「個性」について考える 監督 齊藤 秀樹
ある生徒指導の専門書に「いじめられやすい子の4つのタイプ」というのがありましたので紹介します。①目立ちたがり屋で自己主張の強い子、②おとなしく消極的で目立たない子、③勉強が苦手な子。運動が苦手な子。行動が遅い子等、④何でも良くできて優秀な子。リーダー性のある子だそうです。もう皆さんも感じていると思いますが、これを見ると「いじめの本質」がとてもよくわかります。それは、この4つのタイプにクラスの子を当てはめようとすれば「全員が当てはまる」ということです。即ち、いじめの被害は、今や「いつでも、どこでも、誰にでも起こりうる」ということです。
辞書によると『個性』とは「他の誰とも違う、その人特有の性質、個人差」とあります。私が古くからつきあっているアメリカ人の友人は、「私は小さい時からよく親に、『人と違う人になりなさい』とか『人に惑わされないで、しっかり自分というものを持ちなさい』と教わってきたよ。」と言います。このように欧米人にとっては当たり前のように教育されている「個性」(他人とは違う自分)というものが、どうも日本人にはうまく育てられないような気がしています。
日本の家庭の中で「他人と違う人になれ」ということを重視して子育てをしている親がどのくらいいるでしょうか。おそらく多くの家庭は「皆と同じように」とか「皆と違わないように」と願っているはずです。日本人というのは昔から「他人との違いを認めることを嫌がる」傾向がある国民だと思っています。まぁこれは同じ島国で生まれ、同じ肌の色、同じ髪の色、そして同じ言葉を使って長い間生活してきたのですから、「同じ」ことが普通であって、「違う」ことは普通ではないのでしょう。言い方を変えれば「同じ」であることが一番安心で居心地がいいのかもしれません。
しかしこのことが、「隣の子が塾へ行けば、家の子も行かせなきゃ。」と焦りだし、「小学5年生のお小遣いは、いくらくらいが普通でしょうか。」と平均を気にし、「家の子は他の子と比べてどうでしょう。」と心配する、“どの子も皆同じ意識”に通じています。
また、「あの人はどうも個性的でねぇ。」とか「あの人の意見はいつも個性的すぎる。」等の言葉をよく耳にするように、『個性的な人間であること』が必ずしもよい評価を得られず、時には批判の対象にされていることからも明らかだと思います。
では「個性」をどうとらえるか。「個性」をどう育てるか。についてですが、私は、他人と比べたその子の特長というよりは、もっと広く、一人ひとりが持っている「その子らしさ」(取り柄)ととらえたいと思います。人にはない優れた面を持っている子には「その子にしかない『よさ』を発見し、引き出し、伸ばしてあげる」。反対にただ真面目で目立たない子や、消極的な子に対しては「それを自分の『持ち味』として自覚させ、その生かし方を教えてあげる」ことが大切だと思います。
そして、一人ひとりの子が皆持っている「その子らしさ」が、将来その子の人生の中で「生かされる」よう導いてあげることが、私たち大人の役割ではないかと思います。
私たちが尊重したい「個性」とは、一人ひとりの子が持っている「よさ」「取り柄」「持ち味」のことだと考えます。
私はSAAの教育目標の柱として、“人との違いを認められる豊かな心の育成”(個性の尊重)を掲げています。最近のいじめに見られる「皆と違う面をからかいの材料にする」「人より優れた面を発揮すると妬まれる」という、皆が同じでなくてはいけないという形式的平等意識をなくし、一人ひとりが“その子らしさ”を思う存分発揮できる、そんな活力あふれる魅力的な学校でありたいと願っています。
“人はみんな違ってみんないい”のですから。