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          齊藤 秀樹  監督

 
 

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2026/02/27new

本番で力を発揮する方法(監督から)

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 先日まで行われていたミラノ・コルティナ五輪では、フィギアースケート、スノーボードを中心に、日本勢の大活躍に多くの感動をもらいました。そこで今回はせっかくの機会なので「本番で力を発揮する方法」について書きたいと思います。
  
 本番に力を発揮する方法    監督 齊藤 秀樹
 よくオリンピックや世界大会などを見ていると、優勝候補(素質や技能が優れた選手)が、本番のプレッシャーや緊張感に負け、実力を出し切れずに負けてしまい、期待していた人々をがっかりさせることがあります。これらは全て精神力の弱さから来るものです。しかしこの精神力の弱さというのは生まれつきのもの(遺伝、血液型、性格)だとあきらめてはいけません。大きな試合やピンチの場面などで、普段通り自分の力を発揮する力は、日常の訓練で克服できるものなのです。この精神力を鍛える訓練を「メンタルトレーニング」と言います。

 この精神力を科学的に強化するという訓練の始まりは、1950年代に旧ソ連(現ロシア)で宇宙計画の一環として始まったと言われています。それが東欧諸国に広がりスポーツの世界に応用したことで一気に競技力が向上しました。その後アメリカなどが取り入れ、次第に全世界に広がっていきましたが、日本では1985年頃からようやくスタートしました。当時の日本のスポーツ界は「試合に勝てないのは気合いが足りないから」という精神論が古くから根付いていたため、研究や実践はかなり世界から遅れてしまいました。
 しかし現在多くのスポーツ関係者がこのトレーニングに注目し実際に成果を上げています。これは身につけておくと、試合、運動会、コンサート、試験、受験…様々な場面で応用でき、とても有効ですのでその一部を紹介いたします。

【イメージトレーニング】
    大会や試合がある前日には、知らず知らずのうちに神経質になり緊張感も高まってきます。そんな時は頭の中で、「自分のすばらしいプレーや活躍する姿を思い浮かべる」ことです。過去に一番がんばった姿や勝利の瞬間のイメージなどが、どんどん頭の中に浮かんでいけばしめたものです。例えば「スタートの瞬間に素早く反応し、ぐんぐんスピードが上がって他の選手を引き離していく。、なんだかいつもより体が軽く、足もよく動き、あっという間に1位でゴールする」そんな姿を思い浮かべるのです。ただし、決して失敗したり転んだりする姿を思い浮かべてはいけません。せっかくのイメージトレーニングがダメージトレーニングになってしまいます。

【ルーティン】
 この技法を取り入れていることで有名なのが、日本が誇る世界一のバッターだった野球のイチロー選手です。彼はバッタボックスに入ると必ずユニホームの肩や袖をつまみ、バットを立ててピッチャーの方へ向けます。彼は毎回行うこの同じ動作で平常心を保っているのです。練習からいつも同じ動作を繰り返すことで自分の心をコントロールすることができます。

【深呼吸】
 さあいよいよ100メートルの決勝です。スタートの直前は胸が激しく高鳴ってきます。そんな時には肩の力を抜いて軽くジャンプし、大きく深呼吸を1~2回するとよいでしょう。息を吸うときは腹式呼吸で胸よりもお腹に空気を入れ、吐くときは全身の筋肉をリラックスさせます。すると不思議と緊張が取れ、集中力が高まってきます。

 SAAの皆さん、来たる春のシーズンインに向けて練習時か習慣づけてみてください。

07:36 | 投票する | 投票数(14)
2026/02/20

「思春期の子の育て方」②(監督から)

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「思春期の子の育て方」②  監督 齊藤 秀樹  
【思春期~青年期での親の在り方】
 先週は思春期の子どもの扱いや育て方で保護者の方が一番悩むのは、なかなか素直に言うことを聞かない、反抗的な言動が出てくることだと書きました。しかし発達心理学からすると「思春期に子どもが親に反抗するのはある意味当然であり、反抗しない方が心配である。」と考えます。したがって「うちの子には反抗期がない」ことを誇らしげに自慢する必要はないし、それがよい親子関係だとは必ずしも言えません。
 この時期にしっかり親離れしないと子どもはいつまでも独り立ちできないし、親も子離れできなくなってしまいます。
 
 この時期の子どもは「自分とは何者か」という“自分探しの旅”を始めます。自分はどんなものが得意でどんなものが苦手なのか。どんな個性や能力を持っているのか。今どんな生活を送り、どんな人たちとつき合いがあるのか等を手がかりに自分自身を理解していきます。そして自分が今まで生きてきた人生を振り返り、時に否定し、自己を再構築していきます。その自立のためのエネルギーが、今まで何でも言うことを聞いていた親への「不服従や反抗」という形で現れるのです。

 ではこの反抗期に親からの自立や子離れがうまくいかないと、その後どんな影響が出てくるのかについて考えていきたいと思います。
 まず1つ目は、エネルギーが家庭の外に向けて発散されるケースとして「非行や犯罪などの反社会的行為」となって現れることがあります。親との葛藤があるにも関わらず、その不満が親に直接向くのではなく、社会や世間に向けられ非行、犯罪という形で現れる場合です。
 2つ目は、とても悲惨な結果として起こりうる「家庭内暴力や親殺し」というケースです。本当は一人前の人間として認めてもらいたいのに、上手く関わってもらえない(相手にしてもらえない)。そのやり場のないネガティブな思いが、親に暴力的に向けられてしまいます。子どもは親を傷つけたり殺したりすることで親を乗り越え、自己を確立しようとする場合もあります。
 3つ目は、親との関係の不満が子ども自身の内側にたまるというケースです。そのよい例が「引きこもり」です。家から何ヶ月も何年も外に出ないで家の中にいる。そして家にずっといながら、インターネットなどのメディアとのみ外部とつながる。食事は親から与えてもらうが、生活や趣味には干渉させない生活を送るという場合です。
 これは、親が自分を独立させてくれない結果として現れる現象の一つです。外とのつき合いを持てずに、親のなすがままに育てられ大きくなった弊害といえるでしょう。

    もう一つつけ加えると、現在は自立して大人になるまでの時間(青年期)が非常に長くなっているように感じます。18才で成人になることは変わりませんが、例えば就職、結婚、子育て、持ち家は一昔前に比べて確実に遅くなっています。「自分探し」がなかなか終わらずに長い年月を費やす若者が増えています。「パラサイト・シングル」と揶揄されるように、いつまでも独身でニートやフリーターを続けながら親に「寄生」している若者は現在も少なくありません。
  更に、皆さんは1992年のTBSで放映された「ずっとあなたが好きだった」というドラマを知っていますか。主人公の佐野史郎扮する中年の「冬彦さん」は、いつも従順に母親の言うことを聞きます。この母親は息子の結婚生活に干渉し、妻よりも率先して愛情表現をし、独立して家庭を持った息子の生活に平気で割り込んでいく。当時は多くの視聴者から「気持ち悪い」「異常な関係だ」と騒がれたほどの親子関係でした。
 
  「いつまでも あると思うな 親と金」といわれるように、子育ての最終目標は子どもの「自立」です。特に思春期から青年期にかけては、子どもにやたらとべたべたしない方がよいし、事細かに親の考えを押しつけて、子どもの主張を抑え込み、親の前で「よい子」を演じさせてはいけません。これは非常に危険であり、ふとしたきっかけて思いもよらない行動に発展しかねない可能性を持っています。思春期以降の子育てで一番大切なことは、発達段階や年齢に応じて「子どもとの適切な距離感を持つ」ことだということを覚えておいてください。


07:35 | 投票する | 投票数(63)
2026/02/13

思春期の子の育て方

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 「思春期の子の育て方」①  監督 齊藤 秀樹

 SAAでは、次年度の向けた新規会員の体験練習会が開始されました。SAAの会員は小学校4年生から中学校3年生までです。この時期の子は一般に子どもの発達段階としては「思春期」と呼ばれる子どもたちです。そこで今回はこの時期の子どもの特長について書いていきたいと思います。

【小学校上学年~】
   この時期になると子どもは親との付き合い方をかなり転換させるようになります。一緒に外出することを避けるようになったり、友人には話せても親には話せない秘密を持ったりします。また今まで絶対だった親に対してその生き方や考え方、更に毎日の生活の在り方に疑問を持つようになり、親が自分にいちいち指図してくるのがうっとうしくなってきます。ではまず今回はこの思春期の特徴から書いていきます。

 「思春期」というのは、個人差が非常に大きいものです。小学校4年生ぐらいから始まることもあるし、中学2年生ぐらいからの子もいます。 
  思春期というのは、その出発点は“肉体の変化”です。胸がふくらんできたとか、生理が始まったとか、ヒゲが生えてきたとか、…、こういう現象が思春期の入り口です。実はこの肉体の変化が「心」に大きな動揺や変化をもたらすのが思春期なのです。
 
 思春期というのは、人生の嵐の時代ともいえる時期で、精神的なブレが激しい時期です。この時期を別名「第2反抗期」とか「半熟期」とも呼んでいます。
 思春期の特徴は、あまり大人が干渉しすぎると、「私はそんなに子どもじゃない。放っておいてくれ。」と言うし、じゃあ「任せるよ。」と放っておくと、「助けてよ。私はまだそんなに大人じゃないのよ。」と甘えてきたりします。また、朝は「パパ大好き」だったのが、夕方には「うるせー、おやじ!」にコロッと変わったりします。家にいても、学校にいても、何がそんなにおかしいのかと思うくらい、キャッ、キャッ、キャッ、キャッと大騒ぎし、箸が落ちても笑い転げていた子が、夜になるとムスッとして部屋にこもり、どうしたのかと聞くと、「この世で、私ほど不幸な子はいない。」なんて言ったりもします。
 このような両極端な態度の変化が、「思春期の子は扱いが難しい」といわれる所以なのでしょう。

 また、典型的なこととして、人間関係が縦社会から横社会に変わるようになります。小学校の中学年くらいまでは、先生がこう言っていたとか、お母さんがああ言ったというように、先生や親は絶対でした。ところが思春期に入ると大人よりも友だちを大事にしだします。「あの子とはつきあってはいけません」とか「もっとよい友達を作りなさい」なんて言うと、「お母さん、友だちの悪口だけは絶対に言わないで」と言うようになります。 

    思春期の子どもの扱いや育て方で保護者が一番困るのは、なかなか素直に言うことを聞かない、反抗的な言動です。これは一言で言えば“精一杯の大人への背伸び”です。「もうぼくは子どもじゃないんだから、いちいち言われなくてもわかっている。放っておいてくれ。」すなわち、「一人前の人間として認めてくれ」という親からの分離、自立への第一歩です。ですから今までよりも少し多く「承認」(子どもを一人前の人間として、受け入れ認めてあげること)してあげることが大切です。しかしだからといって、子どもの言うことを全て受け入れ、子どもの言いなりになってはいけません。思春期の子どもは、親に反抗すれば叱られることは百も承知です。わかっていてわざとやっているのです。自分の主張がどこまで通じるのかを試しているのです。だから、ダメなこと、認められないこと、譲れないことに関しては、断固「拒否」することは大切な教育です。
 この「承認」と「拒否」を上手く使い分けることが、思春期の子の扱いで最も大切なポイントとなります。
 次週はこの時期とその先(思春期~青年期へ)の親の在り方について考えていきたいと思います。

07:13 | 投票する | 投票数(101)
2026/02/05

「学校安全」について(監督から)

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 現在各学校で「不審者対応避難訓練」を実施しています。あってはならないことですが、万一学校に不審者が侵入し、子どもたちに危害を加えそうになった時の対応訓練です。今回は私が各学校の先生方によく話す訓練の重要性と、「学校安全」の基本的な考え方について書いていきたいと思います。
  
 「学校安全」について     監督 齊藤 秀樹

    平成13年6月8日(金)午前10時過ぎごろ、犯人は開いていた学校の東門前に自動車を止め、出刃包丁と文化包丁の入った緑のビニール袋を持って学校の敷地内に入った。一階の教室に次々に侵入し、子どもたちを出刃包丁で切りつけ突き刺し、子ども8名が死亡し、子ども13名、教員2名の計15名が負傷した。これが数十年前に起こった大阪教育大学付属池田小学校事件である。「まさか。小学校に侵入し、子どもを無差別に刺し殺すなんて。あり得ない。」当時の世間はあまりの衝撃に騒然となったものです。
 この事件は学校の安全神話を一瞬のうちに崩壊させ、学校安全の在り方に多くの課題と教訓を残した事件でした。今回はこの事件の教訓を今一度検証し、本校の基本的な安全対策について書いていきたいと思います。

 池田小学校は、国立大学の付属校という特性から、遠方から通学している子どももあり、保護者は自動車で来校することも多く、東門は常に開いていました。犯人は裁判の公判の中で、「もし門が閉まっていたら入らなかったかもしれない。」という趣旨のことを言っていましたが、門が開いていたばかりに尊い8名の命が失われたといっても過言ではないかもしれません。私がいた学校では、常に日中は正門・西門を全て閉めています。また自動車は事前に駐車券を申請するという形を取っていました。これに対して、「面倒だ。不親切だ。」と感じる方もいるでしょう。しかしこの対応は、子どもの安全を第一に考えた安心・安全な学校づくりのためであることを、何度もご理解いただきました。
 
    この事件では門から入って少しした所で、教員が犯人とすれ違っていました。しかし声をかけることなく犯人は校内に入ってきてしまいました。以前までの学校は来校者に声をかけると、疑っているようで失礼なのではないかという風潮がありました。しかしあの時に教員が一言「こんにちは。」「どちら様ですか。」「何かご用なら承りますが。」と声をかけていたら、この学校は外部の人にはガードが固い学校だと感じ、犯行を躊躇したかもしれません。私の学校では極力来校者には挨拶や声かけをするよう努めています。また保護者には必ず「入校証」をつけてもらい、授業参観や保護者会の会議以外は職員玄関からインターホンで職員室に連絡し、職員に用件を伝えてから校舎に入るようにお願いしています。用件を聞くことや声かけをすることは決して失礼なことではなく、安全に配慮している証拠であることをご理解ください。

    最後に子どもたちの被害を拡大させた最大の教訓は、学校に緊急時の連絡体制(対応マニュアル)が整っていなかったということです。犯人が2年南組に侵入した時刻はちょうど2時間目が終わり、休み時間になったばかりの時で、この教室には担任は不在でした。次に隣の2年西組に入った時はまだ授業中で、担任は侵入に気づき教卓上の電話機を取ろうとしたものの、犯人を刺激すると思って受話器を置き、警察に通報するため事務室へ向かってしまいました。この事件は教員が誰もいない2つの教室の中で、子どもたちに避難誘導もないまま、次々と幼い子どもが犠牲になってしまったのです。更に2階、3階にいた教員はこの10分の間、誰も異変に気づいていなかったといいます。ここで問題なのは、不審者が侵入してきた時の担任の対応と連絡方法、全校体制での避難誘導の仕方、そして日常の避難訓練等の安全対策の在り方です。

  この事件以降、全国各地の学校では「不審者侵入時の対応マニュアル」が整備され、定期的な訓練が実施されるようになりました。私の学校でも、不審者が侵入してきたらまず担任が笛を鳴らし、周囲の学級に非常事態を知らせると同時に子どもを守り避難誘導させる。そして同学年の担任が職員室へ不審者の侵入をインターホンで伝える。校内放送で全校に不審者侵入を知らせ、教職員は決められた役割分担にしたがって、侵入した学級へ急行する職員と児童の避難誘導に当たる職員に分かれ対応する。…。というマニュアルを作成し、定期的に訓練を実施していました。

 よく勘違いされるのですが、「開かれた学校づくり」とは、学校の透明性を高めるために、教育理念や教育方針を常に明確に示し、学校での様々な子どもの活動を参観やホームページ、学校だより等で公開し、理解と支援を得ようというものであって、いつでも誰でも自由に学校に入れるよう門や玄関を開いておくというものではありません。

07:55 | 投票する | 投票数(150)
2026/01/31

「健康」と「体力」について(監督から)

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 健康」と「体力」について  監督 齊藤 秀樹    
【「健康な子」とは】
   人間にとって何が一番大切かと問われれば、おそらく「健康」という答えが返ってくるでしょう。しかしこの「健康観」というのは人それぞれで、普段特に意識していない人から、常々健康には細心の注意を払っている人まで様々です。また、年齢、環境、人生経験、社会状況等によっても異なります。そこで今回は「健康教育」という観点から、その基本的な概念について書いてみたいと思います。

基本的な健康観(WHOの定義・ヘルスプロモーション)
 健康とは「病気で無い状態」のことではなく、「身体的」(体)にも「精神的」(心)にも「社会的」(人間関係)にも良好な状態のことである。
 「病気にならなければよい」とか「病気になったら医者(専門家)に任せておけばよい」という消極的な健康観ではなく、「健康」は自らがコントロールし、改善していくことで「健康は自分でつくる」という積極的な健康観を持つことが大切である。

  「健康」というのは、体の問題だけではありません。「健康な人」とは、体も心も社会的関係もうまくいっている状態の人のことです。また従来の健康分野は、特定の人(病人)に対して専門家(医師)が「病院」で「治療して治す」という医療分野の問題とされてきました。したがってともすると、素人が生半可な知識を人に教えることは危険な行為だとされてきました。その証拠に、例えば生活習慣病の患者が増加しても、「学校がしっかりとした健康教育を行っていないのがいけないんだ。」とは昔は誰も言いませんでした。しかし、上記で紹介したヘルスプロモーションの考え方が浸透し、世間に健康志向、健康ブームが起こってからは、「健康は全ての人々(素人)が日常生活の中で、自らつくっていくもの」という考え方が定着してきました。学校では体育の「保健」、理科、学級活動、道徳等で「健康」に関する学習を行っています。しかし学校で得た知識や方法(わかる、できる)を、日常生活の中で実践し、継続する(やる、続ける)のは家庭です。学校と家庭が連携し、心身共にたくましく健康な子をつくっていきましょう。

【「体力のある子」とは】
                         
            防衛体力    病気にならない体
                    ケガをしない体
   体力
                    筋力(筋肉の強さ、パワー)
                    柔軟性(体の柔らかさ)
             行動体力     持久力(体を動かし続ける力、スタミナ)
                    敏捷性(素早く動く力)
                    巧緻性(リズム感、タイミング)
  
 「彼は体力がある。」とはどういう人のことをイメージして言っているのでしょうか。上図のように「体力」は大きく2つに分類すると、防衛体力(体を守る力)と行動体力(体を動かす力)に分けることができます。また「行動体力」の中身も、大きく5つ(筋力、柔軟性、持久力、敏捷性、巧緻性)あり、どれもバランスよく身についている人のことを「体力がある人」と言います。更に、この行動体力には適時性(発達時期)というものがあり、ピークを100とすると、小学校6年生(12才)の子どもでは、「筋力」は約60%の発達、柔軟性は約80%、持久力は70%、敏捷性・巧緻性は100%というデータが出ています。簡単に説明すると、100%の敏捷性・巧緻性は小学生時代に、体を早く動かしたり、リズム感を育てておかないと、一生身につかないということです。また、筋力はまだ60%の発育時期ですから、小学生の時からあまり早くウエイトトレーニング等をやってしまうと、体の発育が早すぎて、その後伸び悩むことにつながります。一般的な日本人の体力ピークは男子20~22才、女子16~18才といわれますので、どの時期(年齢)にどんな運動をさせることが効果的なのかを考えて体力づくりをすると、運動ができる子に育ちます。


07:02 | 投票する | 投票数(172)
2026/01/23

子どもの本質を見抜く力(監督から)

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 子どもの本質を見抜く力  監督 齊藤 秀樹

 我が子が何らかのトラブルや事件を起こし、その旨を学校から家庭に連絡すると、多くの保護者が「まさか。家の子に限って…。」「そんなはずはない。何かの間違いではないのか…。」という反応が返ってきます。しかしこれは、わが子を愛し大切に育ててきたという思いと、我が子のことは誰よりも自分の一番理解しているはずだと思っている保護者にとっては、ある面当然の反応なのかもしれません。

    今から十数年前に起こったことだったと思いますが、ある高校1年生の女生徒が、友人である同級生を自宅で殺害し解剖しようとしたというショッキングな事件がありました。当時のマスコミ発表の記事を読むと、「被害者に全く恨みはなく、ただ人を殺してみたいという欲望が抑えられなかった。」と供述しているといいます。この女生徒の父親は弁護士、母親も東大卒のエリート家族で、何不自由なく裕福な家庭の中で育ち、成績も大変優秀な子だったそうです。そんな優等生がなぜ大それた犯罪を犯してしまったのか。「まさか…。信じられない。」と学校関係者や親はさぞ驚いたことでしょう。しかし、実はここに大きな落とし穴があるのです。

 子どもを知らずして、また知ろうとせずして教育は成り立ちません。私たち指導者や教師も何とかして一人ひとりを理解しようと日々努力していますが、「子どもを理解する」ということはそんなに簡単なことではありません。小さいころならともかく、小学校高学年~高校生位の思春期に入っている子は、私たち大人の前ではベールをかぶることが多くなるからです。
 私が未だ若かったころ、近くの中学校に大変学級経営が上手い先生がいて、その先生の学級会がすばらしいから、是非一度見せてもらって勉強してくるとといいよ、というアドバイスを校長先生からもらって見に行ったことがあります。学級会のテーマは『最近カサがよくなくなるので、その対策をみんなで考えよう。』というものだったと思います。
 学級委員を中心に、実に活発な意見のやりとりがあり、「一人ひとりの置く場所をしっかり決めよう。」「全校集会で皆に呼びかけよう。」「雨の降った日は全員が交代で監視に立たなきゃダメだ。」等の意見が出て、チャイムと同時に結論がまとまり終了しました。うわさ通りのすばらしい学級会で、こんな先生がいるんだととても感動しました。
 休み時間になり、先生が教室を去った後、近くで談笑している生徒たちがいたので、「すばらしいね。」「たいしたものだ。」と話しかけたところ、突然その中の一人が「あんなことやったって無理に決まっているじゃん。」と言い出しました。私はびっくりして「何を言っているんだ。みんなカサが無くなって困っていたから話し合ったんだろ。」と言うと、「別に困らないよ。」という返事。「どうして?」「無ければ黙って他のやつのを持って行けばいいんだ。」「馬鹿なことを言うな。そんなことをしたら持って行かれた他の子が困るじゃないか。」「大丈夫だよ。そいつはまた他のやつのを持って行くから。」私は頭に来て「おい。君は確かさっき『生徒会に提案してみよう』と言っていたじゃないか。」と強く言うと、その子は一瞬困った顔をしましたが、周りを見回して、そっと私にこう言いました。「ああ言えば、めでたしめでたしで終わるから。」「…」
 何のことはない。彼らは学級会が得意だという先生の手前、“学級会ごっこ”をして、よく参観に来る先生方に見せていただけだったのです。

  私たちはともすると、その子の本質を見抜けずに「この子はしっかりしたよい子」とか「この子はいい加減でだらしがない子」というようなレッテルを貼り、それを基準に子どもを理解したつもりでいることはないでしょうか。
  子どもの本質を見抜くためには、次の3つのことが大切です。

①子どもにはいろいろな顔があることを理解し、授業中、掃除中、休み時間、家庭 の中、休日や放課後、習い事…の様子をできるだけ幅広く見たり、聞いたりすること。

②いつまでも昔のイメージを持たずに、子どもは日々変容し、成長していくものだという柔軟性と新鮮な目を持って子どもを見ること。

③教師や親に対して、あるいは教室や家庭の中で、本性を隠しベールをかぶる必要がないような、安心できる人間関係・信頼関係を作っておくこと。

  「まさか。家の子に限って…」にならないためには、子どもを信じると同時にその本質を見抜き、幅広く正しく理解できる力量を持たなければならないと思います。

07:50 | 投票する | 投票数(222)
2026/01/15

信じて、任せて、やらせてみる(監督から)

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信じて、任せて、やらせてみる  監督 齊藤 秀樹
  
   ある大規模チェーン店のハンバーガーショップに勤めだした子が、新人研修の中で、客が来たときの対応の仕方を習ったそうです。まず元気な声で明るく「こんにちは。いらっしゃいませ。」続いて「お持ち帰りですか。ここでお召し上がりですか。」をしっかり確認する。…。

 ある日、一人の客が入ってきて「ハンバーガーを30個ください。」と言いました。するとその新人はとっさに「お持ち帰りですか。それともここでお召し上がりですか。」と言ったそうです。するとそれを聞いた客は呆れたように「30個もここで食べられるわけないだろう。」と激怒したという笑い話です。
 一般にこの新人のような子を「指示待ち人間」とか「マニュアル人間」と呼びます。この人たちは、指示されたことは、その通りきちっとやりますが、自分で考えたり、場に応じて柔軟に判断することができないというのが特徴です。

 今からもう40年位前のことですが、小学1年生に自分たちで切符を買わせて、電車に乗って校外学習に連れて行こうという行事がありました。
   駅で電車を待っているときに、あるベテランの学年主任の先生から「電車が来たら2列にしっかり並んで乗りなさい。」という指示がありました。間もなく駅に電車が到着し、何両かに分かれて並んでいた子どもたちが一斉に電車に乗り込みました。すると隣のドアの入り口付近から「先生もう乗れません。」という叫び声が聞こえてきました。「こんなに空いているのにおかしいな」と近づいてみると驚きの光景を目の当たりにしました。なんと!先頭の子は反対側のドアにピッタリと顔を押しつけられ、その後ろにまっすぐ並んだ子どもたちが押し合いながらくっついていて、最後の子が「入れない。入れない。」と泣きべそをかいて叫んでいたのです。「電車の中に入ったら横に広がっていいのよ。」を先生が言わなかったために起こった大事件でした。

 私はこの事件を研修会や保護者会等でよく先生方や保護者に話しますが、その反応は「なんてかわいらしい。素直でいい子たちなの。」と微笑ましく感じている方々が多いような印象があります。
 しかし、私たちは今までの子育てや教育の中で、「言われたことをきちんとやる子がいい子」という教育を繰り返していくうちに、子どもたちから何か大切なものを奪ってしまっているような気がしてなりません。そして大人になっても、前述の店員のような指示待ち、マニュアル人間を数多く育ててきてしまったのではないでしょうか。

    子どもたちに「何でも好きにやってごらん。」と“自由”を与えてみると、最初は「何でも好きなことができる。わーい。」と喜びますが(解放の自由)、そのうち「自分の責任で、考え、判断し、行動しなければならないのは大変だ。」ということに気づいてきます。体験を通して「自分で決めてやったことは、全て自分の責任」という‘自由と自己責任’の関係がわかってきます。

  「先生や親の言うことを聞く子」はいい子です。しかし「先生や親の言うことしかできない子」や「言われなければやらない子」はダメな子だと思います。

   「いつまでもあると思うな親と金」という格言ではありませんが、教育の究極の目標は“子どもの自立”です。子どもを自立させるためには‘自分で考え、判断し、決定していく力’=“生きる力”を育てなければなりません。
  「信じて、任せて、やらせてみる」という体験を子どものころから日々実践し、身につけていくことは、子どもの将来にとってとても重要なことだと思います。保護者の皆さん、何でも素直に言うことを聞く子がいい子に育てていませんか。

16:37 | 投票する | 投票数(256)
2026/01/09

「友だち」とは(監督から)

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 「友だち」とは   監督 齊藤 秀樹  
 マザーテレサは「人間にとって最も不幸なことは、貧しいことでも、病気になることでも、お腹を空かせて死ぬことでもない。誰からも相手にされないこと。みんなから捨てられ寂しい思いをすることだ。」と言っています。

    昨年ある教え子のお母さんから、子どもが学校でいじめを受けて困っているという相談を受けました。何でも他の子には言わないと約束したことを、ついうっかりしゃべってしまって、それ以降仲の良かった友人たちから無視され、仲間はずれになっているというのです。食事ものどを通らず、毎朝「学校に行きたくない」と大泣きする毎日で、とても困っているという話でした。原因を作ったのは確かに本人ですが、もうやってしまったことなので今更悔やんでも仕方ありません。
 しかし端から聞いていると、そんなに嫌で、そんな友人たちなら、こちらから相手にせず、グループを抜けて、新しい友達を作ればいいと思うのですが、本人はどうしてもそういう気にはなれないらしいのです。つまり、子どもにとって友だちというのはかくも大切なものであって、それがたとえ自分に対して被害を及ぼしてこようとも、友だち関係を失ってしまうことはそれ以上に耐え難いことなのでしょう。

 そういえば、昔読んだある本の中に「日本人の子ども観」という章があり、その中に“七つ前は神のうち”という言葉がありました。私たち日本人は“子どもは純粋で汚れ無き存在”という考えの基、「子どものやったことだから」という一言で、たいていのことは大目に見て許してしまっているところがあるのではないかと思います。
 しかし実はこういう「性善説的な子ども観」の中に大きな落とし穴が潜んでいることが多いものです。私は昔から子どもが大好きで、かれこれ40年以上も教員という仕事を続け、休日もたくさんの子どもたちを集めて陸上クラブを主催していますが、そんな私から見ても、子どもというのは、決して純真で汚れなき存在ではなく、けっこう平気で残酷なことを言ったりしたりするものです。
                                                          
 先日ある高齢者の方(Aさん)から貴重な体験談を伺う機会がありました。Aさんが中学校に通っていた終戦後間もない時代の話です。誰もが一様に貧乏だった世の中で、友人の一人にいわゆる良い家のお坊ちゃんがいて、その子はいつも弁当にサンドウィッチを持ってきていたそうです。Aさんはそれがうらやましくてしかたなかったそうですが、ある日そんな息子の願いをいつも聞いていた母親が、イチゴジャム(粒のないのりみたいなもの)のついたサンドウィッチを持たせてくれたことがあるそうです。その日の昼食時、その友人がAさんのサンドウィッチを見て「俺のと交換しよう。」と言ってきたので一切れ取りかえたのですが、なんとその友人は「なんだジャムか。」と言って、一口も食べずにゴミ箱に捨ててしまったそうです。Aさんがもらったサンドウィッチにはコンビーフのような肉がぎっしり詰まっていたそうです。この時代にこんなものを食べられる人がいるのかと強烈なショックを受けたそうです。 

    考えてみると友だちというのは実に残酷なことを言ったりしたりするものです。親が子どもに知らせないよう努力してきた「人生の真実」(Aさんの場合は「貧富の差」)を一瞬のうちに壊し明らかにしてしまいます。

 学校という所は、別々の個性を持った子どもたちが一カ所に集まり、集団生活の中で多くの時間や空間を過ごす場所です。ですから、そこでは度々弱肉強食の争いが起こります。うちの子は集団生活が苦手だからという理由で、毎日家の中に閉じ込めて、親の庇護のもと温室で育てておくわけにはいかないのですから、集団での様々な活動の中で、人との関わり方を学び、子ども自身がたくましく心豊かに成長していくしかありません。その支援者として大切な体験を提供し、時に人生を教えてくれるのが友だちという存在です。
 
 そういう意味で、友だちとは極めて大切な成長への援助者だと言えるかもしれません。


14:26 | 投票する | 投票数(288)
2026/01/03

1月~3月の重要性(監督から)

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 あけましておめでとうございます(日本語)・Happy New Year(英語)
Bonne Annee(フランス語)Buon anno(イタリア語)
Frohes neues Jahr(ドイツ語)・新年快楽(中国語)…。 
 本年も白井アスレチックアカデミーをよろしくお願いいたします。今年も、新年お馴染みのこの記事で2026年をスタートしたいと思います。
           
   1月~3月の重要性   監督 齊藤 秀樹
【1年のまとめ】 
   後期後半の1月から3月は今の学年最後の3ヶ月であり、1年のまとめの時期でもあります。今年度の4月~12月までにやり残したことや、できなかったこと、わからなかった内容はないかもう一度振り返ってみて、全ての面で総点検をし、残り3ヶ月中にしっかり身につけておきましょう。
 物事には「段階・順番」というものがあります。2年生のかけ算九九ができなければ、その後に出てくる分数や小数のかけ算はできないし、高学年で出会う通分や約分もできません。また、水に浮けない子は決して泳げないし、自分のことも自分でできない子が、他人のために何かをやってあげられる「思いやりのある子」には決してなれません。
 このように今やっておかなければならないことをそのままにしておくと、必ずその「つけ」が後々の自分を苦しめることになります。簡単な例えを出して説明すると、4年生で習得すべき学習内容が「10」だとすると、4年生で「8」しか身につかなかった子は、次年度の5年生では10+2=「12」の内容を理解し、身につけなければならないことになります。更に、小学校時代に身につけるべき習得内容を「100」として、6年生終了の段階で「70」までしかできていなければ、中学校では「130」の内容を身につけるために大変な努力をしなければなりません。こういうことが繰り返されていくと、いざ自分の進路選択をするときになって、「あの時しっかりやっておけばよかった。」と後悔しても取り返しがつかないことになってしまいます。
 どうぞまとめの期間である1月から3月のうちに、やり残し、持ち越しがないようがんばりましょう。

【1年の始まり】
    ○年生という学年はそのままですが、1月から3月は2026年の初めでもあります。日本は古くから「1年の計は元旦にあり」と言われてきました。年の初めは誰しもが「今年こそは…」という目標を持つはずです。「始めよければ全てよし」「千里の道も一歩より」「はじめのボタンを掛け違えると、最後のボタンははまらない」等のことわざがあるように、年の初めに「最初の一歩」を大切にしたいものです。
 以前にも何度か書きましたが、ノーベル賞受賞者の数学者である広中平祐氏は「人は目標を持つか持たないかで、その後の結果に大きな違いが出る。」と言っています。新年に当たり、まずは今年の目標をしっかり持って、できるだけ早く「最初の1歩」を踏み出しましょう。

【次学年への心の準備】
  「1月は行く。2月は逃げる。3月は去る。」と言われるとおり、1月から3月は1年で一番短い期間です。あと少しで、1年生は2年生に。4年生は高学年(5年生)に。5年生は最高学年(6年生)に。そして、6年生は中学生になります。
 実はこの進級・進学時に、上手く環境やシステムに適応できずに不登校になってしまう子が結構多いのです。特に6年生は「中一ギャップ」と言って、中学1年生になると小学校6年生の約3倍の子が不登校になってしまうそうです。次学年になってから適応していければいいのですが、今のうちから1年生と2年生の違い、低学年と中学年の違い、中学年と高学年の違い、そして小学校と中学校の違いを知り、その準備をしておくことはとても大切なことです。
 そういう意味で、1月から3月は「次学年への心の準備」でもあることを自覚して生活してほしいと思います。

 私は校長時代の1月の始業式で、毎回このような話を子どもたちにしました。「今までと同じではない」という新たな気持ちで、後期後半(残り3ヶ月)をスタートしてほしいと願っています。

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2025/12/27

手伝いのススメ(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
 手伝いのススメ  監督 齊藤 秀樹

 突然ですが保護者の皆さんに私からお願いがあります。それは、この冬休みを使ってぜひとも「家庭で子どもに手伝い(仕事)をさせてください。」ということです。こう書くとおそらく何人かのお母さんから「そんなことを言われても、うちの子は塾や習い事で毎日忙しく、そんなことをしている暇はありません。かわいそうです。」という反論が返って来ると思います。

    しかしよく考えてみると「かわいそう」と子どもをかばっているつもりでも、実は子どもから「一人前に扱われる喜びを奪っている」のではないかと思うのです。家庭というのは社会生活の一番の基本であり、「共同体」です。家族それぞれが個々の特性や人格を認め合うことで成り立っています。これから社会に出て自分一人の力で世の中をたくましく生き抜いていくためには、まずその最も基本となる家庭の中で“自立”し、家族みんなから“役に立つ存在”として認められることによって、はじめて外の社会(学校や社会)に胸を張って踏み出していけるのです。「あなたの仕事は勉強と運動よ。あなたがよい成績を取ってくれることが一番の親孝行なんだから。後の余計なことは全てお母さんに任せて…。」と上げ膳据え膳で尽くすのは、私から言わせれば単なる親の自己満足であって、それとは気づかずに子どもを自分では何もできない“操り人形”にしてしまっていることにはならないでしょうか。

 ただし、ここで間違えてもらっては困るのが、家の仕事や手伝いをさせることは親が楽をするためだと思いがちですが、それは全く逆です。子どもに任せる(やらせる)というのは、楽どころか返って邪魔なことが多いものです。だって自分がやってしまった方がずっと早いし、きちんとできるからです。そういう意味で、子どもに任せるというのはとても根気と忍耐がいる仕事(子育て)です。

 クラスの中でもそうですが、クラスの仲間や先生から頼りにされ、一人前の人間として認められ、みんなの役に立っているという「存在感」や「有用感」を持てるということは、子どもにとってはこの上ない喜びです。

 マザーテレサが「人間にとって一番不幸なことは、お金がないことでも病気になって死ぬことでもない。誰からも相手にされないことだ。」と言っている通りだと思います。
どうぞこの機会に手伝いをさせてください。家庭での手伝い(仕事)は子どもの重要な子育て(教育)だと思います。

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