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がんばれ先生方(監督から)日誌01/31 08:10

          齊藤 秀樹  監督

 
 

監督から

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2024/11/29

「父親」と「母親」考(監督から)

Tweet ThisSend to Facebook | by:スタッフ
「父親」と「母親」考   監督 齊藤 秀樹
  
    12月に入りました。今年の年末年始は家族揃ってゆっくり過ごせますか。帰省する子、旅行に行く子、遊園地に行く子、アウトレットやショッピングモールのバーゲンに付き合わされる子など、年始には子どもたちが楽しそうに話す冬休みの思い出を楽しみにしています。
   さて今週はせっかくの機会ですので、家族(父親と母親)について、私の実体験を基に考えてみたいと思います。

   私は小学校6年生の時に、毎朝サッカーの練習に通っていました。両親は「子どもが好きでやっていることだから」ということで喜んで送り出してくれていました。そんなある日のこと、私はその日に限ってサッカーの練習に行きたくなくなり、布団をかぶってゴロゴロしていました。すると隣の部屋から父親の「あいつは何をしているんだ。自分からやりたいと行ってやり出したことを、途中であきらめるような奴はダメだ。」という野太い声が聞こえてきました。私は「まずい。」と思い、自分が父親にたたき起こされる姿を想像しながら布団の中で小さく身を潜めていました。
 すると母親が「そっとしておきましょうよ。あの子が起きてこないくらいだから、きっと何か考えがあるのでしょう。」といういつになく強い口調の声が聞こえてきました。それからしばらくの間、父親と母親が話していましたが、結局私が起こされることはありませんでした。

 その一部始終を布団の中で聞いていた私は、自分のしたことを深く反省しました。と同時に何ともいえない嬉しさを感じました。それは「私は信じられている」という嬉しさでした。本当はサッカーに行きたくない理由など何もなかったのに、ただ何となく行く気がしなかっただけだったのに、母親は「あの子はそんな子ではない」と私を信じてくれました。一方父親はおそらく私の心の中にある甘さ(さぼり)を見抜き許せない気持ちになったのでしょう。

   このように私は、常に厳しい父親と、やさしい母親という異質の2人によって育てられてきました。ある本によると、本来父親は「切る」存在で、母親は「包む」存在であると書いてありました。例えば、我が子が非行に走り事件を起こした時に、我が子であっても悪いことをしたのは事実だから許さないと、子どもを「切る」のが父親で、悪いことをしたのは確かだが、我が子なんだから何とか救いたい、助けたいと「包む」のが母親だといいます。人によっては「ひっぱる」のが父親で、「なだめる」のが母親だという人もいます。

    しかし最近この図式が変わってきているような気がします。昨年行った「子どもが求める大人像」の調査を見ても、父親を厳しい人と捉える子より、やさしい人と捉える子の方が圧倒的に多いようです。また反対に母親をやさしい人と捉えるより厳しい人と捉える子が最近増えてきているようです。

 即ち、父親がどんどん優しくなり、母親がどんどん厳しくなって、父親と母親の違いが無くなり「同質化」が目立ってきているようです。今の時代は、両親の共働きが普通になり、互いに仕事や趣味を持ちながら、共にパートナーを組んで、同じように子育てをしていくことが現実的で理想的なのかもしれません。要は「同質」か「異質」かではなく、必ず両親の価値観と教育方針は一致させ、その上でお互いの役割分担をよく話し合い共に子育てをしていくことだと思います。
 
 皆さんのご家庭はいかがですか。

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