいます。
 できるようになるまでの練習時間が長いか短いか、回数が多いか少ないかは個人差がありますが、できるようになるまで最後まであきらめないでがんばれば、誰でも必ずできるようになります。
  
 一般に「器用だ」「上手だ」と言われている人は、子どもの頃に身体を使ういろいろな遊びを体験して、様々な運動のパターン(感覚)を獲得している人です。そのパターン(感覚)は、小さなプログラムになって「脳」に格納されます。それが多ければ多いほど、手先が器用だったり、巧みに身体を動かしたりすることができるようになります。また、将来新しい動きや技に初めて出会った時も、以前に獲得したパターンを加工すればすぐにできるようになります。
  このように子どもの頃に遊びや運動を通してたくさんの動きを脳に格納しておくことが、将来運動ができる子を育てます。
 
 ところで皆さんは「運動ができる子は勉強がダメ」一方、「勉強ができる子は運動がダメ」というイメージを持っていませんか。確かにスポーツばかりに夢中になって全然勉強しない子は、成績がよいはずはありません。しかし、前述したとおり「運動」と「脳」は実は深い関係があるのです。「勉強はアタマで、運動はカラダで」とか、「うちの子は頭が筋肉だから…」なんて思っている人はけっこうたくさんいるものです。
 しかし、ものを覚えたり、考えたりするのも、身体を器用に、巧みに動かしたりするのも、全て「脳」がするものなのです。
 
 最近の研究では、“運動ができる子どもの方が、できない子どもより学力が高い”という結果が数多く発表されています。
 ではなぜ運動すると勉強もできるようになるのでしょうか。一つは、運動すると「脳が活性化される」ということです。これを日本女子体育大学の深代学長は「運脳神経」と呼んでいます。もう一つは、運動すると「活力」が育ちます。もう何度も書いていることですが、「活力」とは、自ら「わかるようになりたい。できるようになりたい。うまくなりたい。勝ちたい。」というエネルギーのことで、これがないと子どもは伸びません。一般には「やる気・意欲」と呼んでいるものです。
 SAAは、これからも毎回の練習や各種試合を通して、脳の活性化を図り、活力を高め、「かしこく、たくましい子」を育てていきたいと思います。

07:09 | 投票する | 投票数(55)
2025/06/20

親として一番大切なこと(監督から)

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「親として一番大切なこと」    監督 齊藤 秀樹
 
 突然ですが、皆さんは子どもの前で夫婦げんかをしたことがありますか。また子どもの前で、お互いの悪口や陰口を言ったことがありますか。残念ながらおそらくは、ほとんどの方があると思います。アメリカでは、子どもの前で夫婦げんかをしたり、悪口を言ったりすることは「児童虐待」に当たります。さらに子どもの前で物を壊したり、暴力を振るえば、即「逮捕」です。愛する子どもの心を傷つける行為は許されないことなのです。
 
   さて、私は18年間の担任時代の約3分の2は6年生の担任でした。その内5年6年と持ち上がったのが5回、後は全て単発(1年間だけ)の6年生担任でした。その理由の多くは5年生の時に一部の子どもが荒れて、先生の指示や指導に従わず好き勝手なことをして、授業が成立しない状態となり、学級が崩壊寸前になってしまったため、その学級の再生役として受け持つことが多かったからです。また3回の行政(教育委員会)経験の中では、主に非行や不登校、児童虐待等の生徒指導を担当することが多かったです。

 そんな経験の中で私はあることに気づきました。それは思春期を迎えて何らかの問題行動や学校不適応を起こす子どもたちの多くが、家庭の中で幼少時から嫌というほど両親のケンカや悪口・陰口の言い合いを経験しているということです。
 考えてみてください。子どもは親を選べません。子どもにとって両親は、この世で最も愛すべき大切な存在であり、最も信頼できる存在です。

 その二人がいつも目の前でケンカをする。どれだけ幼い子どもの心を深く傷つけることでしょう。子どもは人のことが怖くて仕方なくなります。いつもビクビクして他人と向き合うようになります。だから弱い奴だと思われいじめの標的にされてしまいます。
 また、子どもの前でお互いの悪口や陰口を言う。子どもは人のことを信じることができなくなります。ちょっとしたことで傷つき、心を閉ざし、次第に不登校や引きこもりになってしまいます。
  もしも、つい子どもの前でケンカをしてしまったら、側にいる子どもの方に視線を送ってみてください。どんなにおびえた目をしているか。どんなに身体を小さく丸めて震えているか。その嵐が過ぎてくれるのをじっとがまんして待っているはずです。

 誤解を恐れずにいえば、成人して結婚して子どもを持てば、自然に親になることができるわけではありません。「養ってやってるんだから、子どもが親の言うことを聞くのは当たり前だ。」とか、「ゲームや携帯を買ってやったんだから、勉強しなさい。」等と考えてはいませんか。親になるということは、「親という職業に就く」ということです。家族とは親が社長である一つの会社です。その中でいつも社長と副社長が皆の前でケンカばかりしていて、口を開けばお互いの悪口を言い合っている会社の中で、一人の社員として勤務していたらどうですか。まず間違いなく組織の統率は乱れ、社員のはやる気を失い、こころある社員は辞めていき、いつかは会社が潰れていくことでしょう。
 しかし哀しいことに、家族という会社の社員である子どもたちは、辞めることも、逃げることもできないのです。社長の犠牲になって人生をあきらめながら歩んでいくしかありません。

 学校の先生方も大学で教員免許を取得し、採用試験に合格して、教育委員会から辞令をもらえば教員です。しかし、日々向上心を持ってよりよい先生をめざす努力をしなければ、決して一人前のプロ先生にはなれません。親も同じです。良い親になるためには、絶え間ない学習と、子どもの見本になる努力が必要です。そのことを今多くの親たちが忘れています。親という権威に寄りかかり、その日の気分や思いつきで子どもを追い込んでいます。いつも耳の痛いうるさいことを書いて申し訳ありませんが、是非、今の自分を振り返り謙虚に学ぶ姿勢を持ってください。そして一番大切なことは、いつも笑顔が絶えない温かな家庭の中にこそ、心の安定や本当の幸せがあると思っています。 
                 
               参照・引用…「子育てで一番大切なこと」水谷修 著

07:24 | 投票する | 投票数(99)
2025/06/13

活力は「やればできる」体験から生まれる(監督から)

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活力は「やればできる」体験から生まれる   監督 齊藤 秀樹

    私はかれこれ28~9年前から休日を使って白井市、印西市近隣の小学生を対象にSAA(白井アスレチックアカデミー)という陸上クラブを主催し、毎週指導しています。チームの実績としては、過去に女子リレー、男子リレー、男女混合リレーを筆頭に、100m、ハードル、走り幅跳び、走り高跳び、ボール投げ等で、合計130名の子ども達が千葉県大会で優勝し、全国大会に出場しています。全国大会でも2位が4回、3位が2回ありますが、リレーでの日本一にはまだ届いていません。いつの日か日本一のチームを…を夢見ています。私の目標はオリンピック選手を育てることではありません。教え子が親になった時に、「お母さんは小学生の頃、全国大会に出場し、国立競技場(日産スタジアム)で走ったんだよ。」が胸を張って言えることです。全力で努力し、夢を叶え、輝いた経験は、生きる自信につながると信じます。

 さて、ノーベル賞受賞者で数学者の広中平祐さんが著書の中で「自分で目標を決め、それに向かって努力するかしないかで、その結果に大きな違いが出る。」と書いています。自らが目標を決め(夢を持ち)、それに向かって最大限の努力をするってすばらしいことです。よく学習や運動の魅力を味わわせることの大切さに「楽しさや喜び」という言葉を使いますが、実は両者の間には大きな違い(差)があります。「楽しい」というのは、好きなことを自分なりにやっているだけでも「楽しい」のですが、「喜び」というのは「やった。できた。うまくなった。勝った。」という感動・感激体験のことです。そして、そこには必ず“苦しくても、歯を食いしばって、精一杯頑張った”という過程が入ります。即ち「努力」です。何かが成功したときや、何かをやりとげたときに飛び上がって万歳するほど「うれしい」。失敗したとき、うまくいかなかったときに涙があふれるほど「悔しい」という心情は、全力で努力をしない子には決して味わえない感情です。
 私は日々の練習の中で、たくさんの感動・感激体験を味わわせ、常に“やればできる”を信じて努力する子どもを育てたいと思っています。
 子どもには無限の可能性があります。大きな目標(夢)を持ち、それに向かって全力で努力すれば、叶わない夢なんてないし、子どもたちはこれからいくらでも変身・成長していくことができると信じます。

    走ることが得意な子と、苦手な子がいるのは事実です。しかし、適切な指導を受け、何度も練習していけば、誰でも必ず足は速くなります。そういう意味で私は教育の可能性を信じています。しかし、同じ指導者から同じ指導を受けていても記録が飛躍的に伸びて、どんどん速くなっていく子もいれば、少しの向上で止まってしまう子がいるのは事実です。それはなぜでしょう。私は「活力」だと思っています。活力とは自分から「上手くなりたい。強くなりたい。できるようになりたい。勝ちたい。」という内面からのエネルギーのことです。指導者がどんなに熱心に丁寧に教えても、子ども自身に活力がないと決して伸びません。「活力ある子ども」を育てることこそが、私は教育の究極の目標だと信じています。

06:52 | 投票する | 投票数(147)
2025/06/06

がんばれ先生方(監督から)

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 がんばれ先生方    監督 齊藤 秀樹
 子どもには無限の可能性があります。子どもは誰でもよい芽を持っています。私たち教師の仕事は、“子どもたちの持っている可能性やよい芽を、発見し、引き出し、伸ばし、輝かせてあげること”だと思っています。

 私は現在、白井市教育委員会で「学校支援アドバイザー」という仕事をしています。その関係で、市内の各学校に呼ばれ、授業、部活動、学校行事等を視察し、先生方に子どもの扱い方や指導法を教えています。子どもたちから「今日、監督が学校に来たよ。」と家で報告されることも多いと思います。SAAの活動だけではなく、普段の学校生活もよく見ていますので、より子どもたちを理解しているつもりです。
  
 さて私は常々「子どもたちを輝かせるには、まず先生方が輝かなければならない」と思っています。今の学校の活力の原点は「活力ある先生方」の存在です。
 先生方が生き生きとして元気な学校は子どもたちも元気です。元気な子どもたちが生き生きとした活力ある学校をつくります。そして活力ある学校には活力ある先生方が生まれます。

 では先生方が、いつも元気に生き生きと(活力)働ける学校とは、どんな学校(職場)なのでしょうか。何事もうまくいっていて、課題もトラブルもなく、取り立ててやるべきこともない、楽な職場のことでしょうか。私はそうは思いません。
 なぜなら、様々な課題を解決していくことが学校現場の本質だと思うからです。何一つ解決するべき課題がないならば、少々大げさな言い方をすると、学校そのものが必要なくなります。これは、犯罪が存在しない社会なら警察はいらず、世の中に病気やケガが存在しなければ病院もいらないというのと同じ理屈です。

 勉強ができない、運動が苦手だ、人と上手く付き合うことができない、悪いことをして人に迷惑をかけるなど、未熟な存在だからこそ子どもたちは様々な課題を持っています。この課題を解決するには、時間も労力もかかりますが、こうした子どもたちと真正面から向き合い、丁寧に粘り強く教え、育て、共に考え、汗を流すことで、できなかったことができるようになり、子どもの変容や成長が実感できたときに、教師のやる気は最高潮に達し、「やった。よっしぁー。」という成就感、達成感を味わうことができるのです。そもそも学校とはそういう職場であり、そこに学校という存在価値があります。

 しかし残念なことに、近年「教師は多忙だ」という面がクローズアップされ、今までにはなかった多忙さによる負担感によって心を壊してしまう教員、志半ばで辞めてしまう教員が、増加の一途をたどっています。確かに教師という仕事は、職務のない境界性と複雑性を持っており、朝から晩までいくら働いても、残業手当も付かない職業です。

 私は「多忙」という言葉には2つの意味があると思っています。1つ目は「物理的な多忙さ」で、とても職務時間内では自分の能力ではやりきれない程の仕事量がある状態のことです。2つ目は「精神的な多忙感」で、自分の仕事にやる価値が見い出せない、やりたくもないことをやらされている等の「やりがいのない忙しさ」のことです。この必要感のない仕事への「負担感」や、自分のやりたいことができない「不満感」こそが、教師の活力を減退させる「多忙感」の正体です。
 
  私たちの教師の願いは、ただ一つ「子どもがよくなること」です。勉強でもスポーツでも人付き合いでも何でもかまいません。子どもの中に眠っている可能性を発見し、引き出し、伸ばし、輝かせ、自信を持たせることができれば、自分の仕事にやりがいと充実感が持てます。どんなに忙しくても、今の仕事に「やりがい」と「充実感」を持っている教員は、常に元気で生き生きとしています。そしてあまり「多忙感」を持ちません。

 教師のやる気を引き出し、活力ある学校を創るために大切にしていること。
①教師がめざすのは「子どもをよくすること」という共通の価値観を持たせること。
②学校が何をめざし、どこへ向かおうとしているかを明確に示すこと。
③教師の全力こそが、全力を尽くしてがんばる子どもを育てること。             
④組織の中で「役立つ存在」として認められるよう心配りを忘れないこと。
⑤「学校としての判断や決断の責任は全て校長が取る」ことを宣言し、教師が安心して 全力で働ける職場をつくること。

 皆さん、先生方を応援してください。毎日体を張って全力で子どもたちと向き合い、関わり、指導してくれています。   がんばれ先生方。         


14:26 | 投票する | 投票数(199)
2025/05/30

学ぶこと、それが人間らしさ(監督から)

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学ぶこと、それが人間らしさ
 ~「自由」「個性」の大間違い~     監督 齊藤 秀樹

    私は校長時代、よく全校朝会で、子どもたちに「君たちはいったい何者だ。」と問いかけをしていました。一瞬何のことだかわからないという表情をしていた子どもたちでしたが、しばらくするとあちらこちらから「人間だよな」「人間に決まってるじゃん」という声が聞こえてきたので、「何で人間だと言えるんだ。」と聞き返したところ、「生まれたときから人間だから」とか「お父さんお母さんが人間だから」という答えが返ってきます。そこですかさず「それは違う。」と言いました。

 皆さんはオオカミ少年の話を知っていますか。人間の父親と母親から生まれた男の子が、ふとした事故からオオカミに育てられジャングルで野生の生活をすることになり、その中で成長していきました。そして少年がジャングルで発見されたときには、四つ足で野山を駆け回り、日中は寝て夜になると山々を徘徊しては動物を襲ってその生肉を食べ、言葉はしゃべらずに遠吠えを繰り返す子になっていたそうです。
 さてこの子は生物学的には間違いなく人間なのでしょうが、少なくても「人間らしい」とは言えません。子どもたちが今堂々と「私は人間です」と答えられるのは、人間らしい経験や学習を積み重ねてきたからです。

   以前にも書きましたが、お母さんからオギャーと生まれたときには「泣くこと、吸うこと、飲み込むこと」以外何一つできなかった子どもたちが、途中であきらめることなくできないことに挑戦し、できるようになるまで頑張り、わからないことを一つずつ理解し、様々な体験を通して、自分の感情を抑えたりコントロールしたりして「理性」を身につけ、人間らしく成長してきたのです。

    実は、最近とても心配なことがあります。それは、人々の価値観が急激に多様化してきたことで、必要以上に「自由」と「個性」が尊重され、良いこと、大切なこと、社会的な規範意識(ルールやマナー)は全て個人によって違うという「個別化現象」が起こっていることです。まぁ自由が保障され、個性が尊重されることはとても大切なことではありますが、その結果、社会とか集団というまとまりに、求心力(核となるもの)がなくなり、中心からどんどん離れようとする遠心力によって、皆がバラバラに好き勝手なことをしだすという現象が起きてしまっています。非行、援助交際、地べたリアン、電車内での化粧、授業中の携帯電話…。「自由でしょ。勝手でしょ。関係ないじゃん。」という若者に何も言えない大人たち。日本はこのままで大丈夫なのだろうかと心配になります。

    私は「やりたいことはやる」「やりたくないことはやらない」という自分の意志や感情のみを主張するのは「個性」や「自由」を尊重することとは違うのではないかと思います。世の中には「やりたくないけど、やらなければならないこと」や「やりたいけど、やってはいけないこと」がたくさんあります。そのことをしっかり教えておかないと、取り返しのつかない「わがままお化け」や「本能マン」ができてしまうのではないかと心配です。

  子どもたちは“何かを学び、身につける”ために毎日学校に通ってきています。朝、校門をくぐるときには知らなかったことやできなかったことが、帰り校門を出るときにはできるようになったりわかるようになったりしています。私はこれが「学校に来る価値」だと思っています。毎日の学習や経験を積み重ねることが大切です。そして、今日学校でいくつのことを学んだか、学んだ分だけ人間らしくなれると思います。
 “学ぶこと、それが人間らしさ”ではないでしょうか。

06:31 | 投票する | 投票数(241)
2025/05/23

子どもの叱り方②(監督から)

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 子どもの叱り方②        監督 齊藤 秀樹

 「叱る」というのはとても大切な、しかし、とても難しい教育です。子どもたちが最も嫌いな叱られ方を調査したところ、第一位は「わけ(理由)なく頭ごなしに叱られる」ことだそうです。しかしよく考えてみると、理由もなく叱る大人なんていません。大人は必ず何らかの理由があって叱っているはずです。なのになぜ「理由なく叱られた」と子どもは思ってしまうのでしょうか。それは、大人には十分叱る理由があるのに、それが子どもに通じていないからです。簡単に言うと、子どもが納得するような、子どもの心に響くような叱り方ができていないからです。もちろんこの前提には、子どもとの信頼関係(親子関係、師弟関係…)が必要になることは言うまでもありませんが、どちらにしてもこれではせっかく子どものために叱っても、子どもの心に不満や反発が残るだけで、かえってマイナスに作用してしまいます。

 では先週号の例から子どもの叱り方を考えてみます。この2人の叱り方はどこがどう違うのでしょうか。前者の母親の「体罰、脅し、泣き落とし、世間体」という叱り方が全く娘の心に入らなくて、後者の父親の「どんなにできが悪くても、こいつは私の息子です。」が心に響いたのでしょうか。

 実は子どもの叱り方には次の3つのポイントが重要なのです。
①…「お前(あなた)には良いところがたくさんある。なのに何でこんなことをしてしまったのか。」ということ。
②…「お前は私の大切な子どもなんだ。大切だからこそ叱るんだ。」ということ。
③…「お前がそんなことをしたのは、親である自分にもいけないところがあるはずだ。だから一緒に悪いところは直すように努力していこう。」ということ。

  自分のことを大切にしてくれる。自分の良さを認め、応援してくれる。いつも同じ方向を向いていてくれる。このことが基本です。
 
 「叱る」というしつけ(教育)は“愛”がなくてはできません。何よりもわが子が大好きだから、大切だから、よい子に育ってほしいからこそ、大人は子どもを叱るのです。

07:26 | 投票する | 投票数(292)
2025/05/16

子どもの叱り方①(監督から)

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     子どもの叱り方①      監督 齊藤 秀樹

 「子どもをほめる」というのは大切な教育です。しかし、ただほめているだけでは決してよい子は育ちません。しつけの基本は「承認」(よいことは認められ、ほめられる)と「拒否」(いけないこと、ダメなことは禁止され、しかられる)の使い分けです。子どもはこの両方を経験を通して、しだいに自分の行動をコントロールしたり、自分自身の中に善悪の判断基準を形成したりしていきます。また、叱られるということは、裏を返せば「自分のことをいつも考え、心配し、大切にしてくれている」=「愛されている」という実感にもつながります。では、どのように子どもを叱ったらよいのかについて、2週にわたって考えてみたいと思います。

  ここに「叱り方」のよい例がありますので紹介します。
(例1)
 ある中学2年生の女の子がスーパーで万引きをしてしまい、学校に連絡が入ったので担任が引き取りに行き、担任が自宅に送り届けた時の話です。
 玄関に入った瞬間に、待ち構えていた母親に「パチン。パチン。」とほっぺたを叩かれ、「あんたは何てことをするの。もう我慢できません。お父さんが帰ってきたら思いっきり折檻してもらいますからね。あんたなんか、警察でも施設でも何処へでも行ってしまいなさい。」そして更に「こんな近所のスーパーで万引きなんかしたら、折角買ったこの家にもう住めなくなってしまうでしょう。冗談じゃない。全く。」とものすごい剣幕で怒鳴られていました。女の子はその間、唇をかんだままじっとうつむいて、一切の返事もせずにふて腐れていたそうです。

(例2)
 ある中学1年生の子が本屋で万引きをしてしまい、学校で担任と話した後、家まで送り届けた時の話です。家に入ると父親が奥の部屋で待っていて、父、母、本人、担任が向かい合わせの席に座りました。そして担任から本人に「今日あったことを自分の口から言いなさい。」と言うと、その子は涙ぐみながら「あのな…。今日な…。帰ったらな…。暇だったので本屋に行ってな…。」とボソリボソリと話し出しました。その間、父親と母親は目をつぶったまま膝の上に握りこぶしを置いてじっと子どもの話を聞いていました。そして一通り話が終わった瞬間、父親が畳の上に手をついて「先生。どんなにできが悪くても、こいつは私の息子です。どうか勘弁してください。明日きちっと本屋に一緒に行って謝らせますから。」と涙をボタボタこぼして言ったそうです。その姿を見た息子はビクッとして「お父さんごめんなさい。許してください。もう二度とこんなことはしませんから。」と、父親に抱きついて泣いて謝ったそうです。

   さて、この2人の親の叱り方はどこが違うのでしょうか。
   確かなことは、前者の母親の「体罰、脅し、泣き落とし、世間体」という叱り方が全く娘の心に入らなくて、後者の父親の「どんなにできが悪くても、私の息子です。」が、なぜ心に響いたのでしょうか。この例は、私たち大人が子どもをどう叱ったらよいかの大切なヒントを与えてくれています。皆さんはわかりますか。
                                                                                つづく


07:10 | 投票する | 投票数(337)
2025/05/11

子どもの褒め方・叱り方②

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子どもの褒め方②  監督 齊藤秀樹
 実は「ほめる」と「しかる」は紙一重だと言われています。何故かというと、これは子どもの特性や性格、行動をどう見るかによって決まるからです。具体的には、プラスで見るかマイナスで見るかによって、良くも悪くも見えてしまうということです。今回は数多くの講演会などで最も「へぇー。ほぉー。」という歓声があがる、子どもを褒めることが苦手なお父さん、お母さん必見の“逆転の発想で子どもを褒める”について紹介したいと思います。
  マイナス(欠点と見れば)         プラス(長所と見れば)
     おせっかい       →   世話好き
     頑固な分からず屋              →          芯があり意志が強い
                 人見知り                              →          まじめで慎重
                わがまま                          →          正直 素直
                でしゃばり                            →          前向きで挑戦的
                お調子者                                →          ユーモアがありおもしろい
                いばっている                         →          自信がある
                仕切りや                                →          リーダー性がある
                気性が激しい                         →          情熱的 野性的
                消極的                                    →          謙虚でつつましい
                マイペース                             →          常に落ち着きがある
        ぶっきらぼう                          →          嘘がつけない
     
       いかがですか。子どもの性質は見方を変えれば長所となりますよ。
14:19 | 投票する | 投票数(357)
2025/05/02

シリーズ「子どもの褒め方・叱り方」①(監督から)

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子どもの褒め方・叱り方①
  子どもの褒め方   
   監督 齊藤 秀樹

 子どもの評価には、大きく3つの方法があります。1つ目は「相対評価」といって、他の子と比較することで、その子が集団の中でどのくらいの位置にいるかを評価します。1番なのか、中間なのか、中の下くらいなのか…というように「集団内での位置」を評価するものです。2つ目は、「到達度評価」(絶対評価)といって、親や先生があらかじめ示す基準にどれだけ到達できるかで評価します。90%以上なら十分満足、70%以上ならおおむね満足、60%以下ならまだまだ努力不足…というように到達度で評価します。ちなみに、現在の通知表はこの評価ですので、クラス内の位置や順位は関係ありません。3つ目は「個人内評価」といって、その子個人の中で、よいところはどこなのか、悪いところはどこなのか、伸びたことは何なのかを評価するものです。   

   さて、子どもをほめることが苦手な方には、ぜひ「個人内評価」をお薦めします。更にその中での「加点評価」(+評価)を心がけると、ぐっと子どもをほめる機会が増えると思います。例えば“掃除”を取り上げて帰りの会で「○○君は、いつもしゃべらないできちんと掃除をやっているね。偉いぞ。」とほめます。これは4月当初が20点の掃除しかできなかった子に、2ヶ月たって60点をあげられるまでに成長した時に使います。20点が60点になったということは、3倍も努力し成長したことになります。これを加点評価と言います。なかなか子どもをほめられない大人の中には、常に自分の満足度を100点に設定し、そこまで到達しなければ認めないという人にとっては、○○君の現在の60点は-40点であり、全然だめだということになってしまいます(これを到達度評価の減点評価といいます)。また、他人と比べて何点だったかという相対評価も、「お母さん九九が4の段まで言えたよ。」と嬉しそうに自慢している子に対して、「何言ってんの、お姉ちゃんなんかあなたの頃には9の段まで言えたわよ。」になってしまい、本人が頑張ったことをほめてあげられません。

 どの評価法も時には必要かもしれませんが、子どもが1つでもできるようなったら、少しでも努力し成長が見られたら、それを見つけ、認め、ほめてあげることが「よし。次も頑張るぞ。」という意欲や向上心につながります。

  “子どもは 誰でも よい芽を持っている”
  “子どもは 誰でも 認められたいと思っている”
 “ほめれられることを 嫌いな子はいない”    のですから。   つづく 

13:58 | 投票する | 投票数(405)
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