子育て講座③「母親の孤立」 監督 齊藤 秀樹
2週にわたり昨今の親たちの中に、極端で唖然とするような行為や未熟さが見られる状況を、「児童虐待」や「モンスターペアレント」を事例にあえて紹介してきました。もちろん多くの親はそうではないし、現在SAAが親の対応に困っているというわけでもありません。しかし一部の親の中に首をかしげたくなるような親が実存し、その数が年々増えていることは事実です。今回はその背景と原因について考えていきたいと思います。
誤解を恐れずにいえば、現在は「成人し結婚して子どもを持てば自然に親になることができる」時代ではない思います。これは何も、現在の親たちが急に理性を失ったわけでも、忍耐力が無くなったわけでも、人間性が劣っているわけでもありません。また反対に、昔の親たちが人間ができており、すばらしい人ばかりだったわけでもありません。この問題は、親個人の問題というよりは、もっと社会的な問題として考える必要があります。その中でも、虐待や無理難題要求を繰り返す親には実はある共通点があります。それは、身内や地域との人間関係が希薄な(人付き合いが少ない)親が多いという特徴です。そこで今回は「母親の孤立」という視点で考えてみたいと思います。
【祖父母との距離】
かつては親と同居するのが普通の時代でした。実親だろうと義親だろうと、否応なく毎日顔を合わせる環境の中では、母親が孤立することはありませんでした。また婚姻が近隣同士なら同じ町内や市内に親が住んでいて、簡単に行き来できる距離にいました。しかし今の親は心理的に祖父母と距離をおきたがっており、干渉を受けたくないという人が増えています。かつては親は息子や娘の子育てに手を貸していたし、息子や娘もそれを歓迎していました。しかし今は「お母さんは黙っていて。放っておいて。私の子どもなんだから。」といって、「自分が親だ」という立場で「子育てに口を出さないでほしい」と子どもを抱え込む親が増えています。我が子に対して責任感や愛情を持つことはいいことですが、子育て経験者(親学の先輩)からの助言や評価は本当に必要ないのでしょうか。
【父親の存在】
ワークライフバランス(仕事と生活の調和)が推奨されて久しい。仕事だけでなく家庭に費やす時間や余裕を確保することが重要だといわれます。コロナ下以降、在宅勤務やテレワークが増えてきたとはいえ、多くのサラリーマンは、実際には「一番は仕事、家庭は二の次」「家庭サービスをしている暇があれば、出勤して人一倍仕事をする」という高度成長時代から続く昔ながらの労働環境は根本的には変わっていないのではないかと感じます。これは家庭内での父親不在ということです。
父親不在の陰で妻たちは孤立しています。両親から離れ、日中は子どもと過ごし、夜は夫の帰りを待つ。しかし夜遅く帰宅した夫は疲れ切っている。「仕事で疲れているから休ませてほしい」という言い分で、妻の一日の出来事を聞いたり、子育ての相談に乗る余裕はない。たまの休日にしか相手にしない子どもはかわいらしく、手間のかかる子どもには見えない。だから「そんなことは自分で何とかしろ」となってしまう。孤立した母親は子育ての苦労やストレスをますますため込んでしまうことになります。
【地域社会の崩壊】
今の母親にとって「ご近所さん」とは、心理的にかなり距離の遠い存在です。顔を合わせても軽く会釈する程度で、立ち話もしない。まして自分のプライバシーの話などには決して踏み込まない。中には家は接しているのに名前や顔を知らない人もおり、離れて住んでいる昔の友人の方がよほど仲が良かったりする。若い母親たちはかつてのような密接な近所づきあいをしていない。近所に本音で語り合える相手、困ったときに相談できる相手、身近な心のオアシスは存在しないというのが現実ではないでしょうか。
母親が孤立する原因はまだいくつも考えられますが、孤立することがどう子育てに影響するかを簡単にいうと、子どもとの「適切な距離を保てなくなる」ということです。孤立しているとストレスがたまったときの吐き出し口がない。昔は近所の人に子育ての相談に乗ってもらえた。親だって聖人ではないし、がまんできないこともある。そんな時、他人に話を聞いてもらうだけでずいぶん楽になる。また自分の子育てのやり方を他人に見てもらう機会がない。第三者の目で批判してもらったり、ほめてもらえない。更に「それはいいこと、悪いこと」といった客観的な評価は、子どもとの二者関係だけで生活していては生まれにくい。このように現在は、親としての成長を助けてくれる機会や可能性が、極端に減ってしまっているのが現実ではないかと思います。